ようこそ一之瀬帆波の幼馴染がいる教室へ   作:クリスマン

28 / 29
また短編集です。というか本文から削ったものがちらほらあります。




瑣末な話②

 

☆ハッピーバースデー、一之瀬帆波

 

「九郎くーーん!」

 

いつも通りの光景だった。一之瀬が元気いっぱいに悪原の下へ駆け寄って、悪原は嫌そうな顔をする。すっかり日常の一部となったこの光景に、彼は何とも言えない気持ちになった。

 

「おまえ、どこから湧いて出やがった」

 

「人を虫みたいに言わないで!?」

 

悪原の辛辣な言葉も、それにガビーンとショックを受ける一之瀬も、全くいつも通りであった。

 

しかし、今日は少し事情が異なる。

 

「それはそうと九郎くん!今日は何の日かわかるよね?」

 

「知らん」

 

「ちょっと待ってえ!!!」

 

三文字で切り捨て立ち去ろうとした幼馴染にすがりつく一之瀬。そんな彼女の姿に悪原は渋い顔をしつつも歩を進めようとしていた足を止める。

 

「なんだよ」

 

「今日は何の日かって!!君なら知ってるはずだよ!?」

 

「七月二十日がなんだってんだ。別に…………あ」

 

どうやら思い当たるものがあったのか、少し目を見開いた悪原。彼の様子に、一之瀬は目を輝かせて、期待に胸を膨らませる。

 

 

「月面着陸の日か」

 

 

「ちがぁあう!!!!?」

 

 

そうして、裏切られる。ひっくり返って転がる一之瀬を見て悪原は不思議そうに首を傾げた。

 

「知らねえの?1969年、アポロ11号が月面に着陸すると同時に人類が初めて月の大地を踏みしめるって偉業を達成したのが今日なんだぜ」

 

「いや知ってる!!知ってるしそうなんだけど違うのぉ!!!」

 

「『この一歩は小さいが、人類にとっては大きな飛躍である』。いい言葉だよなあ。で?それに比べておまえは?中学の時から半歩分も踏み出せてねえんじゃねえか」

 

「急に言葉のナイフを刺してこないで!?」

 

ピーピーと騒ぐ一之瀬を見かねてか、通りすがりの神崎が声をかける。

 

「悪原。アームストロングが月面着陸を達成したのは確かに七月二十日だが、日本時間では七月二十一日になる。だから厳密に言えば違うと思うぞ」

 

「あ、マジで?」

 

そこじゃない。気にするべき点は、指摘すべき点は、絶対的に、圧倒的にそこじゃない。

一之瀬帆波は、心の底からそう思った。

 

残念ながら神崎は彼女の助けになる気はなかったらしい。彼は言うだけ言って、文句を言わせる間も与えず悪原に会釈してから立ち去った。

気を取り直して一之瀬は再度、幼馴染に迫る。

 

「九郎くん!!違うでしょ!?月面着陸じゃないの!!もっと身近で、重要なことが、あるでしょっ!!?」

 

「ハァ?七月二十日にそんな重要なことが………ああ、そういやハンバーガーの日だっけ」

 

「違うしなにそれ!?」

 

ハリセンでも叩きつけそうな勢いでツッコむ。なんで自分の幼馴染はこう妙なことばかり知っているんだと思わないこともないが、そこは今は問題ではない。

 

「ねえ九郎くん。いい加減ふざけるのはやめようか」

 

「ふざける?俺は至って真面目だぜ」

 

まともに取り合ってくれているようには見えない彼の様子に、一之瀬は埒があかないと判断した。

 

「…………九郎くん。ヒントをあげるよ。私と君は、幼馴染だよね」

 

「腐れ縁の間違いだろ」

 

「幼馴染!!!………こほん、とにかく私たちは、お互いのことをよく知ってるよね」

 

「俺はおまえがバカってことしか知らないが」

 

「バカじゃないよ!!!………今日は、私たちにとってすごく重要な日だよね」

 

まるで説教でもしているかのように指を振る。その仕草を少々うざったいと思いつつ悪原は頭を掻いた。

 

「そして最後に、私は今とっても甘いものが食べたいんだよね」

 

「腹でも減ってるのか」

 

「うーん、空いてるというか、空かせておきたいというか」

 

「それに甘いものって、ケーキでも食いたいのかよ」

 

「そうそれ!!それだよ!!」

 

ケーキという言葉が出てきた途端に機嫌を良くする一之瀬。

 

「ケーキが食いたいなら、ケーキ屋にでも行ってこいよ」

 

「えーっと…私は君が焼いたケーキを食べたいなあ、なんて……」

 

「なんで俺がおまえのためにそんなしち面倒くさいことしなけりゃなんねえんだ」

 

いい加減付き合い切れなくなったのか、背を向けてその場を立ち去ろうとした幼馴染にとうとう一之瀬はその瞳に宿るハイライトを消した。

 

「本気で言ってるの?」

 

「……なんだよ?」

 

こうなった時の一之瀬が、悪原は苦手だった。何と言うべきかわからないが、なんとなく、逆らいにくいのだ。かといって彼女のイエスマンと化せば、その瞬間に人としての尊厳を失うことになるかもしれないから、確固たる意志で立ち向かうよう気をつけているが。

地味にこの態度は一之瀬のことを『可愛くて魅力的な女の子』と認めつつも『そういう対象』にはしない悪原だからこそ成せるものである。

 

「ここまで言ってもわからない?」

 

「ああ、なんのことだか」

 

「ふーん………あくまでとぼけるんだ……」

 

ジロジロと意味深に、絡みつくような視線を送ってくる一之瀬が気持ち悪くて悪原は身を固くする。

 

「あーあ、いつから私の幼馴染はこんなに冷たくなっちゃったんだろ」

 

「………………………」

 

「昔はもっと素直で私にべったりだったのになー」

 

「嘘つくなよ嘘之瀬」

 

「……ねえ、その嘘之瀬って言うのやめてくれる?結構傷つくんだよそれ」

 

「傷つくように言ってるからな、無傷なようじゃ困るんだよ」

 

しばらく無言の時間が続き、一之瀬は心の中でやっぱりそうだと歯噛みする。

昔からお世辞にも振る舞いのいい子とは言えない悪原だったが、それでも自分に対しては一定の丁重さを持って接してくれていた。所謂よそゆきでの態度ではない。幼馴染であるからこその遠慮のなさという気持ちのいい関係性。昔はそれがあったというのに、今では完全に悪い意味で遠慮のない態度になってしまっている。

 

一之瀬以外にできた初めての、友人と呼べる存在。それを悪原が得てしまったからなのか、それとも転校後に龍園などの不良集団と争う内に性格がさらに捻じ曲がってしまったからなのか。

 

どちらにせよ一之瀬はあまり面白くない。かつて自分がいた席は、今やすっかり綾小路と神崎に占領されてしまっている。ちょっと外していた間に席を横取りされた自分は立ちぼうけ。

…不愉快だ。

 

「ま、名前いじりはおばさん(一之瀬母)に失礼だからな。おまえがふざけたことしない限りは控えてやるよ」

 

「お母さんだけじゃなくて私にも失礼だよね?」

 

「おまえに礼儀を払う必要あるのか?」

 

「親しき仲にも礼儀ありだよ?」

 

「…………親しき…………?」

 

「そこで疑問符つけないでよ!!」

 

「逆に聞くがよ、俺たちが親しいように見えてる奴がこの場にいると思ってるのか?」

 

「みんなそう見えてるよ!」

 

「ほぉー、言ったな?……おい」

 

悪原は偶然近くに居合わせていた男子生徒の腕を掴んで引っ張り寄せ、耳元で囁く。

 

