ようこそ一之瀬帆波の幼馴染がいる教室へ   作:クリスマン

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お待たせしました。



船上試験④

 

誰も悪原九郎と龍園翔の不自然な怪我に、ツッコミを入れることはできなかった。

 

できるはずがなかった。ただでさえ敬遠されがちなふたりだ。それでも悪原には友人が、龍園には彼を慕う者がいるが、そんな彼らもやはり『何があったの?』などと訊くことはできなかった。

何が起きたのか予想するのはあまりにも簡単なことだったし、指摘したところで何の得もなさそうだったからだ。

 

ただ、ディスカッションの後に毎回病人のような面持ちとなっていたふたりが何故かスッキリしたような顔を見せていたから、綾小路たちも石崎たちも、結果的にはまあいいのかなと無理やり自分を納得させた。

 

「なんか、アレだよな。見た目通りっていうか。心配じゃないわけじゃないけど…」

 

とは柴田颯の言。その言葉に近くにいたクラスメイトたちも大きく頷くのであった。

 

さてそんな不良コンビだが、テラスで何やら話をしていた。

 

「悪原、テメェ一之瀬の野郎をなんとかしろ。気色悪ィんだよあいつ」

 

「何なんだよいきなり。なんかされたのかよ?」

 

「やたら俺の方を見てくるんだよ。何考えてんのかわかりゃしねえツラでな」

 

「それは気持ち悪ぃな。同情するぜ」

 

とは言いつつ内心どうでもいいと思っていたが。

 

「それだけじゃない。………すれ違い様にな、カッター鳴らしてくんだよ」

 

「……………うわ…………」

 

苦虫を噛み潰したような顔で言う龍園。無論悪原はドン引きである。同時に背中に悪寒さえ感じるのだった。

 

「指摘してもしらを切りやがる。なんとかしろテメェのセフレだろうが」

 

「お断りだ。それとセフレって言うのマジでやめろ身投げしたくなる」

 

彼女扱いされるのも腹立つがセフレ扱いはもっと頭にくる。これが中学時代ならばとっくに龍園を病院送りにしているが、高校生にもなった今そんなことができるはずもない。

しかし、まさか龍園が対処を押し付けてくるとは、という驚きも少しある。そんなに一之瀬が嫌なのか、と思うが自分も一之瀬の相手をするのは嫌なのでお互い様かとすぐに思い直す。

 

「大体おまえはマシな方だろ。俺なんかこの船に乗ってからというものプライベートな時間のほとんどを奪い尽くされてんだぞ」

 

「ちゃんと可愛がってやらねえからだろ。少しは自分の問題点にも向き合ったらどうだ?」

 

悪びれることもなくイジリを続ける龍園に、本気で額の血管がピキリと浮き上がったのを感じる。文句を言おうと口を開き、しかし罵詈雑言の嵐が巻き起こることはなかった。

一之瀬帆波が現れたからだ。

 

「あ!九郎くん、こんなところに………って、どうしたのその顔!?」

 

悪原の顔面にできている痣。それは明らかに、人の拳で殴られた痕跡だった。

すぐに駆け寄って、ベタベタと触ろうとして、その勢いにドン引きする悪原にさささっと逃げられる。

 

「逃げないでよ!」

 

「おまえが離れるなら逃げねえよ」

 

「…それじゃ結局距離が空いたままだよね!?」

 

「今までが近すぎたんだよ。俺がこの船に、おまえがあの無人島にいるぐらいになってやっと適切な距離になる」

 

「それは離れすぎだよ!」

 

「主観でもの言ってんなよ」

 

「君が言う!?」

 

そんなことを言い合っている間もぐるぐると円を描く形で追いかけっこを続けている幼馴染ふたり。その追いかけっこの中心点となっている龍園の目は疲れきっていた。

 

「テメェら、イチャつくんなら場所を選べよ」

 

「海に飛び込んで死ね」

 

「龍園くんはあっち行ってて」

 

相変わらずの悪原はともかく一之瀬にまで邪魔者扱いされた龍園はそっちの方こそ消えろよと内心で悪態を吐きながらしぶしぶその場を立ち去っていった。その背中には隠しきれない疲労が表れていた。可哀想である。

 

「……それで九郎くん、なんで龍園くんと喧嘩なんかしたの?」

 

「………誰のせいだと思ってる?」

 

松葉杖を横薙ぎに振りまくって幼馴染の接近を許さない悪原の目は厳しい。ところが一之瀬の頭の上にはハテナマークが浮かんでいる。自分の行いが当の想い人にどう思われているのかわかっていないらしい。

 

どうしていらないところでは勘が鋭いくせに、こういう時は鈍くなるのだろうか。

 

「え、と……私のせい、かな?」

 

