────半月後。
「今日も対人訓練をしようか」
朝一番。
レノストの一言で、シュタルクの地獄の一日が始まる。
「はいはい……」
どこか投げやりな返事。
半月前なら考えられないほど、気の抜けた声だった。
もっとも、それだけこの修行にも慣れてきたということでもある。
最初の七日は、ただ走るだけだった。
結界の外へ出れば息が上がる。肺は焼けるように痛み、足は鉛のように重くなる。何度も地面に膝をつき、その度に荒い呼吸を繰り返した。
走って、倒れて、また走る。それだけの繰り返し。
何度倒れたか、もう覚えていない。
それでもレノストは、修行を止めなかった。
「休憩は五分ぐらい取ろうか。終わったら続きね」
その一言だけ。
励ますでもなく、急かすでもなく。
ただ当たり前のように次を促してくる。
(こいつは魔族じゃなくて、鬼だ)
なんて心の中で思ったりもした。
だが、その修行は決して根性論ではなかった。
呼吸の仕方。
力の抜き方。
身体へ酸素を効率よく巡らせるための動き。
苦しさの原因を一つずつ潰しながら、少しずつ身体を慣らしていく。
そして七日目。
シュタルクは、ある程度この環境に順応し始めていた。
もちろん、万全とは言えない。地上と同じように動けるわけでもない。それでも、最初のように数十歩で足が止まることはなくなっていた。
「……もうここまで動けるようになるとはのう」
木の枝へ寝転がっていた小町が、珍しく目を丸くしてそう呟いた。
レノストもまた、少しだけ驚いたようにシュタルクを見ていた。
「いや、これはすごいね」
「そうなのか?」
「普通なら、まだ走れるどころじゃないからのう」
レノストは納得したように頷く。
「知っているつもりだったけど……君、肉体面に関しては天賦の才があるよ」
「そ、そうか?」
褒められることに慣れていないシュタルクは、少し照れくさそうに頬を掻いた。
ただ、それでも苦しいものは苦しい。
毎日筋肉痛だし、朝起きる度に身体中が悲鳴を上げている。
才能なんて言葉より、「もう休ませてくれ」の方がずっとしっくりくる。
だが、身体は確かに変わっていた。
それからさらに数日。
走るだけだった修行は、少しずつ形を変えていった。
結界の外を走ることが当たり前になり。
重い斧を振るっても息は乱れにくくなった。
そして修行は、そこからさらに厳しさを増した。
走り、筋力を鍛える。
木剣と交える対人訓練。
レノストは容赦なく叩きのめしてくる。
だが、その度に必ず理由を教えてくれた。
「防御は上手い。でも受けることを前提にしすぎてる」
「もっと避けることを覚えた方がいい、今は君の周りに守らなければならない仲間はいないよ」
「武器だけを見ちゃ駄目だ。拳も、肘も、膝も、頭も、全身が武器なんだよ」
その助言は、驚くほど的確だった。
言われた通りに意識を変えるだけで、身体の動きが少しずつ変わっていく。
厳しいし、容赦もない。
それでもシュタルクには、半月の間で一つだけ分かったことがあった。
レノストは、決して無茶だけはさせない。
限界を見極め、倒れる前に止める。
危険な癖を見つければ、その日のうちに直させる。
それは勝つためというより、生き残るための戦い方だった。
レノストの狙いは、シュタルクを強くさせたいだけではない。
────正確には生き残らせたいのだ。
だからこそ、甘さがない。
だからこそ、一つ一つの指摘に無駄がない。
(……面倒見はいいんだよな)
斧を肩へ担ぎ直し、シュタルクは小さく息を吐く。
(だから余計にタチが悪い………このクソジジイ)
もちろん、口には出さない。
出したところで、きっとあの魔族には笑って受け流されるだけだと、この半月でよく分かっているのだから。
「さて」
レノストが木剣を肩に担ぐ。
「今日は、現時点でシュタルクが出せる一番強い一撃を見せてほしい」
