葬送のフリーレン 旅の小節   作:いつかこう

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今さらってレベルじゃないですが、後編です。
ずっと前に書いていたんですがその当時も『今さらなあ……』と思って投稿せず放置してしまいました。
久々に読み返して『成仏させるか……』という気持ちになったので。


ドーナツ怖い(後編)

 僧侶ハイターの死から1年2ヶ月後。

 

「えーっと……もう一度言ってくれる?」

「だから、《呪われしドーナツの迷宮》だ」

「あーっ、聞き間違えじゃ無かったんだ」

 

 ある小さな地方都市に逗留したフリーレンとフェルンは、2人が魔法使いだと知った街の領主から真剣な顔で仕事を依頼された。

 

 (いわ)く「《呪われしドーナツの迷宮》を攻略し女性達を救って欲しい」と。

 なんでも、その迷宮は若い女性だけを抗えない甘い匂いで誘って中へ引き込み、ひたすらドーナツを食べさせて丸々と太らせてから解放するのだという。

 命は取られないが、妙齢の女性達には下手をすればそれ以上のダメージだ。

 そのままドーナツ(甘いもの)依存症になった女性も多いのだという。

 

「なんじゃそりゃ」

 

 どうりでダイエット前のフェルンの体型のような、なかなかにふくよか(オブラート)な若い女性が多いと思った。

 その多くは両手にドーナツやら砂糖菓子やらを持って虚ろな顔で(むさぼ)っていた。

 

「なんでそんな訳分かんない迷宮が産まれたのさ」 

「……それにはな、少し切ない話があってだな……」

 

 なんでも数年前までこの都市で人気の菓子店を営んでいた料理人が、その体型を理由に好きな女性に振られてヤケになり、自分で作ったドーナツをむさぼり食いながら迷宮に身を投じてそのまま絶望死してしまったのが原因らしい。

 その無念……強い怨念が数年掛けて迷宮自体を変化させてしまったそうだ。

 

「なんだその馬鹿げた魔力」

 

 魔法使いの修行もしてないだろう人間が迷宮を変化させるほどの魔力を持つなんて聞いた事が無い。

 パティシエじゃなくて魔法使いが天職だったんじゃなかろうか。

 それこそ歴史に名を残すほどの大魔法使いになれたかもしれないのに。

 自分が望んだのではない才を持つ者とはいるものだ。

 

「頼む! 迷宮を攻略し、女性達を解放してはくれまいか! ワシの……娘も囚われているのだ……」

「おっ、おお……」

 

 フリーレンの両肩を掴み必死の形相で頼み込む領主に生返事をしながら、チラッとフェルンの顔を伺う。

 つい先日まで過酷なダイエットとドーナツ断ちに苦しんだ少女にとって、これは辛い試練にならないか。

 案の定、フェルンは青い顔をして俯きながらブツブツ呟いている。

 

「ドーナツ怖いドーナツ怖いドーナツ怖い……」

 

 それは自分を騙す呪文。

 あまりにも好きすぎるものを節制する為に、思ってもいない感情を(こと)()に載せる悲しい儀式。不憫過ぎる。

 ただでさえこの街に入ってからドーナツを貪る女性達を横目に耐えてきたのに、この状態で呪われたドーナツの迷宮に入ったら⋯⋯。

 

『う~ん、受けるにしても私一人で入るかなあ……』

「なんとか依頼を受けてくれんかな……」

「う~ん……あまり気乗りしないけど……因みに報酬は払えるの? 出来れば魔導書が良いんだけど」

「うむ魔導書か……この街には定住の魔法使いがいないしな……その……恥ずかしながら《ドーナツをいくら食べても太らない魔法》という呪文が書かれてる魔導書ぐらいしか無いんだが……」

「フリーレン様、何をしてるんですか、早く迷宮攻略に行きますよ! この街の人達のためです! ぐずぐずしないで下さい!!」

「おっ、おう……あれ? でもそんな魔法があるならそれを女の人達に掛けてあげれば良いんじゃない?」

「いや、この魔法はお一人様限定でな。常に一人にしか掛からないのだ。今はその……私の娘に掛けている」

「ふ~ん」

 

 つまり、迷宮に囚われている女性達の中で一人だけ痩せていたら領主の娘という事か。

 まあ我が娘可愛さで特権を使う気持ちも分からなくはない。領民からは大ブーイングだろうけど。

 

