ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
1
頭が痛い。
頭皮の下に張り巡らされた血管の全てが。毛髪一本一本を支える毛穴全てが。頭蓋骨が。脳味噌が――。
神経一つ一つに、正確に針を通されたかのような激烈な痛みが駆け巡り続けている。
もはや頭部を手で押さえる事もできないほどに体が重い。自身の背中を起点に、高圧の電流を流されているような感覚がする。それがこの倦怠感と頭痛の正体なのかもしれないが、当人にそれを知覚できるほどの自我は残されていなかった。
靴底が削れて捲れ上がったブーツの底で、草の生い茂る地面を踏み締める。鬱蒼と草木がひしめくこの地が、亜熱帯地域のジャングルなどではなく、二〇三一年の日本だと言ったとして一体誰が信じるだろうか。
朦朧とした面持ちで男は歩く。降り注ぐ陽光によって意識が混濁している――という訳ではないようだった。背中に折れた巨剣が突き刺さった男の顔にも、体にも、一切の汗は浮かんでいない。明らかにそれ以外の要因で、男の意識は曖昧な輪郭を形作っていた。
鍛え上げられた筋肉の鎧で骨格を包む大柄な男は、ほとんどボロ切れと化したタンクスーツを身に纏い、逆立った金髪は泥に塗れてくすんでいる。口許はドクロパターンのスカーフで覆われており、その顔の全容を拝む事はできない。
吊り上がった三白眼に嵌まる瞳の色は――燃えるような赤。
それそのものが発光しているかのごとく、落ち窪んだ眼孔から覗く瞳は日光にも負けないほどギラギラと輝いている。
熱中症患者もしくは徘徊癖のある老人を思わせる、緩慢かつ鈍重な動きで、大柄な男は広大な森林をゆく。
どしゃり、――どしゃり、と。象のような足音だけが断続的に響く。
不意に男の真上から影が差した。夏の陽光を丸ごと覆い隠す巨大なシルエットが、男の足元で蠢き、次の瞬間には地響きを引き起こすほどの咆哮が放たれる。
「…………」ゆっくりと男が顔を上げる。
果たしてそこにいたのは、全長五メートル以上はありそうな、猿の様相を象った化け物だった。全身の毛を逆立たせ、両手の先から伸びる爪は鋭利な刃のごとく煌めいている。獰猛な表情を張りつけられた相貌から覗く瞳は、男のものと同じ、血を思わせる赤――。
猿の単因子を発現させたステージⅠガストレアが、雄叫びを上げて大男の前に立ちはだかる。
対して男の方はどこまでも静かだった。生気のない両目で猿型の異形を射抜くと、先ほどまで指一本動かす事さえ困難だったはずの四肢が、プログラムされたかのように滑らかに動く。ゆらりと右腕が持ち上げられる。
男の手には二メートル近い金属片が握られていた。漆黒に染め上げられたバラニウム合金製の鉄塊。元々は対ガストレア用の装甲車の一部だったのだろう。先が尖り、鋭利な刃のようになった金属板は、さながら背に突き刺さって使いものにならなくなった巨剣の代替品のようだった。
「おおおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」
巨漢の喉から、ガストレアにも劣らぬ咆哮が解き放たれた。
猿型ガストレアが丸太のような腕を振りかぶって襲いかかるより前に、男はバスターソードもどきを構えて駆け出した。機能性を失ったブーツの底で、草だらけの地面を陥没させながら接近。常人なら持ち上げる事さえできないほどの金属塊を、目にも留まらぬ速さで振り回し、猿型ガストレアの左脚を叩き斬る。肉の内側に埋もれた骨格ごと破断。分離された動脈から大量の血液が噴出し、男の顔を濡らす。
男は構わず、一撃目の勢いそのままに剣を振るい、残った右脚も葬り去った。鮮血が雨のように降り注ぐ。
支えをなくした猿型が地面に倒れ伏し、土埃を巻き上げる。
苦しみに埋めく猿型の脳天めがけて切先を突き込み、バラニウムの再生阻害効果をもってして完全に生命活動を停止させる。
一転、静寂に包まれた未踏査領域の一角で、赤目の男は小さく息を吐き出した。
「………………