Aクラスが向かった洞窟を目指していた悪原九郎は気温や汗ばんだ肌にくっついてくる草木にストレスを順調に溜めていきながらも、いともたやすく目的地へと到着した。が、洞窟の前まで来て彼は怪訝そうに眉間に皺を寄せた。
(なんだ?あのブルーシート)
洞窟の入り口に、どでかいブルーシートがドンと張ってあったのだ。
(なんで洞窟の中を隠す必要がある…)
まあ隠すということは順当に考えて
(……まあいいか、とりあえずリーダーを探ろう)
何を買ったのかわからなくしているということは、意外と大胆な行動に出ている可能性もある。たとえばあの洞窟の中では飲めや騒げのパーティタイムが…いや流石にそんなことはないか。
闇に溶け込むように悪原は音もなく木々へ身を隠す。ここからはひたすら待つ。連中がボロを出すまで。
暑いのは大嫌いだが、ここでリーダー当てを投げるということは綾小路移籍を先延ばしにするということだ。いや、厳密にはこの試験で増えるのはクラスポイントなので、支給されるプライベートポイントにも影響するとはいえそこまでリーダー当てに固執する必要もないのだが、彼の目的には綾小路移籍と同時にクラスをAに上げるというものがある。
神崎も言っていたが、これは完全に親友を脅した教師への当てつけだ。やる必要性はないのだが、しかしやらないに足る理由もまたない。
ただの自己満足で、嫌がらせだ。たったそれだけのことだが、悪原九郎にとっては譲れないものなのだ。
(……って、バカか俺は!奴らのスポットで張ってりゃ一発だろうが!)
しばらく木々の隙間からブルーシートに封じられた洞窟を見ていた悪原だが、不意に自分がとんでもないポカをやらかしていることに気づき、自分で自分の頭を殴るのだった。
(クソッ……これも一之瀬のせいだ…!何が『好き』だバカが……!友情ならともかく………)
だいぶ理不尽な八つ当たりだが、悪原九郎は今も納得できていなかった。なぜ一之瀬帆波がよりにもよって自分に惚れてしまったのか。
あの依存度はともかく、あんな状態にしてしまったことに関しては償っていくつもりだ。そう決意した。たとえ一之瀬のために死ぬことになっても。
しかし、もっと根本的な問題、疑問。それが、一之瀬帆波が悪原九郎に惚れた理由だった。
いくら考えてもわからない。たかだか強姦を仄めかしただけの負け惜しみに対して、あれほどまで激昂するような人間になど…むしろ距離を置きたくなるはずなのに。
それに暴力事件を起こした理由も、後からバレてしまったとはいえ黙っていたのだ。実際それは効果があった。一之瀬は怒り、自分から関わらないようになった。だというのに、内心ではいつも幼馴染のことを気にかけていたことを悪原九郎は知っていた。時々飛んでくる視線にこもった彼女の想いが、嫌でも伝わってきたのだ。
転校して自分が龍園や宝泉と血みどろの殴り合いをしている時もずっと、一之瀬は自分のことを想い続けていたのだと思うと、ひどく奇妙な気分になるのだった。
そこまで引きずるものがあるのか?ただの幼馴染なのに。所詮昔から見知った仲というだけに過ぎない。別に恋人でもなんでもない。
あんなことがあったのに、全て終わったことだと言わんばかりに、過去じゃなく未来を見ようと言うように、一之瀬帆波はただただ混じり気のない好意をぶつけてきた。何度拒否しようとそれは続いて、何度でも拒絶する自分と何度でもアタックしてくる一之瀬という関係性は、否応なしに保育園…出会ったあの日を彷彿とさせた。最終的に自分が罪悪感に折れ、一之瀬を受け入れたという点も含めて…。
どれだけ考えてもわからなくて、どうしても理解できなくて、悪原九郎にとって一之瀬帆波は理解不可能の不気味な存在に見えた。
「戸塚、占有は終わったか?」
「ああ、次行くぞ」
「………おまえは、なんなんだよ、帆波……」
