「クソ
滝があり、周囲を木に囲まれているBクラスのベースキャンプに、突如として悪原九郎の罵声が飛ぶ。不幸にも偶然近くにいた女子生徒が、いきなり轟いた罵声に縮み上がった。
「九郎くん荒れてるなぁ。でもしょうがないかな」
「な、なあ一之瀬、なんで悪原はあんな怒ってんだ…?」
微笑ましげに幼馴染を見つめる一之瀬に、柴田がおっかなびっくりといった態度で質問する。彼女は自分の幼馴染が怖がられているというのに嫌な顔一つせず答えた。
「九郎くんってさ、暑いの嫌いなんだよね。昔はそうでもなかったんだけどね、年々プールにも遊びに行かなくなっちゃって。小学校…えーっと、たしか五年生ぐらいだったかな、毎年遊びに行ってたけどもうそれっきり。日焼けするのも好きじゃなくて。夏の間は外に出ること自体嫌がるから、この試験は相当なストレスだと思うよ」
「そ、そうなんだな………」
「そんなに怖がらなくても大丈夫だよ。人には当たらないからさ」
ニコッと明るく笑った一之瀬だが、そういうことじゃねえんだけど──とか、いや人には当たらないってそんな飼い犬みたいな──とか色々柴田は思うも。まあいいか、と思い直す。
普段は悪原に精神的にボコボコにされている一之瀬だが、やっぱり二人は幼馴染なんだなと思わされることが時々ある。普段悪原と一緒にいるのは綾小路や神崎なものの、悪原九郎のトリセツに関してはやはり依然として一之瀬が誰よりも詳しかった。
「荒れているな悪原」
神崎が水汲みから戻ってきた。悪原が凄まじい形相で睨むように見るが、神崎はすでに友人の目つきの悪さには慣れたもので。眉ひとつ動かさずに見つめ返した。
「神崎ィ……リタイアしても」
「ダメだ」
「クソが!!!!!」
またしても飛んだ悪態に、神崎の横にいた男子生徒がビクッと跳ねた。幼馴染である一之瀬ならまだしも、神崎はよく冷静に対処できるなあーとクラスメイトたちは思う。
「あれって当たってるんじゃないのか……?」
思わずそう口にしてしまった柴田だが、一之瀬は得意げな顔で人差し指をチッチッチと振った。
「あれは暑さに文句を言ってるだけで、神崎くんには何も思ってないよ」
そ、そうなのね。柴田はどこか気が抜けた。
しかし悪態を吐きまくる悪原だが、なんだかんだ仕事はしていた。文句を垂れつつも薪を拾って運んだり、荷物持ちをしたり、物資の運搬をしたりと、与えられた役割をサボったり投げ出したりはしていない…どころか、その実彼は誰よりも肉体労働に従事していた。率先して荷物を持ってくれたり資材運びを手伝ってくれるため、時たま悪態を吐く悪原にビビる生徒はいても彼を悪く思う生徒はおらず、雰囲気はそこそこ明るい。内心悪原の文句に同調する生徒もおり、むしろ会話が弾んでいた。
木陰が多いとはいえ夏真っ盛り、炎天下の中無言で作業するよりも友人と楽しく喋りながら作業している方が精神的に楽なのは人間皆同じだ。
はてさて荒れる幼馴染を見かねてか、一之瀬が悪原に近寄った。
「ほら、九郎くん落ち着いて。水飲む?」
「どうも!」
ポイントで購入した、水入りペットボトルを差し出した一之瀬に、キレ気味だが一応礼は言った悪原を見て柴田と浜口は顔を見合わせた。
そうしている間に悪原は怒っているようにしか見えない顔で水を浴びるように飲み、キチッとキャップを閉めて一之瀬につっ返している。
「お疲れさま!ちょっと休んだら?あっちの方で休憩がてら話そうよ」
「ふざけんなブッ飛ばすぞ!!俺はAクラスのリーダーを探りに行く」
肩を怒らせながら背を向けた幼馴染に一之瀬が目を丸くした。
「え?リーダー当てを狙うってこと?私は嬉しいけど、九郎くんクラス闘争には興味なかったのに…どうしたの?」
「黙れ!!俺だって考えを変えることぐらいあるわ!!」
