加賀道夫さんじゅうななさい   作:ビーバップ八戒

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遺言

 

 窓から入る光で目が覚めた。

 昨日は窓を閉め忘れたか……まあ、2階だから問題はないか。

 ロクサーヌのぷっくりとした唇から寝息が聞こえる。

 昨夜はこの口で……ああいうのは商館で教育されたのだろうか……一体どうやって……。

 

 あまり見ていると妙な気分になりそうなので目を逸らすと、枕元の黄魔結晶が目に入る。

 黄色く輝く結晶はまるで宝石のようで、ロクサーヌの白い肌に良く映えたので、つい胸元に載せちゃったりなんかして……俺はなにをやってるんだ、バブル時代の成金か?

 だがまあ、ロクサーヌも満更ではなさそうだったので*1、なにかアクセサリーでも買ってあげても良いかもしれない。

 

「……ん、おはようございます、ご主人様」

「すまない、起こしてしまったか」

 

 日が沈んでから風呂を入れて、その後も夜更かししたからな、ゆっくりしていても良かったのだが。

 年食って回数が限られる分、1回の時間が長くなってしまう、疲れさせてしまったな。

 かくいう俺ももっと寝たいのだが、年々睡眠時間が減っていく……。

 

「――ぃえ、充分お休みをいただきました」

「……そうか」

 

 掛け布団で豊満な胸を隠しながら、ロクサーヌが身体を起こした。

 欠伸を噛み殺しているのが可愛い。

 昨夜は髪が濡れたまま寝たからだろう、いつも身綺麗にしている彼女の髪が、珍しく面白いことになっていた。

 ……まあロクサーヌがちゃんと髪を乾かすまで我慢できなかった俺のせいなのだが。

 

 寝癖と犬耳を撫でながら、「おはよう、ロクサーヌ」と挨拶すると、こっちに身を預けてくれた。

 このままでは二度〝寝〟してしまいそうなので、俺もタオルで下を隠しながら起き上がり、木窓を閉じた。

 薄暗くなってしまったが、充分手元は見れるな。

 

「すみません、ありがとうございます」

「……遅くなったが、朝食の用意を任せて良いか?

 俺は街までパンを買ってこよう」

 

   ※   ※   ※

 

 多分、ロクサーヌの身支度は時間が掛かるだろう。

 〈ワープ〉は使わず、徒歩で中心街に行くことにした。

 

 外に出ると、昨日耕した庭が目に入ってくる。

 1日で何が変わるわけでもないが、近寄ってローズマリーの木を撫でてみる。

 耕したところに柵を区分けするべきだったかな? 魔物に荒らされたりしないだろうか……。

 

「あっ、いってらっしゃいませ」

「……ああ、いってくる」

 

 頭上から声を掛けられて見上げると、服を着て寝室の窓を開けるロクサーヌがいた。

 ……こういうのって、いいな。

 顔がにやけていることを自覚しながら歩き出す。

 

 ……まあ、諸々順調と言って良いだろう。

 今の生活を続けるのに、家賃を含めた生活費は年20万ナールくらいか。

 そこに人頭税が俺の分は10万ナール、ロクサーヌが1万ナール掛かってくる。

 対して収入が、控えめに1日1万ナールとして、年260日稼働すれば260万ナールか*2

 

 余裕があるように思うが、在宅勤務で半ば引きこもり生活をしていた感覚は抜かないといけない。

 ちゃんと人付き合いすることを考えればもっと衣服は必要だし、装飾品なんかもあったほうが良い。

 

……黄魔結晶のような黄色い宝石――オパール? 琥珀? ロクサーヌは好きだろうか……今考えることじゃないな。

 

 怪我や病気で不稼働になることも考慮しなければならない。

 100メートル10秒で走れることは、フルマラソンを70分超で走れることを意味するわけではないのだ。

 年間支出40万ナール、有給休暇20日として……収入が240万ナールと考えれば、丁度6倍だから計算しやすいか。

 

 問題はあと何年働けるかだが……おっと。

 

 

   <男・40歳>

   村人:Lv53

 

 

 金物屋の亭主か、そういえばこの辺りの小屋で金物を作っていると言っていたな。

 レベルが高い、村人は上級職がないのだろうか?

