それにしてもオリ主のくせに今回が初めての視点とは…
信じられるのは己の直感のみ。
悪原九郎こと、俺は保育園児の頃から生意気にも悟ったようにそう思っていた。
自慢でなく、俺は誰よりも『できる』奴だった。誰よりも早く物事を理解し、応用もできた。あまりにもできすぎて、先生たちは俺ばかり褒めて、周りの奴らに俺を参考にしろと口癖のように言っていた。子供は純粋で、正直で、意外と賢いもので、そして残酷だ。保育園児にして俺はすでに鼻つまみ者、嫌われ者だった。
別にどうってことない。そもそも悪原なんて苗字の時点で、そのうち嫌われ者になるのは明らかだ。それぐらいわかっていた。
一人の強大な敵と、個々の力は弱いが何人も仲間がいる正義の味方。いいシチュエーションだ。
俺が『敵』に当てはめられるのはごく当たり前で、自然なことだった。
それ自体はわかる。よくわかる。それはそれとしてムカッ腹が立った。いじめられたりしたわけじゃないが、あからさまに避けられちゃイラッとくる。
その頃からすでに俺は関わる奴を直感で選ぶようになっていた。つまらない奴は、全てシャットアウトしてどうでもいいものとして扱った。死んでいても生きていても、どうだっていいと。
勉強はつまらない。すぐにわかっちまうから。
運動もつまらない。俺に追いつける奴がいないから。
園にいることそのものがつまらない。俺を好くやつなどいないから。
退屈の極みである生活をただ送っていた中、親父がやらかした。なんでも酒に酔って暴行をやったらしい。
当然親父は捕まり、俺は母親と二人暮らしになった。
親父のことは好きでも嫌いでもなかった。どうでもいい奴だったからだ。まあ、本当にどうでもよかったかと訊かれればそうでもないが、ムカつく奴ではあったな。ちょいちょい母親に怒鳴ってたし、俺も何もしてなくてもキレられたし。
親父逮捕を機に引っ越しをして、結果俺は転園となった。前のところはかなり居心地悪かったからラッキーと言えばラッキーだったが、期待なんかしちゃいなかった。どうせ転園先でも同じことが繰り返されるだけだと思っていた。
ところが、その予想は裏切られる形になった。一之瀬帆波という、同い年の女子の存在によって。
一之瀬も俺と同じように『できる』人間だった。周りより優れているだけじゃない、気配りができて、人を信じ、優しくできる人間だ。
俺と決定的に違うのは誰にでも優しいという善性だった。
『仲間』との出会いに、俺は大喜び…しなかった。俺の直感が言っていたからだ。『こいつとは合わない』と。
そういうことなので俺は適当にやっていたが、なぜか一之瀬はどんなに突っぱねても絡みに来た。
道具や遊具の使い方を教えると言う。お前に教えられなくてもわかるんだよ。そう言っても教えると言い張って聞きゃしない。
勉強や運動で競争しようと言う。お前が俺に勝てるわけねえだろ。そう言ってもやろうと言って聞く耳持たない。
一緒に遊ぼうと言う。お前と遊んでもつまんねえよ。そう言っても一緒に遊ぶと主張して、テコでも動かなくなる。
どんなに拒絶したって、一之瀬は俺から離れることはなかった。
ある時あまりのしつこさに、怒鳴ってしまった。本気で拒絶した。その時、初めて一之瀬が泣いた。
ギョッ、とした俺はどうしていいかわからなくなり、あたふたしていると先生が来て俺たち二人とも怒られた。
なぜ一之瀬も怒られるのか、と思ったらどうやら一之瀬が俺に絡みまくっていたこと、それを俺が嫌がっていたことに先生らは気づいていたらしい。それならもっと早く助けてくれんかなと思ってしまった。
実質喧嘩両成敗に終わったが、俺の生活はそこから変わり始めた。
一之瀬と連むようになった。
俺に比べれば、一之瀬は勉強ができない。運動もできない。
でも、周りの奴らと比べたら絶対的に『できる』人間で、そして一之瀬は努力を惜しまなかった。
次第に一之瀬の力は俺に迫ってきた。抜かされるのは癪だったから、俺は初めて努力というものをやり始めた。
勉強が楽しくなった。一之瀬と学び合えるから。
運動が楽しくなった。一之瀬と競い合えるから。
園に行くのが楽しみになっていった。一之瀬がいるから。俺を真っ直ぐに認めてくれる人がいるから。
