どうもこんにちは、レノストです。
天空魔道図書館へフリーレン一行を招いてから、気付けば半年が経っていた。
時間の流れなんてものは不思議なもので、五千年近く生きていると半年なんて昨日の続きみたいなものだと思っていたんだけど、今回は案外そうでもなかった。
理由は簡単。
この半年、思っていた以上に新鮮だったからだ。
まずはフリーレン。
予想通りと言うべきか、魔道図書館へ住み着いた。
朝から晩まで魔導書を読み漁り、たまにオレやジブリールへ質問を投げ、また別の棚へ消えていく。
魔法使いという生き物は知識を前にすると本当に時間を忘れるらしい。
オレも人のこと言えないけど。
本人は隠しているつもりなんだろうけど、新しい魔導書を見つけた時だけ耳が少しだけ動く。
案外、分かりやすい………ゼーリエと一緒だなと思ったけど、機嫌を悪くしそうだから言わないでおこう。
まぁ、それでもオレへの警戒だけは全く解いてくれないんだけどね。
────魔族だから当然だけど。
元よりそこは期待していない。
こればっかりは時間が解決してくれるのを待つしかないのだ。
次にフェルン。
最初の頃こそ少し距離を置いていたが、今では早坂と一緒に厨房へ立つことが増えた。
最近は菓子作りまで教わっているらしく、二人で試作品を持ってきては味見役にされることもしばしば。
ちなみに、早坂はオレよりフェルンに甘い………というか態度が柔らかい。
いや、本当に。
オレが“もう少し甘さを控えた方がいいかな”と感想を言えば、“承知いたしました。次回の参考にいたします”と、いつものように丁寧に返してくれる。
もちろん、それで何も間違ってはいない。
主人の意見として受け止めてくれているのだから。
だけど、フェルンが焼き菓子を一口食べて、“……美味しいです”と素直に口にすると、“ありがとうございます”とそう言って、少しだけ嬉しそうに微笑むんだ。
……いや。主人であるオレにも、その笑顔を向けてくれてもいいんじゃないかなと思っちゃう。
まぁ、そう言う風に性格を設定したのはオレだし、フェルンや早坂もどこか楽しそうだから別にいいんだけど。
そして最後に────シュタルク。
問題児、という訳ではない。
むしろ、その逆だ。
あの子はあまりにも真面目だなと再認識した。
図書館へ来ても読む本はない。魔法が使えないのだから当然だ。
だから毎日、一人で素振りをしていた。
最初はオレのことを怖っているようだったし、距離を取っていたのだが。
けれど、三日目だったかな。
庭で暇そうに斧を振っている姿を見て、遠慮がちに声を掛けた。
「暇そうだね」
「いや……まぁな」
「やることがないのなら、オレと修行しない?」
その一言が、全ての始まりだった。
まさか半年も付き合ってくれるとは、その時のオレは思っていなかったけど。
◇◆◇◆◇◆
天空魔道図書館へ招いて三日目。
フリーレンは朝から図書館へ籠もり、フェルンは早坂と共に屋敷で菓子作りを学んでいた。
それぞれが、この場所で自分なりの時間を見つけ始めていた頃だった。
ただ一人、やることを見つけられずにいた者がいる。
シュタルクだった。
屋敷の庭先。
斧を握ったシュタルクは、汗を流しながら黙々と素振りを繰り返していた。
────振る。
────踏み込む。
────戻す。
それだけを、何度も。
旅の最中なら魔物との戦闘もある。
薪割りや荷運びといった力仕事もある。
だが、この天空魔道図書館では、そのどれも必要ない。
魔法使いであるフリーレンには図書館がある。
フェルンには早坂との菓子作りがある。
しかし、自分だけは違った。
戦士である以上、斧を振ることしかやることがない。
「……千九百九十八、千九百九十九──二千!」
最後の一振りを終えると、大きく息を吐く。
額から流れ落ちた汗が土を濡らした。
「今日も精が出るね」
背後から聞こえた穏やかな声に、シュタルクは肩を震わせる。
振り返ると、そこにはレノストが立っていた。
いつもの黒い外套姿。
敵意も威圧感もない。
それでも、魔族であるという事実だけは変わらない。
シュタルクは無意識に斧を握る手へ力を込めた。
「……あっ」
その様子に気付いたレノストは、小さく苦笑する。
「ごめんごめん。驚かせるつもりはなかったんだけど」
少し距離を空けるように一歩下がる。
それだけの仕草だったが警戒させまいとする、魔族らしからぬ配慮が感じられた。
「暇そうだね」
「いや……まぁ」
否定はしなかった。
図星だったからだ。
レノストは少しだけ考える素振りを見せ、それから穏やかに笑った。
「やることがないなら、オレと修行しない?」
突然の誘いに、シュタルクは目を丸くした。
「……俺と?」
