葬送のフリーレン 旅の小節   作:いつかこう

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原作2話辺りのフリーレンとハイターの会話を妄想した短編です。
この作品、老人がみんな良い味出してますよね。


【黄昏】

晩春の深夜。

 

しとしとと、小雨(こさめ)が降っている。

深い森の中、ポツンと(たたず)む木造の一軒家。

その静かな室内に響く寂しげな雨音は、けれど決して不快ではない。

時折聞こえるサラサラとペンを走らせる音との合奏は、老人の耳を楽しませていた。

 

フェルンは少し前に自室に戻り、眠りについた。

まだハイターの側に居たかったようだが、このところ睡眠時間が短過ぎる。

体調を崩し床に()せているハイターの容体も、ようやく安定した。

後は私が診ておくから、なにかあったら()ぐに呼ぶからとフリーレンが言い聞かせ、やっと退室してくれた。

 

「フリーレン、あなたもそろそろ休んでください。咳も治まりました。私も眠れそうですし大丈夫ですよ」

「ん。一区切りついたらそうするよ」

フリーレンは目の前の書き物から目を逸らさないままそう答える。

老人はベッドに横たわったまま、エルフの後姿を静かに見つめる。

「何?」

視線を感じたフリーレンがペンを置き、ハイターの方を振り向く。

「……いえ、なんでも。聞き飽きたでしょうが、ほんとにあなたは変わらないなあと、ボンヤリ思ってただけです」

「エルフだからね」

素っ気なく答えて、また書き物に戻る。

 

ハイターから頼まれた、賢者エーヴィヒの魔導書の解読。

普段は地下の書庫で作業しているが、今夜は看病がてらハイターの自室に持ち込んでいる。

死者の蘇生や不死の魔法が記されていると聞いたけれど、解読が終わりに近づいた今、かなり前から感じていた疑問は確信に変わっている。

この魔導書に、そんなものは書かれていない。

それは最初から予想出来ていた事だ。

そして、ハイターもそれは分かっていたのではないか。

依頼してきた時に言った、死ぬのが怖くなったという言葉は丸っきりの嘘でもないだろう。

だがそれは自身の死に対する恐れではなく、フェルンを置いて逝ってしまう事への危惧……未練に感じる。

 

なんにせよ、ハイターは最初から無駄と分かっていたものをわざわざ解読させていた事になる。

言葉を素直に受け取るなら、それでも僅かでも可能性があるならという足掻き……なのだろうけど、どうもハイターに似合わない気がする。

やはり理由がいまいちしっくりこない。

とは言え、今更頼まれた仕事を投げ出す気は無い。

魔導書の解読という作業自体は嫌いでは無いし、友人の……恐らく人生最後の願いなのだから。

 

最後。

 

そう、ハイターの生はもうすぐ終わる。

ヒンメルの安らかな永眠(ねむり)から20数年。

人としてはかなりの長寿だ。

特に若い頃に無茶をした、飲んだくれの生臭坊主としては奇跡のような。

だがそうであっても限界はある。

種族としての限界。

人としての宿命。

 

『人間の弟子なんて取るもんじゃない。すぐに死んじまう』

 

エルフの頂点……史上最強の魔法使いの、吐き捨てるような言葉を思い出す。

今思えば、あれは寂しさの裏返しだったのかもしれない。

 

──なぜお前は、お前らはさっさと逝ってしまうんだ。私をおいて。弟子のくせに。私よりずっと年下のくせに。おい。勝手に死ぬな。おい。──

 

フリーレンは頭を振った。

何を勝手に彼女の想いを想像しているんだろう。

 

『いや……』

 

それはきっと、自分の想いなのだ。

想像上の彼女のセリフに載せているのは、自分の気持ちだ。

 

ヒンメルは20年以上も前に……エルフにとってはついこの間だが……逝ってしまった。

もうすぐ、ハイターも。

あの旅を覚えているのは、自分とアイゼンだけになってしまう。

『人間の友達なんか作るもんじゃない……か』

その言葉は嘘だ。

嘘で、そして本音だ。

こんな想い。

 

──ねえ。勝手に死なないでよ。ねえ。──

 

視界がボヤけ、目が(うる)んでいる事に気づく。

慌てて目を(こす)り、鼻を(すす)る。

 

……みっともない。

 

ずいぶんと感情が揺らぐ様になったものだ。

魔力の揺らぎを抑えるより余程難しい。

 

他者との交流が希薄だったとはいえ、長い人生だ。

知り合い、そして先に逝った人間なんて幾らでもいる。

いちいち感傷的になってもキリがないのに。

なのに、1000年生きた後のたった10年を共にした仲間が、自分を変えてしまった。

辛く、けれど決して手放したくない想いが自分の心に芽生えた。

分からないものだ。

1000年を越えて生きても、分からない事だらけだ。

魔法と、人の心は。

 

