ようこそ一之瀬帆波の幼馴染がいる教室へ   作:クリスマン

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Dクラスがあまりにもひどすぎる、詰んでる、須藤バイバイという旨の感想が多く寄せられていますね。
今回はそれに対するアンサーとなります。絶望的な状況にあるDクラスをまとめ、引っ張っていくのは──


綾小路清隆の傍観/堀北鈴音の挑戦

完全に坂柳に目をつけられたことに、オレは心底から勘弁してほしいと感じていた。

 

なんなんだ?あいつは。オレを幼馴染だと言うがオレはその姿も影も形も見たことなんかない。声も知らないし名前も知らなかった。そもそも坂柳はいつオレの存在を知ったんだ?

 

…いや、考えるまでもない。ホワイトルームか。

 

オレの記憶のほとんどはホワイトルームで構成されている。九郎たちとの思い出が鮮烈すぎて少し過去のことがあやふやになってきているが、冷静に見つめ直せば未だオレの世界には白が多い。もちろんそれも間もなく色づいていくだろうが…。

 

『あの白い部屋のよう』という例えを用いた坂柳は、どう考えてもホワイトルームのことを知っているだろう。上辺だけではなく、その実情も全て。だからこそオレも奴がオレを連れ戻すために早速刺客を作ったのか、と疑ったのだが彼女にオレをホワイトルームへ送り返す気はないようだった。代わりに変なことばかり言ってきて頭が痛くなった。

 

あっちはオレを一方的に知っているようだがオレはあっちのことなんて何一つ知らない。それで終わるならまだしも何故か坂柳はお互いが既知の仲であると思い込んでいた。しかもただ知り合いなのではなく幼馴染だと主張していた。

幼馴染ということは、それこそ一般家庭で言えば保育園や小学校低学年ぐらいからの関係になってきそうだが、何度も言うようにオレは坂柳のことなんて知らない。ついこの間呼び出されるまで存在さえ知らなかった。でも、坂柳は自分が絶対に正しい、忘れているなんてひどい、自分との思い出を簡単に忘れるなんておかしい、と駄々をこねる子供のように喚いていた。

わけがわからない。なぜこんなことになってしまったんだ。

 

見た目だけなら人形のような美しさを湛えているが、あんな異常性を見せつけられては恐怖と忌避感しか湧いてこない。せっかくあんなに可愛い容姿なのに、ままならないものだな。

 

神崎と九郎に話したら、神崎からは深い同情をもらえたが九郎はものすごく微妙な表情だった。坂柳のことを知っているのだろうか?その時はそう思ったが、後からそれは間違いだったとわかった。

 

話を移そう。

クラス闘争にオレは全く興味はないが、Bクラスと交流を続けるにあたって今の状況は好ましくない。だからBクラスの教室の前で、オレは本心をもって宣言した。自分はお前たちと争う気はないと。

正直受け入れてもらえなくても仕方ないよなと思っていた。だが、一之瀬が許してくれたことによりオレはこれまで通りの時間を過ごせることになったのだ。

 

一之瀬は優しいやつだな。疑うのが普通だろうに、オレを信じてくれたんだ。

 

それから昼休みになって三人でテーブルを囲み食事と談笑を楽しんでいたのだが、そこで面倒くさいのに捕まった。

 

坂柳だ。

 

相変わらず気持ち悪いことばかり言ってきて頭が変になりそうだった。こっちがいくら否定しても坂柳には通じない。それどころかオレの方が間違ってるのではという気さえしてくる。愛のエデンって何なんだ本当に。

 

坂柳は九郎に用があったらしく、なんと宣戦布告した。在学中に九郎を排除すると。正直かなり不快だったが、坂柳に関わるのはもっと嫌だったので黙っていた。

しばし火花を散らしていたものの坂柳が『一之瀬と九郎は幼馴染である』と発言したことを機に流れが変わる。また妄言を口にしてるぞ…と思っていたが、九郎の反応を見るとどうやら本当に二人は幼馴染らしい。九郎の機嫌はたちまち悪くなり、話を強引にぶち切って坂柳を挑発した後、オレたちを連れて図書館へ移動した。

 

坂柳に絡まれて楽しい気分がぶち壊しになってしまったが、少し良いこともあった。

椎名ひより、という女子生徒と知り合えたからだ。

 