「だっ、だが迷宮が攻略されればその魔導書も必要無くなるから、譲る事が……」

「フリーレン様! フリーレン様はそれほどドーナツお好きではありませんよね!?」

「え? いや割と好き……」

「ね!?」

「はい……」

「では行きましょう! ドーナツのた……囚われた女の人達のために!」

「はい……」

 

 ◇◆◇

 

「こうして私とフェルンは、《呪われしドーナツの迷宮》攻略に向かったんだ。……後にも先にも、私よりフェルンの方が報酬に目が眩んだのはこの一度きりだったよ」

『報酬に目が眩んでる自覚あったんだ……』

 

 ◇◆◇

 

「うん、分かってた。まあこんな感じになってるわな」

 

 フリーレンとフェルンは、領主に説明された道を通って迷宮にたどり着いた。

 その入口には、下三分の一ほどが切られた形の、アーチ状になった巨大な穴開きドーナツが張り付いていた。

 なんというか、期待に(たが)わないデザインだ。

 

 ちなみにそこには妻や娘達を探しに来た男達はいない。

 この入り口自体が男がいると現れないらしい。

 なので町長に頼み、自分達が助けに行く間に男達がこの付近をうろつかないよう手配してもらったのだ。

 

「ああっ……なんて魅惑的な香り……」

 

 フラッと、フェルンがその入口に引きつけられる。

 正確には、迷宮にたどり着く10分程前から甘い匂いが漂い、フェルンはソワソワと落ち着いていなかった。

 一応催眠系魔術に抵抗する簡易的な結界を身体の周りに張っていたのだが、完全に遮断する事は出来ないようだ。

 そもそも匂いそのものは結界を素通りする訳だし。

 

「フェルン落ち着いて。ドウ、ドウ。……あれ、そういやなんで私は冷静なんだろう?」

 

 その時フリーレンの脳内に、領主の言葉がリフレインした。

『ドーナツの迷宮は、若い女性だけを誘惑して中に引き込むのだ~のだ~のだ~……』

 

 若い女性だけを。若い女性だけを。若い女性だけを。

 

「……迷宮丸ごと、爆裂魔法で吹き飛ばそうかな……」

 

 迷宮の中に女性達が囚われてなかったらそれもありだったかもしれないが。

 

「さて、どうするか……って、フェルン!?」

 

 フリーレンが領主の言葉の回想で軽くダメージを受けた隙に、フェルンはスッと素早く迷宮の中に入っていった。

 慌てて追いかけようとするが、迷宮の結界に弾き飛ばされる。

 

「ムギュッ!? 痛たた……」

 

 やはり迷宮は若い女性以外を拒絶するらしい。それも手酷く。

 肉体以上に精神にダメージを負ったフリーレン。

 しばし膝を抱えてイジケていたが、フェルンが囚われてしまった以上、助けにいかない訳にはいかない。

 

『大丈夫。うん。私は大丈夫。フェルンを助けなきゃ』

『フリーレン、やっぱりあなたは優……』

「やかましいわ」

 

 なんか慈愛の眼差しで語りかけてくる飲んだくれの幻影を振り払うと、昔習得した魔法を記憶の底から思い出して唱える。

 

《年齢をなんかいい具合に誤魔化す魔法》

 

 数百年ぶりだったので数回唱え直さなければならなかったが、なんとか成功し洞窟内に入る。

 全く乗り気では無かった依頼だが、今は沸々と攻略意欲が湧いている。

 この屈辱、はらさでおくべきか。

 

 ◇◆◇

 

「うん、分かってた。やっぱこうだよね」

 

 洞窟の中はさながらお菓子の迷宮だった。

 甘い香りを放つフレンチクルーラーの生地がひねりながらおしゃれに絡み合い、天井全体に広がっている。その生地自体が柔らかい金色の光を放ち迷宮を照らしている。

 足元にはチョコ、いちごチョコ、キャラメル、はちみつ等でコーティングされたドーナツがびっしりと敷き詰められた通路。

 濃厚な香りが漂い、歩くたびに上質の絨毯のような柔らかな反動がする。

 色とりどりのドーナツのリングが様々な模様のパターンを形作っている。

 壁にはグレーズドドーナツがきらめくタイルのように敷き詰められており、その上をクリームドーナツのパイピングが美しい模様を描いている。

 ところどころに、ジェリードーナツが宝石のように埋め込まれ、その中からカラフルなジャムが覗いている。

 

 迷宮を歩いていくと、いくつものカラースプレードーナツのアーチ状の扉があった。

《名称は似たようなドーナツを現代語訳しています》

 なんか変な注釈が頭に浮かんだが、まあ気にしないでおこう。

 

 フリーレンは念の為にフェルンにマークしておいた探知魔法をたどり、途中にあった扉をいくつも無視した後にひとつの扉の前で立ち止まった。

 それは他の扉と比べても一際派手なデコレーションがされていた。

 鍵はかかっていない。

 フェルンの気配を感じつつ、静かにドアを開ける。

 

「フェルン?」

 

 油断なく杖を構え、小さな声で呼びかけ……。

 

「!?」

 

 バタンッ! 

