レノストとフリーレンの和解めいた対話が静かに終わり、次なる面接者────フェルンの番が訪れていた。
(フリーレン様は………なんであんなに上機嫌だったんだろう?)
廊下で自分に助言を残し、足取りも軽く去っていったフリーレン。そのあまりに上機嫌な様子が不可解で、フェルンは一人胸に疑問を抱えながら、面接の扉を静かに開いた。
開けた瞬間、香るのは微かに漂う花の香気。その香りは季節の境目に吹く柔らかな風のようで、どこか懐かしさすら伴っていた。
壁にかかった薄紫の絵画、机に映る窓からの陽光────すべてが丁寧に整えられた静謐の中で、時間だけが違う流れ方をしているように感じられた。
そして目に飛び込んで来るのは古びた木製の机、丁寧に並べられた銀縁のコーヒーカップ、湯気を立てるそれと添えられた色とりどりのクッキー。
そして、コーヒーを嗜むゼーリエとレノストの姿。
二人の姿は淡い陽光に照らされ、まるで絵画の一場面のようだった。冷たい空気の中に、不自然なまでの温もりがそこにだけ宿っていた。
その美しさに、フェルンは一瞬、立ち尽くす。
ゼーリエの視線が彼女をかすめた。だが、その瞳には微かな落胆の色が宿る。希望という名の灯が、小さな風にかき消されたように、その目から静かに消えていった。
(………やはり、期待しすぎたか)
フリーレンが去り際に口にしていた言葉。
────人間の時代がやってきたんだ
それと妙に機嫌の良かったレノストの反応と相まって、ゼーリエの心に高揚をもたらしていたのだ。
だが今、目の前のフェルンはただ立ち尽くすばかり。緊張で硬直しているのか、魔力制限をしているようだが魔力も読み取りやすい。まるで他の受験者と同じ、凡庸な少女に見えた。
ため息をつきかけたその時、ゼーリエの目が細くなる。
────何かが、妙だ。
再度、フェルンを見つめたその瞬間。ゼーリエの中で、ある違和感が泡のように浮かんだ。
横目でちらりと隣を見ると、レノストもまた目を見開いていた。珍しく、その瞳には、明確な驚愕が宿っていた。
ただの驚きではない。理解の限界を超えたものに触れた者だけが抱く、“尊厳を揺るがされるほどの畏れ“ ────それがあった。
彼は知っていたはずだった。フェルンという少女の才能を。
彼女が師、フリーレンのもとでどれだけの魔法技術を学び、どれほど戦場を生き延びてきたかを、彼なりに推察していたつもりだった。
ただ、レノストは知らなかった。ページに詳しく描かれていなかった、語られることはなかった彼女が築き上げてきた地道な研鑽を。
レノストは知らなかったのだ。
自分の存在がこの世界に生まれたことで、行動したことで僅かに歪んだ運命の流れが導いた、彼女の観察眼に本来見ることのできなかった光景────魔法使いとして遥かな高みに辿り着いた者同士の戦いが与える影響を。
これは偶然ではない。
ただの幸運でも、突発的な覚醒でもない。
積み上げた日々の、その延長線上に。
繰り返された鍛錬の、その積み重ねの先に。
無意識か、あるいはほんのわずかな意図の欠片か。
彼女の心が、目が、本質に触れるようになっていた。
誰よりも静かに、誰よりも正確に、魔力という真理を見つめる眼差しを持つようになっていたのだ。
だからこれは、ある意味────必然だったのかもしれない。
(フェルン、まさか君には見えているのか………? )
ただ隠れるのではない。存在の“定義”そのものを、この世界の因果から消し去る禁じ手。
魔力の波形、存在の座標、魂の痕跡すら塗り潰し、“この世界に存在しない”という虚構を現実にする技術。
それは、幾千幾万の魔法使いが辿り着けなかった領域。
数多の天才が指先すら触れられなかった不可視の領域。
たとえ未来を視る魔族であろうと、勇者であろうと、彼が完全に隠蔽したその存在を認識することは叶わなかった。霧の中に沈む完全なる無。
ただ、これまでの歴史の中で見通せた者はただ一人。今、彼の隣を歩き、静かに瞳を向けてくるこの少女の見た目をした者のみ。
これは彼が誇る技術。五千年という時を費やし、磨き上げた魔法使いを弄する技のその先。
────魔力隠遁。
そして、その事実に最初に気づいたのは、ゼーリエではなかった。全てを知っていると信じていたレノスト自身だった。
否、知っていた“つもり”だっただけだ。
彼女の才能は、いつしか想像の外にまで踏み込んでいた。
「………お前、何が見えている」
ゼーリエが、低く問う。重く、鋭い声だった。尋問のようでもあり、ある種の祈りのようでもある。
それに対する答えは、まるで夢の続きを語るかのように、淡く────しかし確かな声で返された。
「………揺らいでいる」
その時、フェルンの視線がまっすぐに向けられた先にはゼーリエではなく、レノストがいた。
その瞳はまるで“この世で最も美しい芸術”を見つめるもののようで、彼女は今さっきまで抱いていた魔法使いとしての自信の喪失すら忘れるほどであり、静かに彼の魔力を射抜いていた。