俺のつまらない時間は、一之瀬という人物の出現によりあっという間に逆転したのだ。
俺が一之瀬との時間をごく自然なものとして認識していると自覚した頃には、すっかり俺たちはいわゆる幼馴染と呼ばれる関係になっていた。親同士も仲良くなって、家族ぐるみの付き合いになっていった。
小学校に上がってからも関係は変わらず続いた。一之瀬は相変わらず引っ付いてきたが、それを嫌だと思わない俺も俺だ。基本的に何をするにも俺たちは一緒にいて、目の前のことに精一杯取り組んだ。
学校はいつも二人揃って登校して、体育の授業じゃバディ組んで、休日は一緒に遊びに行って。
楽しかったよ。本当に。ただ通っているところに行って、そこにいて、帰るだけだったかつてとは大違いだった。
そこに行く理由ができた。行きたいと思う理由ができた。たったそれだけのことで、退屈なだけだった世界が色づいた。空が青く彩られていった。
己をまっすぐに見てくれる人間が一人いるだけで、人は変わるのだと知った。
ただやはり性格による差は出るもので。保育園の時はそう変わらなかったが、小学校になると一之瀬の方が褒められることが増えていった。理由は単に聞き分けがいいからだろうな。あと、一之瀬が言えば他の連中は大体従うってのもあるだろう。小学生なんていう生意気盛りのクソガキどもを相手しなきゃならない教師にとって一之瀬はありがたい存在だったに違いない。
逆に俺は手のかかるガキだった。ウザイ奴やムカつく奴は徹底的に言い負かしてやった。上級生だって泣かしてやった。何度注意されても叱られても、俺は自分のやりたいことをやった。もちろん度は弁えてるが大人たちにとって俺は大層厄介なクソガキだっただろう。あまりに俺が聞かないと一之瀬が注意しに来るが、俺は一之瀬も言いくるめて遊び倒した。その結果俺はこっぴどく叱られ、俺に乗せられた一之瀬も巻き込みでお小言をもらうことが何度もあった。
一之瀬は自分だけあまり叱られないことを不思議に思っているらしかったが、俺に言わせりゃ優等生と不良じゃ対応が違って当たり前だ。あいつはそのことをわかっていない。自分と俺が同じ立場だと思ってやがる大馬鹿だ。
そもそもあいつはクラス委員長をやったり生徒会に入ったりしているのに俺はふらふら遊び呆けているだけの人間だ。周りが俺たちを見てどちらがより良い人間と思うかはそれこそ保育園児でもわかる。
それでも一之瀬は俺から離れることはなく、俺も一之瀬に対して距離を置くこともなく、関係は続いていった。腹の立つこと、嬉しかったこと、嫌だと思ったこと、我ながら何が面白いかまるでわからない俺の話を一之瀬は悉く熱心に聞いて、自分のことのように反応し共感した。俺にはそれがまるでわからなかったが、自分だけ良い思いをするのは不公平だと思ったから、一之瀬の話も同じように真剣に聞き、共感し、自分なりの意見を口にした。
学年が上がるにつれ一之瀬が他生徒に告白されるイベントが発生するようになっていった。別にそれ自体はどうってことはないのだが、問題なのは稀に強硬手段で一之瀬に迫るクズが出てきたり、ストーキングに出るカスが現れることだ。小学生のはずだろ。どうなってんだ。
ある日、一之瀬からストーカーについて相談され、その時はさくっと犯人をぶちのめしてやったが、それ以降はなるべく幼馴染が目の届くところにいるよう気を使うようになっていった。
普段通りの日常に、幼馴染につきまとうゴミを片付けるのがたまのスパイスとなった。
六年生の中頃になると、俺の悪名が轟いて一之瀬と付き合おうとする奴はごっそり減った。一之瀬と付き合える可能性が無いのは俺の存在が全て悪い、ということになっていたのはムカついたが、ゴミの注意が俺にのみ向いているとわかっているのは対処もしやすいのでまあよかった。
だがこの頃から一つの悩みができた。幼馴染との距離が近いというか、一之瀬がやたら詰めてくることだ。
思春期に入りつつある時期、さらに男子らしくそういう知識もある程度は持ち合わせていた俺にとって一之瀬の危機感のなさは少々目に余った。