「そっか。でもさっきまでずっと動いてたんだから、ちょっとは休まないと熱中症になっちゃうよ。ほら、行こう?」
言いながらさりげなく腕を絡めて捕まえ、テントへ連れ込もうとする一之瀬。悪原はそれをバチン!と振り払いはしたものの、
「チッ、離せ!!俺は迷子のガキじゃねえんだぞ!!」
「えへへ…そうだね。ごめんね」
驚くほど大人しく一之瀬と共に歩いていくのだった。その場にいた全員が、目の前の光景に驚きを隠せない。
「……むしろ怒ってる時の方が優しいのか?」
「すげえ怒鳴ってるけど大人しく従ってるなぁ…いつもだったらもうゲンコツ落としてるよな?」
「ブッ飛ばすって警告までしてるし、もう熱中症になってるんじゃね?」
声色も表情も怒り全開だが、それでも悪原は確かに一之瀬とまともなコミュニケーションをとっていた。つい先程まで眼前で繰り広げられていたやりとりに柴田たちは好き放題言いまくるが、彼らの態度はそれだけこの光景が珍しいものということでもあった。
神崎はテントの中に消えた一之瀬をジッと見、その後おしゃべりに夢中な柴田たちに喝を入れるのだった。
(全部聞こえてるんだけどね…………)
テントの中に連れ込まれ、無言で三角座りをして心底怠そうに背中を丸め顔を膝の間に埋めた幼馴染の大きな肩に一之瀬はそっと頭を預け、そして誰にも見られていないのをいいことにその表情を不快そうに歪めた。
一之瀬帆波がクラスメイトを大切に思っているのは、紛れもない事実だ。しかし、同時に彼女の中ではそれ以上に悪原が絶対的な存在となっており、限りなく大きなウェイトを占めていた。クラスか悪原かを選べと言われたら、一之瀬は迷いなく幼馴染を選ぶ自信と、自分はそうするだろうという確信を持っていた。
こうして人目につかない場所で本当の気持ちを顔に出すのも、クラスの和を無意味に乱すこともないという考えあってのことだ。仮にクラスメイトの誰かが理不尽に自分の幼馴染を糾弾したり迫害するようなことがあったなら、そのとき全力で叩き潰してやる準備はいつでもできている。
(九郎くんのカラダ、熱いな……)
先程まで動きっぱなしだった幼馴染の体に直に触れながらぼんやりと思う。こうしてすぐ近くにいられるだけで、肌と肌が接触しているだけでも代え難い幸福感が得られる。そして一之瀬の体の芯から、運動によって生じる熱とは異なる、異質な熱がじんわりと湧き上がる。
もし今の自分たちが恋人同士だったなら、ちょっと強引でもこの熱の勢いのままにキスしていたかもしれない。そしてそれが可能だったならどんなによかったか。
先ほど彼女が柴田に説明したように、今の悪原は気温に怒りの矛先を向けている。だから一之瀬に対していつもほど態度が悪くないのだ。もちろんあくまで矛先が向いていないだけでイライラはしているため地雷を踏まないよう注意は必要だが、そんな程度の綱渡りなど長年幼馴染の捻くれっぷりと扱いの難しさを見て感じて理解してきた一之瀬帆波にとっては赤子の手をひねるより簡単なことだ。
幼馴染の首に、腕を回してみる。彼は鬱陶しげに身を捩ったが、それ以上の抵抗はなかった。
「………ねえ九郎くん、好きだよ」
「……………はぁ?なんだよいきなり」
「言いたくなっただけ!ふふっ」
自分でもよくわからないけれど、たまらず笑みが溢れてしまう。自分を怪訝そうに見る幼馴染の黒い瞳が妙に美しく見える。力づくで抱きつきたい衝動を誤魔化すように、一之瀬は話題を変える。
「…後でAクラスのリーダーを当てに行くんだよね」
「……ん、ああ。と言ってもクラスを勝たせる気はねえが…三位が理想だな」
「?なんで三位が理想なの?」
四位でも二位でもなく、地味で目立たない三位になることが理想と言う悪原に彼女は質問する。幼馴染の疑問に悪原は淡々と、何でもないことのように答えた。