 

 中を少し(うかが)った次の瞬間、フリーレンは急いでドアを閉めた。

 一瞬目にしたものが……目にしたくなかった。

 中では何か巨大な丸いものが(うごめ)き、ドーナツを(むさぼ)っていた。

 

『1、3、5、7、11、13……』

 

 珍しく本気で動揺したフリーレンは数回深く深呼吸し、頭の中で素数を数えて落ち着こうとする。

『あー⋯⋯うん、これは、あれかな。魔力が強い分、呪いに強く反応したとか?』

 そんなところだろう。

 

「あ゛れ? ブリーレンさま」

 

 ドキッ

 ドアの向こうから声が聞こえる。

 

「フリーレ゛ン様ですよね。気配で分がります」

「フェルン……」

「わたす、幸せです。これが幸せなんでぶね。好゛きなものと一体化する。わたすがドーナツでぶ」

 

『ちゃんと元に戻してあげるから』

 そう呟くと、ドアにロックの魔法を掛ける。

 今はフェルンの位置が変わらない方がいい。

『⋯⋯あの体でここから動けるとも思えないけど』

 

 ◇◆◇

 

 フリーレンはフェルンとは別の、もう一つの魔力源を探知していた。

 迷宮を維持出来ているという事は、当然料理人の《ダンジョンコア》という奴があるはずだ。

 そして期待を裏切らず、それは最奥の部屋で巨大なドーナツの形をして浮いていた。

 そしてそこには多くの囚われた⋯⋯いや、幸せそうにドーナツを頬張る女性達がいた。

 

『あれ? 痩せている子が一人もいない。領主の娘には太らない魔法を掛けてるんだよね? ひょっとして効かない魔法だったの? それとも……』

 

 フリーレンは女性たちの中に、一際ふくよかな(オブラート)娘を見つけた。その顔立ちはあの領主にどこか似ている。

 そして彼女には何かしらの魔法が掛かっている事が確認出来る。

『……あ、なるほど。そもそもの体型がすでに激太りだったから、これ以上太りようがないってことか』

 

 あの親にしてこの娘ありか。我が子を憂う領主の親心(と虚栄心)に心の中でそっと合掌する。

 すると、ダンジョンコアの背後に、丸々と太ったコック帽を被ったシェフの悪霊が姿を現した。

 

 {貴様、何者だ。人間では無いようだが……}

「ただの流れのエルフの魔術師だよ。それより、もう充分じゃない? お前のやっている事はただの逆恨みの八つ当たりだよ」

 {やかましい! 傷つけられた我が繊細な魂は、この程度では癒されぬわ!! いでよ我がしもべ!! }

 

 シェフの悪霊が腕を振り上げると、空間が歪み、フリーレンが先ほど別の部屋に閉じ込めたはずの『巨大な球体』が召喚された。

 

「えっ、フェルン!?」

「あ゛れ? ブリーレンさま。わたす、召喚ぶぅーになっでしまいますた」

 

 完全にドーナツと化し、元の輪郭を留めていないフェルンがそこにいた。

 {行けえ! 我が手駒よ! その女を甘美なるカロリーの海に沈めてやれ! }

 

 悪霊の指示に従い、巨大フェルンがフリーレンに向けて杖(辛うじて握っていた)を突き出す。

「ブリーレン様、ドーナツお食べくだざい。『グレーズド・ポン・デ・ストライク』でぶ!」

 

 フェルンの巨体から、高速回転するリング状のエネルギー弾が連射される。

「ちょっと、なにその無駄に洗練された魔法!?」

 

 フリーレンは防御結界を展開するが、甘い砂糖の匂いと重々しい質量を伴うドーナツ弾が結界を激しく叩く。

「次でぶ。『オールドファッション・メテオ・スウォーム』!」

「いや、そんな魔法教えてない!」

 

 恐らくシェフの悪霊のオリジナル魔法だろうが、それを他者(フェルン)を操りその魔力を利用して放つとは。

 つくづく、魔法使いが天職だったのだろう。もったいない。

『さてどうしようか……』

 降り注ぐ硬めのオールドファッション型質量兵器を回避しながら、フリーレンはため息をついた。

 フェルンごと吹き飛ばすわけにはいかない。

 

