それから季節が巡り、収穫の時期がやってきた頃のことだ。
目の前の状況に理解が追いつかず、頭が真っ白になる瞬間というのは私の人生において何度かあったが、この日は間違いなくそのうちの一つだろう。
命の危機を感じた時など数えるのも馬鹿らしい。それこそ星の数ほど経験しているが、本当に理解できない光景に出くわしたのは両手で数えきれるくらいしかない(結構あったかも)。
少年たちが居を置く農村では多くの人手が駆り出され、大忙しとなっていた。
近隣の街にまでわざわざ手伝いを頼みに行く始末である。まさに猫の手も借りたいといったところだろう。
やはりというべきか、近くに住む私にも少年伝いに声がかかった。
収穫は重労働だ。本当は行きたくなかったが、頼まれたらどうにも断れないのが私の性分だ。
勝手に迎えに来た例の血の気の多い女に半ば無理やり引きずられる形で、私は農村に向かうことになった。
散々分かっていたことだが、私の奴隷であるハイブ人はクソの役にも立たない。
少年の仲間である舌を抜かれた方は実によく働いていたが、こちらは動けないというか、動く気がないようにすら見える。
腰が悪いという話もどこまで本当なんだか。鎌を振るうくらいはできるだろうに、村の幼い子どもたちに混じりふざけ回っている始末だ。
子どもを見てくれるだけでもありがたいと村の女たちはかばってくれたが、私に言わせればそんなことは犬にだってできることだ。
子ガニでさえハサミを器用に使って収穫を手伝っているというのに(今思えばつまみ食いしてるだけだったのかもしれない)。
あまりにも過酷な時が過ぎ、私の足腰がもうダメだ助けてくれ死んだ方がマシだと叫び始めたころ、ようやく全ての作業が終わった。
収穫が終われば、その後は祝いの席だ。
普段はケチで陰気な村人たちも、この日ばかりはハメを外す。普段は手をつけない酒樽を片っ端から開け、てんやわんやのお祭り騒ぎだ。
手伝いに来てくれた外部の者たちを労う意味もあるのだろう。
私はバカ騒ぎは好かないが、酒は嫌いではないので参加することにした。
私の人生において、今やタダ酒にありつける機会などそう多くはない。質の悪い安酒だろうと構わなかった。要は酔えればいいのだ。
娯楽の少ない田舎にとって、楽しみというのは限られる。そしてこうした騒々しい席は、彼らのある種の楽しみを大いに盛り上げてくれる貴重な場だ。
言葉を選ばずに言えば、不特定多数の異性と懇ろな関係が築ける絶好の機会というわけである。
私は民俗学には疎いが、『お祭り』というのは元来そういうものであるらしい(後で少年から聞いた)。
村の若い男たちの大半が、この時ばかりはそわそわしていた。
彼らの狙いはもちろん、美貌と度胸(と狂気)を備えた復讐者の女である。彼女が適度に酔うタイミングを見計らい、互いに牽制し合っていた。
しかし若者たちの思惑など、当の本人にとってはどこ吹く風だ。あっという間に樽一杯分を飲み干したかと思えば、少年の頭の匂いをひとしきり嗅いだあと(良い匂いがするらしい。変態ではなかろうか)、彼の膝を枕にして早々に寝てしまった。
彼らの絶望した顔を見ながら飲む酒は、ことのほか美味であった。
ところで、冒頭で述べた「頭が真っ白になった瞬間」というのは、当然ながらここではない。
何でもお祭り騒ぎに参加していない奇特な若者が数人いるとのことで、そいつらにも酒を持っていってやろうと、私らしくもない妙な気を回してしまった。
これが良くなかったのだ。
村の入り口は、古びてこそいるがそこそこ強固な鉄壁と門に守られている。無論リーバーなどの盗賊たちに抗するためだが、そこに常駐しているはずの憲兵たちはたまたま席を外していた。
珍しいことではあるが、ないことでもない。
大方酒か女でもつまみに行ったのだろう。
代わりに見張りについていたのは、前述した奇特な若者数人であった。何やら険しい表情で、切り立った岸壁を睨みつけている。