いくら対象が幼馴染である俺だけとはいえ、鼻先が当たりそうなぐらい顔を近づけてくることが珍しくもないことなのはどうかと思うだろ。
一之瀬を異性として見たことはない。感覚としては肉親に近い。どっちが兄か姉かというのはさておき…『一之瀬も立派な女の子』というのはわかるが、何回自分の心を見つめ直しても、やはり俺という存在は一之瀬のことは異性として見ていない、と結論づけられて終わった。
中学に上がると、俺の悩みはより深まることとなった。中学生になっても一之瀬の行動は悪い意味で何も変わっていない。いつどんな時でも俺の隣に居たがった。それは何も悪いことではないだろうし俺自身別にそれに嫌気が差していたわけでもないが、周りの目というものがある。一瞬で俺たちは実質カップルとして知れ渡った。
直接『お前ら付き合ってるんだろ?』と言ってくる奴はいなかったが顔に出てるんだよ。そう思ってるのが丸わかりだ。
事実とは全く異なるのに真実として扱われていたその噂を一之瀬がどう思っていたのか、そもそも知っていたのかも謎だが、とにかく俺にとってその風潮はかなり鬱陶しいものだった。
生暖かい目で見てくるならまだしも、好奇心全開の目で見てくるのがこれ以上ないほどうざうざしかった。ああ、わかるぜ?そりゃあ、思春期真っ只中、異性というか恋愛に対して誰もが興味津々だろう。だがそれはそれだ。俺の苛立ちはそれを理解した上で湧き上がってくるものだ。
俺が冷たい態度を取り、それに一之瀬が肩を落とすと周りの奴らの空気が萎えるのも伝わってきて、それがより苛立ちを助長させた。
俺は単に一之瀬と喋って、遊んで、あとはまあ時々飯を食えればもう充分だった。
極め付けにそんな風潮があっても一之瀬に告って玉砕してヒトガタ爆弾に転生するやつが時たま出てくるのが本当にめんどくさかった。一之瀬がその度に俺に泣きついてきて謝り倒してくるのもいい加減にしてほしかった。こっちは謝罪してほしくてゴミを片付けているんじゃないんだよ。
一之瀬のことは嫌いじゃなかったが、ついに俺は一之瀬といることを億劫に感じ始めた。
何度でも言うがもちろん、一之瀬という個人が嫌いになったとかではない。だが俺にとって『悪原と一之瀬は付き合っている』という噂はそれほどに、これ以上ないほどに望ましくないものだったのだ。清々しいぐらい自己中な思考なのも重々承知していたが、俺は自分に正直でいたかった。
程なくして俺は一之瀬と距離を置くことにした。もう一緒に登校なんてしないし、勉強もしないし休み時間も一緒に過ごさない。昼飯も一人で食う。お互いの家に遊びに行ったりなんか御法度もいいところ。
あからさまに距離を置かれて幼馴染はどこか縋るような雰囲気で『自分が何かしてしまったなら謝る。だからまた一緒にいてほしい』と話しかけてきたが、俺は拒否した。その時の幼馴染の顔はいやに瞼の裏に焼きついている。
それからも一之瀬は話しかけてはきた。俺もそれに応えはする。だがそこから発展しないように気をつけていた。勉強のアドバイスを求めてきたら、わかりやすい覚え方や解き方を教える。それで終わり。体育で怪我をしたようなら、心配はする。それで終わり。
次第に俺たちは口すらも利かなくなっていった。俺は一人になったが、一之瀬は囲ってくれる奴らがいるのだし問題はない。突然関係を切られたことに一之瀬は未だに全く納得していないだろうということもわかっていたが、時間が癒してくれるだろう。そう思っていた。
ストーキングに出るようなゴミがほぼ出現しなくなっていったのもあった。もう俺の役割は終わりだ。そう思っていた。
中二。俺は『暴力事件』を起こした。
相手は校内でも札付きのヤンキーども。今時こんな奴らがいるんだ、とむしろ感心するくらいにはそいつらはカスだった。悪行自慢はいつものことで破ってきた校則は数知れず。生徒はもちろん先生からも誰からもとっくに見放されているようなゴミどもだったが、ある日そいつらが絡んできたのだ。
ごちゃごちゃと口数だけは達者だったが、要約すると理由は『いい気になってるから』ってとこだ。あと人を見下してる目をしてるとか。難癖もいいところだが後者に関しては事実だ。お前らを見下さない理由なんかあるか?
