ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 視界が晴れ、耳鳴(みみな)りが()んだ時には、すでに三人の姿はなかった。

「……逃げられましたか」ユーリャは目を何度か(しばた)かせながら(つぶや)く。

賢明(けんめい)な判断だろう」

大尉(たいい)

 リトヴィンツェフは悠々(ゆうゆう)とした様子でユーリャの方へ近づいてきた。

「申し訳ございません」と銀髪の少女は深く頭を下げた。「大尉の前でとんだ失態(しったい)を……」

「構わない。数的不利が過ぎた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……?」

 リトヴィンツェフの発した文字列の内の一部に対し、ユーリャは頭の上に疑問符を浮かべて反応する。

「お前が対峙(たいじ)した者達の他に、少なくとも三人いた」とハリウッド俳優のような男は、何もない虚空(こくう)に視線を泳がせた。「最新鋭の光学迷彩(こうがくめいさい)か何かか……正体こそ分からないが、私達のすぐ近くで戦いを観戦していたお客様がいた事は確かだ」

 表情にこそ出さなかったが、ユーリャは内心驚愕(きょうがく)していた。イニシエーターとして人間以上の五感を持つ自分が、全く気づく事ができなかった気配に、彼は気づいていたというのか。

「……潜伏(せんぷく)していた勢力はどこへ?」

 ()くと、リトヴィンツェフは肩をすくめた。「さあな。イニシエーター(死に損ない)が乱入する直前には、すでに気配が消えていた」

「そう……ですか」ユーリャは肩を落として(うつむ)く。

 強烈な無力感が胸を穿(うが)った。ここまで来て、主人の手を(わずら)わせてしまったという事実が、容赦なく少女の幼い自尊心を痛めつける。

 ――私は……大尉の完璧な道具で、武器であり続けなければならないのに……。

「ユーリャ」リトヴィンツェフが少女の名を呼んだ。「あの男はどうだった? 殺したプロモーターの方ではなく、もう一人の方だ」

「……多少は腕が立つようですが、力を解放した私の敵ではありません。次に接敵した際は遅れは取りません。必ず仕留めて見せます」

「それで良い」囚人服の男は薄く笑った。「お前は私の最も信頼する部下だ。『魔女部隊(まじょぶたい)』――()いては元ベラルーシ最強のイニシエーター。全ては結果で示し続けろ。私と離れている間に、本分を忘れた訳ではあるまい?」

「……! もちろんです」

 どうやらリトヴィンツェフは、ユーリャの僅かな感情の揺らぎを感じ取っていたらしい。不敵な笑みと共に吐かれた全ての言葉は、ユーリャの傾いだ感情を揺り戻すために計算されたものだった。

 深海の色を切り取ったような深い藍色(あいいろ)の瞳が、ちらりとユーリャを捉える。対峙する者によっては、心を鷲掴(わしづか)みにされて、生殺与奪(せいさつよだつ)の権利を掌握(しょうあく)されたと錯覚(さっかく)するような視線――。それを向けられた少女の相貌が恍惚(こうこつ)に染まる。この半年間、ずっと切望(せつぼう)し続けていたものが、そこにはあった。

 もう誰にも渡さない。――それは私だけのものだ。それを与えられるためだけに、ユーリャ・コチェンコヴァは、アンドレイ・リトヴィンツェフの優秀な道具であり続けるのだ。

「さて……それでは追うとしよう」とリトヴィンツェフは砂埃(すなぼこり)の降り積もった床に目線を落とす。砕けた床材の粉塵(ふんじん)欠片(かけら)に混じって、点々と赤黒い染みが続いていた。「残された時間は少ない。これで仕留められなければ撤退する」

「了解しました」

 血痕(けっこん)辿(たど)るように動き始めたリトヴィンツェフの背中に、ユーリャは敬虔(けいけん)な従者としての所作(しょさ)追従(ついじゅう)する。

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