「よう、あんたは俺とこいつが仲良しだと思うか?」

 

「えっ、あっ、あの、えっと、」

 

「見えないよな?……おぅ?」

 

「はい見えませんと思います失礼しました!」

 

男子生徒は早口で言い終えてその場から驚くほどのスピードで逃げるように立ち去…いや、実際逃げたのだろう。

ともあれ、悪原は今の言質をもとに一之瀬を見下す。

 

「……だってよ」

 

「脅迫して言わせたことは事実にはならないもん!!」

 

「往生際が悪ィぞ。それに何が〝もん〟だ気持ち悪い」

 

ボロクソとはこのことだろう。一之瀬が口を開くたびに罵倒が返ってくる。いくらその人格をよく理解してるからって、好きな人だからって、よく愛想が尽きないものである。

そんなことを周囲の同級生たちは一様に思う。

 

「う〜〜…九郎くんのバカ!」

 

「バカで結構。むしろ俺みたいなチンピラにはお似合いの称号だ」

 

「九郎くん。あんまり自分のことを悪く言うのはやめて。君はそう思ってても私はそうだなんて思わないから」

 

「………………………………なんだよいきなり…気持ち悪いな…」

 

不満そうに顔を赤くして子供っぽい罵倒をしてきたかと思ったら、いきなり真剣な顔つきで『自己否定はやめろ』と注意してくる幼馴染の情緒がわからず、思わず後退りしてしまう。

 

「き、気持ち悪いって……」

 

何やらショックを受けている幼馴染に付き合いきれなくなり、悪原は背を向けて歩き出した。

 

「ああもううるせえ!誕生日だろわかってるよ、菓子のひとつぐらい用意してやるから大人しくしてろよボケが!!」

 

不愉快全開で吐き捨てていった悪原に、一之瀬は数秒キョトンとして、叫んだ。

 

 

「誕生日なのわかってたんじゃんっっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

******

 

 

 

 

 

あのやりとりに何の意味があったのかはさておき、冷静になった後の一之瀬はそれはもう上機嫌だった。数億円規模の宝くじで一等が当たった人間がいたとしても、今の一之瀬の幸せ全開っぷりには負けるだろう。

ずっとニコニコと輝くような笑顔で、授業中ですらウキウキと肩を揺らしていた。そのあまりの輝きぶりに彼女を直視することができない生徒が大量発生するなんてことも起き、特にBクラス内で一之瀬よりも後ろの席の生徒たちは黒板が見えなくなっていたという。

 

そして放課後。『用意するから帰ってろ』と幼馴染にどつかれた一之瀬の上機嫌ぶりは最高潮。帰路についている最中はルンルンとスキップしているか、いきなり恥ずかしそうに頬に手を当ててクネクネするか、突然顔を赤くしてめちゃくちゃに走り回ったりするようなことをずっと繰り返していた。

自室についてからもワクワク感は全く収まる気配がなく、坂柳との個人チャットでメッセージを何度も送りつけたりもした。総文字数一万を超えていたそれは、スパムと思われても仕方のないものであった。

律儀にもそれを全文読み終えた坂柳とのチャットはそれはもう盛り上がった。ベッドの上で転げ回り、床に落下してもまだ転がり続けてついに壁に激突し、しかし痛がる様子もなく立ち上がってパラパラを踊り始める一之瀬の姿は、修学旅行前日の男子小学生を一瞬で悟りの境地に至らせんとするほどのものだった。

 

そして夜8時。寮のルールのために悪原の部屋の前に呼び出された一之瀬は不審極まりない動きを繰り返していた。もし彼女が成人した人間で、ここが学校ではなくどこかのマンションだったなら間違いなく通報されているであろうというレベルで。

だが一之瀬に自分を客観視する余裕はなかった。興奮と期待のあまり、心臓が今にもはち切れそうだからだ。過呼吸にすらなるかもしれない。

一体何度深呼吸しただろう。手のひらに『人』の字を書いて飲み込んだだろう。ジッとしてなんかいられない。とにかく動いていないと体が爆発してしまいそうな気がするから。

 

不意に、扉が開く。一之瀬は垂直に飛び上がった。

 

「………?何してんだおまえ」

 

出てきた悪原の目は完全に不審者を見る目そのものだった。いつもならその眼差しに何かしらの不満を訴えていたろうが、今の一之瀬の頭の中は『九郎くんが私のために何かを用意してくれている』、それだけだった。それ以外のものは全て頭の中から追い出されていた。

 

「まあいい、誕生日おめでとさん。さっさと受け取って帰れ」

 

依然怪しんでいたものの、それを指摘する気にはならなかった悪原は三段重ねのプレゼントボックスを差し出した。下から白、茶色、緑色の箱。それらはきっちりと赤いリボンでラッピングされていた。

高さはそれほどでもないが、横幅は意外とある。例えるならピザの箱が近い。

とにかくこれを見た一之瀬は思わず黄色い悲鳴をあげそうになった。

 

「九郎くん…!?こ、これ本当に私のために、君が…?」

 

思っていたよりずっと手の込んだプレゼント。しかもそれを手渡しで受け取れる。こんな幸せな誕生日、世界の誰も体験したことがないに違いない!本気でそう信じる一之瀬の顔は、この世に存在する全ての希望を凝縮したような輝きを湛えていた。

 

「うるせえ。早く受け取って帰れ」

 

「ありがとう九郎くん!大好き!!」

 

老若男女問わず虜にするような幼馴染の満面の笑顔を見て悪原は複雑そうに顔を顰めた。

 

「ついでに中身とか訊いてもいいかな…?」

 

「カップケーキ」

 

「カップケーキ!?私のために焼いてくれたの!?もうっ、九郎くんったら…やっぱり私たち…………………………………

 

………………………………………………えっ…?カップケーキ……?」

 

私たち両想い同士だね!と言おうとして、思いとどまる。それは悪原の機嫌を損ねることを恐れたからではない。

そう。この三つの箱の中身全てがカップケーキであることを理解したからだ。繰り返すが、この箱の形・大きさを例えるならば、ピザの箱が最も近いのだ。

 

…さらに言っておくと、ラージサイズほどの大きさである。

 

「ひと箱に25個入ってる。下から順にプレーン、チョコ、抹茶の3種類用意してやった。地にそのピンク頭擦り付けておばさん(一之瀬母)に感謝しろ」

 

「いやいや待ってよ!ねえ!それじゃ合計75個……え?毎食一個ずつデザートに食べるとして、食べきるのに25日…消費期限絶対過ぎちゃうよね、うん。それにお母さんにはいつも感謝してるし…あのことを黙ってたのは今も複雑だけど…でもにゃんで土下座?……」

 

思考があっちへ行ったりこっちへ行ったり、ぐるぐると迷走する。

 

「それ今日中に食えよ」

 

「えぇ!!?」

 

75個のカップケーキを今日中に食べきれとは、なんという無茶ぶりか。どこの大食いチャレンジだという話である。

新しい一日が始まるタイミングからチャレンジスタートするとしてもかなり苦しい、いや、不可能だろう。普段小さなお弁当箱を綺麗にちょこちょこお箸でつついて食べている女子の例に漏れない一之瀬には苦しすぎる。

これでは誕生日プレゼントとは呼べない。ただの罰ゲームだ。

 

いくらなんでも無理だよ!そう訴えるが、一之瀬に対して情けのない悪原は聞き入れない。

 

「もし食べきれなかったら俺はおまえとの関わりを全て断つ」

 

「そんなぁ……」

 

なぜ誕生日なのにこんな理不尽な目に遭わなければならないのか。己に降りかかる災難に一之瀬は涙がちょちょぎれそうな思いだったが、しかしここで発想を変える。

 

