間が空いてしまった分、至らないところがあるかもしれませんが、楽しんでいただけたら嬉しいです。
三人の門番に迎えられたフリーレン一行は天空魔道図書館そのものへと足を踏み入れる………ことはなかった。
「まずは、こちらへどうぞ」
先に立った早坂が手を差し伸べた先には、図書館に隣接する石造りの屋敷が佇んでいた。
夕陽を背に受けて赤く染まったその外壁は、白い蔦が絡む緑の回廊と古風なアーチの庭に囲まれ、静けさの中にどこか温もりのある佇まいをしていた。
「……図書館じゃないのか」
シュタルクがぽつりと呟き、フェルンも困惑気味に眉を寄せる。
まるで肩透かしを食らったような気配が一行に漂う中、早坂は落ち着いた口調で応じた。
「レノスト様より、“まずはくつろいでいただきたい”との命を預かっております」
その声は穏やかだったが、逆らいがたい力を帯びていた。背後に立つジブリールは口を開かず、ただ静かに頷く。その双眸は、何かを見通すような深い沈黙を湛えていた。
そして小町は────
「妾は一目見れたから昼寝してくるのじゃ。歓迎はお主らの仕事じゃろ、早坂」
ふわり、と。猫のようなしなやかな動きで屋敷の屋根へと跳ね上がると、三本の尻尾を揺らして、陽だまりの中へと姿を消した。
気まぐれで、自由奔放。そんな印象を彼女に抱いた三者。
「……あれが彼女なりの歓迎なんでしょうか」
フェルンが不思議そうに尋ねると、早坂は小さく首を振り、わずかに困ったような笑みを浮かべる。
「本日は……小町様もご機嫌斜めのようですから」
「も?」
フリーレンが何気なくその言葉に反応したが、早坂はそれ以上何も語らなかった。ただ、静かに扉を開けると、温かな空気がこちらへと流れ込んできた。
石造りの屋敷の中は、外見に反して実に柔らかな空間だった。
光沢を失いつつも丁寧に磨かれた木の床、角が擦れた柱、天井から吊るされた薬草の束。どこか懐かしい草木の香りが鼻をかすめる。
だが────その懐かしさを吹き飛ばすものが、すぐ目に飛び込んできた。
「………………」
「…………何ですか、これ」
一同の視線が、ある一点へ自然と吸い寄せられる。
そこには、見事な和紙の掛け軸が掲げられていた。光の加減でわずかに煌めくその表面には、力強い墨文字が一文字ずつ、堂々と刻まれている。
『フェルン一級魔法使い選抜試験、合格おめでとう!』
余白の美、などという概念は微塵もない。まるで勢い任せに書き殴られたようでいて、やたらと達筆。しかも、よく見ると金粉があしらわれている。どう考えても手間がかかっている。
フェルンは掛け軸を見上げたまま、数秒ほど固まっていた。視線を逸らすわけでもなく、照れるでもなく。ただ、明らかに困っている。
「……アホなんですか?」
静かに、けれどはっきりとそう呟いた声は、屋敷に妙な余韻を残した。
「いや、なんか……すごい気合入ってないか?」
シュタルクが半笑いで言いながら、思わず目を逸らす。
「……まさか、あいつが?」
フリーレンが小さくため息をついた、その瞬間だった。
「やっと来たか……お祝いの準備はとっくに済んでいるぞ」
姿を現したのは、例の魔族──レノストだった。
何気ない口ぶりでそう言いながらも、その表情にはわずかな緊張と期待が滲んでいた。軽く首を傾けたその視線は、まっすぐフェルンへと向けられている。フェルンは何も言わずに視線を返すが、言葉を紡ぐには至らなかった。
「……まあ、立ち話も何だからね。入ってくれ。お茶も用意してあるから」
そう言いながら、レノストはくるりと踵を返して廊下を進む。彼に従うようにして、フリーレンたちは屋敷の奥へと足を踏み入れていった。
やがて案内された応接間は、石造りの外観からは想像もつかぬほど温かな空間だった。壁には古い絵画や地図が並び、棚には年代も様式もまちまちな魔導具が無造作に並べられている。だが、どれも奇妙なことに、しっかりと埃が払われ、磨かれていた。生活感のある空気が、そこには確かにあった。
「……本当に、ここに住んでるんだな」
思わずこぼれたシュタルクの声は、半ば独り言に近かった。魔族の住処と言えば、もっと冷たく、殺伐とした空間を想像していたのだろう。だがここには、そんな気配はない。
「座ってくれ。ジブリール、早坂。お茶を頼む」
「かしこまりました」
「了解いたしました、レノスト様」
二人のゴーレムが静かに頭を下げ、入れ替わるように部屋を出ていく。ジブリールの退室前、フェルンへと向けた一瞬の視線には、何かを見通すような光が宿っていた。
気まずい沈黙が、一瞬だけ応接間を支配した。
それを破ったのは、やはりレノストだった。
「いやあ、驚いただろ。あの掛け軸。オレが書いたんだ」
「……頭が痛くなりました」
フェルンの即答に、シュタルクが噴き出しそうになるのをこらえて唇を噛む。フリーレンは目を伏せたまま、ただ視線は棚の魔道具の方向へと向けていた。
