ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
人類がガストレア大戦に敗北を喫し、モノリスによって人類の生存圏が再定義されたのち、東京エリアの各地名は新たに名づけられたものが増えた。大戦前からその地に住んでいた者達は、今でも慣れ親しんだ旧地名で呼んだりもするが、最近はそういった人々も減ってきている。
そんな中にあって、ここ新宿区は当時の呼び名のまま残り続けている。特に聖居に近い東側は、内地でも指折りの繁華街として栄えており、多くの大企業の本社が構えられていたりする。
並び立つ長大なビル群の一つに、
新宿の景色が一望できるガラス張りの社長室に、四つの人影がある。高級なデスクに腰掛ける三ヶ島と、彼の傍らに控える少女。そして三ヶ島達の向かいに、聖居の紋章つき白スーツに身を包んだ男が二人――。
「この度はアポイントの機会を設けていただき、誠に感謝申し上げる」と白スーツの内の一人、ガタイの良い白髭の偉丈夫が頭を下げた。
「お構いなく。どうせ感謝の念など、塵芥ほども抱いていないでしょう?」三ヶ島が口だけを釣り上げて笑う。
聖居の人間にも引けを取らないほどの高級なクリスチャン・ディオールのスーツに身を包み、知的な顔立ちを崩さないまま、三ヶ島は白スーツ達に目をやる。
「聖居の者が自ら出向くからには、それ相応の理由があるのでしょう。であれば、内容は緊急を要するはず。無駄な前置きは省いて仕事の話に移りませんか?
「…………」羽柴と呼ばれた偉丈夫は露骨に顔をしかめ、人でも殺しそうなほどの眼光で三ヶ島を睨みつける。この時点で半ば三ヶ島の思惑通りに事は運んでいるのだが、羽柴がそれに気づく事はないだろう。
やがて羽柴は僅かに息を吐き出すと、「……聖天子様が聖居から姿を消した」と言った。
「それはそれは。敵対勢力に誘拐されたという事でしょうか?」
「いいや」羽柴は首を振る。「聖天子様自ら聖居を抜け出した。それは間違いない」
どこか言葉を選んでいるような歯切れの悪さだった。裏に隠したい情報があるのは明らかだ。
それに勘づいていながらも、三ヶ島はアルカイックスマイルを浮かべたまま、「いずれにせよ一大事な事に変わりはありませんね」と平然と返す。「この情勢で、そんな事が外に洩れたら何が起きるかなんて想像もしたくない」
――あの聖天子様が自ら姿を
――おそらくは、この戦争が迫る緊急事態において、聖天子様個人と聖居側の間で、何かがこじれたんだろう。
そう結論づけると、「背景は分かりました」と言う。「それで、あなた方は弊社に何を求めていらっしゃったのでしょうか?」当然、その内容は想像できていた。
「聖天子様の捜索を依頼したい」予想と寸分違わぬ答えが返ってきて、三ヶ島は内心で薄ら笑う。「この件はまだ警察や政府関係者にも言っていない。捜索は我々だけで進めるつもりだったが、もう残った時間も少ない。我々は何としてでも聖天子様を連れ戻さねばならないのだ」
「それで弊社に依頼を?」
「そうだ。警察や自衛隊を除けば、三ヶ島ロイヤルガーダー以上の規模を持つ武装組織は、今の東京エリアにはない。報酬はそちらの言い値で支払う。御社の民警を総動員して聖天子様捜索に協力してほしい」
「お言葉ですが、弊社の社員には社会規範を著しく欠いた、はみ出し者もそれなりにおります。彼らから機密が洩れる可能性もございますが」
「そこは心配していない」羽柴は断言する。「三ヶ島ロイヤルガーダーは代表取締役である三ヶ島影似――
「……良く調べてきてますね」
「そうでなければ第三次関東会戦の際に、全社員が東京エリアを捨てて逃げた道理が立たない」
「恨んでおりますか? あの戦いに弊社が参加しなかった事を」
「確かに三ヶ島ロイヤルガーダーが参戦していれば、また違った結果を迎えていただろう。東京エリアにいる一〇〇〇番台から二〇〇〇番台のペアの六割を自社で抱え、さらにはそれ以上――三桁台さえ数ペア所属している。それだけの戦力が軒並み敵前逃亡したのだからな。たらればを言っても仕方ないが、思うところがないと言えば嘘になる」