ゴミを見下すのは当然だろ、と返してやると、とうとう喧嘩が始まった。
喫煙したり飲酒したり万引きしたりなどと言ってはいたが、暴力慣れはしてないのか予想より随分と弱かった。わざわざ放課後に呼び出してくる時点で色々と取るに足らない連中であるのは想像ついてたが。
こいつらに蹴りの一発二発いれたって誰も文句は言やしないだろうし適当にボコして帰るか、と思ってそこそこに加減しながら嬲っていたが、不意に連中の一人が鼻血を垂らしながら喚き出した。
「ぐ…!へ、は、はは…バカがよ…!こ、ここまでやったら停学は免れねえぞ…!」
「それがなんだってんだ?ゴミども」
「てめえが家で寂しがってる間によぉ!俺たちがてめえの可愛い幼馴染を代わりに
ぐしゃ。
そんな音。そんな感覚。
ほとんど反射に近かった。
世界が静止したようにゴミは黙り込んで…途端、絶叫した。
赤いものがズボンを通り、地面を染めていく様がよく見える。
「おい…」
自分でも驚くほど、冷たい声が出る。
どうしようもなく黒いものが、渦を巻く。
ドス黒いものを堪えようと歯を噛み鳴らすと、ひどく不快な音が鳴った。
「ひっ!?」
目の前のゴミどもが恐怖する。それを見たら、さっきまで言いたかったことさえも燃えて消えた。
「……いや、もういい」
「ま、待ってくれ!も、もうこれいじょ…う、ぎゃああああぁぁあ!!」
何を思ったかなんて言うまでもないだろう?
──徹底的に
撃滅、撲滅、根絶
あの挑発というか悪態は、負け惜しみみたいなものだっただろう。奴らにそこまでやる根性があるとは思えなかったが、それも頭から消し飛ぶほど俺は強い衝動に駆られた。
どれだけ泣いて許しを乞おうとも容赦はしなかった。啜り泣く声、痛みに悶える声、許しを求める声、ついには俺に対する絶対服従宣言をするに至っても、その全てが耳に入って鼓膜を通り抜ける度に破壊的な衝動が増大していった。
誰がどう見たって、過剰な追撃だったのは自覚していた。加害者──この場合はもちろん俺──にも未来がどうのと喚く格好つけたがりも押し黙るほど、その時の俺は絶対的〝悪〟だった。
もう、幼馴染に会わす顔などないことも、よく理解していた。それでも構わなかったんだ。どのみち今の状態じゃ関係は自然消滅していただろうしな。
それでも、最後のゴミを蹴り潰すその時、掠れた記憶の中にある幼馴染の笑顔が、確かに脳裏をよぎったのだった。
******
当たり前だが、警察沙汰になった。俺が自首したことにより、事が発覚したのである。
連中は言うまでもなく全員病院送り。念入りに潰したので、いくら日夜進歩している世界の医学でも復活は無理だ。てかそうでなきゃ俺のやったことは水の泡だ。
やったことがことなのでサツにはかなり詰められた。しかし結果的には少年院に放り込まれることすらなく、俺は厳重注意で終わった。
少年法とかもまあ関係あるといえばあるだろうが、あのゴミの親が訴えなかったのが最大の理由だった、のだろう。あまり詳しいことは知らない。奴らは親にさえ見放されていたのか、下手に罰を与えてヤケになり無敵の人と化した俺にどんなことをされるかわからないことを恐れたか。彼らの真意はついにわからないままだった。
しかし一之瀬の母親を泣かせてしまう結果になったのは、申し訳ないと思う。俺は一連の流れを、なぜあそこまでやったのかを隠さず白状したが、一之瀬の母親に奴らのあの発言は一之瀬には伝えないでほしいという約束だけは取り付けることができた。
どうせ連中は再起不能だが無駄に怖がらせる必要はないし、何よりアイツが問い質しに来た時に言い訳はしたくなかったからだ。俺はこの事件を以て、俺と一之瀬の幼馴染という関係を完全に終わらせ、抹消するつもりでいた。