悪原九郎は、Aクラスのリーダーを知った後も、しばらくその場から一歩も動かず一之瀬帆波のことを考え続けた。
答えの出ない問題に、ずっと、愚直に向き合い続けた。
ふいに立ち上がり、悪原はCクラスのベースキャンプに向かった。いつまでも考え込んでいても答えは出そうになかったし、今は一之瀬の姿を見たくなかったからだ。龍園がいるとしても、それでもだ。煽られるだけなら我慢はできる。
しかしCクラスがどこに行ったかは見ていない。ただ龍園の行動パターンから考えれば、絶対にリーダー当てを狙うだろう。そのためにどうするか。龍園はハイリスクハイリターンな博打を好む性分だから…
考えていると、ビーチの方から楽しげな声が聞こえてきた。薄々何が起きているのか察しつつも覗いてみる。
そこにはバーベキューを味わい、海の上でボートを走らせ、ビーチバレーで盛り上がり…思いっきりバカンスを楽しんでいるCクラスの姿があった。
「龍園さん、飲み物持ってきました!」
「ちゃんと冷えてるやつだろうな?…気が利くじゃねえか」
「ありがとうございます!!」
クーラーボックスからコーラを取り出して
龍園はあれで平常運転なのだ。
「──テメェも飲むか?悪原」
「………チッ、気づいたか」
突如森の奥へ挑発するように声をかけた龍園に石崎たちがポカンとし、直後に姿を現した悪原に驚愕する。そして、悪原の存在に気づいた龍園に尊敬の眼差しを向けるのだった。
「呼びかけといてなんだが、意外とあっさり出てきやがったな。冷たいコーラに釣られたか?」
「いらねえよ別に」
悪原が素直に姿を現したのは、隠れ続ける意味がないからだ。
それに名指しで呼びかけられた以上、存在がバレているのは明白。仮にひっそり立ち去ろうとしても龍園はおそらく追ってくる。煽るためだけに。そういう意味のないムカつくことをやってくるのだ。
加えて腹立たしいことに、龍園が全く無意味な挑発を仕掛けるのは今のところ悪原に対してだけだった。
悪原は苛立ちを隠そうともせず、キンキンに冷えたコーラをゆらゆらと左右にゆっくり揺らして見せつけてくる龍園を睨みつける。Cクラスの王は『怖え怖え』と笑った。
「飲み物じゃなくてメシが欲しかったか。そっちのバーベキューは好きに食えよ」
「だからいらねえって」
「遠慮すんなよ。本来なら焼き肉一枚か飲み物一本で追い払うところが、テメェにはドリンクバー付きの食べ放題なんて特別待遇してやってんだぜ?」
「嬉しくねー…」
「素直じゃねえ野郎だ」
龍園はニタニタと笑う。大きくため息を吐いた悪原はこれ以上この話題には付き合えないと言わんばかりに話を変えた。
「………しかし椎名はあそこで何やってんだ?」
「ひよりが気になんのか?」
「イラつく言い方すんな」
口は災いの元。一之瀬の地獄耳に届いたが最後、苦しむのはおまえの方だぞ。
まあニヤニヤ笑う龍園はともかく、様子がおかしいという意味では椎名ひよりのことが実際気になっていた。
遊ぶこともなく、食事をしているわけでもなく、ビーチパラソルの下で寝ているわけでもなく、ぼうっと海を見ているのだ。悪原は椎名のことを綾小路の彼女候補として見ていたが、彼自身にとっても椎名ひよりは友人と言えば友人であるため、まあ少しは気にもなる。
「あのマニュアルあるだろ?物資の中に推理小説の類がロクになかったんだよ。それを知って以来ひよりはご覧の通りだ」
龍園の説明に悪原は複雑そうに眉を顰めつつ納得する。
そういえば、確かに購入できる物資の中には本もあったがそのほとんどはサバイバル術やキャンプ入門編のような、無人島で寝泊まりするというこの状況下においてとても実用的な情報が得られる本ばかりだった。
無人島に上陸する時にも余計な手荷物は全て没収されてしまったため、椎名は読書という最大の趣味を満喫できない状態に陥ってしまい、結果死人のような状態になってしまっているのだろう。よく見ると肌も不自然に白く線もいつも以上に細くなっている。
