近頃この地方で、そうあだ名されるエルフの魔法使いがいた。
「嫌な二つ名だね。まあそう呼ぶのは勝手だけど」
「イヤなの?」
長い見事な銀髪を高めのツインテールにした
「そりゃ嫌だよ。好きでこんな腕してる訳じゃないし。全く、誰がつけたんだか」
「そうなんだ……」
リリア……地味で古びたお下がりの農民服を着て、焦げ茶色の髪を三つ編みにした、そばかすが目立つ茶色の目の少女は、まだあまり納得していないニュアンスで呟く。
ここ大陸の東、アントワースという名の人口100人にも満たない小さな村に住む彼女は噂を聞いた時、きっとその腕には不思議な力が宿っているのだと信じたからだ。
そして村を訪れた本人に出会って、本当に右腕が金なのを見て心躍った。
けれどその黄金の腕はダラリと垂れ下がったままで何か凄い力がある様には見えず、そして本人のその言葉。
期待が大きかっただけに、なかなか受け入れ難い。
「これは魔族にやられた腕でね。もう100年近くこのまんまだよ。さすがに慣れはしたけど、重いしやっぱり不便だね。」
「100年……!?」
「まあずいぶん解析が進んだから、あと少ししたら解呪出来るだろうけど。やれやれだよ」
「なんか……スゴいね。100年って、お姉ちゃんいくつなの? リリアはね、8才だよ」
「まだ生まれたばっかだね。赤ちゃんだ」
「8才だよ! もう宿屋や村のお仕事だって色々手伝ってるもん!」
「そ」
「そーなの! もうお姉ちゃん!」
人間の成長は早い。
確かに赤ん坊ではないのだろう。
どうでもいい事だけど。
それにしても、いつまでついてくるつもりだろう。
もう村から結構離れている。
子供の足では夕暮れまでに帰り着けるかどうか。
「ねえ、大丈夫なの? 私はこのまま村を離れるつもりだから、送ってはやれないよ?」
「……いいの……」
そう答える少女だが、いかにも心細げだ。
急に足取りが重くなり、俯いて元気がなくなる。
先程まで小走りで隣について来ていたが、距離が空いてきた。
魔法使いは嘆息して足を止める。
人に対して情が深い訳では無いが、さすがにこんな子供を放っておくのも寝覚めが悪くなりそうだ。
彼女がこれから入ろうとしている森には獣もたくさんいる。
魔物では無いただの野犬一頭ですら、幼い少女には確実に命取りだ。
一緒にいる間は無事にしても、別れた後は危険すぎる。
それに自分が誘拐したと誤解されるかもしれない。
どうしたものか……。
思案しつつ少女を見ると、上目遣いに
『……ズルい目だね。』
リリアにそんな意図は無いのだろうが、それなりに人の心を持っていれば非情に切り捨てるのは難しい目だ。
どんな種族であれ基本的に幼体が可愛いのは庇護欲を駆り立てさせるためらしいが。
リリアも無意識にそれを利用する本能に従っているのかもしれない。
魔法使いは立ち尽くしている少女に近寄りしゃがんで目線を合わせる。
「どうして私についてきたの?」
「……だって……まほう使いさんなんでしょ?」
「……まあ一応」
「色んなまほう使えるんでしょ?」
「まあ……それなりに」
「パパとママを生き返らせて」
「…………」
魔法使いは再び小さくため息をつく。
孤児と聞いていたから、まあそんな事だろうとは思ったけど。
「それは無理だね」
「どうして? リリアがお金持ってないから?」
「そうじゃなくて、そんな魔法は無いんだよ」
「うそ!」
「ほんとだよ。どうして嘘だと思うの?」
「だって、お話で聞いたもん! 村に来た色んなお話し知ってるおじいさんが、私みたいな子のパパとママをエルフのまほう使いさんが生き返らせてくれるお話ししてくれたもん! 金色のツエでおはかをトントンってたたいたらパパとママが生き返ったって!」
「ハァ……」
三度目のため息。
作り話なら、せめてもう少し丁寧に作ればいいのに。
恐らくそのおじいさんとやらは吟遊詩人や語り部ですらない、ただのほら吹きジジイなのだろう。
「ひょっとして酒臭かった?」
「うん!すーごっく、くさかった! 宿屋でもお酒たくさん飲んでアンナおばさんに怒られてた!」
『まあ、確定だね。大酒飲みに碌な奴はいない』
そんなほら吹きでも、あんな小さな村では娯楽として歓迎されたのかもしれない。
大人達は顔を
特に自分と重なるような話を聞かされたこの子にとっては。
罪な話だ。
「パパとママに会いたいの?」
「うん……」
村に立ち寄った時、彼女には保護者が居た。
村の宿屋の老夫婦だ。
二人共、悪い人物には見えなかった。
少女……リリアの事を気にかけ可愛がっている様に見えた。