「この試験の後に、たぶんまたすぐ試験がある」
「えっ!?そうなの?」
「たぶんな。不意打ちみたいな真似して無人島生活させてくるんだぜ、このままタダで船で遊ばせてくれると思うか?」
「そう言われたらそんな気もするけど……」
少し語尾をどもらせるも、きっと当たっているんだろうなあ、と一之瀬帆波は思う。
彼女は悪原九郎に全幅の信頼を置いている。幼馴染の言うことに間違いはないと、過信していると言ってもいいだろう。しかしそんな一之瀬の期待を知ってか知らずか、悪原は毎回期待に応え続けてきたのだから妙な男である。
「俺は次の試験でこのクラスを勝たせるつもりだ。この試験でも目立った結果を出しちまうと、……わかるだろ?」
「出る杭は打たれる……ってこと?」
「そうだ。俺たちはBクラス、生徒ひとりひとりが平均以上の能力を持っていて、団結力に関しちゃトップだろ。…まあわかりやすく強いクラスだ。おまえがいる以上内部分裂の可能性も限りなく低いしな」
まあ、龍園なんかが仕掛ける搦手にはクソほど弱そうだが。
そんな内心を悪原は告げない。
「そっか。私たちが思ってるより、私たちは警戒されてるんだね」
「中間での結果を忘れてるほど馬鹿じゃねえだろうし……そう見ていい。あー、話が逸れたが、とにかく何回もデカイ結果を残すと集中砲火を受ける可能性が高い。下手すりゃ再起不能になるまで叩きまくるって目的で同盟を組まれるかもしれねえ」
悪原は今回の試験でAクラスを最下位に落とす予定である。葛城という男は正直言って嫌いじゃないが、戸塚という男に関しては遠慮なくやれる。戸塚の存在が、悪原の深層心理にポツンと存在するほんの僅かな躊躇を完全に消していたのだ。*1あの時は坂柳がほぼ全て持って行ってしまったが、綾小路に対する戸塚の心無い言葉を悪原が不快に思っていないわけがなかった。
そのためにDクラスはもちろん、龍園が支配するCクラスにもAクラスのリーダー情報を特定次第リークする。
「勝ちすぎるのもダメなんて、難しいね」
「これはクラス闘争だからな。学校の監視のもとの戦争ごっこだ。学年まるごと支配されるとか、クラス自体が崩壊しない限り、格上にも勝てるチャンスがある…個人でやる分なら勝ち続けるのもいいが」
龍園なら集団戦でも個人戦でも絶対に諦めたりはしないだろうがな、と悪原は吐き捨てるように言い、また水を一口飲んだ。すでに温くなった水はあまり美味くもない。
「………前から思ってたけどさ、龍園くんと仲良いの?」
「は?馬鹿なのか?馬鹿だろおまえは。死んで治すか?その馬鹿な頭を。なんだ?おまえの頭には脳みそじゃなくて猫の糞でも詰まってんのか?」
「……言い過ぎだよ………」
泣きそうな声で一之瀬がぼそりと文句をこぼした。いや、わかってはいたのだ。龍園という人間を、幼馴染が好ましく見ていないことは。地雷とわかっていながら踏み込んだのは、龍園も悪原を狙っているようだったからだ。
一之瀬の嫉妬の矛先は、今や女子でも男子でも関係なくなってきている。綾小路には坂柳という正ヒロイン*2がいるので嫉妬はしないが、その他の人間が己の幼馴染と仲良くしていたら問答無用でむしゃくしゃした感情が燃え上がってしまうのだ。
束縛が過ぎる、ということを自覚はしている。が、だからと言って束縛をやめるという発想はなかった。一之瀬帆波は誰よりも長く幼馴染の隣に居続けた。だから幼馴染という立場になれた。しかし足りないのだ。全然、足りない。もっと長く一緒にいたい、いつまでも隣にいてほしい、い続けたい。そういう感情がどうしても抑えられない。
けれど、一之瀬は心の奥底に渦巻く欲望を口にしない。
だってそんなことを打ち明けたって、きっと良い顔はしてもらえないから。
好きな人には幸せでいてほしい。そして、今の自分では幸せにすることはできない。
