そうして再び数年が過ぎたある夜のこと。その時の私は岩陰に潜むのをやめ、浜辺で堂々と火を起こしていた。
隠遁生活も長く続けば緊張が途切れ、大胆になるものだ。凶悪な肉食竜たちが私の存在を受け入れてくれたことも、それに拍車をかけていたに違いない。
雲一つ無い夜空の下で、行商人の遺体から拾った酒と食糧をつまみ、久々に上機嫌になっていたのを覚えている。
星々の織りなす河が、頭上で光に透かした宝石のように輝いていた。
ふと顔を上げると、湾を挟んだ向かいの砂浜に人影が見えたような気がした。
私は側に置いていたクロスボウを足で引き寄せ、静かに
数年前に奴隷商人の死体から失敬したものだ。安物で状態は良くないが、水辺がちの浜では人の足はどうしても遅れるため、遠距離から先手を打てる飛び道具は有用だ。
故郷を離れて十年以上になるが、賞金稼ぎらしき者たちに襲われたことは何度かあった。
連合都市からはるばる私を捕らえに来たのか。あるいは、装備が良いだけの盗賊だった可能性もある。いずれにせよ、私はその全てを返り討ちにしてきた。
……正確に言えば、返り討ちにしたのは私ではなく、食欲旺盛な隣人たちなのだが。
とにかく私はクロスボウを構え、目線に照準を合わせた。焚き火を足で踏み消し、暗闇に目が慣れるのを待ってから、引き金に指をかける。
標的である人影はコバルトブルーの砂地をひた走り、数匹のビークシングたちから逃走していた。体格は小柄で痩せている。まるで子どものようだ。
逃げ足はそれなりに速く、彼らに追いつかれることはなかったが、引き離すこともできないでいる。
さらに目を凝らすと、まるで子どものようではなく、本当に子どもであることが分かった。
白いシャツと膝下が膨れたズボン(都市連合の文化圏で広く流通しているもの。袴とも呼ばれる)を着ており、武器は腰に下げた一振りの刀だけだった。
私は少し迷った末に、標的を子どもから肉食竜たちへと移した。
この神に見捨てられた過酷な地において、子どもは守るべきもの、などというカビの生えた倫理を持ち出すつもりはない。ただ単に、そのときはなんとなくそういう気分だった。それだけのことだ。
しかし連中を直接撃つのは恐ろしいので、再び標的を少しずらす。狙ったのは、彼らの眼前にある小さな岩だった。
引き金を引くと、ボルトは狙い通りに飛んだ。岩に当たって跳ね返り、にわかに火花を散らす。
甲高い音と光に、ビークシングの注意がそちらに向いた。好奇心が強い彼らは岩に顔を向け、不思議そうに首を揺らす。
素早く装填して次に狙ったのは、少し離れた位置にある白くずんぐりとした木だった。大枝の一つに狙いを定め、当たらないかもしれないと思いつつも、引き金を引く。
私の予想に反し、ボルトは見事に命中し、大枝は水面の上に落ちた。その長さ故、それなりの重さを持った枝は大きな水飛沫と音を立てたので、竜たちは振り返ってそちらに注意を向けている。
二発撃てばさすがに気づいたか、子どもはボルトが飛来してきた方角、つまり私の方を見た。私は向かいの岩がちの丘を指し、そちらに向かうように手ぶりで示す。
意図が伝わるかは賭けだったが、彼は私が思っていたより賢かった。付近の岩陰まで静かに移動し、肉食竜、ひいては私の視界からも姿を消す。彼らが振り向いたときには、すでに子どもの気配は跡形もなかった。
肉食竜たちは機嫌の悪そうな声を上げ、首を大きく空に伸ばし、空気の匂いを嗅ぎ始める。
私はぞっとしてその場に食糧の残りを捨て、できるだけ静かに海に飛び込んだ。
ここは連中にとって風上だ。あの子どもが消えた今、匂いを頼りに獲物を追跡するなら、狙いは私に向くに決まっている。
私は心の中で竜たちに対し情けない命乞いの言葉を呟きながら、水の中を大きく迂回して進み、子どもが隠れたと思われる丘の上を目指した。
鼻の優れた獣は、水中の獲物の匂いすら地上から嗅ぎ分けるという。連中がそうでないことを願うばかりだ。