今のところオレにとって、胸を張って友人だと言える存在は九郎と神崎の二人だけだ。それ自体はなんてことはないが、まあ、言ってしまえば花がなかった。別にいいんだぞ、本当に。だって楽しいしな。不満はない。

だが、ここでまさか女子生徒とお近づきになれるとは予想外の展開で(坂柳はノーカン)、オレはテンションが上がっていた。しかもひよりはすごく可愛い。うるさくないし、突っぱねてきたりしないし、意味不明なことも言わない。この学校に入学してからオレはいいことづくめだ。坂柳なんていなかったんだそうに違いない。

 

読書という共通の趣味により、オレと彼女は初対面なのに結構話が弾んだのだが…ひよりはよほどの本好きなのか、本のことになると話が止まらなくなる。

しかも熱意と勢いもすごくて、オレは気づけばグイグイと物理的にも精神的にも押し込まれていた。

言ってることはわかるし面白いとも思うが、ちょっと…クールダウンしてほしい、と思っていてもひよりは止まらなかった。正確には一度は落ち着いたんだが、すぐまた加熱してしまった。

 

ひよりの猛攻に困っていると、神崎がこちらを見ているのに気がついた。オレはアイコンタクトで助けを求めたが、九郎が神崎を止めやがった…おっと、口が悪くなってしまった。

最終的にオレは友人たちの生温かい視線を浴びながら、ひよりによってミステリー小説のコーナーへ連行され、その後はずっとひよりに拘束され続けてしまった。

 

まあ、それでもやっぱりひよりは可愛いし、連絡先も交換できたので、これは良しとするか。とはいえこの日以降昼休みや放課後になると大体ひよりに捕まってしまうことになるのは予想してなかったけどな。

オレだけ毎回ひよりに捕まって九郎たちはその間遊び呆けるなんてことは気に入らないので、オレはある日ひよりに九郎たちの存在をチクった。あと、オレより本好きだと話を盛ってやった。

その結果、九郎たちも捕まり始めた。スカッとジャパンとはこのことだ。

 

オレが話を盛ったのがバレた時にひよりが少し悲しそうだったのでそのことは罪悪感が湧いた。ここは反省点だな。

 

ただわからないことが一つある。九郎たちはなぜかオレとひよりを二人きりにさせたがるというか、物理的距離をなるべく近づけようとする。

たとえば机を囲んで読書タイムに耽る時、オレの隣にひよりが来るようにするとかだ。

 

そんなことをしているうちに中間テストが迫ってきた。神崎はBクラスのサブリーダー格なので勉強会に参加することが多くなり、オレたちと一緒にいる時間が減ってしまった。そんな中でも九郎はいつも通りだが。やはりあいつもオレと同じようにクラス闘争に興味がないらしい。

 

そして中間が一週間後に迫ったある日、オレはいつも通り図書館でひよりとミステリー小説の辺りをうろついて本を読んでいたのだが、何やら騒がしくなっているのを聞きつけてこっそり覗いてみることにした。ちなみにひよりは全く気づいていないのか、もしくは気づいた上でガン無視しているのか、どちらにせよ相変わらず読書していた。

 

気配を殺して覗いてみると、どうやら須藤と…別クラスの生徒が言い争いをしてるらしいな。あいつら何やってんだ。

口論は加熱していき、喋っているのは二人だけだというのに周りにいる全ての人間から注目を集めていることから相当うるさいことがわかる。

 

止めようと思ったのだろう、別の席にいた一之瀬が立ち上がった瞬間、九郎が一之瀬より早く割って入り、二人を正論で叩きのめした。実際の言い方はかなり悪いが。前から思っていたが九郎は口が悪いな。昔ヤンチャしていたと聞いたことがあるが、その名残だろうか。

口論を止めた九郎はオレのいるところまで歩いてきて、『今日はもう帰って部屋で遊ぼうぜ』と言ってくれた。神崎にも連絡は済ませているらしい。早いな。

オレはひよりに断りを入れて、その日の残りは九郎の部屋で過ごした。後から神崎も合流してきてトランプをやったが、今回はオレの勝ちでウハウハ気分を味わえた。

 