「さっさとリタイアさせてやれよ」
「リタイアした時点で30引かれんだよ。使い切るまではああしていてもらうぜ」
コイツにこそ悪魔の称号がふさわしいだろ、と悪原は思った。
「…しっかしそういうことか、また随分と思い切った作戦に出たもんだ。ゼロポイント作戦とは恐れ入ったぜ」
「やっぱり気づきやがったか。つまらねえ奴だ」
ニヤニヤ笑いを消して、嫌そうに顔を歪めた龍園を見て悪原は少しだけ溜飲を下げる。普段、というより中学時代は頭に来ることばかり言われていた分、これぐらいの仕返しをしたっていいだろう。
「おまえがポイントを使い切ると言ったところで確信した。そもそもおまえが馬鹿真面目に試験をやるのも、ハナからチャンスを捨てるのもありえねえしな」
龍園はおしゃべりが過ぎたことを少しばかり悔いるも、すぐに気を取り直す。
「ま、そういうことだな。俺は全クラスのリーダーを当てるつもりだ。テメェのために保険も用意してある」
「そこも特別扱いか?ありがたいぜ」
「道のど真ん中に転がる犬の糞よりうざうざしいがな」
「りゅ、龍園さん。言ってよかったんですか?」
あっけなく計画をバラした自らの王に石崎がおずおずと進言するが、龍園は気にしていないように鼻で笑った。
「遅かれ早かれどうせコイツにはバレる。だったら、本当のことを言って疑心暗鬼にさせた方がいい」
「確かにクラスのために奉仕する気は微塵もねえが、本人の前でそれを言うのかよ」
「そりゃそうだろうな。テメェは奉仕される側だもんなあ。学年のマドンナを好き放題できる気分はどうだ?」
瞬間、悪原の額に青筋が浮かび上がる。いっそ笑いさえ込み上げてくる挑発。これが中学時代ならすでに肉を潰し骨を砕きあう殴り合いになっていたことだろう。
「………………………………ほんっと好きだなそのネタ」
「そんなキレんなよ。嘘を言われて困るなら事実にしちまえばいい、違うか?」
「違うに決まってんだろこのクソカスが」
天を仰いだ悪原をニヤニヤと笑って見ていた龍園であったが、その立ち振る舞いに一切の油断はなかった。ここで悪原が挑発に乗って暴力を振るってくる可能性はゼロだと確信しているが、作戦を見抜かれている以上下手なことを言えば余計な対策をされかねない。勝たせる気はないと言うものの最下位に甘んじるつもりもないだろう。勝利は欲していなくても敗北は好まない。面倒な男なのだ、悪原九郎とは。
一之瀬ネタでイジるのも、そういう考えあってのことだった。単に嫌がらせしたいという気持ちが半分以上を占めているのは否定できないが。
…それと、悪原が天を仰ぐというのは龍園にとって開戦の合図のようなものだった。呆れたように大きくのけぞったと思ったら急に頭突きをかましてくるということが何度もあったから。しかもその威力がふざけたレベルで、まともに頭に喰らえばしばらくは足がふらつくようなダメージになる。そういうわけで無意識のうちに身構えてしまうのだ。喧嘩が起きることはないとわかっていても。
「楽しいクイズの時間だ。当ててみろよ、俺の真意を」
「無理に決まってんだろうが……俺は超能力者でも未来を知ってるわけでもねえ」
流石の悪原でも無理というものがある。龍園が何を企んでいるかなど、想像はついても断言はできない。
「はあ、まあいい。話があるから来い」
「嫌だと言ったら?」
「おまえの想定より獲得ポイントが減る」
「しょうがねえ。付き合ってやるよ」
口では不平を言いつつもその顔は楽しげな龍園は悪原と共にクラスのベースキャンプから少し離れた場所に移動する。足を止めて向き合い、悪原が話を切り出す。
「もう言ったが俺は今回クラスを勝たせる気はねえ」
「元から関与する気もねえだろ………と言いたいが、まあいい。その代わり次回企んでることに力を貸せってか?」