ふと気づくと、ハイターは安らかな寝息を立てていた。

今夜は心配無いだろう。

自分もそろそろ休むか。

小雨は止み、雲の切れ間から三日月が顔を出している。

灯りを消すと、部屋は微かな月明かりで満たされた。

 

「おやすみ、ハイター」

フリーレンは口の中でそっと(つぶや)き、静かにドアを閉めた。

 

◇◆◇

 

ハイターは病から回復したが、それ以前の体力が戻る事は無かった。

人の寿命の限界近くまで働いた肉体はもう衰えに抵抗せず、受け入れていた。

動きも、反応も、日増しに遅く鈍くなっていく。

ハイターの体から少しずつ生命力が漏れているようだった。

老人は一日の大半を眠りに費やすようになった。

いよいよその日が近い事は、フリーレンにも、フェルンにも感じ取れた。

病でも怪我でも無く、老いが静かにハイターを連れ去る日が。

……それでも目覚めている時は意識がハッキリしており会話も問題なく、人格も変わらぬままである事は慰めと言えた。

 

フェルンはまだ一番岩を打ち抜けていない。

フリーレンは魔導書の解読作業の時間以外は、なるべくハイターのベッドに寄り添い会話するようにした。

彼女(フェルン)が証を立てて心置きなくハイターに寄り添える日まで、老人の認知が鈍らないように。

二人が心穏やかに、最後の語らいを楽しめるように。

 

◇◆◇

 

「あなたには……エルフには人生の黄昏(たそがれ)が無いのですね。」

 

ハイターが思惑……解読の依頼は、フェルンが魔法使いとしてフリーレンの旅の足手まといにならないレベルに成長するまでの時間稼ぎだった事を告白した(のち)

 

黄昏時、すっかり寝たきりになったこの頃にしては珍しく具合が良く、ベッドの上で上半身を起こし薬湯を(すす)りながらフリーレンと雑談していたハイターが、途切れた会話の合間に窓から差し込む夕日を眺めながら、ふと、そう(つぶや)いた。

 

「種族としての黄昏は迎えているけれどね」

無表情に、なんでも無い事のようにフリーレンが応える。

 

「人間は逆だね。これからが種族の全盛期だ」

「…………」

 

人間は今まさに種族としての絶頂を迎えようとしている。

激しく、熱く、力と自信に満ち溢れた眩しく輝かしい青春期の到来。

人類の時代の始まりだ。

そしてエルフは静かにその終わりを、落日を迎えようとしている。

 

人は短い生を繋いでいく。親から子へ。子から孫へ。

そして血の繋がりが無くても、想いを、意志を繋いでいこうとする。

ハイターがヒンメルの生き様に感化されフェルンを救い、育て、導き、フェルンがそれに応えようとするように。

 

だがエルフはそのあまりに長い個の寿命ゆえに、命を繋ぐという本能が希薄だ。

このままでは種族が滅ぶという明白な未来が見えているのに、子孫を残そうという欲求が起きづらい。

フリーレン自身がそうであるように。

個の生命としての完成品。

種族としての欠陥品。

 

「肉体が最盛期を……言わば人生の白昼を迎えたら、その後は不慮の死が訪れるまで黄昏の来ない日々が延々と続く。終わりの無い青春期というものがどんなものなのか……人の身たる私には想像もつきません」

「エルフの身たる私には、人の短い生が想像つかないよ。どれだけ生き急がないといけないのか。ゼーリエが言っていたよ。人は決断を先送りしている暇が無いって」

「ゼーリエ……エルフの伝説の大魔法使いですね。ふふっ」

「なにがおかしいの」

「いえ、人間だって決断の先送りは幾らだってしているつもりなんですが……きっとエルフとはスケールが全然違うのでしょうね」

「まあ……50年や100年放っておいてもどうって事ないよ。1000年でも特に問題ないし」

「はははっ……想像以上でした」

 

人生の黄昏を迎えた人間と、種族の黄昏を迎えたエルフ。

山の稜線(りょうせん)に夕日が姿を隠す束の間、室内が黄金に輝き、そしてゆっくりと(あお)い闇が二人を包んでいく。

寂寥(せきりょう)と、不思議な安息。

フェルンはまだ魔法の修行から帰ってこないが、二人共心配はしていない。

暗闇に包まれた森だろうと迷いはしないし、今の彼女の脅威となるほどの獣はこの辺りには存在しない。

朝の散歩と変わらない感覚で帰路につくだろう。

 

「……フェルンはどうです?」

「どうって?」

「魔法使いとして身を立てていけると思いますか?」

「問題ないよ。と言うかあの子、天才だ。努力も凄いけど、そもそもの素質が違う。歴史に名を残す魔法使いにすらなれるかもしれないよ」

「それはそれは……なによりです。あなたを騙した甲斐がありました。あなたにフェルンを託せたのは、私の人生で最高の判断でしたね。あなたが来るのを待っていて良かった。その想いが私の命を長らえさせてくれました」

