ある反奴隷主義者の手記   作:無職のプーさん

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 その後の惨劇は、まさに悪夢のようだった。

 

巨大ガニ(クラビネーター)がハサミを一振りするだけで、瞬く間にリーバーたちは物言わぬ肉片と化す。悲鳴を上げる間も、反撃する隙もなかった。

あまりにも動きが速すぎる。あの巨体であの速さでは、対処の仕様がないだろう。

 

空からは切断された人の四肢や臓物が降り注ぎ、地面にはじわじわと血溜まりが広がっていた。

比喩ではなく、本当に血の雨が降る光景など生まれて初めて見た。不気味に輝く二つの紅い月も、荒野を染める血の色に拍車をかける。

 

幸いなことに少年は復讐者の女を連れて走り、その混乱から逃げ果せていた。私の脳はどうにかその情報だけを汲み取っており、他のことはあまり記憶にない。

 

私が以前の冒頭で述べた「頭が真っ白になった瞬間」というのは、まさにここのことであった。

 

「私に相応しい獲物だ」

 

耳を疑う言葉が聞こえたので、我に返ってそちらを見た。バラモンは大剣を握りしめ、残虐な笑みにその顔を今までになく歪ませている。

 

おそらく……いや、間違いなく、これがこの男の本性なのだろう。しょせんはシェク人。蛮勇だけが取り柄の品性に欠ける種族だ。

しかし彼は私の視線に気づくと、少し真面目ぶった表情に戻っていた。

 

「痛みについて述べていたな、ノーフェイス。あれは正論だと思うぞ。同じ痛みを分かち合うことで人は初めて互いを理解する。我々の血の洗礼も、元はと言えばそれが狙いだった」

 

バラモンは視線を戻し、巨大ガニを見据えながら続ける。「とはいえ……お前には踏み出す覚悟が足りん。これも治療の一環だ。私の背を見て学ぶがいい。真の勇気とは何たるかをな」

 

それだけ言うと、バラモンは重厚な得物を片手で担ぎ、怪物に真正面から向かっていった。腰の抜けた者や逃げ遅れた者に手を貸しつつ、獲物との距離を確実に縮めていく。

 

「カニの王よ、来るがいい! リーバーのバラモンが相手だ!」

 

彼の挑発に、無心に死骸を貪っていたクラビネーターは振り返る。食事を邪魔されてご立腹なのだろう。口元からブクブクと泡を吐き、鋭く大きなハサミを叩きつける。

 

振りかぶるという概念を知らぬが故の、予備動作のない一撃だ。避けなかった。避けられるはずもなかった。常人の反射神経では、あれに反応することすら叶うまい。

 

「あ……」

 

私は思わず間抜けな声を洩らした。

バラモンの左腕が捥げ、血飛沫とともに宙を舞っていた。粗末ながら堅牢なスクラップの鎧も、真の怪物の前には大した意味もない。

 

しかし、バラモンは変わらず笑っていた。私から見えていたのは背中だけだが、底抜けたような笑い声が聞こえたのだ。

 

彼はお返しとばかりに、勢い余って岩場に食い込んだハサミに向けて大剣を振り下ろした。使えるのは片手のみだが、全身の力を込めたのだろう。鉄塊のような刃は甲殻を砕き、ハサミを容易く粉砕する。

 

当然、カニの方も黙ってはいない。狂ったように目を動かし、足を軋ませ、身体の向きを一瞬で調整すると、もう片方のハサミを横薙ぎに振るった。

角度の調整を含んだゆえに、先ほどよりも動作が遅い。どうにか躱せそうな攻撃であったが、バラモンはそうしなかった。腹に抱え込むように、あえてそれを受けたのである。

 

ハサミの食い込んだ彼の胴が軋み、血が霧のように噴き出す。やはり鎧など何の役にも立たない。

確実に避けるべきであったが、シェク人は蛮勇ゆえ、己の肉体で敵の武器をあえて受けることがしばしばある。全身に外骨格を纏う彼らゆえの矜持であるが、このときばかりはそれが裏目に出た。