そしてあいつらが言っていたように自宅謹慎…つまり実質的な停学をくらって(退学ではなかったのが驚きだ)、言われた通り自宅で読書していた時に案の定一之瀬が突撃隣の停学野郎をかましてきた。
無視してもよかったが、ピンポンピンポンしつこくうるさいので出た。玄関の扉を開けると、厳しい表情の一之瀬がそこに立っていた。
「……九郎くん。なんであんなことしたの」
「おまえの親に聞けば?」
「……聞いても、教えてくれなかったんだよ」
だろうな。約束は取り付けたし、そも親としては話すにも話せまい。あの人は、こいつの親らしく、自より他を取る優しい人だから。
「俺はゴミを片付けた。それだけの話だ」
「だから…なんであそこまでしたのって聞いてるの」
「ムカついたから。さあ、満足か?」
「………嘘、ウソ!嘘つかないでよ!!」
急にヒステリックに喚き始めた一之瀬に、俺はその時心が冷めていくのを感じた。
「君はっ、いくら頭にきたからって他人を傷つけるような人じゃ…っ」
「おまえが俺の何を知ってるんだ?俺の本性を知る機会がたまたまなかっただけだろ」
「違う!!私は…君のことならなんでも…!」
「違わない。おまえは俺のことを理解していなかった。今ここで喚いているのがその証拠だ」
「は、はぐらかさないで!!まだちゃんと答えてないじゃん!!どうしてあそこまでやったのって──」
「はぐらかしてるのはおまえの方だ。俺は『ムカついたから』と答えた。それをおまえは感情任せに嘘だと決めつけ、自分に都合のいい答えを引き出そうとしている」
ビイビイ喚く一之瀬の眉間に向けて指を突き出してやると、幼馴染はいきなり殴られたかのように、口を動かすのをやめた。
「そうやって根負けさせた末に言わせた俺の言葉を、本当のことだと思えるのか?」
なるべく感情を押し殺して目の奥を射抜くように見つめてやれば、幼馴染はわずかに後ずさり、力無く俯いた。
「大体おまえが何をしたいのかもわからない。俺から都合のいいセリフを引き出してそれが何になる?クラスメイトが俺をどう思うのかも想像さえつかないか?その結果何が起きるかなんて思いもしないか?」
「……さい」
「昔っからそうだったよな、おまえは。俺のことになると途端に頭が悪くなる。おまえの善意がどれだけ俺にとって迷惑千万だったかわかるか?意図的なのか無意識なのかしらんが、俺の新しい友人になりそうだったやつをお前はすぐさま取り込んで。それを俺がどんな気持ちで見ていたかわかるか?百を持つおまえに比べて、一しか持たない俺がどんなに惨めな存在か想像できるか?」
「……るさい」
「おまえが否定し続けるように、俺も言い続ける。おまえは自分勝手だ。俺の本心を無視し、思ってもないことを無理に言わせ、それを聞いて悦に浸ろうとしている」
「うるさいっっ!!!!」
今日ここですべてを終わらせよう。そう思って思ってもないことをベラベラと並べ立てていたところ。
初めて聞いた、幼馴染の怒鳴り声。鼓膜に突き刺さるような怒声に、俺は内心たじろいだ。
「……謝って」
「はぁ?」
「謝って。彼らに」
急に何を言い出すのかと思えば。
「九郎くんが彼らに謝るまで、許さないからっ!!」
そう言って一之瀬は逃げだすように飛び出していった。一瞬向けられた顔は涙に濡れていた。
そしてこの時ほど俺は一之瀬に対して呆れたことはない。あいつは本当に頭が悪い。
許さないから、なんだというのか。俺を許さないといって、それが俺にとって不都合なことになりうると思っているのか?本気で?