リリアが村の中でお願いしにこなかったのは、あの二人に遠慮していたからかもしれない。
それでも本当の両親に会いたくて、自分について来て切り出す機会を伺っていたのだろう。
金色の片腕の魔法使いなら、蘇らせてくれるかもと。
片腕も杖も似たようなものと思ったのか。
多分、自在に動く金色の腕から不思議な魔法を放つとでもイメージしていたのだろう。
実際にはただ重いだけの邪魔ものなのだけど。
「そう……悪いけど、私にその願いは叶えられないよ。と言うか、どんな魔法使いでも無理。私は多分世界最高の魔法使いを知ってるけど、彼女ですら死んだ人を生き返らせる事は出来ない」
「…………」
リリアの目にみるみる内に涙が溢れる。
しまった、その辺は曖昧にして希望を持たせた方が良かったのだろうか。
もっと大きくなって、自然と両親の死が受け入れられる様になるまで。
何度目かのため息。
「泣かないでよ。パパとママを生き返らせるのは無理だけど、魔法見せてあげるから」
魔法使いはスッと立つと、左手で杖を構え呪文を唱える。
すると彼女を中心に静かな魔力の渦が巻き起こり、次の瞬間、辺り一面に美しい花畑が産まれた。
リリアも泣き腫らした目を大きく見開き、その光景に目を奪われる。
「うわああ!?」
感嘆の声が漏れる。
花畑を出す魔法、あの大魔法使いはくだらないと言ったが、なかなか捨てたものじゃ無い。
少なくとも傷心の子供を多少なりとも慰める効果はある。
まあ、それこそくだらないと言われるのだろうけど。
と、急にリリアが目を見開き、魔法使いの背後を見つめ呟いた。
「……パパ。ママ」
「え?」
驚いてリリアの目線を追うと、そこに彼女の両親が……いなかった。
代わりに花畑の中に一人の老婆……そう呼ぶにはあまりに背筋がピンと伸び、目に力があるが……が立っていた。
「
「よう、久しぶりだな。嬉しいよ。お前が花畑を出す魔法を気に入ってくれていて」
「…………」
姿、声、態度。
どこをとっても紛れもない師匠だ。
死にかけていた自分を救い、在らん限りの魔法を教え叩き込んでくれた人間の師匠。
実年齢はもう自分が遥かに追い越しているが、今でもその姿……だけではなく、精神的にもずっと上に感じる。
どう……して。
「パパ! ママ!」
リリアが叫びながら、彼女の両親……エルフには師匠に見える存在……に駆け寄ろうとする。
ハッと我に返ったエルフは、脇を通り抜けようとした少女を反射的に抱き止める。
「はなして! はなして! パパ! ママ!」
魔法使いの腕から逃れようと、少女は必死で暴れる。
「くっ……!」
右腕が黄金で自由が効かないため左手だけで抑えなければならない。
仕方なくリリアの身体にのし掛かり自由を奪う。
「やーっ! 離して! パパ、ママーッ!」
なおも
『自分には師匠に、この子には両親に見えている。これは……?』
「その腕はどうした。……ああ、七崩賢……黄金郷のマハトにやられたのか。未熟だねえ。自分の腕もわきまえずに魔族相手に無謀な戦いをするもんじゃないってあんなに口酸っぱく教えてやったのにさ。歳月ばかり重ねて、何も学んじゃいないのかい?」
「……」
心が揺らぐ。皮肉な笑み。この口の悪さ。懐かしい。
しかし師匠であるはずがない。
『幻影魔法……』
思い出した。こいつは
人の肉だけを喰らう偏食家で、大切だった人の幻を見せて誘い込む魔物だ。
心の奥深くまで覗き込み、自分しか知らない思い出まで喋って信用させる。
知識としては知っていたが出会うのは初めてだったため、すぐには思い浮かばなかった。
大切……か。
私は……師匠が大切だったのか。
両親より、他の誰よりも。
……あまり認めたく無いけど、でもそうなんだろうな。
だからこそ。
魔法使いは少女を抑えた無理な姿勢から、左手でなんとか杖を構え魔法の一撃を放つ。
それは師匠の姿をした魔物の左太ももを貫いた。
そいつはバランスを失いガクンと膝をつく。
幻影鬼は人の心につけ込むというその一点に特化しており、決して強い魔物では無い。
「なにを……する、フリーレン。老人を虐めるんじゃないよ」
まだ皮肉な、懐かしい笑みを浮かべながらそいつは抗議する。
身体を異様に捻じ曲げ、不自然なポーズで後ずさる。
無様に逃げようとしているのか。
偽物と分かっていても、そんな戯画化された不気味な師匠の姿は見たく無い。
一刻も早く消し去らなければ。
殺意が身に
一撃、二撃と魔法を撃ち込む。
「やめ……なよフリーレン。助け……ておくれよ。私のたいせ……つな……」
もう一撃。
うおぉあおおおおおおっ!