鎧をバターのように裂いてしまう力に、少々硬いだけの皮膚など何の足しになるだろう。

 

私はそのように考えたが、現実はどうやらそうでもないらしい。現に巨大ガニは彼の胴を切断しきれず、退くことにも難儀していた。

 

「構わん。腕も臓物も、くれてやる」

 

口から血を吐きながらも、バラモンは嗤っていた。ハサミを抱え込む腕に力を込め、両足を踏ん張ると、力いっぱい身をひねった。ミシミシと音を立て、ハサミがまるで衣服のようにずるりと脱げてしまう。

青い鮮血が飛び散り、剥き出しになったカニの身は、なんだか妙に美味しそうだった。

 

さすがの怪物といえど、これにはたまらず怯んだ。その隙を逃さず、バラモンは天に掲げるように大剣を振りかぶる。

地の底から響くような嗤いとともに、その刀身が巨大ガニの目と目の間、眉間の位置に深々と突き刺さった。

 

おそらくあの位置には脳がある。彼もそう当たりをつけて狙ったはずだ。

勝ったのか。一瞬そんな考えが頭をよぎったが、それはあまりにもおめでたい発想だった。

 

クラビネーターは血の泡を大量に吹きながらも、最初に壊された方のハサミを鎌のように一閃する。

回避不可の死の軌跡のあとに残ったのは、首のないバラモンの躰だけだった。

 

腐っても豪傑と言うべきか。彼の肉体は倒れることなく、死してなお怪物の前に立ちはだかっている。彼の背後の荒野では、リーバーたちの絶叫が木霊していた。

 

 

 

 

 その後のことは、全くと言っていいほど覚えていない。気がつけば私は農村におり、復讐者の女と一緒に手当てを受けていた。

私も彼女もケガなどしていないのだが、少年は解放してくれなかった。「せめて一晩は大人しくしてて」と念を押されたので、仕方なく世話になることにした。

 

心底驚いたのは、私の隣に二人ほどクラブレイダーが寝かされていたことだ。どうやらまだ息があった者を少年が担いできたようで、治療の甲斐あって一命は取り留めたらしい。

余計なことをするなと言いたかったが、彼らは命の恩人と言えないこともないので、口には出せなかった。

 

リーバーたちはどうなったのか。彼に訊ねようとしたが、寸手のところで思い留まった。

馬鹿な質問だ。答えは分かりきっている。たとえあの場を生き残れたとしても、組織としてはもう終わりだ。そのことを理解しているのは、他でもない彼ら自身だろう。

 

 

 

 

 どうやら少年たちが駆けつけたのは偶然ではなかったらしい。私の状況を彼らに知らせたのは、私の奴隷のハイブ人(舌がある方)だった。

状況的にクラブレイダーを呼び寄せたのもおそらく彼だろう。荒野を風のように走っていったのを、数人の若い村人が目撃していた(いやお前走れるんかい、と私は内心でツッコんだ)。

 

どうやってクラブレイダーにコンタクトを取ったのか。「怒らないから話してみろ」と言うと、彼は驚愕の真実を告げてきた。

どうやら連中はしばしば私のカニの世話をしにこっそりやってきていたらしく、特に最近は脱皮の時期が近いとのことで、夜な夜な塩風呂に入れるために私のキャンプを訪れていたらしい。それで彼らの野営地を大雑把に把握していたため、とっさに呼びに行く判断ができたとのことだ。

 

「俺を雇ってて良かったでしょ、旦那?」とハイブは得意げに笑った。昆虫人間の表情など分かりっこないので、たまたまそう見えただけかもしれない。

 

正直に言うが、私はカニ狂いのストーカーどもの存在にまったく気づいていなかった。見張られている可能性は考えていたが、まさか夜な夜な子ガニを風呂に入れていたとは。どうりで最近ツヤツヤしてると思った。

改めて言うまでもないが、やはり連中は狂人だ。その隠密技術と労力は絶対に他のことに生かすべきだろう。

 