小学校の頃だったならともかく、この期に及んで自分たちが『〇〇するまで許さない』なんてセリフがまだ効力を持つような関係であると思っている一之瀬のことが、いっそ可哀想ですらあった。
その日俺はいつになく感傷的な気持ちで床に就いた。
そして時が経ち、俺は開くかもわからない謹慎が開ける前に転校手続きを済ませた。一之瀬との繋がりを完璧に断ち切るには、ちょうどいい機会だと思ったからだ。いくらあいつも転校していった奴にまで絡みに行けるほどこの先暇ではなくなるだろう。
夜。俺は自宅ではなく近所の公園のベンチでぼうっと景色を眺めていた。
ここには一之瀬との思い出が詰まっている。シーサーやらジャングルジムやら雲梯やら滑り台やら、なんかよくわからんクルクル回る遊具やら。
夜だから子供なんかいない。せいぜい仕事帰りの大人がたまーに見えるぐらい。そしてそれも見かける頻度は減っていく。
世界が完全な静寂に包まれた時、懲りずに一之瀬は姿を現した。その顔色はかなり悪く、許さないと言って逃げたあの時とはまるで打って変わってしまっていた。
「く、九郎くん…ひ、久しぶり、だ、ね…、……」
恐怖しているかのように一之瀬は自分で自分を軽く抱きしめながら、笑いかけもせずに震えながら近づいてきた。
「そ、その…全部…聞いたんだ。お母さんに…なんで九郎くんがあんなに暴力を振るったのかって…」
「チッ」
舌打ちしてしまう。まさか約束を破られるとは。いや、これはおばさんを信用し過ぎた俺の落ち度か。別の家の悪ガキとの約束よりも、品行方正な自分の子供を優先してしまうのも無理ない話。
「今でも、その、彼らのことは、かわいそうだって思うけど……さ。き、きみは…私のためを、思ってくれてたのに……」
「思っていただと?自惚れもほどほどにしとけ。俺はただあいつらが気に入らなかっただけだ。そこにおまえの存在なんて大した意味はない」
言ってやると、一之瀬は足を止めた。嘘だ、とでも叫びそうな顔だったが、それは抑え込んだようだ。
そして話は本題に移る。
「九郎くん…転校するって、どういうこと?」
「どういうことも何も、転校するからだが?」
「…ちゃんと、答えてよ…。なんで転校なんかするの…?」
言葉にも力がない。ひどく弱々しくて、その姿と共に夜の闇に溶けてしまいそうで、突き飛ばしたらそのまま砕け散りそうですらある。
だからこそ、すべてを終わらせるにはこれ以上のタイミングはないと思った。
「それ、本気で言ってんのか?」
「え……?」
「トラブルメーカーの悪原くんは学校で起きてることなんて何も知らない──マジでそう思ってたのか?知ってるんだぜ?お前が散々言いふらしたことは」
「え…あ……っ」
ああ、予想通りだ。今のセリフはカマを掛けただけだが、あまりにも予想通り過ぎて逆に萎えてしまう。
そう…一之瀬も如何に誰もが認める善人とはいえ、その精神は人間の域は出ない。不満を持つこともあるし怒りの感情も存在する。その怒りの器に限界があるのも。
俺と一之瀬は『昔は』仲が良かったというのは周知のこと。野次馬根性全開で話を聞きに来る奴は掃いて捨てるほどいる。そして涙目敗走した一之瀬が周りに愚痴る可能性は充分に考えられた。
「名は体を表すっていうが…今や俺は開校以来最悪の不良扱いか。悪原という名字にふさわしい称号じゃねえか、なあ?」
「ち、ちがうの…ちがうんだよ九郎くん…」
「何が違う?おまえは俺を史上最悪の悪人に仕立て上げた」
「そんなこと、してない…」
そうだろう。おまえはぽろっと愚痴っただけで、俺を絶対悪にするつもりはなかっただろう。おまえはただ俺に周りの目を気にしてほしかっただけなんだろう?やり過ぎたと被害者に対して俺に謝罪させることで、悪原くんは反省してるからみんなも許してほしいと、大方そんな綺麗なお話として事を終わらせようとしたかったんだろう?