まだその程度の分別はついていた。
「………そろそろ行ってくる」
しばらくお互い無言の時間が続いていたものの、肩に預けられていた幼馴染の頭をやや乱暴に退かせて不意に悪原は立ち上がった。されるがままだったら倒れて頭を打っていたかもしれないほどの、雑な対応。
それが、今の一之瀬と悪原との距離。
「…うん。いってらっしゃい」
だから一之瀬は喚かず見送る。出会ったあの日よりもう少しだけ離れている距離を、いつか必ず昔以上に縮めてみせるという決意を胸に。
******
綾小路清隆は言い争いを繰り広げている三人を無感情に眺めていた。
事の発端はトイレだ。限りなく人の手が加えられていないこの無人島でどうトイレを済ませればいいのかという疑問は当然のように湧いてくる。そのことを担任・茶柱に質問したら、ダンボールで作られたなんとも貧相で気が引ける、トイレと言っていいのかも正直わからないようなモノが差し出されたのである。
これに真っ先に拒否反応を示したのはやはり女子。篠原を筆頭に『仮設トイレ設置賛成派』が立ち上がった。
しかし、池や幸村はポイントを節約すべきだとして『仮設トイレ設置反対派』を立ち上げた。こちらは主に男子で構成されている。
そして今もそんな醜い言い争いは続いていた。他のクラスはとっくに移動している。AクラスやBクラスは当然として、Cクラスですら龍園というひとりの生徒が完全に統率しきっておりすでにその姿を消していた。だというのにDクラスだけが、まだトイレのことで言い争っている。
綾小路は無感情の中にウンザリとした感情が生まれるのを感じた。
確かに綾小路とて、アレで用を足すのは正直勘弁願いたい。しかし、重要なのはそこではない。
仮設トイレを設置しないという選択肢は、この初日で試験を捨てて遊び呆けて最後は全員仮病でリタイア…なんていうことでもしない限り実質存在していないも同然だ。
一クラス四十人、トイレひとつで一週間を凌ぐなど絶対に不可能だ。馬鹿でも少し考えればそんなことはわかるはずだろうが…
(それがわからないから、Dクラスなんだろうな。不良品呼ばわりされる所以か)
意外かもしれないが、この試験で綾小路はDクラスを勝たせる気だった。万が一にも船の上でいきなり茶柱に退学させられないとも限らないからだ。閉鎖空間であり他クラスの教師もいる船上で問題行為をでっち上げるのは厳しいだろうが、リスクは無視できない。だから、今回の試験でとりあえずDクラスを勝たせることで一旦茶柱を黙らせることを考えていたのだ。
しかし、しかしだ。あんな低レベルな争いに首を突っ込みたくはなかったのだ。
(オレ自身のためとはいえ、こんな奴らを勝たせなきゃならないとはな………)
今ごろ親友たちがどうしているかはわからないが、少なくともDクラスとは違って前向きで明るい雰囲気なんだろうなということは容易に想像がつく。一刻も早く移籍してしまいたい。心の底からそう感じる。
「──そこまでよ。言い争いはやめて」
ここでようやく、このバラバラなクラスのリーダーと言える人間、堀北鈴音が止めに入った。綾小路は気づかれないようにため息を吐く。先ほどまで考え事をしていたのはわかっていたが、もっと早く止めてほしい。
堀北は男子たちに目を向けて口を開く。
「トイレは必要よ。でもそれはダンボールだからじゃないわ」
真っ先に異議を唱えようとした幸村を、自分が言っているのは感情論ではないということを示して黙らせる。
「四十人全員が一週間共同生活をする上でトイレがたったの一つというのはあまりに無理がある。ただでさえ無人島で生活するなんて慣れない環境なのに、暑い中何人も並んで、待ち続けて、慣れないトイレを嫌々使うのよ」
言いながら男子たちを見回す。彼女と目が合った男子は気まずそうに目を逸らしたり、俯いたりした。