「わかってるなら自重しろ、おまえのやってることをおばさん(一之瀬母)が知ったら泣くぞ」

 

「そう?お母さんならわかってくれるよ、きっと」

 

この母親への謎の信頼はなんなんだろうと思う。

 

「…まあ、もうおばさんに会うことはねえからな。知ることもねえか」

 

「なんで?結婚する時に挨拶しないと…」

 

ビキッ、とまたしても苛立ちに血管が浮き上がる。ただでさえ自分が結婚なんてお笑いなのに、よりにもよってこの、一之瀬と結婚だなんて。

想像するだけで嫌になる。もし綾小路や神崎の存在がなかったとしたら、悪原はおそらく今、この瞬間に、なんの躊躇もなく、船を取り囲む大海原へ身を投げていたことだろう。

 

「結婚、か。一之瀬…くくっ、おまえそんなに俺のことが憎いのか。まあそうだろうな…」

 

「えっ、な、何言ってるの!?」

 

当たり前の話だな、とひとりで勝手に納得する悪原をゆさゆさと揺らしまくる。誰よりも長い付き合いがある一之瀬ですら、今幼馴染が発した言葉の意味が全くわからなかった。

 

「憎くなんかないっ!好きだから!信じられないならホームルームの時に君へのラブレターを読み上げ──」

 

「うるさい」

 

「……は、はい」

 

流石に首を掴まれてしまうともう黙るしかない。一之瀬の細い首など、悪原の手にかかれば鉛筆のようにあっさりとへし折られてしまうだろう。言いたいことはまだまだあったが、一之瀬は仕方なく口を閉じた。

 

「おまえはすげぇよ。龍園より人にストレスを与えられるんだからな」

 

「…それ褒めてないよね」

 

「当たり前だろバカが」

 

いつにも増して幼馴染の機嫌が悪い。次から次へと飛び出してくる侮蔑の言葉に一之瀬の心の中で苛立ちが募っていく。

しかしその苛立ちの原因も矛先も、すべて悪原ではなく龍園に対してである。先ほどまで悪原と龍園が話をしていたところは見ていたが、その話の内容まではわからない。それにもかかわらず一之瀬は、幼馴染の機嫌が悪いのはすべて龍園のせい、と決めつけていた。実際悪原が龍園のことも鬱陶しく思っているのは事実ではあるのだが、彼からしてみればとんだ迷惑である。

 

今度坂柳さんと呪いについて話し合おう、と内心で意気込む。

 

「…じゃあさ、私は何をしたら君のストレスを解消させられるのかな?」

 

「自主退学するか、離れるか、二度と話しかけてこないか、姿を現さないか、自主退学するか」

 

「二回も自主退学勧める!?」

 

「うるさい」

 

「とにかく、今君が挙げた案以外で!」

 

「……じゃあ、俺じゃない奴を好きになれ」

 

「それは無理だよ」

 

「(コイツ、俺にはやってみなきゃわからないとかほざくくせに……)………柴田とか悪かねえだろ。性格もいいし頭も足りねえわけじゃ…」

 

「嫌!私は君以外好きにならない!柴田くんなんかどうでもいいもん!」

 

全力でかぶりを振る一之瀬。頭の動きに連動してチャームポイントのひとつである長髪が暴れまくる。しかしそれによって髪が絡まったりシルエットのバランスが崩れたりするようなことはほとんどなく、一之瀬がしっかりと髪のお手入れをしていることが窺える。そして悪原はそれを見てまた一段、苛立ちが増した。

もちろん普段ならこんな些細なことで苛つきはしない。どうでもいいこととして気にもしないだろうが、ここまで苛ついているのは今の環境が原因だった。

そう、言うまでもないことだが、やはり全てグループディスカッションが原因である。

 

悪原の機嫌が悪ければ悪いだけ、一之瀬にとっては自分への風当たりが強まってしまうため少し困る。どれだけ貶されようが好きなのも愛しているのも変わらないし、隣に居られるだけで幸せではあるのだが、全く傷つかないわけではないのだ。超高速で修復されるだけで。

まあ、綾小路の移籍が確定してさらに夏休みに入ればかなり機嫌も良くなって距離を縮めやすくなるはず。そう考えてメンタルを安定させつつ一之瀬は幼馴染に絡み続けていた。

 

…ちなみに同時刻、柴田は何故か無性に泣きたくなったのだが、その原因が明らかになることはついになかったという。

 

「もうっ、こうなったら私の方であれこれ試すからね?」

 

「凶悪犯罪を未然に防ぐために海上警察隊を呼…」

 

「そんなことしないから!」

 

「ストーカーの現行犯が何を言ってんだか………」

 

