唐突だがオレには前世の記憶がある。地球という惑星の日本という島国で何の変哲もない一般人として生活していた男の記憶が。
オレの前世は平凡そのものだ。
金持ちの両親の元に生まれた訳でもなく、人並外れた才能があった訳でもない。
小中高もしっかり通えて、大学も奨学金を借りて入学した。
就活は面接で苦戦こそしたが中小企業に入社することができた。
そこからは変わり映えのない日々の繰り返し。
平日は会社に窮屈な電車に乗って通い、土日は家で12時間以上寝て、好きな配信者の配信をコメントするのでもなく、ただのBGMとして聞き流しながら漫画や小説を読む日々。
趣味という趣味がある訳でもない。強いて言うなら半年前に初めてたソシャゲのゲームをしていることだろう。とはいえ、デイリークエストを毎日30分程で終わらせるだけだが。
それが何の変哲もない普通の人生を歩んできたオレの生活だった。
だがそんな平凡な生活は唐突に終りを迎える。
その日は何か朝起きた時から不穏な予感がしていた。
『………区で老夫婦の死体が発見されま………警察…………他殺と考えられ…………区付近の方は外出を控えることを…………』
オレはその日、無心にニュースを見ていたらお腹が鳴って空腹を訴えかけてきたので飯を買いに行くことにした。
自炊なんて面倒なことはしない。金のかかる趣味もないし、毎食コンビニですませている。
そんな生活に将来は生活習慣病になってしまうのだろうかと、改善する気もないのに自分の体を心配する。
家の鍵とスマホだけ持って、部屋から出る。近くのコンビニは数分と歩いたらつく程度の距離。季節はもうすぐで夏になるため、気温も高く、少し歩いただけで汗をかいてしまう。
コンビニに着き、中に入ると、冷たい風が体全身を冷やす。オレは冷たい風を全身で感じなから、お弁当がある棚へと向かい、いつもの弁当を買う。他に買う物もないので、お弁当の入ったビニール袋を片手にコンビニを後にする。
オレはいつもより人が少ないことに違和感を覚えながらも帰宅していると、目の前に不審な男が立っていた。
もう夏だというのに黒のフードを被っていて、黒の長ズボンを穿いている。
全身真っ黒人間に不信感を抱いていると、なんと目が合ってしまった。
嫌な予感を覚えたオレは目を逸らし、来た道を戻ることにした。
スマホをいじりながら、不審者を背にして歩いていると、後ろの方から走った時の足音が聞こえる。
オレは何事かと、後ろを振り返ると、至近距離で先ほどの不審者の男が目に映るのと同時に、胸から痛みを感じた。
視線を下げて胸を見てみると、鋭利な刃物───包丁らしき物が刺さっていた。
「……は?」
余りにも非現実的な光景に、現状の理解が遅れた。
刃物が刺さったと理解した瞬間、腰が抜けてしまい、真後ろに仰向けで倒れてしまった。
それがいけなかった。
胸の痛みを我慢しながら逃げるべきだった……いや、それ以前に不審な男を見かけた瞬間に、すぐさま全速力で逃げるべきだったのだ。
仰向けに倒れるオレを見ながら、不審な男が不敵に笑みを浮かべ、オレの上に馬乗りになる。
「死ね死ね死ね死ね死ね!」
不審な男は刃物を抜いては刺して、抜いては刺してを繰り返す。
最初こそは痛みを感じていたが、時間経過とともに痛みを感じなくなっていた。
ただ、されるがまま。
目もぼやけてきて、今自分が呼吸できているのかすら分からない。
段々と意識が遠のく。
このまま眠って、起きればいつもの日常を送れるだろうか。
今の出来事は全て夢だったのではないか。
そんな希望が、願望が脳裏に過ぎるが、夢ではないと、本能で自分は死ぬのだと理解した。
あぁ、こんな世界、こんな現実は全て幻であってほしい。
そう思わずにはいられない。
────オレが何をした
────オレがお前に何をしたというのだ
────オレはお前に殺されるようなことをしたのか
「あぁ………クソが…こんな最悪…な…死に方……納得……で…きる…か」
そろそろ本当に意識が保てなくなってきた。
視界は黒く染まり何も見えない。ただ耳に罵詈雑言の声が聞こえるだけ。