 

 ……向こうもこちらに気付いたようだ。

 

「どうも、おはようございます」

「おお、あんたがミチオさんだな。

 時間が合わなくてちゃんと顔を合わす機会はなかったが……えー、過日は結構なご挨拶をいただいて……」

 

 ……旅亭に貰った焼き菓子のことだろうな。

 桶屋の紹介を頼んだ時には変人扱いする視線を向けられたが、翌日挨拶に行ったらそれはもう喜んでくれた。

 六区に住むのは探索者や冒険者を別にすれば職人などが多いらしく、そういう挨拶してくるような住人は稀らしい。

 

 彼は手にしていた荷物を下ろして会釈をしてきたので、こちらも会釈を返した。

 自然と視界に入って、ついその荷物を〈鑑定〉してしまう。

 

 

   コボルトナイフ

 

 

 

   ブランチ

 

 

 俺の視線に気付いたか、ホっとしたような顔で「商売道具さ」と中身を見せてくれた*3

 見た目通りと言っては失礼だが、堅苦しい言葉遣いは苦手らしい。

 

「探索者だそうだな、もしまとまった量があれば店に持ってきてくれ、多少は色を付けられると思う」

「なるほど、それは良いことを聞かせていただいた」

 

 亭主と挨拶をして別れて、街へ歩き出す。

 

 クーラタルの迷宮は入場料が掛かるが、〈ワープ〉で直接迷宮に入ることができる。

 他人の事情に口を突っ込まないという不文律があるとは言うが、金物屋は迷宮の目の前だ、「あそこのお宅、ちっとも迷宮に入ってる様子がないけれど……」なんて疑問を持たれては堪らん。

 だが、時折ドロップアイテムを持ち込めばそういった懸念はなくなるだろう。

 加えてあそこの店主は商人だから、〈買取価格上昇〉が利く。

 

 ……悪くないな。

 というか、さっき計算した収入はドロップアイテムの分を考慮していなかった、もっと稼げるな。

 だがいつまで働けるか、という懸念は残る。

 さっきの亭主は40歳だったが何年働くのか……迷宮探索も肉体労働だが、力仕事とも違うからな。

 

 蜀漢の五虎大将軍である黄忠は、60過ぎで戦場に立ったと言われる、現代でも中国では老いて尚盛んな人のことを〝老黄忠〟と呼ぶらしい。

 日本人なら、朝倉宗滴が80前後で加賀一向一揆と戦ったのではなかったかな。

 だが、どちらも立場を考えれば兵を指揮して、先陣を切るようなことはしなかっただろう。

 

 現代のアスリートで考えると、中京グリフィンズの山本山投手は50歳まで現役だったな。

 あとは現役で言えばヨグルトスパローズの岩川投手が44歳だったかな、確かもうすぐ200勝だったか、今年も勝利できたのだろうか。

 Jリーグ創設の頃から現役の三船選手は、下部リーグに移ったりフットサルの選手になったりして選手寿命を延ばしていたか、迷宮探索も低層に移ることで現役期間を延ばせるかもしれない。

 

「――さあいらっしゃい! 日の出とともに焼き始めたパンですよ! そろそろ硬くなってしまいますよ!」

「では、奥にあるのを1つもらえるかな」

「お目が高い、あちらは高級パンで8ナールになります」

 

 このパン屋の女将さんは結構なお歳だが、腰も曲がっていないし矍鑠(かくしゃく)としたものだ。

 そうだった、折角商売に使えるスキルがあるのだから、転職するという手段もあったか。

 

 ……だがなぁ、ロクサーヌにはもっと上層まで挑戦してほしい気持ちがある。

 推しの選手の姿を国内リーグで見れるのは嬉しい、でもレベルの高い海外リーグに挑戦する姿も見たい……そんな気分だな。

 さて、俺はどれくらいついていけるか……救いといえば、この歳になってもレベルは上がるということ、レベルやボーナスポイントで身体能力も伸ばせるからな。

 ……〈知力上昇〉はボケ防止にもなるだろうか?