「相変わらず話が早えな。ま、それだけがおまえの美点だけど」
「そこ以外は汚点しかないみたいに言うんじゃねえよ。慈悲深く器もデカい男だぜ?俺は」
「ユーモアのセンスにさらなる磨きがかかってるな。コンビニ店員の翔くん」
珍しく冗談を飛ばした龍園に、悪原は無表情で例の黒歴史をほじくり返した。龍園の額にわずかに青筋が浮かぶ。
「殺すぞテメェ。それより俺たちを勝たせるためにてめえは何をしてくれるか、授業態度は花丸百点の九郎くんにご教授願いたいぜ」
「授業態度だけでも真面目な分おまえよかマシだ。それと下の名前で呼ぶのはやめろ吐き気がする。…別に大したことはしねえよ、せいぜいAクラスのリーダーが戸塚弥彦って野郎なことをおまえにこうして伝えるぐらいだ」
「ハッ、あの腰巾着か。保守派が聞いて呆れるぜ、初日でバレちゃ世話ねえな。それとテメェも下の名前で呼んでんじゃねえ寒気がすんだよ」
どんなに些細なものであろうと常に情報を求めている龍園は、すでに戸塚弥彦を理解していた。そして彼は、悪原九郎の口から紡がれた情報を疑わない。いや、もちろん後でしっかりと己の目をもって確かめるが、それはただ万が一にもAクラスがこの間にリーダー変更をしていたら…それによってリーダー当てに失敗したら…そんな可能性を潰すための予防策に過ぎない。
龍園も悪原も絶対に認めないだろうが、口にした途端に拳か脚かが飛んでくるだろうが、二人の間には妙な信頼関係があった。少なくともその信頼はお世辞にも世間一般に通じるような綺麗なものとは言えないが。はぐれもの同士のシンパシーと言うべきか、それは仲間意識では決してないものの、お互い見下してもいるし、油断ならない強敵としても見ているなど、不思議な評価を下していた。
「それと望むならDクラスの情報を流してやってもいい」
「へえ。情報源はあのお友達か?スパイにするため籠絡したってわけか。…いや、そういうことかよ、一之瀬に靡かない理由がわかったぜ。テメェ実は」
「それ以上言ったら卒業直後に
「おー、怖え。おっそろしくてガタガタするぜ」
龍園がわざとらしく両手を上げたところで、会話が一時的に止まる。
黙り込んだ二人は、この腹立たしい話し相手を見て心の底から思う。こいつをこの場で殴り倒せたらどんなにスッキリするだろうかと。
この、息の詰まるような沈黙は、悪原九郎の舌打ちで破られた。
「…ハァ、無駄口が過ぎたな。俺はもう戻る。せいぜい民のために身を粉にして頑張れや、王様」
「そういうテメェこそクラスからハブられねえように気をつけろよ、フェアリータイプとあくタイプは相性最悪だからなあ」
「似合わねえ例え方すんな気持ち悪すぎる」
「いや、俺なんかまだまだだ。食堂で透けブラについてデカい声で話していた奴らには敵わねえよ」
「……………それは禁止カードだろ。なんだそいつら」
なお、透けブラについて話をしていたという生徒がDクラスの池寛治と山内春樹であるということも、彼らが一之瀬帆波を『彼氏から寝取りたい女ランキング』の一位に選出したことも、どちらも今後悪原が知る由はない。
「さあな。知りたきゃテメェで調べてみろ」
「ほざけ。んなん調べる時間があるならカビたカップケーキの観察する方がまだ有意義だ」
とにかく、その場から立ち去ろうとした悪原だが、背後から龍園が揶揄うように声をかける。
「おい悪原、言い忘れてたんだが。夜ヤる時は声が響かないよう注意しろよ?それと体液が飛び散ったりしたら環境汚染行為にカウントされる可能性も……、」
「死ね、ただ死ね」
そう吐き捨て悪原はCクラスのベースキャンプから立ち去った。最後に笑っていたは龍園。結局敵意をぶつけ合っただけであり、悪原にとっては用は果たせたものの無駄にイラつくだけに終わった。