…そういえば堀北が九郎に話しかけていたが、いつ知り合ったんだろうか。それに最近の彼女はどこからしくない雰囲気だ。具体的に言うと、迷いが見える。あのツンケンした態度はどこへやら、多少毒舌はあっても絶対的な拒否の意思が薄れてきているように感じる。

事実、平田と櫛田と堀北が主導して勉強会をやっているようだが今のところ問題はないらしいしな。例の三馬鹿相手に堀北が額を抑えつつも根気よく教えているのは正直意外だった。その甲斐あってか、少しずつではあるが確実に学力もついてきてると小耳に挟んでいる。一体彼女にどのような変化があったのだろうか。

 

だがいくら考えても答えは出なかったので、オレは明日に備えて床に就いた。

それから二日後、驚くべき出来事があった。

 

堀北が過去問を全員に配り、これまでの態度を謝罪したのだ。

 

過去問を手に入れてきたということも驚いたが、それ以上にクラスメイトの前で頭を下げたことにオレは驚いていた。

堀北は教壇の前で今まで自分がとってきた態度がいかに愚かであったか、自分のやり方が間違っていたかを反省する旨の話をして、真っ直ぐに謝罪した。

傷口を自ら抉るようなものだろうに、それでも堀北は逃げず、ごまかさず、事実のみを述べ、非を認め、間違いを正していくからAクラスに上がれるよう力を貸してほしい、と頼んだのだ。

本当に彼女に何があったのか。よほど衝撃的なことがあったのか。

 

さらに堀北の話はそれだけで終わらず、テストで高得点を取ればボーナスポイントを得られるという情報も告げてクラスメイトたちのモチベーションを引き上げた。ただでさえゼロポイントで困窮している中、自分の努力次第でボーナスを獲得できるかもしれないと聞いてやる気が出ない奴はいないだろう。

 

そうした彼女の行動にクラス全体が大きく沸いた。彼女は受け入れられ、認められると同時にDクラスの実質的なリーダーとして君臨することになるだろう。実際堀北以外にリーダーが務まりそうなのは平田や櫛田ぐらいだが、あまり適性があるとは思えないしな。

 

一体堀北の考え方にどのような変化が生じたのかはわからないが、正直言って感心した。Dクラスをどうでもいいものと思っているのは今も変わらないが、それはそれとして見どころがないわけでもないのか、とは感じた。ぼんやり眺めている分には面白いものも見られるかもしれないな。

そういう面では、Dクラスも価値があるか。

 

ついに訪れた中間テスト。結果は後日出るが、周りからは自信を感じさせる言葉が多く聞こえてきた。あの三馬鹿も確かな手応えがあったらしく、絶対大丈夫だと励まし合っていた。そこに不安感はなかった。

ちなみにオレはオール満点だと確信している。おそらく高円寺もいけるだろうな。堀北も可能性は高い。

 

そしてとうとうテスト返却の時が来た。結果発表では、やはりオレと高円寺が全教科満点。次点で堀北だったが、英語99点、他は全て満点という結果から察するにケアレスミスといったところだろう。かなり悔しそうだったな。

しかし最も驚くべきは須藤の点数で、最低でも75点と四月の抜き打ちテストの結果は手を抜いていたのかと思うような追い上げ力を見せつけた。最低点は山内だったがそれでも最低が65点以上だ。いくら過去問の暗記に力を入れていたとはいえ、これは予想以上だったな。

 

そして茶柱先生が赤点の仕組みを明かし、平均点を出したがまたしても驚くべきことに赤点は出なかった。クラス全員、大喜びだった。

全体の点数が大きく向上したため必然的に平均点がかなり引き上がったが、それでも赤点が出ることなく中間を乗り切ったという事実はDクラスの生徒に大きな自信を与えただろう。

 

そしてこの中間の結果により、堀北のリーダー性は示された。これからは堀北がこのクラスを仕切ることになると見て間違いない。どんな心境の変化があったのかは謎だが、少なくともこのクラスにとってそれが悪いものではないのは確かだ。

 

それから時が経ち、七月に突入した。中間であれほどの結果を出せば多少なりとも学校からの評価は上がり、クラスポイントが増えて収入も得られそうなものだったが、なぜかポイントが振り込まれていなかった。