「……ねえ九郎くん、もし食べきれたら、私のお願いをひとつだけ聞いてくれる?」

 

「あ?ふざけるなゴミ」

 

「まあまあそう言わないで。大丈夫だよ、モラルに反したことは頼まないから」

 

「ストーカーが何を言っても……」

 

「…そういうけどね、君は忘れてることがあるんじゃないかな?」

 

「……何?」

 

「誕生日プレゼントって言っても、それを私が受け取るかどうかは別の話じゃない?私がここでカップケーキを君に突き返したら、もし今日中に食べきれなかった場合九郎くんが私と絶縁するっていうのも成り立たなくなるでしょ」

 

「あっそ、じゃあ返せよ。そしてとっとと失せろ」

 

「本当にいいのかにゃ〜?このカップケーキどうするの?君が全部食べるつもり?綾小路くんや神崎くんに分ける?それでも2、3個が限界でしょ? 確かに君は昔からよく食べるけど、この数を食べきるのはつらいんじゃない?消費期限だってあるだろうし…、……それに……このことを知った八子(やこ)さんはどう思うかな」

 

「て、てめえ母さんに…!…いや!…今更母さんが何を思ったところで、俺には関係ねえ」

 

悪原(あくはら)八子(やこ)……自分の母親の名前を出され、悪原は目に見えて動揺するも、すぐに『すでに見限られた自分には親の意思など無関係だ』と取り繕う。しかし一之瀬は負けずに余裕を感じさせる笑みをもって続けた。

 

「ふーん?八子さんのことだから、自分の子供が未来のお嫁さんの誕生日祝いに嫌がらせとしか思えない数のカップケーキを贈ったと知ったら、きっと悲しむんじゃないかな〜。それでもホントに…関係ないって言える?」

 

「っぐぅ……てめえ、卑怯な…!それと誰が嫁だ!?バカか!?」

 

「八子さんもお母さんもそんなこと言ってたの覚えてない?」

 

「あんなんおばさんと母さんが勝手に言ってただけだろうが!!」

 

「…近所の人にも言って回ってたの知らなかった?」

 

「…………………は?」

 

聞けば、悪原八子と一之瀬母は近所付き合いの一環で我が子たちの仲が本当に良い、あの子にならうちの子の将来を任せられる、などと言って回っていたらしい。いつしかふたりの仲は近所の人々に完全に周知され、一之瀬は何度か恋愛のアドバイスまでもらったこともあるようだ。

 

「あの時は恥ずかしかったけど、今はその通りだってカンジだね」

 

「バカってカンジだねぇ!!!!」

 

何してんだ母さん!?おばさんも!!照れくさそうに頬を掻く一之瀬を恨めしく睨みながら悪原は内心頭を抱える。根回しが早すぎる、というか気が早すぎる。小学生ぐらいの頃の話ではないのか。

どうりでこいつと登下校中近所の人の目がやけに温かったはずだよ!と、今更過去の謎が明らかとなり、彼はますます嫌気がさす。

もう卒業したら家には帰れない、いや母親にこれ以上迷惑はかけられないという思いから元より家を出る気だったのだが、地元に足を踏み入れることが永劫できなくなったことは確定的だ。

まるで村八分だ、と悪原は強く殴られた気分になる。宝泉に金属バットで殴られた時のことを思い出した。

 

「俺をそんなに追い詰めて楽しいか…?」

 

「私は君といたらなんでも楽しいし幸せだよ?」

 

「黙れ、異常者!!」

 

今はそんな話してない!悪原に怒鳴りつけられ、一之瀬はきょとんとした表情を浮かべる。

この顔から察するに、そもそも彼女は自分の幼馴染が精神的に追い詰められているとは夢にも思っていないらしい。

なんだろうか、坂柳とつるむようになってから、良く言えば希望的観測をする傾向が強まり、悪く言えば物事を自分に都合のいいように解釈するようになってきている気がする。

捨てないでと悲観的になるよりはいいのかもしれないが、鬱陶しいことこの上ない。

 

「クソッ!わかったよ!やるよ!食いきれるもんなら食ってみろ、もしできたらお望み通り言うこと一つ聞いてやるよ!」

 

「やった!後から『やっぱなし』は利かないからね!」

 

それじゃ早く食べないと!ウキウキの一之瀬はプレゼントボックスを抱えながら暴走族を彷彿とさせる猛スピードで女子寮に戻っていく。悪原は深い深いため息を吐いた。

 

まあ、どうせ無理だろ…75個だぞ。

 

そう自分に言い聞かせて、その日は就寝したのだが…。

 

 

 

 

 

翌日。いつもより長い時間寝てしまったためなのか逆に眠気を感じつつ、悪原はなんとなく重い足取りで登校する。

なぜかはわからないが、非常に嫌な予感がするのだ。

 

まるでホラー映画で急に静かになった時のような、そういう不安感と共に歩く悪原に声をかける生徒がひとり。綾小路だ。

 

「おはよう、九郎」

 

「んぁ?あぁ……おはよう」

 

「さっそくなんだがこれを見てほしい」

 

言いながら綾小路は自分の携帯を見せる。そこには……

 

心なしか体積が増加したように見える一之瀬帆波が若干苦しそうに見えるものの、達成感あふれる笑顔でピースしている自撮り写真が載っていた。

 

彼女の後ろには()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そして時計が写っており、その時計が刻んでいる()()()()()()()()()

 

………背筋が急激に冷えていくのを感じる。

 

「昨日の深夜、急に一之瀬からメールが来たんだ。『この写真を九郎くんに見せてほしい』って文章も添えられててな」

 

綾小路がいらない情報を付け加えてくる。やめてくれ、そんな、絶望感を増幅させる情報聞きたくない。

 

「昨日は一之瀬の誕生日だったらしいが、何かやらせて…………って九郎……何か顔色が悪くないか?」

 

いや、だって。それじゃまるで…アイツが本当に75個のカップケーキすべてを食べ切ったみたいじゃないか。

 

「…深夜にいきなりそんな写真を撮っておまえに送りつけるなんて、本当に一之瀬は頭がおかしいんだなって思っただけだ」

 

「……………まあ、この時間になんなんだとは思ったが………」

 

一応窘めるような口調ではあったが、『そういうことを言うのはよくない』とまでは言わない綾小路。何かと世間知らずなところの目立つ綾小路だが、悪原が関わってきた時の一之瀬が普通でない勢いであることはそろそろわかってきているらしい。

 

「一之瀬に何か言われたらちゃんと俺に言ってくれよ。なんとかする」

 

「……それはありがたいが、いいのか?」

 

「構わねえよ。これでも言ったことは貫くタイプ……」

 

「九郎くーーーん!」

 

この日、人の目が死ぬ瞬間を綾小路は見た。

声は元気が良かったもののお腹を押さえている一之瀬。おまけにやけに息切れが激しい。

 

「はぁ、はぁ、……おはよう!」

 

「朝から幸先悪いぜ…」

 

「え?」

 

幼馴染のきょとんとした顔を睨んで悪原は歩き出す。何のことかわからないけど挨拶はちゃんとしようよ!と一之瀬が腕に抱きつき、はいはいおはようさん。と悪原がそれを虫を払うように振りほどく。綾小路はいつも通りのやりとりだなとぼんやり思った。

 

「とりあえず…九郎くん!じっくり考えておくからね!」

 

「ああ、せいぜい悩め。そして知恵熱で退学になれ」

 

「知恵熱で退学ってどういうこと?!」

 

昨日のやりとりを知らない綾小路が何の話かわからず不思議そうな顔をする。

 