まあ、何も張り合っていたわけではないのだが、龍園も悪原も、散々喧嘩してきた時の感覚が未だ抜け切っていないのか、お互い『機会さえあったらボコボコにしてやるのに』と思い。ひっそりと拳を握り固めるのであった。
ベースキャンプに戻ってきた悪原を見たクラスメイトたちは少しばかり身を縮こませた。
『偵察に行った時よりさらに機嫌が悪くなってる』…誰もがそう察した。
「九郎。おかえり」
「ん、清隆?遊びに来たのか」
しかし、不機嫌全開ではあったものの綾小路がトコトコと近づいてくるだけで棘が落ちる。悪原九郎は非常に優れた能力の持ち主だし、一之瀬相手を除いてなんだかんだ人に当たり散らすこともないので、一之瀬に対する態度はともかく意外と彼を頼りに思う生徒は多いのだが、彼の機嫌が悪いとどうしても気の弱い生徒は多少なりとも恐怖心を抱いてしまう。そういう生徒たちにとって綾小路は救世主だった。
「神崎は?」
「さっき何人かで食糧探しに行って……」
「あ、九郎くん!おかえり!」
「おい一之瀬、今から食糧をかき集めさせろ。龍園がやらかす」
「えっ?」
唐突すぎる指示。ポカンとする一之瀬を放置して悪原は綾小路に向き直る。
「神崎が行った方向わかるか?」
「あっちの方だ」
「いや待って待って待って!?」
指示だけされて放置された一之瀬が悪原と綾小路の間に割って入る。当然、それを悪原は面白く思わずに幼馴染を非難するように見る。
「えっと、龍園くんが?何?」
「そこ説明しなきゃダメか?」
「当たり前でしょ!?」
周囲のクラスメイトたちも、悪原に説明を求めるような雰囲気になってきている。『指示したんだから黙って従えよ』という理不尽な苛立ちと、『まあ説明するのは大事か』という冷静な感情が同居する中、彼は仕方なさそうに理由を話した。
「まず、Cクラスは遊んでる。そして奴らはポイントを一度ゼロにする。…わかるか?失うものがないんだよ」
「…それって、本来罰則になることも平気でやってくるってこと?」
呟いた一之瀬に、クラスの中に嫌な不安感が渦巻き始める。
「そーだな。暴力はクラスごと失格になるから仕掛けないだろうが、まず食糧を潰して回るぐらいはするな。点呼も参加する必要ないから、俺たちが点呼受けてる間にベースキャンプになんか仕掛けてくるかもしらん」
「仕掛けるって、たとえば?」
「あの簡易トイレあるだろ。部下たちにそれで用を足させて、その中身をうちのベースキャンプ内にぶち撒けるとか」
「うげっ!!マジで言ってんのかよ!?」
柴田が悲鳴を上げた。クラスメイトたちも概ね同じ感想のようだし、特に女子は露骨に嫌がっている。
「器物破損でも失格になるが、そうならないよう気をつければいいだけだし。だから食糧を集めんだよ。無駄にポイントを消費したくないならだが」
「……わかった。みんな!今の聞いてたよね、今のうちにみんなで集められるだけ食べ物を集めようと思うけどいいかな?」
一之瀬帆波がそう呼びかける。しかしそれはもはや形だけの確認だ。異論など上がるはずがない。クラスメイトたちは一時仕事を中断し、食糧を求めて散開していった。
「清隆はどうする?」
「面倒くさいが、帰りに多少は探して持って帰ろうと思う。一応偵察という名目でここに来てるしな」
この情報をDクラスに伝えるか、伝えないか。綾小路は少し考える。伝えれば無駄なポイントの消費は抑え込めるだろう。それだけ今回の試験で勝ちやすくもなるはず。
が、
明確なリーダーの存在のおかげか、開校以来最低の不良品集団という不名誉極まりない太鼓判を押されているDクラスは思っていたほどの地獄絵図にはなっていないが、それはただ目に見えて荒れていないというだけだ。不安要素は数多く残っている。
川の水を飲むことに対して、篠原さつきなどが感情論全開で反発しトイレの時と同様再び男子と衝突したことは記憶に新しい。須藤が煮沸消毒を提案しても嫌だの一点張りだったのだから、綾小路からすれば救えないの一言だ。