そのことにDクラスに限らずクラス全体が騒ついていたが、茶柱先生が来るとそれも静まる。

 

「先生、ポイントが振り込まれていないのは僕たちだけじゃないみたいなんですが、何かあったんですか?」

 

代表して平田が問う。平田の質問に先生は一息ついて、説明を始めた。

 

「その件だが、先日須藤とBクラスの悪原九郎との間でトラブルが発生した。内容としては、須藤が悪原の顔面を殴ったというものだ。結論はまだ出ていないが、結果によっては須藤は停学処分を受ける可能性がある」

 

その説明に大きな騒めきが再び生まれた。近くの席の生徒同士、顔を見合わせていろいろ話している。

昨日はひよりと図書館で本を読んでいた。九郎はどうやら一之瀬に呼び出されたらしいのでその日は一緒にいなかったのだが、そんなことが起こっていたのか。どうりで今朝悪原がいなかったわけだ。

 

「なぜ結論がまだ出ていないんでしょうか?」

 

今度は堀北が手を挙げて質問する。彼女を見て、先生がそこの説明をする。

 

「実は、訴え出たのがBクラスの一之瀬帆波でな。悪原が最初に訴えたのではない。そして互いの主張だが、須藤はCクラスの小宮たちに呼び出されて向かったところなぜかそこに悪原がおり、口論になったのち喧嘩が始まった瞬間に突然一之瀬が現れて先に殴ってしまう結果になったと説明している。そして一之瀬は須藤が無防備な悪原を一方的に殴りつけたと主張している。悪原の主張は概ね須藤と同じものだが、非があったのは自分だと言っている。しかし一之瀬がそれを強く否定している」

 

「微妙に主張が異なっていて判断が難しい。事件が起きたのは特別棟で、監視カメラがないので確認もできない。だがとにかく、被害者ではなく居合わせただけの一之瀬が誰よりも騒いでいることがこの話をややこしくしている最大の原因だ。しかし一之瀬がその場にいたのは事実であり、目撃者の意見を無視することもできない。事件が解決するまでポイントは振り込まれないことを理解してもらいたい。それと、もし他に目撃者がいたなら名乗り出てほしい」

 

思ったよりずっと面倒くさそうな話だ。目撃者は出てこないが、ポイントが振り込まれないということにクラスから不満の声が上がる。

しかし須藤のやつ本当に何やってるんだ?心の中に熱くてせり上がってくるような何かが生まれ、オレは今とても不愉快だった。

隣の堀北を見ると、実に苦しそうに額を抑えていた。そうだろうな、あれだけサポートしてやった奴が問題を起こせばまあそうなる。しかも停学となればクラスポイントがマイナスになる可能性も充分に考えられる。

場合によってはオレも今回はBクラスに裏で協力して須藤を潰すことも考えるべきか。だが一番このことを騒いでいるのは一之瀬だというし、九郎の微妙に須藤を庇うような証言から大事にはしたくないと思っている可能性が高い。もしその可能性が正しかったなら、もちろんそれに従って須藤を潰すのはやめるつもりだ。とにかく今は様子を見なくちゃいけない。

今日はひよりとの読書は無しだ。どちらにせよDクラスに肩入れはしないが、放課後になったらすぐ九郎の部屋を訪ねよう。

 

 

 

 

 

 

 

堀北鈴音の挑戦

 

 

「お前はAクラスには辿り着けない。それどころか、クラスも崩壊するだろう。この学校はお前が考えているほど甘いところではない」

 

堀北学──私、堀北鈴音の実兄が紡いだ言葉が、胸の奥に深く深く突き刺さる。

氷のように冷たい眼差し、突き放すような言葉、期待も失望もされていない、からっぽな感情を尊敬する兄から向けられ、私は歯を食いしばることしかできなかった。

 

そのようなことはありません、と否定するわけでもなく。

すべてあなたの言う通りです、と肯定するわけでもなく。

 

私はただただ黙って俯いて、地面を見ていた。それしかできていなかった。客観視するまでもなく、あまりにも惨めな自分の無様な有様に、目頭が熱くなった。

 

昔から兄はできる人だった。学、という名に恥じず様々な学問を修め、武道でも優秀な成績を残し、おまけに人格者だ。文武両道とは兄のために作られた言葉のようだとさえ思える。