 

 

 

 生き残ったクラブレイダーたちは完治する前に農村から姿を消していた。お礼のつもりだろうか、カニの抜け殻で作った小さな首飾り(いらない)を少年の元に残していったらしい。

 

一度見せてもらったが、磨かれた深い赤の色合いは綺麗と言えないこともなかった。彼は喜んで身につけたが、ある日その首飾りは復讐者の女の胸元で輝いていた。

彼女に事情を訊いたところ(デレデレしていてキモかった)、お守りと称して少年からプレゼントされたとのことだった。

 

なるほど上手いな、と私は感心した。

お守りというのはおまじないとしての効果より、身につけた者の行動を縛る暗示的な意味合いが強い。つまり、大切な人から安全を祈られている以上、危険な行動を無意識のうちに控えるようになる、といった具合だ。

彼女の胸の内にある破壊衝動を、ようやく少年も見抜いたのだろう。

 

舌のないハイブ人はまだ頼れる(酒に弱いのが玉にキズ。あの日の夜もそのせいで村から出てこられなかった)が、彼女は放っておけば彼女自身だけでなく、周囲にも破滅をもたらすかもしれない。

縛る縄は多い方がいい。一番良いのは、縄を縄と悟られぬことだ。切られたり解かれたりするリスクが減るからである。

 

 

 

 

 少年の企みは功を奏し(実のところ計算してやったのかは知らないが)、復讐者の女は盗賊退治などに自ら名乗りを上げることは少なくなった。ほとんどなくなったとも言って良い。

 

その代わり、少年の傍にいることが極端に多くなった。さすがの彼も引くぐらいベタベタに付きまとった。

おそらくリーバーとの一件で惚れ直したのだろう。なにせいざというときにカッコいいところを見せるつもりが、逆に見せつけられてしまったのだ。脳がやられてしまったとしてもおかしくない。

それにしても明らかに距離感が狂っている。亡くなった弟さんからも、さぞかしウザがられていたに違いない。

 

少年は「今忙しいからやめて」と彼女を遠ざけたが、問題は忙しくないときだった。彼女の膝の上で抱かれているとき、彼はなにやらぽーっとした、頬に赤みの差した表情でされるがままになっていることがたまにあった。

彼女の色香に当てられたのだろう。あの年頃ならまあそうなるのも無理はない。

 

「あの二人、あの、アレ……大丈夫なんすか?」と私の奴隷のハイブ人は心配していたが、私は相手にしなかった。

私の知ったことではない。大丈夫もなにも、なるようにしかならないだろう。後は若い二人に任せておけば良いのである。

 

 

 

 

 このように書いていると、農村は平和そのものだったと思われるかもしれない。しかし、残念ながら例によってそんなことはなかった。

リーバー盗賊団は完全に統制を失い、たびたび少数で村への攻撃を仕掛けていた。

 

食糧目当ての略奪だったが、さすがに数人での突撃は無謀だ。

都市連合の憲兵たちも弱くはない上に、村を囲う壁には迎撃用のクロスボウが常設されている。周囲は開けており、めぼしい遮蔽物もない。彼らはただボルト(鉄の矢)を全身に受け、針鼠のような屍を野に晒すだけであった。

 

あるいはそれこそが、彼らの望んだ最期だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 




登場人物(?)紹介
『クラビネーター』
ジャイアントクラブの特異体、メガクラブの老齢個体。メチャクチャでかい。化け物ステータスが体躯に現れている。生ける攻城兵器。
攻撃速度、攻撃範囲ともに凄まじいが、体力は意外とそうでもない印象。他の動物エネミーと違ってタゲがでかいまん丸の胴体に集中するため、その分速く倒せるからと思われる。カニ系はこれのせいで割と脆い。
クラブレイダーはこいつの他にも巨大ガニを多数保有している。襲撃イベントで確認できるのは『タイタス』『バルナバス』『ギガントス』『クラビネーター』の四体だが、トーナメント形式らしいので実際はたぶんもっといる。
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