最終的に幸村が毒味役に立候補したため事はおさまったが、依然としてDクラスのベースキャンプには妙にピリピリとした空気が漂っている。今さっきまでBクラスで楽しく過ごせていただけに、あそこに戻るのは気が進まない。
綾小路は正直、あのクラスの潤滑油的役割をよく果たしている平田や櫛田を尊敬していた。自分がやるとしたら、コミュ力以前にストレスでどうにかなりそうだから。
「あ、そうだ。Aクラスのリーダーは戸塚弥彦って野郎だから、最終日に当ててくれ」
「わかった。それとAクラスと聞いて思い出したが、橋本正義という男子がお前に会いにここに来た」
「ハシモト?」
「え?初耳だよそれ」
悪原と一之瀬が同時に、同じ向き、同じ角度で首を傾げた。狙ってやってもそうそう成せないであろうシンクロに、綾小路はちょっぴり羨ましくなる。やはり一之瀬は誰よりも親友のことを理解しているようだ。
仲の良い友達と意図せずこんなことができたら、きっと楽しいだろう…
そんな内心を顔には出さない。恥ずかしいから。
「神崎から聞いてなかったのか。オレと神崎が森の中を歩いてた時に出会したんだ」
「会いに来た理由は?」
「わからない。九郎がいないと話が始まらないと言っていた。今ベースキャンプにいないと聞いたらすぐに立ち去った」
「九郎くん九郎くん、橋本正義くんって坂柳さんの派閥にいる生徒だよ。…まさか自分だけで移籍なんてしないよね!?」
「そんなポイントねえよ」
「…そこは『しない』ってハッキリ言ってほしかったなあ…それじゃポイントがあったら移籍するみたいに聞こえるよ?」
「清隆や神崎がいなかったらそうしてたな」
「ふぐぅっ………!!」
腹パンでもくらったかのようにお腹を押さえる一之瀬を無視して、悪原は考える。
(Aクラスの過激派に属する生徒…橋本正義ねえ。一之瀬じゃなく俺に接触を試みた理由はなんだ?)
個人的な因縁、という線はまずない。中学以前も含めて過去ぶちのめしてきた相手に、この学校でAに配属されるほど能力の高い人間などいない。自分だってBクラスだし、龍園もCクラスに放り込まれた。
ひょっとすると各クラスの有力者に取り入ろうとしているのかもしれない、と思いつく。しかしそう考えても、今のところ大したことはしていない自分に接触を図った理由は説明できな……いや、坂柳から自分のことを聞いた可能性もある。そういえば初めて坂柳に絡まれた日にSシステム看破について何か言われたような気もする。
とにかく試験が終わったあと龍園に訊けばハッキリしそうだが…必要以上にこっちから絡みに行きたくはないなとも思う。
世の中、思い通りにならないものだ。
「…あ、そういえば九郎くん、君がいない間に龍園くんのクラスの金田くんって子がきたんだけど」
「今ここにいるんだろ、わかってる」
一之瀬の報告は予想した通りの内容だった。悪原は金田の存在に改めて龍園がリーダー当て以外に何かを企んでいると確信する。その『何か』まではわからないが…
難しい顔をしている幼馴染をポッと見つめながらも、なんでわかったの?という思考が顔に出まくっている一之瀬。しかしわざわざ解説するのも面倒なので悪原は彼女を無視した。
その後、午後八時が迫ってきたため自らのクラスのベースキャンプに帰っていった綾小路を見送り、点呼の後にテントで就寝…しようとしたのだが。
「一緒に寝ようよ九郎くん!寝てくださいお願いします!据え膳食わぬはって言うよね?」
「誰が寝るかバカ之瀬ェ!!!!」
「目の前にいるのに……こんなことって…」
男子のテントの前で頭を下げて頼み込んできた*1一之瀬の尻を蹴飛ばし、文字通りぶっ飛ばすことで追い払った悪原はブツブツと文句を垂れながら横たわり体を丸めた。
しばらく静かな空気が流れる。その静寂を打ち破るように、意を決したように柴田颯が口を開いた。
