無慈悲な凶刃が振りかぶられる。
リカルドの脳の奥がとめどなく警笛を発する。このままでは死ぬ。すぐに体勢を立て直して動けと。
だが四肢にまで命令が行き届かない。裂傷を刻まれた脇腹から、休まる事なく血が流れ出し、徐々に視界が霞んでいく。すぐさま命に関わる傷でこそないが、どの道命に王手をかけられた今、傷の深さなど大した問題ではなかった。
――くそッ! 動け動け動けえッ!
――このままじゃ美梨ちゃんがッ……!
極寒のさなかにいるかのごとく小刻みに震える指に無理矢理力を込めるが、ナイフの柄さえ、まともに握り込めない。そうしている間にも、刻一刻とリカルドの寿命は縮んでいく。
その時だった。
ユーリャ・コチェンコヴァの横合いから赤く輝く軌跡が走り抜けたと思えば、突如として現れた少女のシルエットがその手に携えた曲刀を横薙ぎに振り抜いた。
「――!」ユーリャの相貌が僅かに驚愕に染まる。彼女はとっさに身を屈めて、黒刀による一撃をやり過ごす。
リカルドも乱入者の全体像を視認した。見覚えのある少女だった。外ハネのショートカットの黒髪に、目下にあるスペードのペイントが特徴的な、パンクロッカー風の服装。刑務官の中に混じっていた警備員のイニシエーターだった。
「……まだ息がありましたか」と銀髪の少女は、乱入者を忌々しげに睨めつける。
「そこのお前えッ! 手伝ええ――ッ!!」血走った目でこちらを睨みつけた少女が、乱暴に腕を振ってまくしたてる。
「え? は――?」
「ボサっとしてんな! さっさと動けッ!」
未だ状況が飲み込み切れていなかったが、絶体絶命の危機に駆けつけてくれた助太刀を無駄にする訳にはいかない。リカルドは喉を引き裂かんばかりの叫び声を上げながら、強引に指先の神経にまで気合いを込めていく。
ダガーナイフを握り、ほとんど倒れ込むのに等しいほどの不恰好な動きでユーリャへと接近。
回避行動を取ったばかりのユーリャめがけてナイフを振りかぶる。銀髪の少女は手首の動きだけで鉤爪を振るい、斬撃を迎撃。ナイフが明後日の方向へ弾かれるが、リカルドは止まらなかった。弾切れを起こした九ミリ拳銃の銃身を握り込み、銃床をハンマーの要領でユーリャの頭部へ振り下ろす。骨を叩く鈍い感触が右手に伝わる。
「……っづッ!?」少女の可憐な口から声にならない呻きが洩れた。拳銃本体はバラニウムが使用されていないとはいえ、脳を乱暴に揺さぶるのには十分な一撃だった。
外ハネ黒髪の少女は、今の一撃によってできた僅かな隙を好機と受け取ったようだ。返す刀で一気に踏み込み、曲刀による叩きつけるような一発を放つ。
すんでのところで反応したユーリャが鉤爪を胸の前で交差させたが、付け焼き刃の盾などものともせず曲刀がぶち当てられる。イニシエーターの超越的な膂力で放たれたフルスイングは、銀髪の少女の矮躯をガードごと叩き飛ばした。
リカルドも後に続く。弾倉を交換し、九ミリ拳銃を撃ちながら距離を詰めていく。そこで初めてユーリャ・コチェンコヴァの表情が明確に切り替わった。彼女が瞬きすると、月明かりに反射する紅の瞳が表出した。イニシエーターとしての能力の解放――遊びは終わり、本気でリカルド達を殺しにいくという意思表示だ。
先ほどまでの攻勢など一切意に介していなかったかのように、空中でバランスを取り戻したユーリャが鉤爪を振り回して殺到した弾丸を残らず斬り伏せる。甲高い鋼の絶叫が連続する。
それでもリカルドは銃撃を加えながら突き進んでいく。弾切れを起こしたタイミングで、後方から曲刀を携えた少女が飛び出した。目線で合図が送られる。
再び弾倉を取り替えると、前方から剣戟音。黒髪の少女が絶え間なく攻撃を加えていくが、力を解放したユーリャは片手で難なくそれを捌いていく。
リカルドはフレンドリーファイアを起こさぬように、黒髪の少女から九〇度離れた位置に陣取ると、間髪容れずに引き金を引いていく。
しかし、ユーリャの方も即席の連携攻撃を見抜いていたのだろう。空いているもう片方の得物で銃撃を弾く。もはやリカルドの方など見てもいなかった。
――まあ、そうだろうな。
――超高位序列者が本気を出したんだ。
――俺みたいな有象無象なんて眼中にもなくなるだろうよ。
――だがな……その驕りが嬢ちゃんの最大の誤算だぜ!
九ミリ拳銃のスライドが後退したまま固定され、弾倉の中身が空になった事を射手に知らせる。銃撃が止んだ時点でユーリャもそれを察した。攻め手を両手に増やすとたちまち攻守が入れ替わった。怒涛の連撃が、黒髪の少女を襲う。たまらず後退して距離を取ったと同時に、銀髪が大きく靡いた。
軸足を擦らせながら反転し、赤目の狩人がこちらに向く。小細工なしの猛進。トップスピードを維持しながら、攻撃手段を失ったリカルドに突っ込んでくる。
「――予想通りだ」
その一言をユーリャは聞き取れただろうか。
不敵な笑みと共にユーリャ・コチェンコヴァを迎え入れたリカルドは、懐から取り出したスチール製円筒缶のピンを引き抜いて放り投げた。
その瞬間、特殊音響閃光弾が炸裂し、周囲に爆音と爆光を撒き散らす。