「九郎くん、それは違うよ。私はただ君と一緒にいようとしてるだけだから、ストーカーとは違うの」

 

「…………………」

 

正論を言い放ってやったとばかりに得意げな顔をする一之瀬。世界的な名医でもこいつ相手では匙を投げるのではないか、いや、脳の構造が完全に解明されてあらゆる生来のハンデを無くせるようになったとしてもこいつの矯正は不可能なんじゃないか。悪原はいよいよ胃がキリキリ痛み出したのを感じた。

 

(耐えろ…耐えろ俺…ゴールはもうすぐそこだから……あと一歩……もうひと踏ん張り……)

 

自らに暗示をかけて荒れ狂う精神を宥める。そうしないと本当におかしくなりそうだった。

 

「九郎くん、大丈夫?なんだか苦しそうだけど」

 

こいつは誰のせいだと思ってるんだ?

 

プツン、と何かが切れた音がした。

 

「一之瀬」

 

「うん」

 

「人間はゴールがあれば耐えられる生き物なんだよ」

 

「…うん?」

 

「今から一時間、おまえを殴りまくる。耐えきれたら猫チュール一本やるよ」

 

「え?いや、猫チュールって、私…」

 

拳をパキパキ鳴らしながらジリジリ近づいてくる悪原。普段なら赤面するだろうが今回に限ってはそうでなく、一之瀬は慄きながら後ずさる。

一歩一歩、お互いが足を進めるその度に、悪原の目には影が差し、一之瀬の顔色は悪くなっていく。

 

「あっ、ちょっと、待って待って待って待って!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「待って!!落ち着いて九郎くん!!話せばきっとわかりあえるから!!」

 

「うるせぇ!!!一之瀬の分際で人間の言葉を使うな!!!」

 

「それは流石に理不尽!!!」

 

何やってるんだあいつら、と生徒たちは一之瀬と悪原を眺める。この二人が一緒にいるのはよく知られているし、一之瀬が猛烈な恋のアタックを繰り返していることもそれ以上に知られていたが、なぜか今回は一之瀬が悪原に追いかけ回されている珍しい展開に野次馬たちは興味津々だった。

 

「九郎のことは知ってたが、一之瀬も足が速いんだな」

 

「……いや、あれは一時的に限界を超えているだけだと思うぞ」

 

目の前を豪速で駆け抜けていった一之瀬と悪原を見送った綾小路が呑気なコメント。何か勘違いをしていると思われる綾小路に神崎が訂正を入れるのだった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

突如として鳴り響いたアラームが耳朶を打つ。端末から発せられたそれは、学校から生徒たちへ重要なメッセージが送られてきたことを意味する。

時にスパに逃れ、時にカフェに逃れ、時に女子トイレに逃れ、時に従業員エリアへ逃れ、普段ならできる気もしないパルクールアクションを決めながら大逃げを続けていたものの、とうとう松葉杖を振り回す悪原*1に捕まってしまい、最後の悪足掻きに決死の説得を試みていた一之瀬。しかしこのメッセージ通知のおかげで彼女はギリギリのところで助かることとなった。

 

〝懲罰〟の執行を邪魔されて不満そうに悪原がメールを確認し、眉を顰める。

 

「ど、どうしたの?」

 

「猿グループが終わった」

 

「え?」

 

「誰だか知らねえが余計なことしやがって……」

 

直後に悪原の携帯へ電話がかかる。相手はCクラスで独裁体制を築いている男、龍園翔。

 

「俺だ」

 

『猿グループを終わらせたのは誰だ?』

 

「知らねえよ馬鹿」

 

『ああそうだな、テメェに期待した俺が馬鹿だったぜ』

 

「うるせえな……」

 

『残念だったなぁ悪原。猿グループってことは当てられたのはBクラスだろ?』

 

愉快そうに煽る龍園。電話越しであるにもかかわらず、彼の嘲笑う表情が目に見えるようだ。わざわざ電話をかけてきたのも煽るのが目的だったのだろう。当然悪原は面白くない。

 

「やかましい。目的は達成できるんだから文句はねえよ」

 

『文句はない?ハッ、どうだか──』

 

通話をブチ切り、龍園の番号を着信拒否した悪原。目をやると、そこには不満たっぷり膨れっ面の幼馴染と目があった。

 

「何だよ気持ち悪い」

 

ここで一之瀬に対して『気持ち悪い』と言えるのは悪原ぐらいなものだろう。

 

「……私より龍園くんと話してる方が楽しい?」

 

「目クソ鼻クソって知ってるか?」

 

「龍園くんなんかに構わないでよ!」

 

また始まった。悪原はもういい加減にしてほしいと言わんばかりにゲンナリした面持ちでため息を吐く。

 