 

私はそんな兄に憧れた。兄のようになりたい、妹として兄の恥にならない…誇りに思ってもらえるような人間になってみせる、そんなことを思って私は兄と同じように色んな習い事に手を出した。

 

でも、兄に追いつくことは未だできていない。優秀だとは言ってもらえる。実際、周りよりはできる。勉強、武道、共に周りより優れた成績を残してきた。

けどそこまで止まり。本当に優秀と言われるべきは常に兄の方だった。優れていると言ったって決定的な差があるわけじゃなかったのだ。誰かが覆そうとすれば覆せるような、危うい世界に私は立っていた。

他の誰もそんな気概はなかっただけ。自分に貼られている『優等生』のレッテルが、いつ剥がれ落ちてもおかしくないものなのは私自身がいつだって誰よりも痛感していた。

 

片手を捕まれている今の私は、宙ぶらりんのような状態。力に差がありすぎる。振り解くことなんてできやしない。仮に抵抗するとしても私じゃ兄には一撃見舞うことさえ叶わないだろう。

自分の弱さ、兄の冷徹な言葉に打ちのめされる。

 

「俺の方がどんなにお前を避けたところで、俺の妹であることに変わりはない。お前のことが知られれば、恥をかくことになるのはこの俺だ。今すぐこの学校から立ち去れ」

 

昔から、私は兄にとって誇れる家族でありたかった。だと言うのに、今の私は兄にとって恥でしかないと、尊敬する兄自身から告げられた。その現実を受け、ここでようやっと、私は顔を上げてまともに兄の顔を見て言い返す。

 

「で…できません……っ、私は、私は絶対に、Aクラスに上がってみせますっ……!!」

 

それが反論にもなっていない、ただ駄々をこねているだけでしかないのは私が一番よくわかっていた。言い終えて、悔しくて歯を食いしばる。

 

「本当に愚かだな。昔のように痛い目を見ておくか?」

 

「兄さん、私はっ」

 

「お前には上を目指す力も、資格もない。それを知れ」

 

ぐい、と私の世界は急に加速する。次の瞬間何が起こるのかは予想がついていた。

 

──でも、実際の結果は私の予想外だった。

 

「生徒会長さんが暴力か。この学校、ほんと予測がつかねえな」

 

聞き覚えのない声。加速したはずの世界が停止する。

兄につられるように見てみると、そこには体格が良く、毛先が青に染められているガラの悪そうな男子生徒が立っていた。

 

「…お前は確か…いや、まずなぜこんなところにいる?私たちの話を聞い──」

 

兄が言い終える前にその男子生徒は携帯を突き出す。何を伝えたいのかは明白だった。

 

「……なるほど」

 

全てを理解した兄は静かに目を閉じ、すぐに開いて、私から手を離した。

 

「100万もやれば満足か?」

 

「少ないっすね。歴代最優の生徒会長さんが口止めに100万ぽっちすか?」

 

「ふ、学校からは300万出たんだったな。ならば私も同額を渡そう」

 

100万渡されると聞いて『少ない』なんて宣った男子生徒の思考もだが、それを面白がる兄のこともわからない。学校から300万って、何の話なの?まるでわからない。

 

ポイントが振り込まれたのか、男子生徒は端末を確認して鼻で笑ったあと、ふてぶてしい態度で兄を油断なく睨んだ。

 

「てか俺のこと知ってるんすね」

 

「生徒会長は教師ほどではなくともある程度の権限があり、情報も入ってくる。入学して二日目にSシステム、Aクラスの特権、さらにクラス分けの真相を暴いた奴がいると聞いてな。名前と所属クラス、あの抜き打ちテストの結果、口座ぐらいはすでにわかっている」

 

「口座も?そいつは恐ろしいすね、知らない間に引き出されたり、なんて」

 

「それは不可能だ。可能なのは確認と振り込みのみで、強制的に引き出すことはできない」

 

兄の言っていることなのだから嘘など混じっていないはずなのに、それでも私はその時耳を疑った。

五月初日に明かされたSシステムの真相。Aクラスの特権。クラス分けの真実。そのすべてを、この男子生徒は入学二日目に見抜いたのだという。

にわかには信じ難いが、それでも事実なのだろう。兄がそんな嘘をつくはずがないし、理由もない。仮に私を追い詰めるための嘘だとしても、それに巻き込まれる形となったはずの男子生徒の方が訝しむような様子を見せていない。また、共謀しているとしてもわざわざ彼を選ぶ理由がないし、無作為に選んだのだとしてもまずあの兄が無関係な他人を巻き込むような真似をするはずがない。