「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね!」
────こんな世界、クソ喰らえだ
そしてオレは段々と意識を失っていき────
────見知らぬ土地で目を覚ました。
「え?」
まずオレは周囲を見渡した。
周りにあるのは木や草、花といった植物であり、率直に言って森であった。
「どこだここ」
視線を下ろすとそこにあったのは胸を突き刺す鋭利な刃物はなく、全身を覆えるほどの布を纏っていた。
その日、一日中森を彷徨いながら歩いていた。
正直泣きそうだった。大の大人がその場で何もせずにみっともなく喚き散らし、涙を流したかった。だが、そうはいかない。
このまま何もしなければ死んでしまうと思ったからだ。
刺された時に感じた体温が段々と下がっていくあの感覚、死が近づいてくるあの感覚をもう一度味わいたくがないために生きるのに必死だった。
そして見知らぬ土地で過ごして二日目、オレは川を見つけた。
走って川に近き、水面を除いて驚いた。反射した自分の姿を見て驚いたのだ。
姿は前世の高校生くらいの若い見た目になっていた。それだけでも驚くべきことなのだろうが、それ以上に驚いたのは頭に二つの小さい角がついていたのだ。
あまりにも自然にあり、小さく、非現実を生きるのに必死で焦っていたのだろう。だからこそ気づくのが遅れた。
「…何だこれ。オレは人間じゃないのか」
手を頭の方へ持っていき、己の二つの角を触る。
この手で実際に確かめても信じられなかった。刺されて死んだと思ったら見知らぬ土地で目が覚めて、強制的にサバイバル生活をすることになったと嘆き、さらには自分が人間ではないと知った。
心はもう限界に達していた。
オレはその日、生きる気力も、歩く気力も湧かなくて、川の近くで座っていた。何かを考えるわけでもなく、頭を空っぽにして何も考えたくなかったのだ。
だが、そんなオレに生きる気力を湧かせてくれたのは人ではなく、満天の星空に輝く一筋の光だった。
一筋の光が目に入ると、さらに別の光が、またさらに別の光が空を流れているのが見えた。
「
オレは無意識にそう言っていた。
何か根拠があったわけではない。ただ漠然と、今目の前に広がるのは50年に一度観測される流星群なのだと確信した。
そしてオレは理解したのだ。この世界はオレが読んでいた漫画の一つ、葬送のフリーレンの世界なのだと。
確信したオレの行動は早かった。
まずは今の時代を調べようとした。
葬送のフリーレンの本編からどれくらい前の時代か、どれくらい後の時代なのか。未来か過去かを調べて、魔法を身につけて、体を鍛えて、武術を磨いて、必死に生きた。
それから1000年の年月が経ち、ゼーリエと遭遇した……というより、オレがゼーリエを見かけたという表現が正しいだろう。
ゼーリエがこちらの存在に気づくのは時間の問題だ。
なのでオレは逃げた。ただ逃げるだけでなく、囮役として『分身体をつくる魔法』で大半の魔力を消費させながら自分の姿と瓜二つの分身体をつくり、遠く離れた場所で隠れながら、ことの顛末を見届けていたのだ。
そして現在、オレがゼーリエを見届けて帰ってきた場所には悠久の時を生きる巨大な竜である天脈竜の背中に広がる森の一角に木造の家が立っており、そこでオレは椅子に座ってくつろいでいた。
独自に研究し品種改良を施したコーヒーノキからコーヒー豆を製造し、優雅にコーヒーを飲んでいた。
「やっぱりすごいな、ゼーリエは。今のオレじゃあ勝てる気がしない。武術も魔法もより一層励まなければ」
コーヒーを飲み終えたオレは体を伸ばしながら心に活を入れる。
脳裏によぎるのは先ほどまでゼーリエと戦っていた分身体の姿だった。分身体の能力は本体の半分程度しかないが、たとえ本体であるオレがあの場に立っていたとしても勝てなかったとわかる。
「次会う時には簡単に殺されない程度にまで強くなってやる」
…なぜ、自分を殺そうとしてくるゼーリエとまた会おうとしているのかって?
それは当然のことだ。
原作を知る者としてゼーリエと魔法を語り合ったりしてみたいと考えるのは一人のオタクとして抱いてしまう純然たる想いであるからだ。