「誰と関わろうが俺の自由だろうがこの美人局野郎が」

 

「美人局なんてしたことな…そうじゃなくて!話を逸らさないでよ」

 

「おまえが勝手に反応してるだけだろ」

 

「反応するなっていうのは無理があると思うな」

 

ほっといたらどんどん過激になっていくし、と一之瀬はぼやいた。

 

「とにかく、龍園くんなんかほっといて私を見てね」

 

「無理」

 

「即答!?」

 

「おまえを見るぐらいなら砂袋を見る方がいい」

 

あまりに無情な言葉にうう、と胸を抑える一之瀬。長年自分磨きを続けてきたのにそれが砂袋以下と評されてしまえば、誰だって大きな精神的ダメージを受けるだろう。

けれども一之瀬のメンタルはこんなことでは砕けない。すぐに砂袋に対抗すべく自分の長所を挙げ始める。

 

「で、でも九郎くん、私は砂袋と違って君の役に立つよ?」

 

「砂袋はウザくねえし邪魔になることもしねえ」

 

「ふぐぅ…」

 

ちょっとすり寄るだけで手加減無しのストレートパンチが飛んでくるのは流石につらい。しかもその一発一発が桁違いの威力なのだから尚更。

そして言い返そうとするとそれを遮るように凄まじい形相で睨まれる。どこかの任侠モノの作品に出てきてもおかしくない迫力だ、なんて感想を抱くのは余裕なのかそれとも諦めなのか。

 

もはや挫いた脚のことなどどうでもいいのか、それとももう治ってきているのか、悪原は早足で歩き出す。それを必死に追いかける一之瀬。

 

────早く試験が終わってほしい、と願うのは悪原も一之瀬も同じだった。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

子グループの試験が終了したことを知らせる通知音が突然けたたましく船内に鳴り響いた。

さらにもうしばらく時間が経って、酉グループの試験も終了したことが知らされる。

これはディスカッション後の回答受付時間外での出来事であり、つまりそれは結果3を狙った何者かが裏切ったということを意味する。

 

まあ、犯人はBクラスの生徒なのだが。いつでもいいから裏切るよう指示しろ、と悪原から指示を受けた一之瀬が適当なクラスメイトに個人メールで指示を出しただけだ。

 

どちらもAクラスの生徒が優待者。悪原が法則を見抜いてしまったせいで、もうAクラスは100クラスポイントものマイナスを受けることになる。そして、唯一やり返せそうな坂柳は綾小路が同じグループにいないせいで完全にやる気ゼロ。*2

 

さらに追い打ちをかけるように、午グループと亥グループが終了した。午グループはDクラスの生徒が優待者だが、亥グループの優待者は言うまでもなくAクラスの生徒。この二つの事件の犯人はCクラスの生徒だ。当然、龍園の指示によるものだ。

 

変な情けなど無用の競争相手とはいえ可哀想だな、と悪原は思った。

 

そして、辰グループでの(グッダグダの)話し合いにより自分たちのグループと丑グループ、寅グループの二つで結果1を出すという方向性で固めることができた。丑と寅の優待者はB、Cクラスの生徒である。これによってBクラスは大量のプライベートポイントを得て、Cクラスにも同等の収益と一部グループを裏切らせる権利を与えるのが龍園との取引だった。

 

もちろん、事が終われば敵同士だ。親友を陰険脅迫教師から助けだすという最優先目的に匹敵する新しい目的が発生しない限り、悪原と龍園はこの先一生いがみ合い続けるのだ。

 

…ちなみに、丑と寅グループで結果1を出そうという明らかにB、Cクラスが大きく得をする案が通ったのは、坂柳の奇言と一之瀬の猛アピールと悪原の暴力と龍園の暴言が飛び交う地獄に他クラスの生徒たちが疲れ果てていたのもある。

考えてみてほしい。存在しない記憶を自慢げに一日中でも語り続けるロリと、前者のお喋りを助長する上に場を憚らずバカップルのように幼馴染にベタベタとくっつきまくる超美少女と、その美少女をボロクソに貶し時にはゲンコツを落としたり脇腹を抉るような貫手をくらわせたり時には蹴りを入れる札付きの不良と、その不良の神経を徹底的に逆撫でする半グレのリーダーみたいな男が一時間ずーーっとペチャクチャと騒ぎ続けているのだ。

これはほとんど坂柳が黙らないのと一之瀬がアピールをやめないことが原因ではあるのだが、周囲からすればそんなこと関係ない。ただひたすらにやめてほしいと願うだけだ。

とにかく、この地獄を毎日一時間それも二度も強制的に味わわされることになるのである。それがどんなに辰グループに配属された罪なき生徒たちの精神をガリガリと削っていったかは、想像に難くない。