 

無様に地べたに手をついている今の姿を思いっきり見られていることも気にならないぐらい、今の私は暗い気分だった。

 

「では、なぜこんなところにいるのか答えてもらおうか」

 

「パシリですよ。ゲームに負けましてね」

 

「ほとんどの店はこの時間になると閉まっているし、コンビニに行くにしてももっと近い道があるが?」

 

「道を覚えるのが苦手なんすよ。それに夜の風景って普段とはまるで違いますからね、散歩も兼ねて…ってわけです」

 

「ふっ…ならば、そういうことにしておこう」

 

静かに笑った兄に対し、『本当にそうなんですけどね!』と、男子生徒は不機嫌そうに口を尖らせた。

 

「もう私の用事は済んだ。これで立ち去るとしよう。悪原九郎、お前には期待しているぞ」

 

あっさりと兄は引き下がり、そのまま宣言通り立ち去っていく音が微かに聞こえてくる。

私も彼もしばらく兄が去っていった方を見ていたが、不意に男子生徒の方が私に視線を寄越してきた。

 

「あんた、大丈夫かよ」

 

口では心配しながらも、へたり込んでいるままの私に手を貸す様子はない。たぶん、私が先程までのやりとりに意識を持って行かれてポカンとしていただけなのを理解しているのだろう。なんとなく、そう思った。

 

「……ええ、大丈夫。心配はいらないわ」

 

「そうか」

 

私が手のひらや足についた小石などのゴミを払い落としながら立ち上がったのを確かめると、男子生徒はもう用はないと言わんばかりにそれだけ言ってその場を立ち去ろうとした、

 

「待って」

 

が。私は彼が帰る前に話をしたいと思って、声をかけた。『なんだよ』と言いたげに彼は振り向く。

長話をする気はない。彼もそれを望んではいないだろう。私は私が彼に聞きたいことを、ただ口にする。

 

「なぜ…Sシステムのことも、Aクラスの特権も、クラス分けのこともわかったの?」

 

「調べたからだ。クラス分けはボーナスチャンスとして教師からクイズの形で出されたから違うが」

 

私が思いもしなかったことをどうやって見抜いたのか。それは調べたからだと。ただそれだけだという。多少疑うだけで終わった私と、疑いを疑いのままにせず動いた彼。その差は歴然だ。兄が期待している、と言う程だと私は普段なら絶対に認めなかっただろうに、今は静かにそのことを受け止め、考えた。

 

「この学校で受け身でいるのはバカのやることだぜ。あんたもわかっただろ」

 

そうね。その通りだわ。

さっき兄が言っていたことを、今まさに言葉ではなく心で理解する。Dクラスに配属されたことに不満を持っていた先刻までの自分が、これ以上ないほどに愚かで、見ていられないような生き恥を晒していたことを認識する。

 

「…私は、堀北鈴音。あなたの名前を…教えてくれるかしら」

 

初めて名前を知りたいと思った。目指したい目標になったから。今の環境において、学校の全てを知り尽くしているであろう兄と違い、彼は自分と同じ立場。それでも差があるのは、単純な能力差。実力差。

端的に言えば、より身近な格上を、超えたいと思った。

 

「…俺は悪原九郎だ」

 

──悪原…九郎。

そう、あなただったのね。綾小路くんが、度々口にする人。

その綾小路くんも昨日の抜き打ちテストで唯一の満点を達成していたけれど、あなたが友人だったのなら、そんなに異常なことでもないのかもしれないわね。

 

「ええ。私は必ずAクラスに上がってみせる。…あなたに、勝つわ」

 

「そうか。待ってるぜ。頑張れよ」

 

それで会話は終わり、私は寮に戻って思考を深めた。

 

今までの自分がどんなに愚かであり、矮小な人間だったかを思い知った私は、これまでにないほど過酷な闘争へ挑戦し、そして勝利してみせると決意するのだった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