世にも不気味な叫び声と共に正体を表した幻影鬼は、そのまま魔法の光に包まれ消え去った。
「パパ……ママ……」
「あいつが正体を表すの見たろ? あれは魔物だよ。あなたのパパやママじゃない」
リリアはしばらく茫然としていたが、やがて状況が飲み込めたのか、大粒の涙をポロポロと流し泣きじゃくった。
『苦手だな……』
こういう時、どう慰めていいかサッパリだ。
フリーレンは少女が突っ伏して泣いている様を眺めていたが、躊躇いがちに手を伸ばし頭をソッと撫でてやる。
リリアは一瞬ビクッとしたが、そのまま撫でられるに任せる。
そして急にフリーレンの胸元に飛び込み、抱きついて頭をグリグリと押しつけながら泣き続けた。
『参ったな……』
フリーレンは聴こえない様に小さくため息をつくと、左手で不器用に頭を撫で続けた。
◇◆◇
結局、フリーレンはリリアを村の近くまで送ってやる事にした。
乗り掛かった船というか、幻影鬼から助けたけど野良犬に襲われましたではさすがにバツが悪い。
左手は荷物を持っているので、リリアは黄金になっている右手を握っている。
その感触が不思議なのか、しきりに撫でてくる。
感覚は無いが、なんとなく止めて欲しい。
あんな事があったのに、もうかなり立ち直っている様だ。
割とタフな子なのかもしれない。
「じゃあ……ほんとに生きかえらせるまほうは無いの?」
「うん……残念だけどね」
「お姉ちゃんにも生きかえらせたい人がいる?」
「いや、私には……」
いない。
そう答えようとして、口ごもる。
魔物とはいえ、師匠の姿は懐かしかった。
掛けられた皮肉が……少し嬉しかった。
もし生き返らせる魔法があったとして。
魂に問う事が出来たとして。
師匠はどう答えるのだろうか。
『冗談じゃない。私は人生をやり切ったんだよ。今更起こすなんて野暮な真似するなよ』
『はっ、こりゃあお得だねえ。まだまだ研究し足りない事が山程あったんだ。ありがたくオマケの人生頂くよ』
……どちらもいかにも言いそうな気もするし、実は全然的外れな気もする。
そもそも掴みどころの無い人だった。
ほんとのところ、なにを考えていたのか。
『私が一番好きなのは花畑を出す魔法さ』
なぜか、それだけは本心だったと確信出来る。
一斉に咲き誇る無数の小さな花々。
色鮮やかな絨毯のように地面を覆う花畑。
師匠の師匠であるエルフの大魔法使いがそれを「くだらない」と言った理由は。
全ての人が魔法を使えるという世界を夢見て、エルフからすればほんの束の間の短い人生の間にその土台を築き上げた師匠。
「一面の花畑……か」
「?」
小首を傾げる少女の頭を撫で、フリーレンは微笑む。
「……いる……けど、本人が生き返りたいと思ってるか分からないよ。聞いてみないとね」
「死んでるのにどうやって聞けるの?」
「そうだね、生き返らせてから聞かないとね」
「? 生きかえるまほうは無いんでしょ?」
「……そうだった。忘れてたよ」
我ながら下手くそだと苦笑いする。
冗談は苦手だ。
今は、生き返る魔法は無い。
大魔法使い……ゼーリエもそれは不可能だと断言している。
けれど師匠……フランメが人間の世界に蒔いた種は、いつかエルフにも魔族にも咲かせる事が出来なかった花を咲かせるかもしれない。
それが実現出来たとして……良い事なのか悪い事なのかは分からないけれど。
村の近くまでたどり着いた。
「じゃあ、私は行くよ」
そう告げ、なんの余韻もなくスタスタと去っていくエルフの後ろ姿に向かって、少女が問いかける。