彼らとてまだ高校一年生、ほんの数ヶ月前まで中学生だったのだからこの地獄が嫌になるのも仕方ないことだろう。まあ、葛城や堀北などは疲れのあまり冷静な判断力を失っていたことに気づき、試験後頭を抱えたり天を仰いだりしていたが。悪原なども哀れではあるが、一番の被害者は彼らと言ってもいい。

これを、ルールに抵触せず相手のメンタルを削る巧妙な作戦と考えるかはその人次第だろう。

 

なお今回の試験で最も株を落としたのは言うまでもなく坂柳で、逆にほとんど株が落ちなかったのは一之瀬だ。

坂柳はともかく、一之瀬に関しては『それ本当か?』となるような疑わしい話をしなかったことや、悪意のない態度と彼女の生来の人柄、そして猛アピールのお返しが暴力暴言というあまりに報われないものばかりだったことから、なんとなく、なんとなく生徒たちは自然と一之瀬に同情的になっていたのだ。

無論、悪原と龍園に関しては、ほぼ悪評が広まるだけに終わっている。

 

そして、当然のことだが次のディスカッションで一気に4グループの試験が終わったことについて話し合おうという流れになる。

 

「単刀直入に言わせてもらう。俺は4グループを終わらせたのは龍園、悪原のどちらかだと考えている。一応、聞かせてもらうが…どうなんだ」

 

「今回は全部一之瀬が仕切ってるから俺は知らねえ」

 

「俺も何のことだかわからねえな。クラスポイント欲しさにDの不良品どもが裏切ったんじゃあねえのか?」

 

葛城のストレートな質問に悪原はつっけんどんに答える。龍園も同様の答えだがやたら白々しい上に余計なひと言を付け加えるのが彼らしい。堀北は龍園を睨み、櫛田は少し悲しそうだが両者とも無言。平田も何も言わなかったが、心外だと言わんばかりに眉が下がっている。

 

「龍園くん、訂正してください。〝清隆くんを除いてDクラスの不良品ども〟と言い直してください。あ、もちろん名前呼びは許しませんよ」

 

「自分たちに損害が発生するや否やすぐ俺のせいにするのはどうかと思うぜ。テメェらが将来冤罪にでも加担してても俺は驚かねえよ」

 

「俺をハブってんじゃねえぞおい」

 

「テメェは疑われてもしょうがねえ顔してるだろ」

 

「龍園くんだって人のこと言えないよね!君の顔に比べたら九郎くんは仏様だよ!」

 

「…っ」

 

ドスッッ

 

「い、痛ああぁあ」

 

貫手を脇腹に食らった一之瀬がバランスを崩して倒れる。悪原と龍園はそれを冷たい目で見下ろす。坂柳はすぐに駆け寄り一之瀬を抱き抱えて喚きだす。他の生徒たちは、虚空を見つめる。

これももう何度目だろうか。悪原と一之瀬の影が濃すぎて存在自体が薄れつつある津辺仁美などは悟りを開いた眼をしている。

 

誰が話し合いを進行させようとしても、どう頑張ってもこうなってしまうのである。坂柳の話はほぼスルーされるが、すぐに悪原か龍園がトリガーを引き、一之瀬が悪原を褒めた途端悪原から暴言か暴行を受け、彼女を介抱しながら坂柳がギャアギャア騒ぎ始める。そこからはノンストップだ。

誰もこの4人を止められないのだ。唯一口を挟める葛城が苦言を呈しても、『だってこいつが!』状態で話が進まない。

津辺は悪原が怖すぎて口出し不可能。Cクラスは龍園が怖くて出しゃばれない。いつしか堀北も櫛田も平田もどうしても必要でない限り口を閉じるようになった。

 

────だが、それもあともう少しで終わる。試験は四日目、すなわち最終日。あとほんの数十分耐えれば悪夢は終わる。

 

「何度言えばわかるんですか悪原くん!あなたを世界で一番想ってくれている一之瀬さんに他ならぬあなた自身が暴力を振るうなど許されることではないと!申し訳ないとは思わないのですか?」

 

「テメェ松葉杖で床叩くんじゃねえようるせえな。悪原の悪は行儀が悪いの悪ってか?」

 

「うるせえのはそっちだろうが、いちいちいらんこと言いやがって、そんなにお喋りしたいなら取り巻きどもに昔の自慢とメンツのことでも語ってろ」

 

「ねえ、坂柳さんのこと無視するのやめない?こういうことはよくないと思うの」

 

(((早く、はやく終わってくれ…!)))