しばし時が経ち、中間テストが迫っている辺り。私は自らが起こした行動の結果に概ね満足する。

まず人を拒絶するのをやめた。情けないことにうまい付き合い方がわからないのでまだ完全にではないが、なるべく意識して壁を取り払ってみることにしたのだ。

すると、ちょっとだけ、会話ができるようになった。周りの人からの目が、ちょっとだけ優しいものになってきた気がする。

そして、それを悪くないと思っている自分がいる。

 

もう一つはポイントの稼ぎ方だ。

以前綾小路くんが協力拒否宣言をした時、ポイントを稼ぐ手ならある、と言っていたことを思い出し、私なりに模索していたところアルバイトや道場破りが存在することを突き止めた。

そして柔道部で先輩たちに挑戦状を叩きつけることでそれなりにポイントを稼ぐことにも成功した。最後の一戦だけは負けてしまい、それまでに勝ち取ったポイントを半分以上持っていかれてしまったが確実に儲けることができたのと、それが可能だったとわかっただけで充分だ。

 

次に各クラスのリーダー情報。ほとんどは盗み聞きだが、どうやらAクラスでは派閥闘争が発生しているらしく、坂柳という女子生徒が過激派、葛城という男子生徒が保守派でクラス真っ二つと聞いた。

悪原くんのいるBクラスは一之瀬という生徒がリーダーとなっている。私も名前は聞いたことがあるし見かけたことがある。誰一人として彼女がリーダーを務めていることに不満がないようで、Bクラスの生徒から一之瀬さんに対する文句を聞いたことはない。彼女の求心力の高さが窺える。

次点のCクラス、ここはどうやら龍園という生徒の独裁状態らしい。詳しいことはわからないがおそらくは力による恐怖政治。以前文句を言っているCクラスの女子生徒を見かけたことがある。

 

おそらく今最も強いのはBクラスだと考えておいた方がよさそうだ。この短期間ですでにクラス全員の支持を得ているのだから。結束力が強く、内輪揉めはまずないと考えられる。さらにBというランクから考えて個々の能力が平均して高いと予想できる。

全く厄介な相手ね。でも、それだけに勝ち甲斐がある。

 

そして私がいるDクラス…ハッキリ言ってしまうと有象無象、余り物の寄せ集めと言った感じ。

でも見どころがないわけじゃなくて、本当に不良品の集まりなのかと思えるところはある。

たとえば綾小路くん。水泳の授業で見せた驚異的な身体能力と、例の抜き打ちテストを全問正答していた学力から考えて彼の実力は学年最高峰だと予想できる。なのになぜかDクラス。何か理由がありそうなものだけれど。

さらに高円寺くん。彼はおそらくこの学校で最も自由な人だ。自分のやりたいことをやる。メリットがない限り、誰の言うことにも従わないだろう。唯我独尊とはいえクラスにとってマイナスになるようなことをしないのはありがたいが、しかしその自由っぷりを加味しても驚嘆に値する彼の能力は魅力的だ。綾小路くんと異なり、ポイントさえ出せばある程度は動いてもらえるのではないかという期待も持てる。

次に平田くんや櫛田さん。この二人は今のDクラスのまとめ役といったところで、平田くんが女子生徒を、櫛田さんが男子生徒をというような形になっている。二人とも学力は平均より上で、特に平田くんは運動もできる。櫛田さんは能力こそ平田くんに一歩譲るが、そのコミュニケーション能力の高さとそこからくる交友関係の広さ、すなわち情報網は他の追随を許さない。その面では学年でもトップを争えるだろう。

その他にも幸村くんなど、優秀なのになぜかDクラスに放り込まれている生徒は存在する。

クラス全体のバランスを考えてのことなのか、流石に全てが不良品では勝ち目がないと学校もわかっているからこそ一部優れた能力を持つ生徒をDクラスに入れたのか。

 

今はこの疑問の答えを出せそうにない。ひとまず思考を切り替えよう。

 

今私がすべきことは、中間テストに備えて全員の学力を上げることだ。そのために平田くんに頼み(悔しいことだけど今の私には発言力がない)、さらに櫛田さんに協力を仰いで勉強会を開いているのだから。

 