「一番強い一撃?」
「うん。受けるから、遠慮なく来ていいよ」
その言葉に、シュタルクは斧を握る手に力を込めた。
この半月────走って、鍛えて、叩きのめされて。
その全てをぶつけるつもりで、深く息を吸う。
「……いくぞ」
「うん」
レノストは穏やかに頷いた。
シュタルクは大きく踏み込む。
足裏が地面を噛み、腰が沈む。
全身の力を一本の軌道へ乗せる。
斧が振り上がる。
それは、かつてアイゼンが古き戦士から受け継ぎ、シュタルクに渡った大技だった。
力任せではない。
踏み込み、腰、肩、腕。
身体の全てを一つに繋げ、ただ前へと叩き込む一撃。
「───“威国”ッ!!」
空気が裂けた。
轟音と共に、斧が振り抜かれる。
レノストは木剣で受け流そうとした。
だが、その瞬間。
「……っ」
彼の表情が、初めて変わった。
受け止めた木剣がわずかに軋む。
踏み込み。
軌道。
力の乗せ方。
それは、知っているものだった。
────何故なら。
「……その技」
小さく漏れた声。
シュタルクは斧を下ろし、息を整えながら首を傾げる。
「知ってるのか?」
レノストはすぐには答えなかった。
その視線は、シュタルクではなく、もっと遠くを見ていた。
遥か昔。
千年以上前の記憶。
焼け落ちた村。
煙の臭い。
瓦礫のそばで震えていた、一人の少年。
『兄ちゃん……俺、強くなりたい。生きたいんだ』
レノストは、その少年を連れて旅をした。
まだ転移魔法を習得する前。
エーヴィヒの墓を掃除し、帰るまでの長い道中。
たった二年ほどの旅だった。
身を守る技を教えた。
野営を教えた。
魔物から逃げる方法を教えた。
人を見る目を教えた。
何より、生き残るための戦い方を教えた。
旅の終わり。
少年はもう、一人で歩けるだけの強さを得ていた。
『オレはここまで。ここからは、自分の足で歩いていくことになる』
────頑張ってね。
そう言って別れた。
その少年がどう生きたのか、レノストは知らない。
だが今。
目の前で、同じ軌跡が振るわれていた。
(……そうか。繋いでいたんだな)
二年という短い旅。
生きるためだけに教えたロマンは、長い年月を越えて、今も誰かの手に残っていた。
「レノスト?」
シュタルクの声で、レノストは我に返る。
「ああ、ごめん」
レノストは小さく笑った。
「少し、昔を思い出してただけだよ」
その表情は、どこか懐かしそうだった。
シュタルクには、その意味までは分からない。
だが、いつもの軽い笑みとは違うことだけは分かった。
「その技、アイゼンさんに?」
「ああ。師匠に教わった」
「そっか」
レノストは静かに頷く。
「いい技だね」
「……そうか?」
「うん。とてもいい技だ」
そう言って、レノストは木剣を構え直した。
「じゃあ、もう一回」
「え?」
「今の一撃、悪くなかった。でも腰の入り方が少し浅い。あと踏み込みの時に肩へ力が入りすぎてる」
「いや、今いい雰囲気だっただろ!?」
「いい雰囲気と修行は別だよ」
小町が木の上で腹を抱えて笑う。
「くくっ……やはり容赦ないのう」
シュタルクは引きつった笑みを浮かべながら、斧を構え直した。
(やっぱりこのクソジジイ……容赦ねぇ)
だが、不思議とそこまで嫌ではなかった。
この修行の先に、自分がまだ知らない強さがある。
それだけは、半月の間で嫌というほど分かっていたからだ。
────修行後
「今日はここまで」
「……終わったぁ」
シュタルクはその場へ大の字になって倒れ込んだ。
「情けないのう」
木の枝から小町が飛び降りる。
「妾など、その程度では倒れなんだぞ」
「嘘つけ……」
「嘘じゃ」
「…………」
「おい」
レノストは思わず吹き出した。
「仲良くなったね、二人とも」
「誰がこいつと!」「誰が小僧と!」
二人の声が綺麗に重なる。
その様子を見て、レノストはどこか嬉しそうに笑った。