今朝は天気が良い。けれど悪原は雷雨だったら良かったのにと、ガリガリと頭を引っ掻く。彼にとっては嫌で仕方ない朝になったものの、一之瀬にとっては人類の夜明けとなるのであった。

 

 

 

☆パティシエ?の悪原さん

 

悪原九郎は甘いものが好き。そのことを知る者はたったの3人と非常に少ない。そもそも彼の交友関係が狭いからだが。

言うまでもないがこの情報を知っている3名の名は綾小路清隆、神崎隆二、一之瀬帆波だ。

 

さて、悪原は甘いもの好きだが普段から食べまくっているわけではない。というのも、貧乏根性が身に染み付いているせいだ。母子家庭故にそれほど金もなく、スーパーで駄菓子を買ったこともあまりない。入学初日にコンビニで色々買ったのも、正直言ってしまうと友達ができたやらたくさんの校内通貨を渡されたやらで、割とテンションが上がっていたが故のもの。

 

一度冷静になると、もったいない精神が発動した。綾小路を移籍させるという目的があるとはいえ、時々遊びもするけれど保有ポイントの割には随分質素な生活を送るようになった。スーパーなどの無料商品をガンガン利用していることから、一部金に困っている生徒からは恨まれていたりもするが。

 

ケヤキモールでなんとなくカフェを見て、スイーツを眺めはしても結局手を出さない毎日。けれど甘いものが欲しいという欲求は少しずつ膨らんでいく。安い駄菓子でごまかそうとしてみても悲しいことに上手くはいかない。

 

グミや板チョコが食べたいのではない。スイーツを食べたいのだ。

 

しばらく考えて、悪原は思いついた。

 

自分で作ればいいじゃねえか。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

「ってわけで、パウンドケーキ焼いてみたんだよ。よければ食ってくれ」

 

綾小路の前に差し出された皿の上に乗っているパウンドケーキ。上にはホイップクリームがふんわりと乗っており、ついでに板チョコのかけらなどでデコレーションまでされていた。

 

「初めての割には上手くいったと思うぜ」

 

悪原は少し得意げだ。背丈と体格と雰囲気全てが同年代とは思えない男の、年相応な表情を見て、珍しいものを見れたなと思いながら綾小路はパウンドケーキの端をフォークで切り分け口に運んだ。

 

「………美味い」

 

柔らかくてしっとりした生地の優しい甘味は口溶けが良い。それはホイップクリームと併せてさらに『スイーツ』感を高めており、決して数は多くない板チョコのかけらがいいアクセントになっている。

 

うん、美味い。美味いな。これは。

 

綾小路は素直にそう思った。パウンドケーキを食べるのはこれが初めてだが、なんとなく、これは特に出来がいいんだろうな、そう思った。

そしてまた素直に、その思いを言葉にした。

 

「そうか、よかったぜ。一之瀬に毒見はさせたんだけどよ、あいつ何食っても美味いっていうから信用できなくてなぁ」

 

その言葉に一瞬咀嚼が止まる。なんて可哀想な一之瀬。素直な感想を述べたにもかかわらず信用できないと言われてしまって、もし彼女が今のセリフを聞いたらどう思うのか。

というか毒見って。もっと他に言い方があっただろ、と思うがこの男がどれほど一之瀬を差別しているかは流石にもうわかりきっていることなので、パウンドケーキと一緒に言葉を飲み込んだ。

 

(どうして九郎は一之瀬だけ差別しているんだろうな。)

 

一之瀬帆波という人間を見ていてつくづく思うが、嫌われる要素が驚くほど見当たらない。そういうキャラクターを作っているのではなく、素であの振る舞い方をしているのだから、綾小路にとっては不思議で仕方ない。

それに、なんとなく、なんとなくお願いごとを聞きたくなる、味方してやりたくなる、守りたくなる、不思議な魅力が彼女にはある。

 

悪原は例外なのだろうか。

というか、そもそもこの親友が一之瀬に対して何を思っているのかも未だにはかりきれない。

嫌っているにしては意外と普通に会話をしている。楽しそうではないけれど世間話には付き合うし、稀ではあるが悪原の方から話しかけることもある。

しかし好いているにしては暴言や鉄拳制裁は日常茶飯事と露骨に扱いが悪い。それが照れ隠しの類でないことは間違いなく、さらにそれが『普通』とは到底かけ離れた関係性であることも周囲の反応から明らかだった。

 

パウンドケーキを口に運びながら持参した本を読み始めた綾小路の並列思考など知る由もなく、悪原はホイップクリームをさっさと使い切らないと味が落ちる、なんてことを心配していたのだった。

 

 

 

 

******

 

 

 

 

「おめえ、また来たのか」

 

「はい。お邪魔します」

 

「おい待て、まだ入っていいなんて言ってねえだろ」

 

「…?駄目なんですか?」

 

「………………いや……もういい」

 

いつからだろうか、椎名ひよりが悪原の自室に入り浸るようになったのは。

 

最初はたしか、綾小路からの口コミだったはずだ。『九郎がパウンドケーキを焼いてくれて、美味かったぞ』みたいに伝わって、悪原がお菓子作りを得意としているなんて意外に感じたという椎名が実食に訪れて、たかられたのが始まりだった。

それは一度や二度で終わらず、綾小路と椎名は何度も手作りお菓子を食べに訪れ続け、自分用のティーカップや取り分けるお皿を持ち込んだり、部屋の中に勝手に本を置いたりなど、悪原の部屋はいつの間にかシェアルームのようになっていた。

 

神崎は遠慮してそれほど立ち入ることはないのに、このふたりは……。

 

「今日はガトーショコラなんですね。相変わらずお店で売られていても不思議じゃない完成度です」

 

「九郎、次はフィナンシェを作ってくれ。簡単に作れるという触れ込みのレシピを見つけたんだ」

 

「そりゃあどうも………………それと清隆、おまえは自分で作るって発想がねえのか?」

 

「大丈夫だ、材料費は出す。今回だってオレと椎名で割り勘して出しただろ」

 

「そういう問題じゃねえんだが……」

 

「悪原くん、今日はお茶を入れてきたんです。紅茶よりもコーヒーの方が好きなのは知っていますが、よかったら飲んでください」

 

「…………わざわざどうも、ありがとな……」

 

どっかり腰を落ち着けて本を開く綾小路と椎名。時々横のお皿のガトーショコラをフォークで切り分けて口に運び、紅茶を飲み、読書に集中していく。

まるで自宅のようにくつろぐふたり。これが一之瀬だったら窓から投げているところだった。

 

そして、椎名ひよりが悪原九郎の部屋に入り浸っていることを一之瀬が知って暴走するまで、あと─────。

 

 

 

 

☆髪の色、それと昔話

 

「…なあ、悪原って髪染めてるのか?」

 

意を決したように柴田が悪原に訊く。その問いに悪原は眉を顰めた。

やばい!と柴田は迂闊な質問を後悔しかけたが、反応は淡白なものだった。

 

「染めてねーよ」

 

「え、じゃあそれ地毛なのかよ!?」

 

「地毛じゃなきゃなんだってんだ」

 

「……………………………………………………………………カツラ?」

 

顔面にアイアンクローを受けて悶絶する柴田。そこに一之瀬がトコトコとやってきた。

 

「何の話してるの?」

 

「あ、悪原の髪の色、ぐぉぉおお……!!」

 

「なるほどね」

 

そこまでにしてあげて、と幼馴染のアイアンクローを止めつつ一之瀬も会話に加わる。

 

「でも確かに不思議だよね、なんで毛先だけ青くなってるんだろう?」

 

「知らねえよそんなの…そんなこと言ったらおまえのが謎だろ」

 