「ねえ、お姉ちゃんの本当の名前はなんて言うの?」
『あれ、知らなかったんだ』
……そういえば、あの村ではみんなからずっと《エルフの魔法使いさん》と呼ばれていた。
宿の台帳には名前を書いたが、この娘は読んでいなかったか、まだ字が読めないのか。
数度村の中で話した時も《お姉ちゃん》呼びだったし、森の入口で呼び止められた時は
さっき師匠に化けた幻影鬼が呼んでいたが、両親の事で頭がいっぱいだった少女には聞こえていなかったのだろう。
フリーレンはゆっくりと振り返り、口を開いた。
◇◆◇
──あれから何年の時が過ぎたのだろう。
「ねえ、お姉ちゃんの本当の名前はなんて言うの?」
意外にも、
「……フリーレン」
「ありがとうフリーレンお姉ちゃん。私はぜったいわすれないよ。」
「忘れてもいいよ。いや覚えていても別に良いけどさ。二度と会わないだろうし、無駄だよ」
「ムダじゃないよ。私には」
「そ。じゃあね」
「さようならフリーレンお姉ちゃん」
「……名前、なんて言ったっけ?」
「リリアだよ。すぐ忘れちゃうんだね」
「覚えても無駄だからね。さようならリリア。もう会う事はないと思うよ」
「でも私はフリーレンお姉ちゃんに会えてよかったよ?」
「そ」
……別れは素っ気ないものだった。
いつまでも名を呼び手を振る私を、
黄金の右腕が夕日にキラキラと光っていた。
永遠の時を生きるエルフにとって、私との出会いなど特に印象深いものでも感慨深いものでもなかったのだろう。
それでも私にとっては生涯忘れる事がなかった、幼い日の大切な思い出だ。
今も目を
色とりどりの鮮やかな花々。舞い散る花びら。
その中に佇む、右腕が黄金の神秘的なエルフの魔法使いの姿を。
あの出会いがきっかけで、私は魔術の道を歩んだ。
何かを成す事もなく、生涯名もなき田舎の魔術師で終わったけれど、後悔は無い。
元より魔術の才能など無かった凡庸な田舎娘の私にとっては、魔法使いになる事自体が無数の障害に出会い、戦い抗って歩む刺激的な大冒険の道のりだったのだから。
私が生涯で自ら生み出せたのは、本当に
《腕をキラキラと輝かせる魔法》
実用性は何一つなく、腕をちょっとの間、黄金のようにキラキラ輝かせるだけの無意味な魔法。
村の小さな祭りの時に、子供達の腕を輝かせて喜ばせるだけのちょっとした手品のような魔法。
人が生み出した数多くの魔法の中で、なんの価値も認められず埋もれ消えてしまう民間魔法。
花畑の中の、小さな小さな名も無き花。
それでも私は自分が生み出した魔法を愛しく想い、誇りに思う。
どんなに小さく目立たなくても、魔法という花畑を
あの日のあなたを思い描いて作った魔法だから。
──今も彼女は、変わらぬ若々しい姿で世界を旅しているのだろうか。
私が生きている間に、もう一度出会う事は多分叶わない。
けれどあの人は……魔法蒐集が趣味だと言っていた。
どんな小さな意味の無い魔法でも、あらゆる魔法に興味があり、それを知るのが喜びだと。
いつの日か、私のくだらない、ささやかな魔法を彼女が手にする時が来るのだろうか。
あの日ですら私の名前を忘れていたあの人が、この魔法書の著者名とあの日の出来事を結びつけるはずはないけれど。
本の冒頭に、【
その時、フリーレンの黄金の腕は呪いから解かれているだろうか。
元に戻った腕に私の魔法を掛けて、キラキラと輝かせてくれるだろうか。
その日を想像して、私は微笑む。
きっとその時、もう私はこの世にいないのだろうけれど。
私の小さな魔法の花が、彼女を囲む無数の花の一つになれる日を夢見て。