「歓迎の意、ってやつだよ。ほら、オレも“試験官”だったからな。ちょっと遊びすぎたけどな。それに……」
そこでレノストはフェルンへと視線を向け、少しだけ表情を和らげる。
「君は、オレの予想を超えてきた。ゼーリエを驚愕させた女性ってのは歴史的な偉業だからね」
その言葉に、フリーレンの眉がぴくりと動く。だが、何も言わなかった。ただ静かに、その発言の意図を測るようにレノストの横顔を見つめていた。
「……別に、こんなことで取り入ろうとは思ってない。ただな……」
レノストは言葉を切り、ソファの背にもたれて大きく息を吐く。その姿には、少しばかり疲れがにじんでいた。
「せっかく君達と仲良くなれるチャンスが訪れたんだ。祝うのは当然だろ?」
その言葉は冗談めいていたが、どこか本音が混じっていた。
沈黙が、再び訪れる。だが先ほどとは違い、少しだけ空気が柔らかい。
そのとき、控えめな足音と共に扉が再び開いた。
「レノスト様、お茶をお持ちしました」
早坂が静かに部屋へ入り、両手に持った盆をテーブルへと置く。
そこには、湯気を立てる湯呑と、簡素な菓子が丁寧に並べられていた。
「……どうぞ」
早坂が静かに頭を下げ、湯気の立つ湯呑を一人ずつ配っていく。
陶器に触れた瞬間、ほのかに温度が伝わり、指先に心地よい熱が残った。
フリーレンは一瞬だけ躊躇した後、警戒を解かぬまま、ゆっくりと口をつける。
────苦味は控えめで、後味が柔らかい。
舌の奥に、草木の香りが静かに広がっていく。
「……美味しい」
ぽつりと漏れたフェルンの声に、シュタルクも頷いた。
「変なクセがなくて飲みやすいな」
レノストは軽く肩をすくめる。
「だろ。その茶葉、うちの畑で作ったやつだよ」
「……畑?」
フェルンが思わず聞き返す。
「あなたが?」
「研究ばかりしていると頭が煮詰まる。気分転換の一環だよ」
レノストは特に誇るでもなく、当然のことのように言った。
それきり、彼はそれ以上語らなかった。
農法の話も、効能の説明もない。
ただ事実として、ここで茶が出され、それが美味しいというだけだった。
応接間に、しばし穏やかな沈黙が落ちる。
湯呑を置く音が、静かに重なった。
誰もが口を開かなかったが、それで十分だった。
茶は美味しく、毒もなかった。ただ、それだけの事実が共有される。
フリーレンは、湯気の消えかけた湯呑から手を離すと、再び視線を窓の外へ向けた。
夕暮れの空を背に、白い塔が変わらずそこにある。
────いや、先ほどより、少し近く感じられた。
レノストはその様子を一瞥し、小さく息を吐いた。
「……気になるか?」
フリーレンに問う。
「じゃあ、図書館を見に行こうか。これ以上ここにいても、落ち着かないだろ」
フリーレンは否定しなかった。
ただ、静かに立ち上がる。
それを見て、フェルンとシュタルクも続いた。
言葉は必要なかった。
「じゃあ、行こうか」
レノストはそう言って扉へ向かう。
先導するというより、ただ歩き出しただけだった。
屋敷を出ると、空気が変わった。
天脈竜の背を伝う、微かな鼓動。
足元から伝わる、脈打つような魔力の流れ。
白い塔は、もはや遠景ではない。
扉の前に立った瞬間、フリーレンははっきりと感じた。
────これは、ただの建築物ではない。
重厚な扉が、音もなく開く。
中に広がっていたのは、想像を遥かに超える空間だった。
高く、果てが見えない天井。
何層にも積み上げられた書架。
宙に浮かぶ魔法陣と、それを繋ぐ光の文字列。
書物だけではない。
魔導具、術式、未発見の理論、過去に禁忌とされた研究。
知識そのものが、空間として存在していた。
「………………」
フリーレンの呼吸が、わずかに速くなる。
目が泳ぎ、足が止まり、次の瞬間には、書架の方へと歩き出していた。
「……これは……」
言葉にならない感嘆が、喉の奥から漏れる。
「……すごいですね」
フェルンも、思わず息を呑んでいた。
理論的に理解しようとする思考が、圧倒的な情報量に追いつかない。
シュタルクは、そんな二人の様子を見て苦笑する。
「うわ……完全に目の色変わってるぞ」
フリーレンは、ふと立ち止まり、ぽつりと呟いた。
「……ここに、二百年くらい住もうかしら」
その場の空気が、一瞬だけ静止した。
シュタルクは肩をすくめる。
「いや、長ぇよ」
フェルンは一拍置いてから、静かに首を振った。
「……一ヶ月ですよ、フリーレン様」
フリーレンは少しだけ考え込むような顔をして、それから不服そうに頷いた。
「……仕方ないね」
その様子を、レノストは何も言わずに見ていた。
口元に、わずかな笑みを浮かべながら。
長らくお待たせしてしまい、申し訳ありません。
更新が止まっている間も「続き待ってます」とコメントをいただき、本当に励みになりました。ありがとうございます。
次回の更新は未定ですが、またお付き合いいただけたら嬉しいです。
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