最後に池、幸村を見て堀北はトドメを指す。
「……それでもこれ一つで乗り切ろうと思うかしら?一週間もの間、四十人の利用者がいる中で」
「………すまない」
堀北のぐうの音も出ない説明に、幸村が一番に謝罪する。堀北は『構わない』と言うように小さく首を振った。
「とにかく、まずはベースキャンプを決めましょう。ここは暑すぎるわ。できれば水があって、太陽光を遮るものが近くにある場所が理想だけれど…誰かそんな場所を見なかったかしら?上陸前に島全体を一望できる時間があったはずだけど」
しかし、誰も挙手しなかった。綾小路は呆れたように目を細め、仕方なく手を挙げる。唯一挙がった手に、全員の視線が集中する。あまりクラスメイトに協力的な姿勢を見せたくはなかったがそんなことは言っていられない。このままでは話が進まない。
「少し距離があるが、条件に合う場所がある。近くにはスポットらしきものもあった」
「…そう、案内を頼めるかしら」
散々クラス闘争に非協力的な姿勢を見せ続けてきたからだろう、堀北は綾小路をわずかばかり怪訝そうに見たが、提供してくれた情報がありがたいのは事実。彼女の依頼に綾小路は頷きこそしなかったものの、目的地へ顔を向けることで了承の意を示した。
そうしてようやっとDクラスも移動を開始するのだった。
「…あなた、クラスに協力する気はないとあれほど言っていたのに。どういうつもり?」
森を移動している途中、やはり堀北がツッコミを入れてきた。綾小路は振り向かずに答える。
「ああ。だがオレも気が変わることはある」
「どんなことがあれば変わるのかしらね」
堀北はそう言うが、綾小路はお前のほうこそ一体何があったのか問いただしてやりたいと思った。入学当初を思えば別人レベルの変貌ぶりではないか。
しかし友人でもなく、Bクラスの人間ならともかくただ顔を見知っている程度の人間と無駄に会話をする気などさらさらない綾小路はそのことを口にしない。
「言っておくが、オレはあくまでオレ自身のために動いている。勘違いするなよ。もしオレの邪魔をしたり内情を詮索しようというなら、このクラスを徹底的に叩き落とすのも吝かじゃない」
「……わかってるわ、そう睨まないでちょうだい」
まあ実際に叩き落とすのなら移籍後になるが、と思いながらあの時と同じように、強い拒絶の意思を持ってクラスの面々を見回す。須藤などは綾小路の言葉に突っかかってきそうだが、意外にも何も言ってこなかった。彼も暴力事件以来、何か思うことがあったのかその振る舞いに変化が見られる。
しかしクラスはなんとも微妙な雰囲気だ。すでに相当な実力者として──少なくともDクラスに配属された理由がわからない程度には──知られている綾小路に真っ向から逆らえる者はそういない。いるとすれば須藤のように武力で人を黙らせることに自信がある人間か、もしくは単にDクラスにふさわしい愚かな人間かだ。
彼と会話らしい会話ができるのはせいぜい堀北くらいなものだった。
特にこれといって話が弾むこともなく、無言で移動を終えたDクラスはベースキャンプの決定を茶柱に報告する。ようやく、まともに試験がスタートしたと言えよう。
綾小路にクラスを引っ張る気はこれっぽっちもない。彼はあくまで裏方、サポーターに徹するつもりだ。よって、方針を定めるのは結局堀北になった。
クラスメイト全員を改めて召集して話し合いを始める。迅速な行動が望ましい以上、あまりダラダラしてはいられない。
「まず、キャンプの経験がある人はいるかしら。一度きりだったでもいいしテントの張り方がわからなくてもいいわ、経験者の有無を確かめたいの」
「俺、あるよ」
トイレの件があったからか、少しおずおずとした様子で池寛治が挙手したことに注目が集まる。