一之瀬のチャームポイントの一つであるヘアカラー。見事なストロベリーブロンドであるそれだが、実は彼女の母親と妹は全く違う髪色なのだ。では染めているのかというとそれも違う。彼女の髪色は立派な地毛なのである。

ではなぜ一之瀬帆波だけが一之瀬家の中で異なる髪色をしているのか、それが全くわからないのだ。突然変異と言ってしまえばそれまでだが。

その点、悪原の母親は黒髪で、しかし毛先にいくほど青みが強くなっていき、結果的にグラデーションができる。この特徴は祖母も同じだった。それを考えれば悪原の髪の毛は(毛先だけが青くなるという不思議こそあれど)確かに遺伝であり、それほど奇妙なものでもないように思える。

 

「いやぁ、九郎くんの方が不思議だよ」

 

「母さんも同じだっただろうが。遺伝だろ」

 

「散髪してもいつの間にか青くなってるって方がどう考えても不思議だよ!」

 

「黙れ」

 

「ぎ、議論放棄された……」

 

そのまま悪原は不愉快全開に早歩きでどこかに行ってしまった。取り残された柴田がぽつりとこぼす。

 

「俺、悪いこと言っちまったかな…」

 

「大丈夫、見た目ほど怒ってないよ。ほんとに機嫌悪かったら今頃私はゲンコツでも落とされてるからね」

 

ジェスチャーも交えて一之瀬は明るく笑う。嫌に説得力のある言葉に柴田は苦笑いしかできなかったが、「でも」と一之瀬が言葉を続けたため彼女の話に耳を傾ける。

 

「小学校のとき、髪の色のことで九郎くんだけ怒られたことがあるから、それ思い出しちゃったのかも」

 

「え…悪原だけ?」

 

「うん。九郎くんだけ」

 

校門前にいた教師に、悪原だけが髪の色について注意を受けたことがあるのだという。もちろん、隣にいた一之瀬は髪色に関して何も言われたことがない。周りと違う髪色なのはふたりとも同じなのに、悪原だけ叱られたのだと。

髪染めはやめるよう言われたそうだが、元から染めてなどいない悪原はこれを無視。しかしまた注意され、一之瀬も説明したのにそれは通らず、そんなことが何度も繰り返されてとうとう指導室行きになった。母親に連絡も入ったらしい。

その後どんなやり取りがなされたのか一之瀬は知らないが、結局悪原にはこれといった罰が与えられることなく済んだようだ。

 

「教師の方は…?」

 

「その先生はいつの間にかいなくなったよ」

 

「………怖」

 

絶対に悪原が何かしただろ、そう柴田が勘繰るのも無理はない。けれど小学生の身で一体どのような方法で教師を消したのか、不思議に思ったのだがそれもすぐに一之瀬から答えが明かされる。

 

「九郎くんが指導室に行ってからしばらくして噂が流れ始めたの。…学校中に広まってたし、先生たちの間でも結構大きな問題になったみたいで、いなくなったのもそれが理由なんだろうなって思う」

 

「噂?」

 

「その先生がロリコンっていう噂」

 

ああ…。柴田は全てを理解した。

苦笑しながら一之瀬は当時を振り返る。

 

「あの時は言葉の意味もわからなくて、何のことなんだろうって思ってたけど…うん、きっと九郎くんが何かやったんだろうね」

 

小学校の教師がロリコンだなどと噂されれば、そりゃあ問題になるだろう。学校中に広まっていたのであれば、純粋な低学年の子供たちにも噂が流れていたと考えられ、さらに家庭で親に『学校でこんな話が…』と話題にしても不思議ではない。

火のないところに煙は立たぬという言葉があるほどだ。事実でなかったとしても親としては気が気でないに違いない。何かあってからでは遅いのだから。

そして、広まりすぎた噂は事実同然に扱われるという特徴がある。校内で知らない者はいないほど拡散し切った噂を学校が把握していないわけはなく、当然教師らは何もしないままでいられない。

 

結果、その教師は一之瀬たちが通っていた学校から姿を消すこととなった。

解雇されたのか自主退職したのか、それとも別の学校に転勤したのかは定かではないが、どちらにしろ哀れなものである。

 

「とんでもねえな悪原……」

 

「意地悪な上級生の子を何人も泣かせたこともあるし、その子の人格も存在も否定するし、その子の家にひとりで行って保護者の人に直接苦情入れたこともあるし………それで心が折れちゃったり、弱みを握られたりして九郎くんに逆らえなくなった子は結構いるよ」

 

「ええ…?一之瀬は何とも思わなかったのか?」

 

「やりすぎじゃない?って思うことはあったし伝えたこともあるけど、『じゃあやられたままでいろってか!』って言い返されちゃって……」

 

それでももっと良い仕返しの仕方があるんじゃないか、と食い下がったものの、『ああいうバカは徹底的にやらないと同じことを繰り返す』『じゃあおまえがその良い仕返し方を考えろ!』と言い返され、その言葉に奇妙な重みがあったために言い返せなくなってしまい、今も答えは出てないのだと一之瀬は語った。

誰かからそう教えてもらったのか、と後日訊いてみたところ数秒の無言ののちに『テレビで見て、憧れた』と言いにくそうに返ってきたのでガクッと力が抜けそうになったとも。

 

「なんだよそのヤクザみたいな価値観……」

 

「DVDで観たんだって。九郎くんのお母さんの苦笑い、よく覚えてるよ」

 

確かに、まだ幼い息子が任侠ものの作品に強い影響を受けたとなれば苦笑いするしかない。相手は息子の唯一の友達なのだから尚更だ。

あまり過激なものは見せないようビデオを借りるときに内容のチェックはするだろうが、それでも複雑な思いだろう。そもそも小学生が他の何を差し置いて任侠作品に興味を持つ時点でなかなかの話である。それもゲームならまだしも映画作品なのだから。背伸びしたい年頃と考えてもチョイスが斜めすぎる。

 

「もしかして悪原って、ヤクザ映画から影響受けてるからあんな……?」

 

「………」

 

誰より悪原のことを理解している一之瀬から見ても、彼は複雑で、それはもう難しい性格だ。好きなものや嫌いなものはわかっていても、新しく気にいるものが何であるか予想するのは彼女でも難しい。綾小路や神崎などその最たる例である。

何の根拠もないのに幼馴染同士いつまても一緒なのだと思い込んでいたのもあるが、彼らの出現は本当に、全く予想だにしていなかった。

 

けれど、意外と周りが思っているよりもずっと素直な性格だということも知っている。

 

子供の時に見たものに今でも憧れているから、あまりに容赦がなく、しかし心を許した仲間には懐が深く、さらには自分のことも厭わないほど入れ込むような性格が出来上がったと言われても一之瀬は納得する。

 

「……そうかも、ね」

 

だから、だからこそ一之瀬は、認めこそすれどそれが正解とも言い切らない、曖昧な返事をすることにした。

 

彼女がクラスメイトに悪原の話をするのは基本的にマウントを取るためだ。発言の意図や行動ロジックがわからず、悪原との接し方に苦心するクラスメイトに『正解』を教えることで、自分はこんなにも九郎くんのことを知っている、そうアピールして少しずつ『あの二人、お似合いだよね』というような空気感をクラス内に作ろうと画策しているのだ。悪原のことを知ってほしいわけではない。

あの態度故に無駄に敵意を抱かれたりしないようにフォローしているという側面もあるが、それも主要な目的と言うのは少し違う。

 

(最近、柴田くんはよく九郎くんに絡んでる。……気をつけないと)

 

柴田は悪原にもよく話しかける数少ない人間だ。まったく怖がってないわけではないが、持ち前のコミュニケーション力の高さとポジティブな性格で、悪原との距離を詰めることに成功していた。一之瀬や神崎に次いで悪原とクラスメイトらの間を取り持てる立場になってきているのだ。