「うん」
レノストは穏やかに頷く。
「フリーレンには魔道図書館がある。フェルンも早坂と楽しそうに過ごしてる」
一度言葉を切り、庭へ視線を向ける。
「でも、君だけは毎日ここで素振りをしてるだろ?」
「……まぁ」
「せっかくここまで来てもらったのに、退屈な時間を過ごさせるのは、招いた側として申し訳ないからね」
その言葉に、シュタルクは少しだけ目を瞬かせた。
魔族がそんなことを考えるものなのか。
思わずそんな疑問が頭をよぎる。
「もちろん、嫌なら断ってくれて構わない。無理に付き合わせるつもりはないよ」
そう言ってレノストは肩をすくめる。
どこまでも穏やかな態度だった。
シュタルクは少し考え、やがて小さく頷く。
「……確かに暇だったしな。お願いするよ」
レノストは安心したように微笑んだ。
「よかった。じゃあ、早速行こうか」
そう言って歩き出したレノストを、シュタルクは追い掛ける。
向かった先は、屋敷を囲む透明な結界だった。張られた透明な膜は、光の加減でかすかに揺らめいていた。
シュタルクも後に続こうとした、その時だった。
「ほう……とうとう始めるのじゃな」
頭上からどこか聞き覚えのある声が降ってきた。
見上げると、木の上で猫の小町が寝転がりながら二人を見下ろしていた。
頬杖をつき、三本の尻尾をゆらゆらと揺らしている。
「せいぜい頑張るのじゃ」
その声音には、どこか同情が混じっていた。
「……?」
意味が分からず首を傾げるシュタルク。
小町はそんな様子がおかしかったのか、小さく笑う。
「安心せい。死にはせぬ」
「いや、その言い方だと安心できないんだけど……」
思わず本音が漏れる。
レノストは困ったように頭を掻いた。
「小町、脅かさなくていいから」
「脅かしてなどおらん」
小町はけろりとした顔で肩をすくめる。
「妾も昔、同じように鍛えられたからの。今思い出しても、二度とやりたくない修行じゃ。百年くらい毎日逃げ出そうと思ったわ」
「そんなことを考えていたのか、小町」
レノストが呆れたように返す。
「百年も逃げてたら、修行どころじゃないでしょ」
「しつこくて細かい男は嫌われるぞ」
「その台詞、そのまま返すよ」
二人の軽妙なやり取りを見て、シュタルクは思わず目を丸くした。
魔族と魔物の会話とは思えない。
まるで、長年付き合いのある家族のようだった。
「……小町は無視して、行こうか」
レノストはそう言うと、結界へ向かって一歩踏み出した。
そのまま何事もなく光の膜を抜けていく。
シュタルクも続いて結界を越えた────その瞬間だった。
「っ……!」
肺が一気に重くなる。
胸が締め付けられるような息苦しさ。
思わず足を止め、荒く息を吐いた。
「な、なんだ……これ……!」
レノストは振り返ると、少しだけ申し訳なさそうに笑った。
「言うの忘れてた。ここ、雲よりずっと高い場所だからさ、結界の外は酸素がかなり薄いんだ」
シュタルクは乱れた呼吸を整えようと何度も深く息を吸う。
だが、吸っても吸っても肺が満たされる感覚がない。
胸が苦しい。
頭が少しぼんやりする。
「……こんな場所で、本当に修行なんてできるのか?」
息を切らしながら尋ねると、レノストは苦笑した。
「最初はみんなそう言うよ、オレもそうだった」
そう言って近くの岩へ腰を下ろす。
「安心して。今日は斧なんて振らせないから」
「え?」
「まずは身体をこの環境に慣らすところからだね」
シュタルクは思わず首を傾げた。
魔族との修行と言われれば、すぐに打ち合いが始まるものだと思っていた。
レノストは地面へ視線を落としながら続ける。
「ここは地上とは環境が違う。空気も薄いし、魔力濃度も違う。身体が順応していない状態で技術だけ教えても意味がないんだ。まずは土台、その上に技術を積み重ねる」
その口調は穏やかだった。
押し付けるでもなく、諭すようでもない。
ただ、自分が当然だと思っていることを説明しているだけだった。
「だから今日からしばらくは──」
レノストは笑う。
「走る」
「…………え?」
「走る」
「いや、だから」
「走る」
あまりにも真面目な顔で繰り返され、シュタルクは言葉を失った。
その様子を見ていた小町が木の上で吹き出す。
「くくっ……始まったの。最初の半月は、それしかさせてもらえんぞ」
「半月!?」
思わず叫ぶシュタルク。
「頑張ろうね!」
満面の笑みを浮かべながら、レノストは言う。
悪意がない。本当に、欠片もない。
だからこそ質が悪かった。
「ハ、ハハ………」
シュタルクは引きつった笑みを浮かべる。
(………あれ。俺、選択を間違えたか)
そんな考えが頭を過った。
もっとも、その答えを知るのは、もう目の前である。