「そう。ありがとう。それじゃ役割を決めていくわ。すでに私の方である程度決めてあるけど、この仕事の方がいいと思うなら言ってちょうだい」
そうして堀北が各生徒に役割を与えていく。あの唯我独尊をゆく高円寺にすら、報酬を出すという明確な旨味を提示してはいるものの確かに仕事を与えていた。仕事の配分にもこれといって反対意見のひとつも出ず、順調にクラスはまとまっていっているようだ。
(思っていたほどの惨状にはならないな。やはりリーダーの有無は重要か)
想像していた展開よりもずっとまともな状態にあることに、綾小路はひとまずは安堵した。一週間も共同生活せざるを得ない以上、頭痛に悩まされたくはない。
だが、とも思う。確実に何か問題が起きるだろうなという漠然とした確信が綾小路にはあった。具体的な根拠もない、単なる可能性でしかないものを信じるなど我ながららしくないとも思うが、それでも無視できない予感が確かにあったのだ。
(そもそも元々が不良品集団。残り物の寄せ集め。堀北ひとりがまともになったところで、全てうまくいくわけがない)
そう。元来、Dクラスは他のクラスの生徒と比べて明確に一段、もしくは数段劣る能力を持つ生徒ばかりのクラスだ。未だ理由はわからないが考えを改めてクラスのリーダーの地位を確立した堀北をはじめ、潤滑油的な役割を果たす平田と櫛田、学力の幸村や運動の須藤、そして学年どころか学校の歴史においても屈指の能力を持っていると言っても過言ではないであろう高円寺など、それなり以上の能力を持つ生徒はいる。
それでもやはり何かしら問題があったのだ。
たとえば堀北は今や過去の話とはいえ人を見下してばかりで人との関わりを拒絶していたし、須藤は言わずもがなだ。幸村も勉強ができない生徒を下に見るところはある。高円寺は悪意を持って人を見下すことこそないが完全に自分の世界に浸りきっており表に出てこない。平田や櫛田に関してはDクラスに配属される理由が全く思い当たらず謎だが…
他にも単純に能力が低いのに偉そうに振る舞ったりする者などもおり、あまりに問題が多すぎる。もし堀北がリーダーとして目覚めていなければ、中間の時点でクラスが崩壊していたと言われても綾小路はその可能性を疑わなかっただろう。
もし悪原九郎がいなければ今頃自分はAクラスを目指すためだけに働かされ、茶柱の傀儡となっていたのかもしれないと思うとゾッとするし、またそれだけ親友に対する感謝の念が深まった。
このクラスを見れば見るほど、一秒でも早くBクラスに移籍したいという気持ちが強くなる。こんなことなら入学試験で手を抜くんじゃなかったと思うが後の祭りだ。
「…………偵察に行ってくる」
「…そう」
Dクラスに自分の居場所がないことなど何も問題ではない。というより自分から捨てたのだから、後悔などしているわけがない。しかし、まさか一週間もの共同生活を強いられることになるとは思ってもいなかった。
ストレスは発散しないと、人は壊れてしまう。綾小路は偵察に出ると言ってベースキャンプから抜け出すのだった。
堀北は綾小路が偵察という名目でBクラスのベースキャンプに遊びに行ったのだと察してはいたものの、下手に拘束して機嫌を損ねられては困るため何も言わずに見送った。綾小路同様クラスに協力する気がゼロの高円寺には島の調査という『依頼』をしたが、それが果たされた瞬間に彼は仮病でリタイアし船に戻ってしまう。この時点で30ポイントの損失が出ることは確実。配布されたポイントの10分の1が一人のリタイアで失われると考えると、これは非常に痛い。
加えて綾小路もリタイアするなんてことになったら、クラスが荒れに荒れるのは火を見るより明らかだ。もはや実力が高いからどうこうなんて問題じゃない。それは理屈の防波堤では抑えられない感情の濁流。
