私はたぶん、あの時のことを一生忘れない。
私が犯そうとした過ちを止めてくれた彼の言葉。そして、そのすぐ後に知った彼の優しさ。
今思えば、私の最初で最後の初恋はあの瞬間から始まっていたのかもしれない——
◇
「こ、こんなところで会うなんて、奇遇だな一之瀬」
そう声をかけてきたのは、先週同じクラスに転校してきた水瀬早手くんだった。
「あっ、えっと、その……」
普段友達と話す時は簡単に言葉が出てくるのに、今はどんなに考えても気の利いた言葉が出てこない。
あまりの動揺でろくに返事もできない私の元へ、彼がゆっくりと近づいてくる。
普段の水瀬くんとは違う雰囲気を感じ取った私は……俯いたまま、静かに覚悟を決めた。
「少し待っててくれ」
そう言いながら自然な動作で私の鞄からヘアピンを抜き取った彼は、そのままレジのほうへ歩いて行った。
やっぱり、見られてたんだ……。
私の鞄から迷いなくヘアピンを抜き取ったという事は、私の行動を全て見ていたという事だ。
きっと、私の犯罪行為を正すために、ヘアピンを回収して店員さんを呼びに行ったのだろう。
そこまで考えが及んだ瞬間。覚悟を決めたつもりだった私の頭の中は真っ白になった。
それからしばらくして——実際は2〜3分くらいだったかもしれないけれど——私の体感では永遠のような時間が過ぎ去って、彼は一人で戻ってきた。
「はいこれ。プレゼント」
彼はそう言いながら私の手を優しく掴み、綺麗に梱包された小箱を渡してきた。
「こ、これって……」
そう口にしながらも、この小箱の中身が何なのかは察しがついている。
この中に入っているのは、ついさっき私が盗もうとしたヘアクリップだ。
「あー……そりゃ混乱するよね。とりあえずここから移動しないか?落ち着けるところを探そう」
「う、うん」
おぼつかない足取りの私に歩幅を合わせてくれる彼の背中を追いながら、私はお店を後にした。
◇
息抜きに訪れたデパートで適当にぶらついていたところ、偶然一之瀬を発見。
何故か無性に気になって跡をつけてみると、原作の1年生編9巻で語られた一之瀬の万引きシーンに出くわしてしまった。
はじめは見なかったことにして帰ろうと考えたが、思い詰めた表情で葛藤する一之瀬の横顔を見た瞬間。彼女が作中でどれほど苦しんでいたかを思い出して——
「こ、こんなところで会うなんて、奇遇だな一之瀬」
——つい、引き止めてしまった。
やらかしたやらかしたやらかした!完全にやってしまった……!!
っていうか、どうして今まで忘れていたんだ俺ぇええ!
中学3年の夏って、一之瀬のお母さんが倒れて万引きに走ってしまう時期じゃないか!
表向きは冷静に過ごしていたつもりだったが、一之瀬と同じクラスになれたことで内心では相当浮かれていたのかも知れない…一之瀬に関する最重要イベントなのに、完全に忘れていた。
と、とりあえず落ち着こう!……ふぅ、よし。
まずは冷静に状況を整理する。
このイベントは一之瀬だけでなく、よう実のストーリー全体にも関わってくる重要なものだ。しかし、止めてしまったものは仕方ない。
よう実のストーリーが少なからず変化してしまうことは、もう避けられないだろう。
ってかそもそも、俺のようなイレギュラーがよう実の世界に転生してきた時点で、この世界のよう実はこうなるストーリーだったのかも知れない。
うん、そうだ。きっとそうだ!
そう開き直りながら目の前にいる一之瀬を見ると、俯きながら覚悟を決めた表情をしていた。
俺も、覚悟を決める必要があるな。
そう考えながら、心の中で高らかに宣言した。
どうせストーリーが変わってしまうなら、俺も高育へ入学しよう。そして、よう実の世界を思う存分楽しんでやるのだと!
ヒロインの中では一之瀬がダントツで好きです。次点は坂柳。