 

最後のディスカッション終了まで残り、40分。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

「失礼します……」

 

「あるぇ〜悪原くん、せんせえに何か用事ぃ?」

 

うわ酒臭っさ、と悪原はディスカッションでの疲労も忘れるほどにドン引きした。

船内での職員室に入った途端に押し寄せてきたアルコール臭。その発生源は悪原九郎が所属するBクラス担任教師、星之宮知恵その人であった。机の上にはいくつもの缶ビールが空けられた状態で並んでおり、さらに二、三個は床に落ちていた。

この場にはDクラス担任の茶柱、Cクラス担任の坂上、Aクラス担任の真嶋と、各クラスの教師たちみんなが居合わせていたが、星之宮を除いた全員が嫌そうな顔で仕事をしていたのは言うまでもない。

 

これは相当出来上がってるな、と一応の飲酒経験から察する。

 

「用がふたつにたった今増えましたよ……先生、呑みすぎです」

 

「なんれさ!わるい!?」

 

「悪いに決まってるでしょうが。これ絶対二日酔いしますよ。なんでこんなに呑んでるのか知りませんが、もう少し色々と憚ったらどうです。仮にも保健医として恥ずかしいとは思わないんですか?そんな気持ちはとっくの昔に酒で流しましたか?社会人としての常識はアルコールと一緒に蒸発しましたか?先生の頭蓋骨の中身はアルコールとヤニしか詰まってないんですか?龍園以下ですね」

 

いいぞもっと言ってやれ、と坂上が内心ニヤついていたことを悪原が知る由はない。

 

「うるはい!悪原くんも呑めばわかるょ!そしたら一之瀬しゃんともうまくいくでしょ!」

 

「嫌です、飲みません。そして一之瀬と馴れ合う気もありません」

 

話は通じてるだけ予想よりだいぶマシか、と思うも一之瀬のことを話題に出されて悪原の機嫌は一瞬で下降する。

 

「なんれ呑まないの?一之瀬さんがかゎいひょうとは思わないの?」

 

「酒は嫌いなんで。それと一之瀬のことはいつも可哀想だと思ってますよ、俺になんか惚れちまって馬鹿としか言いようがない」

 

「なんでお酒が嫌いらの?」

 

「親父が飲酒でやらかしましたから」

 

瞬間、酔いが醒めたのか星之宮は目をぱちくりさせた。その後しゃっくりを一度して、缶ビールから手を離す。

 

「あ、あー…えー…それは、ご、ごめんね」

 

各生徒のデータを学校は調査している。家族構成や成績はもちろんとして、学生時代どういった評判だったのか、その頃の生徒を取り巻く環境のことまでしっかりと。

悪原も例外ではなく、父親が有罪判決で捕まっていたことは星之宮も知っていた。だが彼女が知る情報はそこまでであり、具体的に何の罪で、何が原因で逮捕されたのかまでは知らない。

星之宮が呑みまくっていたのは試験結果の集計中に『あれ、うちのクラス、もしかしてAに上がるんじゃあ?』と気づいて大歓喜していたからなのだが、悪原の実父がお酒関係のトラブルでムショ行きになっていたとは…彼女は心の中でため息を吐く。そりゃあお酒が嫌いにもなるだろう。

 

「いいです。それより場所変えたいんですけど。酒臭くてどうかしそうです」

 

「わ、わかったわ」

 

生徒指導室に相当する部屋に移動し、気を取り直して話を再開した。

 

「それで、何の用?」

 

「Dクラスの綾小路をこっちに移籍させる話です。話を通しておこうと思いまして」

 

「ああ、なるほどね」

 

星之宮はすぐに納得する。以前話を聞いてはいたが、もうその時が来たとは。

綾小路清隆のことは星之宮も知っている。Dクラスどころか一年生の中でも学力、運動能力共に最上位層にいる生徒であると。しかしクラス内では限りなく浮いており、一方Bクラスではまるでクラスメイトの如く溶け込んでいることも。

そんな彼が自分のクラスに来るのなら反対する理由なんてどこにもなく、さらに星之宮は茶柱と学生時代からの因縁がある。綾小路がDクラスから消えればそれだけで、逆転が限りなく厳しくなるのは確実。さらに言えば2000万ポイントを達成した前例は存在しない。そのためクラス移動などありえない、そう誰もが無意識のうちに思い込む。そこに突きつけられる、移動を果たした人間がいるという現実。それがDクラス、正確には茶柱に与えるショックの大きさは想像に難くない。

『ざまあみろ!』という思いを共に、星之宮はこの上なく満足そうに頷いた。

 

「ポイントは足りて……ないわけないか」

 

「試験が終わった後に支払います。先生に送信すればいいんですかね」

 

「それで大丈夫よ。……ねえ」

 

話は終わったと判断した悪原だったが、星之宮に背を向けた途端に声をかけられて足を止める。

 