海水の毒は肌を溶かすほどではないが、かつて追跡者たちとの戦いで負った古傷に沁みた。
ビークシングたちの気配を避けて慎重に陸へと上がり、岩がちな丘の上へと辿り着いた頃には、すでに日が昇りかけていた。水平線から顔を出す朝日が、翡翠色の水面をこれ以上無いほど美しく輝かせている。
先ほどの子どもは私を待っていたらしく、岩陰で暢気に焚き火に当たっていた。私の姿を見るなり、人懐っこそうな笑顔でお礼を言ってくる。命を助けてやったとはいえ、ここまで警戒心のない人間は久しぶりに見た。
身につけたシャツとズボンは薄汚れていたが、顔つきは年相応にあどけない。肌は白く、黒髪はまるで絹のようで、砂漠の砂や荒野の風で痛んでいなかった。それなりに良い暮らしをしていたことは、穏やかな物腰からも窺える。
遠方からではよく分からなかったが、身体つきを見るにどうやら少年のようだ。
何故ここにいるのかと訊ねたら、腹立たしい答えが返ってきた。ガットは開拓初心者におすすめの地。そう教えられたのだという。
疑うことを知らぬ哀れな愚か者がまた一人、のこのこ貪り喰われにやって来たというわけだ。
その少年はなかなかのお喋りで、聞かれてもいないことを次から次へと話し出した。
それなりに裕福な家の生まれだが、父親が殉職し(兵士か何かだったらしい)、葬式が終わってそうそう
「お前それ絶対
まあ都市連合ではよくある話だ。愚かな弱者が狡猾な者たちによって搾取され、落ちるところまで落ちていく。行き着く先は奴隷か、良くて荒野で野垂れ死にだ。
どうやら彼の末路は後者のようだが、たまたま運良く命だけは拾ったらしい。運が良いと言っても、しょせんは悪運だが。
シンパシーを感じたわけではないが、私は少年と行動をともにすることにした。
当然だが、こちらの身の上を明かすことはない。明かす必要もないだろう。むしろ正体を知られたら、私は彼の口を塞がなくてはいけなくなる。
連合の大都市で暮らしていたようだが、私のことは知らないようなので問題はないと、このときは思った。無知というのは時に命を守る、これ以上無いほどの担保となる。
少年はガットの色鮮やかな景色を一目で気に入り、ここに定住することを考え始めたらしい。
青い土の性質を調べ、少々鉄分が多いが肥沃で水捌けが良いので麦を育てるのに向いている、などと言い出したのだ。
私は当然、本気で止めた。ビークシングの恐ろしさは身を以て知っていたし、正直に言えば、早く出ていってほしかった。
何故か連中に気に入られている(?)私一人なら何とでもなるが、足手まといを守りながらとなると、ここでの生活は相当に厳しい。
このまま細々と死体漁りを続け、運良く金目のものが手に入ったら、それを元手に都市で新しい生活を始める。それが一番現実的な道だと言って聞かせた。
私は賞金首だが、彼は違う。人目の多いところでも問題なく暮らしていけるだろう。
むしろ容姿は良い方で教養もあるので、地方貴族の下男にでもなれば良いと勧めた。
少年は不服そうだったが、ひとまずは頷いてくれた。私は彼の聞き分けの良さに安堵し、そして己がいかに一人の気楽な生活に満足していたかを思い知った。
全てを失って落ちぶれたはずなのに、今ではその落ちぶれた暮らしだけが唯一の慰めとなっている。
最高の食事に、最高のもてなし。教養ある素晴らしい人々に、美しい女たち。それら全てが、今となっては途方もなく空虚に思えた。
あれだけ謳歌していたはずなのに、思い返してみれば何のことはない。華やかな暮らしは虚飾に過ぎず、取り去ってしまえば中身などないのだ。
思えば人の営みなど、しょせんはその程度のものなのかもしれない。あるいは私の頭の中身が、あの食欲と闘争心だけで生きている肉食竜たちと同じになってしまったか。
いずれにせよ私は、貴族たちのままごとのようなくだらない政治はもうたくさんだった。
ここまでほとんど無傷で辿り着いたのは、どうやら運が良かっただけではないらしい。少年は荒野での動き方をよく知っていた。