でも俺はそんなこと全く望んでいない。
「私はただ…何が起きたのか話しただけで…」
声に力がなさ過ぎて、本当のことを言っているはずなのに説得力が悲しいぐらいに無い。
一番可哀想なのは、自分の発言力がどれほどのものか自覚していないところだが。
「お前にはわからないだろう。実の親に、別の家の子供の方が良かったなんて言われた子供の気持ちは」
一之瀬の呼吸がヒュッと止まり、顔が青を通り越して白くなってくる。
そして残念ながらこれは本当のこと。母の言い分はわかる。俺だってそう思わないとは言い切れない、いや思うだろう。そう言われて当然だろうなと俺も思ってる。
自分が周りから見てどう思われるような人間であるかはこれまで何度も反芻してきた。だから直接耳にしても大したことはない。…まあ、正直、少しだけ、罪悪感は湧いてしまったが…。
しかし、その言葉がこいつとの繋がりを徹底的に抹消する計画に有効活用できると俺は考えたのだ。親とはやはりどうしても子供の手助けをしてしまうものらしい。
「そんなこと…九郎くんのお母さんが……?」
「ああ、そうだ。疑うなら明日聞いてみろよ。おいしいお茶でも飲みながらな」
静かな夜の世界に、一之瀬が震えを抑えられず歯をカチカチと鳴らす音が妙にはっきりと耳に届いてくる。
「これは話したことなかったな。俺の親父は昔酒に酔い、暴行で捕まった。今はどうしているかも知らん」
「え…?…」
「親父の血を引く俺は、ムカついたから暴行を働いた。酒に酔うよりひどいよなあ。これって、すごく面白いことだなって思わないか?」
「……何も…何も面白くなんかないよっ…!!」
声に若干覇気が戻った。
「さっきから九郎くんは何を言いたいの!?なんで転校なんかするの!?なんで私のことをそんなに嫌うの!?私の何が気に入らないの!?わかんないよ…何も……なんで…なんで……ふぇ…っぐ、ぜんぶ…答えてよぉっ!!」
一之瀬は泣きながら怒鳴る。言い終えて、息切れする。まるで八つ当たりのような勢いだが、言ってることは正しい。俺は何一つまともに答えてなんかいない。
意地っ張りなのはお互い様か。
「……そうだな。答え合わせするか」
いくら一之瀬が周りよりは頭がいいというだけで、遠回しに真意を伝えようとするのがそもそも間違いだったんだ。
真っ当なやり方しか好まないこいつには、同じく真っ当なやり方で全てを伝えよう。逃げず、目を逸らさず、真っ直ぐに向き合い、嘘をつかずに、多少大袈裟な言い方にはするが…それでも、紛うことなき本心を。
「なんで転校するのか。それはおまえのことが嫌いだからだよ、帆波」
まだ息を切らしていた一之瀬の動きがビシリと凍ったように固まった。
「なんで嫌いなのか。それはおまえが俺のことを理解しようともしないから。今までおまえが俺のためにと思ってやってきたのだろう行動の大半は、俺にとっては全く望ましくない、まるで嬉しくもないことだったよ」
「おまえの何が気に入らないのか。それはおまえが自分のことを理解していないところだよ。おまえは理解できていないだろう?なぜちょっと愚痴っただけで、周りの人間が俺を排除すべき悪として決定したのかをな」
「結局俺が何を言いたいのか。それはな、俺にとっておまえはいてもいなくてもいい存在だってことだよ」
その言葉を言い切った瞬間、一之瀬の瞳が、こちらまで引き摺り込まれそうな絶望の闇に飲み込まれていくのが見えた。しかし話はまだ終わっていない。
「懐かしいよなあ、この公園」
少しだけ嘲笑の意を込めて目を細め、俺は両腕を広げた。一之瀬はただ俺を見る。
「鬼ごっこしてる時、俺がそこの木の上に登ったこと。おまえは木登りができないから散々卑怯だと喚いてたこと。覚えてるか?俺は覚えてる」
「……て…」
「雲梯の上に俺が乗って、同じように乗ろうとしたけど上がれなかったおまえを引っ張り上げたことも。上に乗れたまではよかったが降りられずにまた俺の助けを求めてきたことも」
「やめてよ……ねえ…」
「アリの巣に水を入れようとしていた俺をおまえが姉ヅラしながら止めてきたことも、ようく覚えてるよ俺は」
「そんな思い出話…聞きたくないよ…」
悲痛な面持ちでとめどなく流れる涙をぬぐいもせずに、ただただ自分の脳が弾き出した『これから幼馴染の口から紡がれるであろうセリフ』ですでに打ちひしがれている一之瀬の姿に、ほんのわずか、心が痛んだ。
「なあ、帆波…思い返してみたらどうだ?ここでの思い出。学校での思い出。お互いの家での思い出。それは全部……お互い、相手が幼馴染である必要なんて全くないモノだったんだよ」