「私が立ち寄ったのは気紛れだよ。ずいぶんと分の悪い賭けをしてたんだね」

「いえいえ、あなたはヒンメルとの別れにも間に合ったじゃないですか。きっと神様のお導きですよ」

「神様ね。まあ、ハイターが偶然助けた女の子が魔法の天才だったのは、確かに神様のイタズラめいてるけど」

「そうでしょう?なにせ私達は魔王を倒した勇者一行です。それぐらいの特典(サービス)があっても良いでしょう」

特典(サービス)って……ってか頭撫でんな」

「はっはっは……これが最後です。もう少し」

「…………」

 

室内はもう殆ど暗闇に包まれている。

老いたハイターの弱った目には、もう何も見えない。

フリーレンの顔も、表情も。

手探りで見つけた頭を撫でながら、静かに頼む。

共に忘れ得ぬ旅をした、変わり者のエルフに。

 

「フェルンを……お願いします」

 

暗闇の中でフリーレンが頷いたのが手に伝わる。

ハイターは安心したように微笑んだ。

 

「ああ……良かった。あなたに託せて、本当に良かった」

 

力がフッと抜けていく。

ハイターは撫でていた手を離すと、身体をベッドに横たえた。

 

「ハイター?」

「…………」

「ハイター!?」

「……ははっ、大丈夫です。話しすぎてちょっと疲れただけですよ」

 

フリーレンがハアッ……と安堵の息を吐き出す。

 

「あなたが言ったんじゃないですか。あの子にしっかり別れを告げて、もっとたくさん思い出を作ってあげろと。まだまだ。……もうちょっとだけ……ね」

「ビックリさせんな、生臭坊主」

「はははっ……せっかくならフェルンの頭を撫でながらさよならを言いたいですからね」

「じゃあ、ちゃんと養生しなよ。あの子のいない間に勝手に死んだら、一生許さないからね」

「ええ、ありがとうございます、フリーレン。ふふっ、エルフの一生ですか。それは……おっかないですね」

 

別れは、済んだ。

 

「おやすみ、ハイター」

「おやすみなさい、フリーレン」

 

そっとドアを閉じる音がして、そして部屋は静寂に包まれた。

眠りにつくまでの束の間、ハイターは物思いにふける。

 

人からすれば永遠とも呼べる時を生きるエルフ。

どれほどの経験をし、どれほどの出会いと別れを繰り返したのだろう。

けれど、そうであっても、あの旅は彼女にとっても特別なものだったと信じたい。

そしてこれからの、フェルンとの旅も。

 

ふと、数日前のフェルンの言葉と表情が浮かぶ。

 

──ハイター様、私が悪い子になれば化けて出てきてくれるのですか?──

 

「ずる賢くなりましたね。誰に似たんだか。……ふふっ」

 

ハイターは自分でも気づかず、笑みを浮かべながらあの時の会話と同じセリフを口に出していた。

 

本当に……あなたのおかげで私の晩年がどれほど楽しく生きがいのあるものになったか。

子も孫もいない私にとって、あなたが育っていくのはなんとも言えず楽しかった。

自ら死を選ぼうとまでしていた弱々しい命が本来の輝きを取り戻し、生き生きとしてくるのが(まぶ)しかった。

私はろくな人間……大人ではありませんでした。

けれどあなたの前では、背伸びしてちゃんとした大人を演じようとがんばれました。

とても……やりがいのある演技でしたよ。

生臭坊主としては上出来です。

自分を褒めてあげたいぐらいに。

ありがとうございます、フェルン。

 

──良い旅を、フェルン──

 

夢現(ゆめうつつ)の中で、フリーレンの隣を歩むフェルンの後ろ姿が見える。

季節が目まぐるしく移り変わる中で成長していき、やがてフリーレンの背丈を超える。

フェルンが振り返る。

大人びた笑顔。

幸せそうだ。

歩いて、走って、食べて、寝て、学んで、出会って、別れて、笑って、怒って、泣いて、悩んで、恋をして。

生を味わい尽くし、人として充分な時をフリーレンと、仲間と過ごし、そして……。

 

フリーレンは、また独りで歩んでいる。

 

出会い、別れて。

出会い、別れて。

時に誰かが寄り添って。

そしてまた独りで歩む。

若々しい姿のまま、長い、長い黄昏の道を。

 

寂しくはないですか、フリーレン。

 

それは私が心配しても仕方のない事なのでしょうね。

けれど私は司祭ですから。

余計なお世話かもしれませんが、あなたのために神様に祈ります。

良い旅を、フリーレン。

そして長い長い旅の終わりが、穏やかなものでありますように。

 

──あなたにもいつの日か、安らかな眠り(落日)が訪れますように──

 

 

 

 

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