さぞかし手のかかるガキだろうと覚悟していたので、少々拍子抜けしたほどだ。私の足を引っ張るどころか、逆に私を助ける場面もあった。
聞くところによると、修行と称して父親に砂漠のど真ん中に放り出されることが度々あったという。
とんでもない親父だ。形見として刀が残るくらいだから、おそらく侍(都市連合のエリート兵。厳しい訓練で鍛えられた剣士たちで構成される)だったのだろうが、やることがえげつない。
砂漠は巨大昆虫と野盗の宝庫だ。そこに子どもなんて放り込んだら死んでもおかしくない。というより、間違いなく死ぬ。
やはり武人というのは、どこかイカレていなれば務まらないのだろう。何せ陽炎揺らぐ灼熱の地で鋼鉄の重装備に身を包み、涼しい顔をしていられるのだから(後で聞いた話だが、あれは存外通気性に優れているらしい)。
父親の武人としての性をしっかり受け継いでいたのだろうか。ちょうど一週間が過ぎた頃、少年の口から突然「アッシュランドを見てみたい」という言葉が飛び出した。
当然のことだが、私は反対した。アッシュランドはおそらくこの世で最も危険な場所だ。
大陸最南東に広がる未開の地で、降り注ぐ火山灰で真っ白に塗りつぶされた無音の荒野を、旧世界の殺人機械が闊歩している。その地に赴き、戻ってきた者は誰もいないという。
テックハンター(失われた技術と世界の秘密を探求する変わり者たち)以外は近寄りもしない。近づく意味がないからだ。死の大地に行って得られるものなど、おそらくは何もあるまい。
私がいかにそこが危険かを力説すると、彼は頷きつつも「その手前の場所ならいいでしょ?」と訊いてきた。
私は渋い顔をするしかなかった。手前も手前で十分危険なのだ。
私たちが隠れ住むガットから南に進むと、アウトランドと呼ばれる地域に入る。そこは起伏の激しい渓谷で、様々な勢力が日夜鎬を削っている危険地帯(よく考えたらこの世界に危険でない場所などない)だ。
獰猛で冷酷な戦士たちで構成されるリーバー盗賊団をはじめ、「俺たちを雇え。雇わなければ殺す」と酷い押し売りをかましてくるブラックドック傭兵団、口を開けばカニの話しかしないクラブレイダーなど、凶悪な武力を誇る彼らには都市連合でさえ手を焼いている。
おまけに話が通じない(よく考えたらこの世界では話が通じるヤツの方が珍しい)ので、交渉も満足にできないのだ。
アッシュランドに入るのは明確な自殺だが、手前をうろつくこともほぼそれに等しい。
私は厳しく叱責しようとしたが、少年が子犬のような目でこちらを見てくるので、あまり強くは言えなかった。
気持ちは分からないでもない。男は未知に憧れるものだ。
それに、アウトランドに用事があることも事実だった。数日前、偶然入り江に流れ着いた鉄の船(旧時代の代物と思われる)から、なかなか金目になりそうなガラクタを見つけたのだ。
アウトランドに入ってすぐの場所には、テックハンターたちの治める街『ブラックスクラッチ』がある。彼らなら旧時代の遺物に高値をつけてくれるだろう。
付近の農村ではそうもいくまい。価値の分からぬ者にとって、ガラクタはしょせんガラクタでしかないからだ。
何よりブラックスクラッチは都市連合に属していない。つまり私の首に掛かった賞金もそこでは無効なのだ。のんびり買い物ができるなら、それに越したことはないだろう。多少危険を冒してでも行く価値はある。
私が渋々頷くと、彼は飛び上がって喜んだ。
どうにも根負けしたようで釈然としない。だが子どもがはしゃぐ姿というのは見ていて気分が良いので、今回は大目に見てやることにした。
登場人物紹介
『少年』
色白で黒髪の小柄な少年。年齢は十代前半。人懐っこくそこそこ図々しい。冴えないおっさんの元にある日突然舞い降りた美ショタ。
ゲーム開始時に選択できるプレイスタイル『指揮官の息子』をイメージしている。設定としてハルという名前があるが、作中で呼ばれることはたぶんない。