「……………………ちがう」
「俺にとっても、おまえにとっても、相手が仲良しの奴なら誰でもよかったんだろうなって思うんだよ俺は」
「……………………………………ちがう」
「いいや、違わない。ただ少なくとも、俺にとっておまえは──」
「ちがう」
一之瀬は俺の言葉を遮る。よく見ると、目の焦点が合っていないような気がした。
「うそ…ウソ、みんなウソ」
「ぜんぶうそ……うそつき…」
「きみは…はずかしがりやさんなんだね…あは、あはアハアハ」
急にゆらゆらと一之瀬が体を揺らし始める。体の動きに連動して、ストロベリーブロンドのロングヘアーが振り子のように左右にゆったり揺れる。その様はまるで幽鬼のようだった。
「ありがとう、帆波。今のおまえのおかげで、俺はもう何の未練もなく先に進める。おまえも幸せになれよ」
そう言ってやった瞬間、一之瀬は薄ら笑いはそのままに完全に動きを停止した。音もなく溢れ滴り落ちていく涙だけが、今の一之瀬の全てと言っても良かった。
あとはもうどうなろうが知ったことではない。俺は幼馴染であった人間に背を向け、公園を去った。全ては終わったのだ。あいつも、今は無理でも将来必ず理解するだろう。自分に幼馴染などいないのだと。存在しない幼馴染に執着し続けることへの無益さを。心から。
ただ…俺は一之瀬を嫌いだと言ったが、厳密に言うとアレは嘘になる。好きか嫌いかで言えば…確実に好きだった。あいつと過ごす時間が充実していて、楽しかったものであったのは事実だ。
しかし、結局はこれである。喪失感はあるが…代わりが見つかる予感がした。
******
それ以降の話は、正直なところ黒歴史なので省くが…紆余曲折あって、俺は高度育成高等学校に入学することに決めた。
学費はタダらしいし、この学校独自のルールにも興味があったし、何より直感がここに入れとうるさいから、入学しようと思ったんだ。
結論から言うと直感は正しかった。
綾小路清隆という男子生徒に出会えた。一目見た瞬間、雷に打たれたようだった。
仲良くなるなら、アイツしかいない
生命危機に陥ったかのように本能がそれを全力で叫んでいた。『話しかけやすそうだったから』と適当な理由をでっち上げたが、実際はそれが全てだった。
クラス分けの表を見た時、なんで龍園の野郎がいるんだとわずかに殺気を漏らしてしまったが、清隆はたぶん気づいてないっぽかったしまあよかった。
さらに、神崎隆二という奴とも出会った。こいつにもまた、直感が『こいつにしろ』と叫んでいた。
そうして早々に二人もの友人が俺にできた。しかも、信頼の置けそうな人間である。
今まで俺は基本的に孤独だった。一之瀬は一旦除外するとして、多少話すぐらいはあっても友人と呼べるような存在は今までろくにいなかった。
それが、ここでは初日に二人も現れた。流石は国が力を入れている学校だ。
学校のシステムを適当に解き明かした後は、俺は三人で遊び回った。ケヤキモールを巡り、校内の施設を借りてスポーツをしたり、各々の部屋でお菓子を食べながらお喋りしたり勉強会をしたり。こんなに輝かしいものがあるのか、と心の底から感動を覚えた。
だが俺が配属されたBクラスで不満なのは…一之瀬がいたことだ。自己紹介をすっぽかそうと思って出て行こうとした俺を呼び止めた時の声でわかった。
ああ、こいつはまだひきずっている、と
なぜなんだと。普通あんな切られ方されたら、そいつのことは忘れるよな?思い返すだけで気分が悪くなるはずだ。ストレスの根を排除するため、記憶から抹消するはず。イジメとかトラウマになるようなことならともかく、たったあれだけで?いや、その思考がいじめっ子のそれなのか?
考えてもわからなかった。しかし確実なのは、俺は一之瀬のことが本当に嫌いになりそう、いやもうなってるということ。
入学二日目に連れ出されて告白されたが、それを踏まえてもあいつの考えがわからない。ひとつ確実なのはあいつが俺のことをずっと好きでいたということだが、にしてもだ。約二年近い時間、ずっと想い人に執着し続けるなんて理解できない。
関係の始まりであったあの時も拒絶からスタートしたし、別れの時はこれ以上ないほどの悪役を演じてやったのに、なぜそこまで?
わからない。まるでわからない。でも…やっぱり…
──俺の直感は正しかった。おまえとは合わないよ、一之瀬。
書いてて「こいつめんどくさいやつだなあ」と思いました…