しかも柴田のことを悪原はそれなりに好意的に見ている。柴田自身はまったく気づいていないだろうが、一之瀬に言わせれば一目瞭然である。

そもそも自分は喧嘩(マイナス)から仲が始まったというのに、そんなこともなく受け入れられている柴田は綾小路や神崎ほどではなくてもなかなかに腹の立つ存在だ。

もっと言えば、他にいくらでも相手はいるだろうに、わざわざ悪原に話しかけて、何を企んでいるのか。一之瀬の胸の中にはそんな疑念がいつも渦を巻いている。

 

(……そのうちそれとなく釘を刺そうか)

 

近づきすぎると自分みたいに制裁を日常的にくらうことになるよ、とでも言って牽制しておこう。

そんなことを企みつつ一之瀬は今度九郎くんを映画館デートにでも誘おうかな、と承諾してもらえること前提の計画を立て始めるのだった。

 

 

 

 

☆龍園と悪原の昔話(船上試験中)

 

「あれ…九郎くん、ピアス外してるの?」

 

「喧嘩すんのには邪魔だからな」

 

やっぱりこいつら喧嘩してたんだ、と辰グループの生徒たちは一年生きっての不良ふたりにドン引きする。

一之瀬はそれについて何も触れずに質問を続けた。

 

「邪魔になるの?」

 

「……中学の時にな、バカみてえにピアス開けてるやつがいたんだよ」

 

片方だけで十個はくだらねえ、と説明する悪原。一之瀬は眉をひそめる。

 

「そ、想像したらちょっと怖いね……その人がどうかしたの?」

 

「…喧嘩ふっかけてきたからな……そいつのピアスを思いっきり引っ張って、耳たぶ引き裂いてやったんだが」

 

「ひっ!」

 

悲鳴が上がった。一之瀬は悲鳴こそ上げてないが、顔はやや青くなっている。想像するだけで耳たぶが痛くなる話だ。実際、耳たぶを守るようにそっと触った生徒もいる。

 

「そこからそいつは細菌が入ったのか、耳が腐りかけたらしい」

 

「思い出したぜ、榊の野郎か」

 

ここで龍園が話に割り込む。

 

「結局、あいつは俺たちが進学するまで病院から出てこなかったよなあ。ククク…」

 

「榊?笹木じゃなかったか」

 

「笹木はテメェに拳割られて入院したやつだろ。ついでに頬骨と眼窩底のあたりが陥没してたらしいがな」

 

呆れたように記憶違いを指摘する龍園。

 

「…そう言われたらそんな気もしてきたな。でもなんでおまえがそんなこと覚えてんだよ」

 

「俺はちゃんと情報収集をしてんだよ。噛みついてきた猿を潰して終わりのテメェとは違う」

 

「じゃああいつのことも覚えてるのか?秋林とかいったやつ」

 

「右腕が開放骨折、鼻が潰れて総入れ歯になった挙句片耳がイカれたアイツか。…テメェも覚えてるやつはいるんじゃねえか」

 

「開放骨折となりゃ流石に記憶にも残る。痛そうだったなぁ、ありゃあ。折れた骨が皮膚突き破って見えてんだぜ?」

 

「説明すんじゃねえよ。嫌な光景想像させやがって」

 

今回ばかりは他クラスの生徒たちも龍園に同意する。開放骨折とは折れた骨の端が皮膚を突き破って露出している状態のことだ。聞き慣れない言葉なのも手伝って、その怪我の重さ、見た目の痛々しさをしっかりと想像してしまい生徒たちは大半が顔を顰めた。

 

「……九郎くん……どんな生活送ってたの……?」

 

「おまえには関係ない」

 

心配する幼馴染の言葉を跳ね除ける。彼らの常識では考えられないほど荒みきった生活を送っていたのは自分が一番わかっているから、人に語れるような話じゃないこともわかっているから、悪原はそこで話を打ち切った。

が、一之瀬にしてみれば自分の幼馴染は転校してからとんでもなく危ない目に遭って来たんじゃないかと想像できてしまい、余計に悔恨の念が深まることになってしまうのであった。

 

 

 

 

☆ディスカッション中の坂柳

 

完全に静まり返った部屋の中で、坂柳が不意に手を挙げた。当然彼女に注目が集まり、それを確かめた坂柳は口を開いた。

 

「結果1を目指すことには私も納得しました。ですが、このまま黙り続けるというのも性に合いません」

 

「つまり?」

 

「喋りたければ好きに喋っていい、そう私は解釈しました。構いませんね?」

 

「…………あー、一応訊いておくが、何について喋るんだよ」

 

次の瞬間、坂柳は当然と言わんばかりに声を張り上げた。

 

「そんなの、清隆くんについてに決まっています!」

 

「却下!!却下だ却下ァ!!」

 

「坂柳…テメェ黙れよ」

 

ばっと腕を振り全力で棄却を試みる悪原。龍園は前回のことがあってか心底うんざりしたような顔で、どこか頼むような色さえ混じった声色で呟いた。

葛城もいい顔はしておらず、なるべく刺激しないように穏やかな口調でありながらもハッキリと代案を提示する。

 

「坂柳、綾小路についてどうしても語りたいのであれば、チャットか何かで語ってくれないか…」

 

「お断りします。未読無視されるのがオチなのは目に見えています」

 

「一之瀬は無視しないだろう」

 

「ギャラリーがたったのひとりでは語り手も寂しいでしょう」

 

「だからと言って無理やり聞かせるやつがあるか」

 

悪原が顔を覆ってうなだれた。そして気遣うように手を伸ばした一之瀬の腕を掴んでどかす。一之瀬への拒否反応はこんな時でもしっかり仕事をしていた。

 

「とにかく、あなたたちが何を言おうと私は清隆くんについて語ります。語ってほしくないなら黙らせてみてください、できるものならですが」

 

ニヤリと笑う坂柳。先天性疾患という社会的弱者の立場を存分に利用していることを隠そうともしない態度に悪原と龍園は静かに青筋を浮かび上がらせるが、それは単純ながら咎めにくく、何もできなかった。

 

「それでは、音読会を始めましょう。私が執筆した小説を読み聞かせしてあげます」

 

「「聞きたくねえ」」

 

「聞きなさい。そして、清隆くんの素晴らしさを理解してください」

 

ハモった不良二人の反対意見を秒速で封じ込め、そして坂柳は自分の椅子の横に置いてあった袋からノートを取り出した。

 

「授業中にこつこつ書いていたんです」

 

「いや、授業受けろよ」

 

「大学までの予習はもう済んでいるんですよ。仮にそうしていなくても、私ならマルチタスクくらいできます」

 

悪原のツッコミを意に介さず、ノートを見せつけるように掲げる。

 

「それでは、始めます。タイトルは『異世界清隆くん』です」

 

「聞くからに頭の悪そうなタイトルだぜ…」

 

「俺はもう吐き気がしてきた」

 

「龍園くん、悪原くん。聞こえていますよ?このディスカッションが終わった後も音読し続けてあげましょうか?」

 

「拷問かよ」

 

「爪剥がされるよりキツイんじゃねえか?」

 

「安心してください。この『異世界清隆くん』を含む『清隆くんシリーズ』は中学生の時から書いていたので、全部で50巻を超えています。残りの船旅、退屈とは無縁ですよ」

 

「ごじゅっ……!?いやそんなのはいらねえ、一之瀬!坂柳を黙らせろ!」

 

「私も小説書いてみようかな…」

 

「ああああああこいつも狂ってる!!!」

 