 {ふははは! どうした、手も足も出ないか! だが……なぜ我が魔法が効かない。なぜこの迷宮のドーナツの誘惑に耐えられる。見たところ大した魔力も持っていないのに! }

 

「……」

 

 ここに魔族はいない。ただ私怨により膨大な魔力を暴走させた哀れな人間の悪霊がいるだけだ。

 そして何より、フェルンをこれ以上おもちゃにされるのは流石に腹立たしい。

 なら解放しても構わないだろう。

 

 ボワッ!! 

 瞬間、フリーレンの全身から莫大な魔力の柱がそびえ立った。

 

 {おおっ!? }

 悪霊の声に怯えが混じる。

 

「哀れな悪霊。お前の前にいるのは千年を生きた……」

 

 フリーレンが決めゼリフを言い終わる前に悪霊のビジョンが目をスッと細め、冷めた口調でボソッと呟いた。

 

 {なんだ、ババアか}

 

 カッ

 

 全てを消滅させる白熱光が輝いた。

 奥の手中の奥の手。

 もう一つ、魔法として不可知の奥の手もあるが、そちらが魔力として認識不可能の対魔術師戦用魔術だとすれば、こちらは分かりやすい破壊の光だ。

 ただこれはフリーレンが意識して使う事は不可能で、心底からの怒りと憤りが魂を覆った時だけに自動発動する制御不能の怒りの純粋エネルギー体だ。

 

 魔王との最終決戦ですら発動しなかった代物。

 それが悪霊となったパティシエの思念体を直撃した。

 思念体は無念の言葉も呪詛を吐く間も許されず、一瞬で消滅した。

 

「⋯⋯やりすぎちゃったかな」

 

 怒りの魔力を一気に解放したため賢者モードになったフリーレンは反省する。

「ま、やっちゃったものは仕方ないか」

 エルフの寿命で過去の事をいちいち引きずっていたら重荷に耐えられなくなる。

 

「フェルン?」

「ふぁい」

 

 フェルンが床の上に寝転んでいる。

 ダンジョンコアと悪霊が消滅したことで、フェルンを操っていたドーナツ魔法? も消え去ったようだ。

 お腹はいかにも腹いっぱい食べた感じに膨らんでいたが、全体的にはちゃんとフェルンだ。

 間違っても蠢く巨大な球体ではない。

 

「まあなんだ、帰ろうか」

「ふぁい?」

 

 なんだか状況を把握出来ていないフェルンを魔法で宙に浮かばせて帰途につく。

 ダンジョンは崩壊するでもなく、ただ装飾されたドーナツが全て消え去り薄ら寒い洞窟に変わっていた。

 魔物や獣のたぐい(たぐい)がいる訳でもなさそうだ。

 囚われた娘達は美味しいドーナツが消え去った事で逆にフリーレンに文句を言ってきた……特に領主の娘が……が、面倒くさいので全員魔法で眠せた。

 シェフの悪霊が消え去った事で町の男達もここにたどり着けるだろうから、後で迎えに来てもらえばいいだろう。

 

『なんかどっと疲れたな⋯⋯』

「フリーレン様⋯⋯?」

「フェルン?」

「お腹⋯⋯気持ち悪いです。気持ち悪いのに⋯⋯幸せです」

「そう」

 

 じっくり反芻(はんすう)するといい。

 また当分、ダイエットしないといけないんだし。

 

 ◇◆◇

 

「ん? あれ? ってことは報酬の魔導書は手に入ったんだろ? だったら⋯⋯」

「それがね⋯⋯魔導書に書かれてたのは、その地方の食材で作ったドーナツにしか通じない魔法だったんだよ」

「そんな事あんのかよ?」

「ま、民間魔法だからね。そういう制限がつく事は珍しくないんだ。しかもその手の魔法はその土地の特性や環境、位置や偶然性が複雑に絡んでいる事が多くてね、なかなか応用が効かない。フェルンもなんとか他で通用する様に術式を改良しようと頑張ったけど結局ダメだったんだ。そこからその土地を離れるまでのフェルンは凄かったよ」

 

「⋯⋯⋯⋯」

 