「なんですか」

 

「んー、大したことじゃないんだけど…一之瀬さんの何がダメなのかなと思っただけ」

 

「……またその手の話ですか」

 

一之瀬の話をすれば悪原が機嫌を悪くするのは、星之宮もよく知っていた。けれども気になったのだ。

 

「ディスカッション中に悪原くんが一之瀬さんを散々な目に遭わせてたこと、こっちには全部筒抜けなんだよ〜」

 

悪原は以前『一之瀬のことは嫌いじゃない』と言ったことがある。それにもかかわらず、彼は一之瀬をボロクソに貶し、アピールが過ぎた時には躊躇なく暴力による制裁に出る。好きな子にちょっかいをかけてしまう、なんていうものでないのは明白。純粋な拒絶だ。

 

そこから予想できるのは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という可能性。

 

「はぁ……前にも似たような話をした覚えがありますよ、何度も何度も何度も何度も。考えることは皆同じなんですかね。…ほんとにクソみてえな質問だよ」

 

突然ドスを利かせた低い声で悪態を吐いた悪原に、星之宮の全身が自然と強張る。

 

「あいつの何がダメなんて明らかだろうが。…男の趣味が悪いなんてもんじゃねえ、イカれてる」

 

「…つまり、悪原くんは一之瀬さんのためを思ってあのように接してる、ってこと?」

 

悪原は自己評価が低い。能力はともかくとして、人格面においてはクズ以外の何者でもないと信じている。それこそ、龍園以上の。

そこまで察することができないにしても、今の発言は星之宮にしてみれば『自分のような男と添い遂げようとするのは間違っている』『自分では一之瀬を幸せにはできないだろうから、今のうちに突き放す』という意味なのではないかと受け取るのに充分なものがあった。

しかし、悪原の答えは星之宮の予想とは全く異なるものであった。

 

「……()()()()()()

 

「それも…?」

 

それもある、ということは他の理由があるということ。当然その理由が気になる星之宮であったが、悪原はおしゃべりが過ぎたと思ったのか、もう話をする気はないらしく口を閉じ、不機嫌全開で床を踏みしめながらドアノブに手をかけた。

仕方ない。一之瀬に関する話題に乗ってくれたことも、一之瀬に対する感情の一端でも話してくれたことも星之宮にとっては奇跡に等しい。

 

「あ、ねえ悪原くん」

 

「はぁ… …まだ何かあるんですか」

 

「その声、たぶん君が思ってる以上にみんなを怖がらせてるわよ。やめたほうがいいんじゃない?」

 

「お断りします。ナメられたら終わるんで」

 

「なにヤクザみたいなこと言ってるの……」

 

即答で返されて呆れる星之宮を置いて、悪原は退室していった。最後に彼女に頭を軽く下げて『失礼しました』の一言を残していく妙な律儀さが彼らしい。

そういった、クラスメイトから見れば少々近寄り難い存在である反面目上の人間である教師にはきっちりと礼節を弁えている一面が、ただの不良にとどまらない、ヤクザっぽさをより引き立てているのだが……本人はそれをわかっているのかいないのか。

 

(まあ、見た目の割に礼儀正しいとは言っても、さっきものすごく貶されたんだけど)

 

お酒を飲んでいたあのときに『龍園以下』と罵られたのはしばらく記憶に焼きついて離れなそうだ。星之宮は目を閉じ、少なくとも悪原の目の前でアルコール臭を漂わせないよう気をつけようと心に決めた。

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

九郎は大丈夫なのだろうか。綾小路が彼を最後に見た時は『これで最後これで最後これで最後これで…』とぶつぶつ暗示を唱えており、あれは相当精神にキているのではないかと結構不安に感じていたのだ。

ともあれ、最後のディスカッションが無事終了したこともあり今からあれ以上に狂うことはないだろうが、気になるものは気になる。

 

しかし今、綾小路は悪原のそばにはおらず、完全に別行動をとっていた。

 

「ごめんね、待たせちゃったかな」

 

自分がこれから移籍するクラスのリーダー、一之瀬帆波に、改めて話をつけておくために。

 

「いや、別に」

 

「そっか。…それで、綾小路くんが私たちのクラスに来るっていう話だったよね?」

 

「ああ。そのことについて言っておきたいことがある」

 

まずは、一つ。

 

「…オレを受け入れてくれたことに、感謝を伝えたく、てな」

 

言おうと決めたのは自分だが、いざ口にすると中々にむず痒い。いつの日だったか、感情など不要と判断したのは。それっきり心が揺れ動くことはなく、あったとしても無視をして、ただただ機械的に、合理性だけを突き詰めた手を打ち続けた。そうして勝ち続けてきた。それによってただひとつの勝利を掴み続けてきたという明確な正解があったから、綾小路の心はますます平坦になった。