彼らの視線を目で追った私も、すぐに似たような表情になった。岸壁の向こうの空に、狼煙が太く立ち上っているのを目にしたからである。
知らぬ者のために述べておくが、荒野で堂々と焚き火をするというのは狂人の沙汰だ。
確かに火は暖を取れるし、獣避けにはうってつけである。しかし空に昇る煙と夜闇に浮かぶ灯は、彷徨う野盗や蛮族たちにとって目印以外の何物でも無い。
ここにカモがいますどうぞ見つけてくださいと言っているようなものである。
どうしても暖が必要なときは、煙や明かりが目立たぬよう可能な限り火を小さくし、岩陰などでするものだ。ゆえにあのように大きな狼煙を上げる人種というのはおおよそ限られる。
物を知らない愚か者か、あるいは襲われても返り討ちにする自信がある者だ。
「リーバーだ。間違いない」と、若者の一人が囁いた。瞳の奥に映る恐怖を隠すように、目元に鋭い皺を寄せている。
「奴らの火起こしを見たことがある。荒野でも堂々と丸太を組んで、大きな火を起こすんだ」
「だとすると一人二人じゃないな」
別の青年が呟くや否や、踵を返して走り去る。
「憲兵に知らせてくる。無能な酔っ払いどもでも、いないよりはマシだろ」
「連中の狙いは何だ? 何を待ってる?」
「バカか? んなもん決まってんだろ! そこに収穫したばっかりの穀物の山があるだろうが!」
声を荒げる若者の横で、私は無言で立ち尽くしていた。周りが騒がしいにも関わらず、まるで世界で一人きりになったかような錯覚を覚えた。
数ヶ月前、リーバーに襲われていたキャラバンを出来心で助けたことは記憶に新しい。
あれが起きたのは何処だった? 私の頭が確かなら、ここからそう遠くない場所だったはずだ。
キャラバンは捕らえたリーバーを連れて行ったが、連中が一人や二人の脱走を許すのは珍しくない。
奴らの拠点まで無事に逃げ切れたなら、首領にありのまま起きたことを報告するだろう。
そしてリーバーは、決して借りを忘れない。
「……私だ」
思わず喉の奥からその一言が洩れていた。
怪訝そうな若者たちに見られていることに気づいた私は、ようやく彼らに向き直る。
「村の長にも伝えた方がいい。防衛の準備を整えるようにとな」
腰に下げた長剣を少し抜いて刃の具合を確かめたあと、私は村の出口へと向かった。
そのとき青年たちの一人が、私の肩を掴んで引き止めてくれたのを覚えている。
「力になるぜ。この村はアンタにも借りがある」
私は振り返らずにただ足を止めた。
その言葉に甘えたいのは山々だった。なんなら全て彼らに丸投げし、自分はどこか遠くへ逃げてしまえばいいとさえ思っていた。
それをしなかったのは、おそらく連中とはまだ交渉できると確信していたからだ。
当然だ。そうでなければ、村手前の荒野でわざわざ野営などするまい。
話があるから、心当たりのある奴は顔を出せ。あの狼煙の意味は、それ以上でも以下でも無いだろう。
私は「必要ない」とだけ伝えると、背中を丸めて一人寂しくリーバーたちの野営地へ向かった。
大丈夫だ。何かあったらすぐ逃げればいい。
逃げ足には自信があるし、今は荷物もなければ足手まといもいない。悪趣味なスクラップを着込んだ馬鹿どもの追跡など簡単に振り切れる。
その後のこともどうとでもなるだろう。あんな村など見捨てればいいのだ。私は元々一人で生きてきたし、これからもそうなのだから、誰かを庇ったり気にかけたりする必要などない。
大丈夫だ。私には私がついている。
そんな意味の無い言葉を頭の中で何十回と繰り返しながら。それならそもそもリーバーたちの呼び出しに応じる必要も無いという矛盾にも気づかず。
私は何かに操られるように(この喩えは言い得て妙だ)、夢遊病者のようにフラフラと、風の鳴く暗い荒野に踏み入った。
この夜は月明かりに乏しく、星々の瞬きもどす黒い雲に遮られていた。