「…悪原、マジで一之瀬のこと好きじゃないのか?」
その発言の真意は、率直に言ってしまえば、恋バナだった。いやに真剣な顔をしているものの、あくまで恋バナしたいという以上の意図はない。
そして柴田の勇気あふれる質問に、このテントの中にいる男子全員が聞き耳を立てる──というより体勢を変えて興味津々に耳を傾け、悪原九郎の返事を、彼が恋バナに乗ることを期待していた。
柴田に視線だけを向けて悪原はボソッと答える。
「そりゃおまえ……一之瀬だぞ」
「一之瀬だからだろ!?」
小声で叫ぶという高等テクニックをさりげなく披露した柴田。しかし彼の言っていることはBクラス男子の総意と言っても過言ではなかった。
一之瀬帆波がとんでもなく可愛くてオマケにスタイル抜群なのは一目でわかることとして、品行方正で気遣いもできるし頭もいいし運動神経も女子の中ではかなりある方だし、あまり知られてはいないものの家事も完璧にできるのだ。
男の理想を絵に描いたようなパーフェクト美少女である一之瀬に恐ろしいぐらい靡かない悪原九郎は、男子たちから見ればもはや僧か何かかと疑ってしまうほどの存在だった。
「じゃあさ、逆にさ、タイプの女の子とかいないのか?」
頭を抱えたくなりながらも柴田は恋バナを続ける。彼の勇気あふれる行動に、テント内の男子たちが皆拍手する。
悪原はゴロンと転がって体ごと柴田に向いた。
「それ聞いてなんか意味あんのか?」
薄暗いテントの中で不機嫌そうな悪原の顔はまさに脱獄して絶賛逃走中の凶悪犯罪者のような面だったが、それに臆さず柴田は言い返すように返事をする。
「悪原。今ここには男子しかいないんだ。つまりやるべきは恋バナ、それひとつに尽きるだろ!?」
「そんな常識のように言われても困る。俺友達いなかったし」
「あっ……なんかごめん……」
テント内の空気が、悪原に同情するような生温かいそれに変化する。地味に神崎が気まずそうに体を丸めた。
「……好きな女の子ねえ」
また体勢を変え、仰向けに寝転んだ悪原は虚空を見ながら呟いた。それは完全に独り言と言っていいものだったが、まさかの反応に再び空気が活性化し始める。
「考えたこともねえな。強いて言うなら、一途で身持ちが固くて、青色が好きで、何よりウザくない女がいい」
ウザくない、というところだけ語気を強めて悪原は答えた。男子たちは思う。『暗に一之瀬はダメだって言ってる……』そう察せるぐらいは、彼らも悪原九郎というある種異分子とも言えるような存在に慣れてきていた。
「な、なんか真面目だな。意外とキャピキャピした子が好きなのかもって思ってたけど」
柴田より早く、誰かがそんなことを口にした。次の瞬間、空気が一気に冷え込むこととなる。
「殺すぞ」
「……いや怖いって」
茶化す風でもなく、純粋な感想を柴田颯が述べる。この発言以降、恋バナは完全に終了するのだった。
一之瀬帆波は目を覚ました。時刻は午前一時、まさに深夜。目が覚めた理由はわからないが、なんとなく、彼女は幼馴染の身に何かあったような気がした。
眠気を湛え、目元をこすりながらヒッソリとテントを抜け出した一之瀬。すると、暗闇の奥に幼馴染の背中が溶けていくのが見えた。
「…九郎くん?」
どこに行くのだろうか。興味の湧いた一之瀬はこっそり後をついていく。バレたら怒られるかもしれないけど、今更ゲンコツの一つや二つ落とされるのは怖くもなんとも…いや怖いことは怖いが、覚悟していれば耐えられる。
静かにコソコソと尾行し続けていると、少し開けた森の広場のような場所に出た。絵本の中に出てくるような、動物たちの憩いの場にでもなっていそうな雰囲気だった。
悪原は音もなく空き地に腰を下ろした。そのまま、ただ静かに夜空を見上げる。一之瀬はそんな幼馴染の様子を木陰から覗き見していたが、何故かはわからないけれど、もう姿を現してもいい気がして、彼女は身を隠すことをやめて空き地に足を踏み入れた。