「季節は冬。インフルエンザが跋扈する季節、その夜アリス姫はキヨタカ王子と初めての結婚記念日を迎え…」

 

「なんでスタートからもうゴールしてんだよ…」

 

「0巻で説明されますよ。気になるならまず0巻から読み上げてあげましょうか?」

 

「やめろ!!」

 

あれもダメ、これもダメと何度もNGを出されたことでとうとう坂柳の顔に不満の色が宿った。

 

「なんなんですか聞いていれば先ほどから文句ばかり。異世界ものが嫌いなのですか?」

 

「そういう問題じゃねえんだよ!音読すんなつってんだよ!」

 

「でしたら、これはどうでしょう。『清隆くん宇宙論』です」

 

「何を言ってるんだこいつ」

 

「話を聞けよオイ」

 

完全に異常者を、というよりももはや醜悪な化け物を見る目で顔を顰める不良コンビにツッコミを入れようとした坂柳に、一之瀬が割って入った。

 

「坂柳さん、ちょっといいかな?」

 

「なんでしょうか?一之瀬さん」

 

「綾小路くんのことを自慢したいのはわかるよ。でも押しつけるばかりじゃ聞いてもらえないんじゃないかって思うな」

 

「……なるほど、確かにそうですね。すみませんでした、私の配慮が足りていませんでした。これは清隆くんの尊さがわからない連中のレベルに合わせなかった私に非があります」

 

「こいつ反省してんのか?」

 

「してねえだろうな」

 

「だからここは私が九郎くんのことをぎゃんっ!!!?」

 

さも名案と言わんばかりに立ち上がった一之瀬に、いきなり悪原が膝蹴りを入れた。多少スカッとしたのか口笛をぴゅうと吹く龍園を除く全員が突然の暴力に絶句する。一瞬宙に浮いた一之瀬はそのまま気を失ったのか、ぐったりと沈黙した。

 

「一之瀬さん!?」

 

坂柳が一之瀬に駆け寄り、頭上で星が回っている彼女の体を抱き抱えてすぐ悪原に非難の声を上げた。

 

「悪原くん、どういうつもりですか!これは問題ですよ!」

 

「おまえの書いてる小説も相当問題な気がするが」

 

「あれはそのうちノンフィクションになるからいいんです!日記みたいなものと思ってください!」

 

「えぇ……?…とにかく、おまえ以上のスピーカーはいらねえんだ。もう黙っててくれできれば一生」

 

「スピーカー?せめて選挙カーと言ってください!」

 

「そっちのが害悪じゃねえのか」

 

「チッ、坂柳無視するぞ悪原」

 

いい加減付き合いきれないと龍園がだらしない体勢で天井を見上げながら言う。坂柳から視線を外し、龍園を見やって、悪原は数秒の無言ののちに頷いた。

 

こうしてディスカッション中は坂柳を無視しようという空気が出来上がったのであった。

 

 

 

☆節度

 

悪原九郎は一之瀬帆波のことを嫌っている。

それは今や一年生どころか上級生の間でも知れ渡っているし、それが公然の事実として扱われてもいた。

けれども悪原にそのことを言うと、『嫌いじゃねえつってんだろ!』と怒られてしまう。しかし、その直後に一之瀬に対してバカだのアホだの言いたい放題に罵ることは少なくない。

過激なツンデレと捉えられなくもないが、幼馴染の話をする時の悪原は本当に忌々しそうで、観察力に長ける生徒らは、悪原が心の底から一之瀬と関わりたくないと思っているんだとわかってしまう。

だから悪原は理解不能な人間だと認知されていくのだ。

 

毎日のように面と向かって一之瀬を罵る悪原だが、しかしある特徴がある。

 

それは『死ね』や『不細工』といった悪口は絶対に使わないこと。

 

龍園には言い放つことがあるが、一之瀬に対しては一度も言ったことがない。

 

「なんで?」

 

噂になるほどではないが、クラス内では割と盛り上がる話題でもあった。そもそも悪原自体が言い方は悪いがネタの宝庫だ。おしゃべり好きな生徒たちには、いい話題のタネだった。

しばらく話し合い、『限度は弁えてるのかも』とか『なんだかんだ好きなんじゃないか』とか好き放題仮説を披露しあったのはいいが、仮説は仮説であり真相は不明だ。実際なぜなのかとても気になるが、本人に訊ねるなんて恐ろしくてできやしない。

 

けれども柴田なら聞き込みが可能なのではないか、と白羽の矢が立った。

それで今彼は悪原に真実を訊ねているわけである。

悪原はとてつもなく嫌そうな顔をした。

 

「……言えってことかよ」

 

「いや言うなよ!?流石に可哀想すぎるだろ!?」

 

「………」

 

普段から失せろ消えろ馬鹿野郎と言われているのに、さらに死ねブスとまで言われたら流石の一之瀬もメンタルが大崩壊してしまうかもしれない。

そんな思いから『流石にやめろ』と説得したら、意外とすんなり悪原はそれを受け入れた。元から本気で言っていたわけではないのだろうし、そもそも悪原は割と素直というか、優しいやつだと柴田は思っていた。正直、入学当初は内心ビビっていた──その気持ちは今も畏敬の念、と言うと少し大袈裟だが、とにかく形を変えて残っている──のだが、接しているうちにそう気づいた。

近寄り難い人間なのは否めない。何度も言うように今も怖いという気持ちがある。けれど、接してみると結構普通と言うべきなのか、なんというか、見た目通りなところも確かにあるのだけれど、自分と同じ『人間』だということを知る。そのことを知る数少ない人間のひとりであることにちょっとした優越感を感じていたりもする。

 

閑話休題。一向に立ち去る気配のない柴田に、これは答えなければ終わらないかと悪原は思ったようで、観念したともやむを得ずとも言える表情で、ため息混じりに話し始めた。

 

「あのな、俺は一之瀬が嫌いなんじゃねえんだよ。好きになれねえだけだ」

 

彼が語るのはやっぱりいつもの定型句だったが、初めて聞く言葉もあった。

『好きになれない』。これは悪原九郎の複雑な感情を紐解く重要な手掛かりになりそうに思えたが、今重要なのは悪原の内面を理解することではなく、特定の悪口を使わない理由を聞くことだ。

 

「あいつはムカつくし、ウザいし、邪魔だし、いちいち構ってくんなとは思うけどな。死んでほしいわけじゃねえ」

 

その声に、言い訳するような、ごまかすようなものは全くなかった。

どんなに鬱陶しくても、死ねばいいのにとは決して思わない。ただ、自分に構いさえしなければそれでいいと。

それは確かに、悪原の本音だったのだが。それが正しく伝わるかどうかはまた別の話で。

 

「……へ〜」

 

「……………何をニヤニヤ笑ってやがる気持ち悪ぃ。死ねブス」

 

「え??ひどすぎじゃね??え??」

 

相手が口の悪い人間だとわかっていても、いきなり『死ねブス』なんて言われれば誰だってショックを受ける。

突然罵倒された理由は一応わかるのだがやはり理不尽では?という気持ちもあって。

しばらく柴田は抗議の声を上げ、最終的に物理的に黙らされることになるのであった。

 

 

 

☆坂柳有栖の文句

 

船内をあちこち見てまわり、時々Bクラスの生徒と会ったら話をして、あるいは生徒らにあてがわれた部屋で椎名ひよりと共に本を読む。

そんなサイクルを繰り返していた綾小路清隆は読書の息抜きに、少し外の風に当たりに行ったのだが。

 

「こんにちは清隆くん。ちょうどあなたの香りが潮風と共に流れてきたかと思っていたところなんです」

 