まあそれ自体は順調なのだけれど…山内くん、池くん、須藤くんの三人が一番手がかかるのよね。

あの時先生は『中学校で何を習ってきた』と言っていたけど、この三人にはその言葉がこれ以上ないほど刺さる。

 

以前までの私だったら脳の血管が切れて倒れていたかもしれないとさえ思うほどに彼らの学力は壊滅的だったけども、まず基礎から根気よく教え直すことで少しずつ力がついてきた。と信じたい。

 

ある日図書館で勉強会をしていたところ、Cクラスの生徒が絡んできてそれに須藤くんが食ってかかったのだが、悪原くんが(やや強引に)割り込んで話を終わらせたことにより最悪の事態は免れた。その際ついでに彼に『なぜ綾小路くんと友達になったのか』を訊いてみたが、正直ほとんど予想の通りだった。この質問は念のために聞いておきたかっただけで深い意味はない。ただ、真の実力者は同じ実力者を見抜けるものなのだろうか、と思っただけ。

 

この時一之瀬さんからテスト範囲の変更を聞かされた時は、正直焦ったわね。なんで先生は伝えてくれなかったのかしら。

 

今のあの三人の学力でテストを乗り越えるのは無理だ。そう判断した私はすぐさま行動に出て、いつも通り柔道部で上級生に挑戦した。普段と違うのは、勝利の報酬が情報だったことだ。

前回負けた相手だったということもありかなり苦戦したが、それでもなんとか勝利を収めた私は無事に情報を入手。それまで貯めていたポイントを惜しみなく使い、過去問を入手することができた。

 

中間まで残り五日。例の三人を筆頭に、成績下位の生徒たちのモチベーションは低かったが、私が持ってきた過去問と、もう一つの情報…テストでの高得点によるボーナスポイントの可能性、それによって再びやる気が上がる。今度は、より大きな決意へと変化して。

 

そして私は、その場でこれまでの自分の態度を頭を下げて謝罪した。自分の至らなかったところを漏れなく告げた。

自分で言っているうちに消えてしまいたいような気持ちになったけれど、それでも私は私のために、このDクラスをAクラスに上げるために最後まで言い切った。

最後に、これから改善していくから、どうか力を貸してほしい、ともう一度頭を下げたら、これまで生き恥を晒していた私を、みんなは大きな拍手で以って受け入れてくれた。平田くんなんか、『リーダーを務めるなら堀北さん以外にはいないよ』とまで言ってくれた。

 

それが本当にありがたくて、嬉しく感じて、私は再三頭を下げ心の底からの『ありがとう』を言うことができた。みんなとの距離が、少しだけ縮まったような気がした。

 

各々のモチベーションが最高潮の中迎えたDクラスの中間テストは、大成功で終わった。いくら残りは暗記ばかりさせていたといっても最低点で65点という躍進を見せてくれた。さらに各クラスの合計テスト点の平均を二で割った数だという赤点も、誰一人出ることなく乗り切った。

特に高得点をとっていた生徒は無事にボーナスポイントももらえ、クラス全体が五月序盤のお通夜ムードなんて嘘だったかのような明るい空気になっていた。

 

Dクラスに放り込まれて当然だったこれまでの自分をそれでも認めてくれたみんなに応えるため、これから始まるであろう4クラス間での戦争に備え、私は気を引き締めたのだった。

 

 

 

 

──だというのに、七月の頭に須藤くんがトラブルを起こしたという爆弾が投下されてきた。中でも一番ひどいのは悪原くんが被害者という点だ。

 

可能ならば被害を限界まで抑えたいところだけれど、全く彼は本当に…もう。

 

でも、この事件。一番ことを大きくしている原因が一之瀬さんであるというところに、つけいる隙がありそうね。彼女の人気ぶりからくる発言力は相当なものであるからこそ、二人で解決できそうだった問題が無駄に大きくなっている。

 

とにかく今日の放課後は須藤くんに話を聞かないといけない。それと特別棟の調査ね。

 

被害者ではなく居合わせただけの第三者が火の元だというなら、なんとかなるかもしれないわ。Bクラス…正確には一之瀬さんに訴えを取り下げさせたいところだけど、さて、どうしたものかしら。

 

私は全力で頭を回し、今からでも打てそうな手を模索するのだった。

 

 

 




次回ついに悪原視点です。
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