一之瀬は悪原の左隣に座り、横目で彼を見る。
月光に照らされる幼馴染の髪の毛と肌は青白く輝いていて、今にも消えてしまいそうな儚さがあって、無性に怖くなって、彼女は幼馴染の左手をそっと握った。
幼馴染が離れてしまわないように。消えてしまわないように。どこかに行こうとしても、ついていけるように。
ひたすらに無言で夜空を見続ける幼馴染の隣は、不思議と普段よりいっそう居心地が良かった。
「……月が綺麗だね」
「………そうだな…」
『おまえと違って』なんていう罵倒が付いてこなかったことに、一之瀬はちょっとだけビックリする。いや、確かに罵倒は勘弁してほしいが、普段の悪原は非常に口が悪いぶん──龍園と一之瀬に対してはいっそう──驚きだった。
もう少しだけ距離を縮めてみる。
拒絶はない。
もっと近づいてみる。
やはり拒絶されない。
重ねた手の指を絡め、腕と肩をくっつけて、もたれかかる。
それでも悪原は、身じろぎさえしなかった。
「…九郎くん、覚えてる?」
「……何を?」
「将来の夢」
一之瀬もまた見上げる。どこまでも広がる大宇宙の暗闇。その中で輝くは無数の星々。その小さな光が散りばめられた無限の夜空。
見上げていると、なんだか不思議な浮遊感を覚える。それはまるで、世界から切り離されたような──。
「宇宙飛行士になりたいって言ってたの、覚えてるよ」
「……そんなこと言ってた頃もあったな」
「今もなりたいって思ってる?」
「…どうだかな」
悪原は隣にいる一之瀬に視線を寄越すこともなく、一応答えはしても、ずうっと夜空を見上げていた、が。
不意に幼馴染へ目を向ける。
「…おまえは?」
「?」
「おまえは、覚えてんのか」
「君と結婚するって言ったこと?」
「言ってねえだろそんなこと」
「にゃはは、九郎くんは覚えてるんだね」
正直言うと、あの頃何を願っていたかは覚えていない。ケーキ屋さんをしたかったのか、花屋さんをしたかったのか。それとももっと他のものになりたいと思っていたのか。
ただその
「………ねえ、九郎くん」
「…………なんだよ」
「好き」
「またそれか」
この溢れる熱い感情は何度言っても飽きない。どれだけ伝えても伝えきれない。喉が潰れても言い続けたい。死んでも愛していたいのだ。
「好き、好き、好き」
言葉にするたびに想いが強まっているような気がする。口にするだけで幸せになれる。舌に想いを乗せるたびに、自分がやるべきことが希望の輝きとして示されるような感覚を味わえるのだ。
「私は君を、愛してる」
時々、無性に寂しくなるのだ。埋まらない孤独感がいつだって自分の隣について回ってくる。そのことを自覚するたび、心が冷えて死んでいく。
悪原九郎だけが、他の誰でもない幼馴染だけが、その寂しさを埋めてくれるのだ。
その安心感はまるで焼けこげてしまうようで、ひんやりとしているようでもあって、泣きそうになって、離れられない魅力があった。人智を超えた何かに、魅入られたように…
「…ねえ……ここで寝ても、いいかな…?」
縋るように頬擦りする一之瀬帆波。それを見て悪原九郎は痛ましい目つきになって、ほんのわずかに抱き寄せようと腕を動かそうとして、やっぱりやめて。
見たくないものから目を逸らすように、再び夜空を見上げた。
「…勝手にしろ」
彼はそう言って。じきに、安心しきったような、小さな寝息が耳に届く。無防備な彼女の寝顔はいっそ切なくなるほどに穏やかだった。
悪原九郎は、その後もしばらくそこでジッとしていた。
それは幼馴染を起こさぬようにするための気遣いか、それとも……
どんなものでも受け入れてくれそうな、どんなしがらみからも解き放ってくれそうな闇の夜空ですら、この幼馴染二人を解放することはできそうになかった。
あまり長引いてもあれなので、少し巻きで行こうと思います。