『あっ⋯⋯!?』

「ほんともう、朝昼晩ドーナツ尽くしでさ。その街のドーナツを素材ごと全部食い尽くす勢いだったよ。信じられる? ドーナツのせいで激太りして大変な思いをして、追い討ちを掛けられる様に迷宮であんな酷い目にあったのに、ドーナツが全然トラウマになってないんだよ。《呪いのドーナツと本物のドーナツは別腹です》って言ってさ」

 

『フリーレン! 後ろ、後ろ~!』

 

「いや~私も色んな人間に会って来たけど、あんなに食い意地の張った人間は見た事……あれ? シュタルク、どうしたの?」

「フリーレン様」

「!?」

 

 フリーレンが固まった。シュタルクはうつむいた。

 ダラダラと冷や汗をかくフリーレンの背後から手が伸びてヒタっと両頬をはさみ、そして……。

 

 ギギギギギギギッ……ゴキッ

 

 ゆっくりと首が後ろに回る。

 最後になんか嫌な音がしたが、フリーレンには気にする余裕が無かった。

 漆黒の闇を(まなこ)に宿した少女が、じっとフリーレンを見つめていたからだ。

 

「ふぇ、フェルン……い、いつの間に……えっ、えーっと……」

「気配を消すのはフリーレン様にも褒められた事ではございませんか。それより……誰にも話さないって約束でしたよね、フリーレン様」

「あっ、あのね? フェルン……」

「約束でしたよね」

「はい……」

「シュタルク様」

「はいっ!?」

可及的速(かきゅうてきすみ)やかに忘れてください」

「えっ、えっ?」

「シュタルク様は何も聞かなかった。そうですね?」

「あっ、えっと、えーっと」

「忘れなかったらどうなるか」

「!?」

「分かりましたね?」

「はい……俺は……なにも聞いてません……」

「よろしい。フリーレン様」

「はいぃっ!?」

「ちょっとお話しがあります。あちらへ行きましょう」

「しゅ、シュタルクうぅ~」

 

『すまんフリーレン、俺はまだ死にたくない……!』

 

「フリーレン様」

「はい……さよならシュタルク、短い付き合いだったね……」

 

 ズルズルズルズル……。

 

 ◇◆◇

 

「戦士として恥ずかしいけど……俺は動けなかった。怖くて2人から目を逸らして……ただフリーレンがズルズルと引きずられていく音だけが耳に残った。紅鏡竜や魔族と対峙した時だってあんな恐怖は味わってねえ。連れて行かれた先でなにがあったのか俺は知らない。ただその後フリーレンは見た事無い虚ろな眼をして戻ってきた。そしてその時の話は二度と口にしなかった……」

 

 ゴクリ。

 唾を飲み込んだのは、その時の事を思い出したシュタルクか、それとも……。

 

「そんな事があったのか……。……!?」

「? どうしたザイン?」

「シュタルク様」

「!?」

「話しましたね」

「ふぇ、フェルン、いつの間に!?」

「気配を消すのはフリーレン様にも褒められた事です。それより……シュタルク様、約束を破りましたね」

「ひっ……」

「ザイン様」

「あーっ、えーっと……あれ、今なんかあったっけ? いつの間にか寝ちまってた様だ。あれ、どうしたフェルン、そんな怖い顔してぇ」

「ザイン、お前なあ……」

「…………いいでしょう。ザイン様は寝ていらした。なにも聞いてなかった。……シュタルク様、ちょっとこちらへ」

「あっ、えっ? ちょっ、ま! ごめ! ひっ……」

 

 ズルズルズル……

 

『おいおい、嘘だろ……』

 魔法使いの少女が弱々しく抵抗する筋肉質の戦士の服のえり首を掴み、片腕一本で軽々と引きずっていく。

 

「ざ……ザイン、助け……」

 

 ザインは目を瞑り耳を塞ぎ、目を逸らす。

『すまねえシュタルク、俺は何も見ていない、聞いてない! ここには居なかった! 居なかったんだ!』

 

 ズルズルズル……

『この音か……やべえ、震えが止まらねえ……』

 ズルズルズル……。

 

 ギイイイィ……

 バタン。

 遠くで扉が閉まる音がした。

 

 ◇◆◇

 

 ──その後フリーレン達と別れたザインは訪れた街でドーナツを見かける(たび)、その匂いを嗅ぐ度にあの光景と音がフラッシュバックした。

 元々甘いものが特に好きでも無かったザインだが、今では時にブルっと怖気(おぞけ)(ふる)う事すらあった。

 

 そんな時は、厄を払うかのように口の中でそっと呟く。

 

「ドーナツが怖い? いやさやっぱり、フェルン(女の食欲)が怖い」

 

【終わり】

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