 

 まあ50歳までバリバリ迷宮探索できると思おう、岩川もきっと200勝する。

 あと12年か13年間と考えて、その後の人生は20年か30年か。

 残り40年として、年間40万ナールで1600万ナール必要としよう、まあ5、6年もあれば稼げるのではないかと思う。

 借家ではなく家を買えば、まとまった資産と不動産をロクサーヌに遺すこともできるだろう。

 

 遺して、遺せれば果たしてそれで良いのか……そんなことを思う。

 それまで、若く美しく強い彼女が、無為に若さを失う姿を見続けるのか、と。

 

 ……剣客商売という時代小説がある。

 御年59歳の剣客――秋山小兵衛が、41歳も年下の若い女房と再婚し、江戸に巻き起こる様々な事件を解決したりする話だ。

 そんな設定なので、老人向けラノベ、などと揶揄混じりに言われることもある。

 

 その作中で、年下の妻の若さを犠牲にしていることへの悔恨のような思いを吐露したことがあったように思う。

 それは長い連載の中で、作者自身が老いていくなかで*4、40以上も若い妻を娶るということの意味をより真剣に考えるようになったのではないだろうかと思うのだ。

 

 10年後、20年後、俺はどんなことを考えるのだろう。

 俺が死んだ後、子供もなく独り残されるであろうロクサーヌのことを、果たしてどう思うのか。

 

 …………いや、そもそも主人が死んだら奴隷って殉死するんじゃなかったか?

 

   ※   ※   ※

 

 朝食はウサギ肉を使った野菜炒めだった。

 味付けは塩と香草だけだが、具材の出汁が出たオリーブオイルでパンを食べるのは堪らないな。

 個人的には卵かけご飯(TKG)と双璧をなす主食の食べ方だ、こっちの方が酒にも合うしな。

 

「食休みしたら、迷宮に行こう、後でロクサーヌの魔結晶を渡してくれるか」

「はい、あの黄魔結晶はお売りになるのですか?」

 

 白魔結晶まで貯めても1匹1ナール換算なのは変わらない。

 特に今売れば、貯まっているのは1万匹分ギリギリのはずだから無駄がない。

 黒魔結晶代は余計にかかるが、たったの10ナールだ、誤差の範囲だろう。

 説明すると、ロクサーヌはなるほどと頷いた。

 

「そして、午後はアランの商館に行く」

「……では、新たな奴隷を」

 

 ロクサーヌは目を伏せて食事に集中している……ふりをしている。

 まあそうなるか。

 

 ……ところでこの娘はなんで三角巾をしているのだろう、いつも家事をする時はしているが、食事の時は外していたと思うが。

 

「まぁ、いい奴隷が居ればな。

 ……前衛ができる鍛冶師、家事労働と、それに届け物を受け取るのに家にいなきゃいけないのも面倒だな」

 

 あとは調べものを頼めるような者が欲しい。

 迷宮のこと、魔物のこと、スキルのこと。

 

 それだけでなく、上手く言えないが広範な知識を得たいのだ。

 年を取ってから知って、なんで若い頃の俺はこれをやらなかったんだ? と後悔するようなことは多い。

 仕事でもそうだが、暮らしの中でもそうだ。

 

「……申し訳ありません、私が至らず」

「いや、ロクサーヌに不満は全くない」

 

 彼女に調べものを任せられないのは俺が読み書きできないことが一番の問題だ。

 

「迷宮でもこの家でも、ロクサーヌに世話してもらわなければ、俺は何もできんからな。

 ……いつもありがとう、ロクサーヌ」

 

 とはいえ、この規模の家を1人で維持して、迷宮探索までするのは長続きしないだろう*5

 ……夜にも負担を掛けてしまっているしな。

 

「ありがとうございます。

 しかし、そうですね、使用人が1人だけではご主人様が侮られます」

「あの……俺はただの自由民だからな?」

「……なるほど、わかりました」

 

 ろくさーぬは、ものわかりのいい、よいこであることだなぁ。

 ……証明しようもないし、実害があるわけじゃないから、まあ良いか。

 

「では、午後は家のことを片付けております」

「いや、ついて来てくれ、ロクサーヌと上手くやれない人間を増やすつもりはないからな」

 

 家の中でギスられたら面倒なんてもんじゃない。

 