だがこの高校への入学を機に、また感情に興味を持った。本の中、データの中でしか見たことのないアクティビティの体験、栄養面だけを徹底的に突き詰めただけのモノとは全く異なる豊かな飲食、そして打算のない関係性である友達という存在ができて、ホワイトルームでは決してあり得なかった人間とのコミュニケーションを経て、平坦なだけだったはずの心に再び動きができた。

 

「お礼なら九郎くんに言ってあげて。私がしたことなんて何もないよ」

 

「いや、一之瀬が認めたという事実がオレには何よりありがたかった。この学校は別クラス同士の敵対を、抗争を煽っているからな」

 

自分は何もしていないと首を横に振る一之瀬の言葉を綾小路は否定する。あの日、あの場所、あのタイミングで、他ならぬ一之瀬が認めたからこそ、彼らは自分を受け入れてくれたのだと。

もちろんクラス全員が疑念を全く持っていないようなことはないとは思うが、一之瀬がどう思っているかがあのクラス内でどれほど重要視されていることか。

それはクラスメイトたちの過信とさえ言える一之瀬への信頼が成せることだった。

 

「…だから……オレが移動した後、もしオレにできそうなことがあったら……言ってほしい。できる限り力になる」

 

その見返りに、自分を使いたければ使えと綾小路は言った。もちろん自分が今言い放った言葉の意味を。一之瀬がそのまま受け取ることを理解した上で。

 

こんなことを言ったのには理由がある。

まず、悪原は綾小路のために動いた。言葉だけで言ってしまうと、悪原に直接的なメリットはない。

常識的に言えば『友達だから』で済む話ではあるのだが、人との深い繋がりなど無駄・無意味でしかなかったホワイトルームで育ってきた綾小路にはありがたく思えつつも理解し難い行動ロジックだった。

だから考えた。能動的に動くことは難しいとしても、あの親友と同じように、人のためになるようなことにチャレンジしてみたら、何か学べることがあるかもしれないと。

ホワイトルームで得たことの中で外の世界でも明確に役立っているのは今のところ学力や運動能力といったわかりやすいステータスだ。人を道具として扱うよう教育されたにもかかわらず、それを実践する必要が現状全くない。

はたしてホワイトルーム、並びにあの男の思想は正しいのか、間違っているのか、そして自分は何を思い、どのような結論に至るのか、何をすればいいのか。

それを知りたい、確かめたい。

 

結局自分本位な理由ではあったが、それでも、人間らしい感情など無用とされ、非情な手を躊躇なく打つことが正しいとされていたホワイトルームの教育を最後まで受講し終えた綾小路にしては、かなり人の感情に歩み寄った考えだった。

 

「へえ……?本当にいいの?」

 

「………ああ。自爆特攻しろというような命令は拒否させてもらうが」

 

「そんなこと言わないよ。…今ならまだ取り消しが効くけど」

 

「いい。自分で決めたことだ。曲げるつもりはない。なんなら、契約書でも用意するか?」

 

言いつつも、やけに入念に確認してくるな、と疑問に思う。まあ確かに確認は大事だが、本当に骨の髄まで利用し尽くすぞ?それでもいいのか?と言われている気がして、わずかに躊躇いが生じる。

けれどもそれをねじ伏せて、綾小路は宣言するのだった。あの親友ならば、ここで引いたり甘えるようなことは言わないだろうという確信を持って。

 

「そっか……。じゃあさっそくだけどひとつお願いがあるんだ」

 

「なんだ?」

 

いきなりだな。まあ一之瀬の頼み事は想像がつく。おおかた九郎との仲を取り持ってほしいといったものに

 

「坂柳さんと連絡先交換してあげて?」

 

 

 

 

 

「」

 

 

 

 

 

 

 

 

人のために動いてみるということを実践し始めた初日に、綾小路清隆は早くも一つの学びを得た。

 

 

─────助ける人間は選ぶべきだ。

 

 

*1
怒りの力で怪我を無視していた

*2
もしいたとしても坂柳が働いていたかは疑問だが





半年!半年ですよ、読者の皆さん!

リアルがあれこれ立て込んでいたとはいえエゲツナイほど時間が経ってて、もう小説そのものを消すか一からやり直したほうがいいのかななんて思ってました。
一応更新できていなかったあいだに展開や設定を練り直せたので、残る敵は執筆する時間だけですね…。
次の夏休み編では悪原くんのまだ見ぬ一面をたくさん書いていくつもりなので、お楽しみに。

試験後のクラスポイント

Aクラス(降格) 804
Bクラス(昇格) 930
Cクラス 768
Dクラス 247
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