とまあ結局のところ、見送る以外に選択肢は無かった。
綾小路はBクラスのベースキャンプに到着する。トイレの件で言い争いが発生していた間にBクラスが向かっていた方向を記憶していたので、あっさりと辿り着けたのだ。
「あれ、綾小路!どうしたんだ?」
さっそく気づいた柴田が声をかける。彼の言葉で周囲の生徒も綾小路の存在に気づき注目するが、そこに敵意はなかった。
「あ、いや特に用はないんだ。強いて言えば、遊びに来た」
これが他のクラスだったなら言い訳にすらなっていない、怪しすぎるセリフとして完全に敵対視されていたろうがここに限ってはそうでもなく、柴田は納得したように呑気に頷いた。
「なるほどなー。でも今悪原のやついねえんだよな」
「そうなのか?」
「たしかAクラスのリーダーを見つけに行くって言ってたぜ」
親友がいないことを聞いて少し肩を落とす綾小路だったが、直後に悪原がリーダー当てを狙っていることを聞いて元気を取り戻す。
(九郎なら問題なくリーダーを見抜けるだろう。後で訊けばわざわざAクラスのベースキャンプを探りに行く必要がなくなるな)
Dクラスを勝たせるために偵察などという面倒で時間もかかることを一クラス分とはいえする必要がなくなったのはラッキーだと綾小路は思う。その思考の内に、悪原がAリーダーを探れず帰ってくるなんていう敗北ルートなどカケラもなかった。
「綾小路、来ていたのか」
「ああ神崎。お邪魔してる」
神崎が小さく手を上げる。綾小路もそれに返すように手を上げた。
「今悪原はいないんだが、どうする?」
「そうだな……何もしないのもなんだし、何か手伝おう」
「え!いやそれは悪いって!客なんだし」
柴田がクラスを代表するように遠慮の声を上げ、周囲も同調するように頷いたり目を丸くしたり、手を小さく振ったりする。
と、そこに一之瀬帆波が何事かと顔を見せた。
「あれ、綾小路くん?九郎くんは今いないよ」
「一之瀬か。それで三度目だな」
「え?…あ、そういうことかあ。にゃははは」
親友に会いに来たとしか思われてないな、と思いつつも実際間違ってはいないので心の中にとどめておく。無駄に疑われないのはありがたいし、一之瀬が綾小路を怪しむ素振りを見せていない以上、もうその時点でBクラスは綾小路清隆を疑わない。
実は綾小路はリーダーを探りに来たのではと疑っている生徒は、この場にひとりもいない。事実上のクラスメイト扱いだった。自分をそう見てくれる彼らが、このクラスが、綾小路にとっては大変に居心地が良かった。
「何か手伝えることはあるか?もちろん監視はつけてもらっていい」
「いいよ、ゆっくりしてって。それに監視なんかもつけないよ」
「だが……」
「綾小路くんを働かせてたなんて九郎くんに知られたら、私のお墓はここに立つことになっちゃいそうだからね」
笑いながら言う一之瀬に、一理あるなと綾小路は思う。神崎も想像がついたのか少し笑いを堪えているように見えるし、柴田をはじめ他クラスメイトも『言えてる!』と苦笑していた。
そうしてしばらく綾小路はBクラスのベースキャンプで過ごすこととなる。ほぼ確実にありえないだろうが、Dクラスのベースキャンプに戻った時に自分の寝床がないかもしれないという可能性が脳裏を過ったが、問題ないとすぐに片付ける。ここなら自分を受け入れてくれるのだから、何一つ問題はない。
不機嫌全開の悪原九郎が戻ってくるまで、Bクラスは明るく無人島節約生活を楽しむのだった。
しばらくあまり意外性はない展開が続きそうです。幸せな綾小路くんに免じてここはどうかご容赦を…!
無人島試験初日の坂柳有栖
坂柳有栖は父との通話を切った後、自分にあてがわれた部屋へ行き二時間眠った…そして………目を覚ましてからしばらくして……綾小路清隆と七日間も会えないことを思い出し……泣いた……