「あとは、遺言をしておきたい。

 ロクサーヌはいつもよくやってくれている、俺が死んだらロクサーヌは解放される遺言にしようと思う」

「ありがとうございます……ですが、そのようなことをお話になってもよろしいのですか?」

 

 ……遺言を変えた後、当の奴隷に殺されたら、ということか。

 

 まるで考えていなかった、己の呑気さに笑いがこみ上げてくる。

 だがもし彼女に殺されるなら、それは俺に問題があったのだろうと思える。

 できれば苦しまないようにしてほしいが……こんなことを話したら怒られそうだな。

 

 実際問題、彼女にはボーナススキルや装備のことも話してある。

 スキルは俺が生きてないと使えないし、ボーナス装備だって果たして遺るものかどうか……俺の死後確実に残るのはいくらかの財産くらいだ。

 そしてその財産の中で最も価値があるのはロクサーヌ自身なわけで……うーむ、こんな話をするのも気が引けるな。

 

「……まあ、遺言にロクサーヌが立ち会うことが必要ならどうしたって知ることになるし、必要ないならこっそり遺言を戻しても知りようがない。

 だったら話しても問題ないのではないか?」

「なるほど、そうですね。

 もちろん私は態度を変えませんが」

 

 まあ一般論としてだ、そもそも疑っていたらこんなこと考えないしな。

 

「遺言については、奴隷が立ち会う必要はないと思います。

 それと……」

 

 言葉を止めて、ロクサーヌがすっくと席を立った。

 そして俺の横に(かしず)く、まるで忠誠を誓う騎士のように。

 

「もし私のことを信用して下さっているのなら、殉死のままに。

 遺言はなさらないでください」

「…………え?」

「ご主人様のことは私がお守りいたします。

 守れず私だけ生き残るとしたら戦士の恥、討たせるようなことなどさせません」

 

 思わず言葉に窮する。

 ロクサーヌと視線を合わせて、なんとなく彼女の三角巾を外した、やっぱり寝癖取れなかったか。

 跳ねた毛先を指で弄くる、もう少し時間を潰してから帰るべきだったな。

 

「……俺はもうすぐ四十路(よそじ)のおっさんだと話しただろうに。

 何をどうしたって、俺はロクサーヌより先に逝くんだぞ?」

「し、しかし! ご主人様の能力を考えれば、今後立派な仕事を成し遂げられるでしょう。

 私の能力を巧みに使い、そればかりか慈悲深く扱って下さるこのご恩、私は返さなければなりません」

 

 困ったものだ。

 一生を預けられるというのは、上司と部下よりはるかに重い責任だ。

 ……だが、そうか。

 

「俺は立派な仕事を成し遂げられるか」

「はい、必ずや!」

 

 この世界に来る前は、なにも為せなかった。

 仕事を放り出す形でここに来てしまったが、誰かが多少苦労しつつもすぐ代わりを務めるだろう。

 だがもっと責任のある立場に就く機会はあった。

 あるいは結婚して家庭を持つということも、収入面で言えば出来たし、一昔前はそうするのが当然だった。

 

「……では、まずはロクサーヌの寝癖をやっつける仕事をしようか。

 濡れタオルを使うと直せる、後でお湯を出そう」

 

 ロクサーヌは赤くなって俯いた。

 寝癖頭を撫でり撫でり……うん、落ち着く。

 

*1
一生に一度得られるかどうかくらいの白魔結晶がフラット35で買ったマイホームとすれば、黄魔結晶はそれなりレベルの高級車程度の価値はあるだろう。

*2
労働基準法の定める1年間の法定労働時間は40時間×(365÷7)週=2,085時間、これを8時間で割ると260日となる。

*3
原作で金物の原材料や製法についての記載はないが、コボルトナイフを加工品にするというロクサーヌの発言があること、ブランチは燃やすと火力が高いというセリーの発言があることから、本作ではこのような設定とする。

*4
15年間の連載開始時、作者の池波正太郎先生は50歳、小兵衛より9歳若かった

*5
原作でロクサーヌが家事担当の奴隷を増やすのを否定しているのは、仲間が増えて作業分担できるようになってからである。この時点ならまた別の答えが返って来たのではないだろうか。

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