よし、帰ろう。

綾小路はくるりと回れ右をして船内に戻ろうとしたが、それよりも早く坂柳有栖が回り込んで道を塞いでしまう。

今のはどう考えても疾患持ちのやつができる動きじゃないだろう、つくづくそう感じ

 

「愛の力ですよ」

 

間髪入れず綾小路はもう一度背を向けて歩き出したが、またしても回り込まれてしまう。

 

「まあまあ、少しだけお話ししませんか?それに私もそろそろ寂しいですよ」

 

坂柳はここのところ無視されるか、ストーカー行為を指摘されて神崎と口論になるか、遠目に見守る(ストーキングとも言う)ぐらいしかできておらず、さらにはディスカッションで拘束されるわで寂しさを募らせていたらしい。

とはいえ綾小路にはそんなこと知ったこっちゃないのだが。

 

「清隆くんはどうですか?この船旅は」

 

「………楽しいと思うぞ」

 

そうですか、私もあなたと同じ船に乗れて楽しいですよ。

にこにこ笑う坂柳は思わず目を見張るほど可愛いのだが、発言でそれを毎度台無しにするのだから、世の中ままならないものだなと綾小路は思う。

 

「しかし、何か不満があるのでは?たとえば…Dクラスに配属されたことだとか」

 

「……否定はできないな。だが、不幸だったとは思ってない」

 

「そうですか……。相変わらず優しいですね。私はまだ多少は不服に思っているというのに」

 

相変わらずって何の話だ?

また存在しない記憶を振り返っているらしい。

帰りたいと思う綾小路をよそに坂柳が喋り出す。

 

「なぜ私がAクラスであなたがDクラスなのか。おかしいとは思いませんか?百歩譲って清隆くんをDクラスに入れなくてはならなかったのだとしても、その場合私もDクラスに入れるべきだったんです。そうでしょう?」

 

いや、そんなことオレに言われても。

どう返せばいいのかわからない綾小路が口を噤んだままなのをどう捉えているのか、坂柳は喋り続ける。

 

「Aクラスには葛城くんがいるんですし問題はないですよね。一之瀬さんとの付き合いにも支障など生じませんし……ああそうです、清隆くんからも悪原くんに言ってあげてください。もっと一之瀬さんに向き合うように」

 

オレが言ってもそればっかりは聞き入れてもらえる気がしないんだが。

それに下手したら『如何に一之瀬が阿呆なのか』を延々と説明されることになる。それは勘弁してほしい。

九郎はいいやつだが、一之瀬が関わってくると機嫌を悪くしてしまうからな。八つ当たりは絶対にしてこないとはいえ。

 

「考えてみてください。明日を迎えるたび、愛を伝えてくれることの尊さ。お昼には手料理を振る舞ってくれることのありがたさ。夜には食事もお風呂もベッドも抜かりなく準備してあることの素晴らしさ。純粋な不変の愛の美しさ……、それを与えてくれる一之瀬さんに、悪原くんは暴言暴力ばかり……これは許されざる行為と思いませんか!?」

 

九郎の対応にも問題はあるかもしれないが、付き合ってもないのにそこまでされると怖くないか?というかベッドは要らないだろ。

と綾小路が意見するよりも早く坂柳は話を続けた。

 

「私が思うに、悪原くんも一之瀬さんのことが好きなはずです。でなければ保育園の時から家族ぐるみの付き合いなんてしませんし、何より一之瀬さんを助けるようなこともしません」

 

それ以上言ったら九郎に殺されるかもしれないぞ。

しかし正直なところ坂柳が殺されようと綾小路的には別にそこまで悲しくもないし、何より彼女の心配をしていると誤解されてしまうのが嫌なので指摘しないが。

 

「要は、悪原くんは素直になれていないだけなんです。ですが清隆くん、あなたがいれば話は違います。他ならぬあなたが説得すれば、流石の悪原くんも聞き入れるでしょう」

 

素直になれてないだけというくだりはさておき、『綾小路(オレ)が説得すれば悪原も態度を変えるかもしれない』という主張は一理ないこともない…のか?

 

「一之瀬さんは恋が成就し幸せに。悪原くんは運命の人の存在に気づくことができて幸せに。私は友人として一之瀬さんの幸福が嬉しい。清隆くんの行動ひとつで、みんなが幸せになれます。これでしない理由がありますか?いえ、ありません!」

 

勝手に自己完結しているが、今のところ綾小路はろくに返事もしておらず、坂柳が一方的に喋り続けているだけということを忘れてはならない。

それに言っていることはかなり理想論である。特に悪原の幸福を語る辺りが。

本当にそんなことが実現するのなら綾小路も実行する気が湧くかもしれないが、その可能性が絶望的すぎるせいで全くやる気になれない。

下手したら自分まで悪原に怒られるのだし。

 

「どうか頼めませんか?」

 

小首を傾げてお願いをしてくる坂柳。彼女の中身を知らなければ二つ返事で承諾してしまっていたかもしれない。

だがどうしてもリスクが大きすぎると判断した綾小路は、一之瀬に対して少しだけ申し訳ない気持ちを抱えつつ断ろうとした途端。

 

「しつっこいんだよこの野郎ッッ!!!」

 

バッ、と反射的に怒号が聞こえてきた方向を見る。今の声は、明らかに────

 

 

「いい加減に適切な距離感ってものを学べよ!!寝てる間に人のベッドの中に潜り込んできやがって ─── あぁ気持ち悪ィ!!!」

 

「だって昔は一緒に寝てくれてた!!」

 

「昔の話だろうがクソガキが!!」

 

「痛!!」

 

 

やっぱり悪原九郎だった。ついでに一之瀬の抗議も聞こえるが、速攻で言い返されている上におまけのゲンコツまで落とされている。

そして思う。あの拒絶っぷりを見て、素直になれてないだけなんてそんなこと本当にあるのかと。自分にはどうしてもガチ拒絶しているようにしか見えない。

これはホワイトルームの教育に問題があるのだろうか。

 

……なんて考えていると、いつの間にか坂柳が移動していた。

 

「悪原くん!またそんなことをして、素直になれないといっても限度があります!それ以上の蛮行は一之瀬さんの友人として、この私が許しません!」

 

「は?キモいから黙ってろチビ」

 

「はぁ!?なんですか!悪原くんが大きすぎるだけでしょう!!だいたいですね、一之瀬さんにクソガキなんて下品な言葉を使っていますが、同年代の人間に何を言っているんですか?」

 

それはまあその通りだな、と綾小路は思った。悪原の背が高すぎるというのもそうだし、同期の生徒にクソガキというのは冷静に考えると意味不明だ。

まあ、そもそもそんな罵倒をされるようなことをする方にも問題があるのではないかとも思うが。

 

「それに一之瀬さんがベッドの中にいたぐらいで何をそんなに怒っているんですか!豊臣秀吉が織田信長の草履を懐で温めていたのと同じようなものでしょう?つまり一之瀬さんの気遣いを悪原くんは蔑ろにしているんです!」

 

「同じであってたまるか!!!キメェんだよ!!」

 

確かに、使うのは自分だけなはずのベッドの中に入ったときに人肌の温もりを感じたら気持ち悪いし、おぞましいだろう。

 

「ああ、もう、埒があきませんね……清隆くん!あなたからも悪原くんを説得してください!……………………

 

…………………………おや?清隆くんはどこに……」

 

すでに綾小路は逃走していた。

 

余談だが、その後も悪原と坂柳の口論は続いたらしく、騒ぎを聞きつけて駆けつけた神崎を加えてなお、一時間以上も言い合いを続けていたそうだ。

逃げ出したことで悪原から怒られることはなかったものの、軽く小突かれることにはなってしまったのであった。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。