「四月に起きた
「東京エリアと仙台エリアの戦争が始まれば、また逃亡なさるつもりか?」
「どうでしょうね」澄ました表情で言い切る。「ご想像にお任せします」
「……まあ良い」羽柴もそれ以上追及するつもりはないようだった。「それで」と話題を切り替える。「依頼を受けていただけるのかどうか。答えをお聞かせ願いたい」
羽柴達が帰ったところで、見計らっていたかのように傍らの少女が口を開いた。「……依頼、受ける必要はあったのでしょうか?」
「聖居の連中に恩を売れる機会なんて中々ない。それを逃すほど経営者として錆びついた覚えはないさ」
「本当に彼らは聖天子様の居場所について心当たりがないのでしょうか?」
「すでにあらかた探し回ったあとだろう。たとえば――里見蓮太郎の住居……とかね」
「……?」と少女が首を傾げる。「なぜ個人の家に……?」
「その筋では有名な話なんだよ。聖天子様が民警一個人に入れ込んでいるって話は。実際、この前の冤罪事件のあと、聖天子様自身が彼に会いに行って、民警
「そういえばそんな事もありましたね……」少女は小さな手を顎に当てて首を捻る。「でも……もし、それが本当なら聖天子様は見る目がありませんね」
「何でだい?」今度は三ヶ島が疑問を呈した。
少女は澄ました表情で言い放つ。「あの男は一〇歳以下の女児にしか性的興奮を覚えない異常者だったはずですが。放課後の小学校に忍び込んでは、忘れ物の使用後体操服を漁り回るのが習慣だとか何とか」
「…………」訊かなきゃ良かったと内心で後悔する。三ヶ島は引き攣った笑みを浮かべ、「ちなみにどこで仕入れた話?
「その筋では有名な話です」先ほどの三ヶ島の言葉を使ってはぐらかされた。彼女に買い与えているスマートフォンのネット機能に、フィルターをかけた方が良いのではないかと本気で悩む。
黒のタートルネックと同色のプリーツスカートに、黒のニーソックスとショートブーツという全身黒づくめな格好をした
「それで。その変態ロリコン不幸面の住処含む候補が空振ったから、私達のところへ来たという訳ですか」
「……まあ、そういう事だろうね」
「ですが私達では、聖天子様の居場所など見当もつきませんよ。この東京エリア中を探し回るには、さすがのウチも人手が足りなさ過ぎます」
「うーん……たとえば、灯台下暗しの可能性も残っていたりするんじゃないかな」
三ヶ島は椅子をくるりと半回転させると、新宿の街並みを視界に収める。
眼下に広がる景色を虱潰しに見て回るだけでも、社員を総動員した上で丸一日はかかるだろう。それでは明らかに間に合わない。タイムリミットは明日の午前三時までなのだ。
現在進行形で
那須鉱山を占拠したステージⅤガストレア『疫病王』
東京エリアはそれまでに聖天子を連れ戻し、仙台エリアとの交渉の場を設けなければならない。
――東京エリアはかつて『
――今回も似たような事が起こっているのだとすれば、リブラを呼ぶのに用いられた何かがあるはずだ。
――聖天子様だけでは足りない。
――交渉の鍵はまず間違いなく『七星の遺産』あるいは、それに準ずるものの存在だ。
そして、それはおそらく東京エリアの手中にはない。そもそも最初から手元にないのか、かつてのように奪取されたのか。
まだまだ情報が足りない。どのみち聖居側も全ての情報を開示する気は毛頭ないだろう。
いずれにせよ、目下の最優先事項はやはり聖天子の所在だ。
「本当に聖天子様は里見蓮太郎の元へ行っていないのか? まずはそこから疑ってかかるべきだろう」
「それが灯台下暗し……ですか?」
三ヶ島は頷く。「周囲に味方がいなくなったと判断した聖天子様が頼る相手――やはり私はあの少年以外に考えられない」とスラックスのポケットから仕事用のスマートフォンを取り出し、再び椅子を回転させ、デスクの上にあるノートPCのキーボードを叩き始めた。
「あの男に直接連絡でもするんですか」
咲良が訊くが、三ヶ島は首を横に振った。
「そんなあからさまな探りはかけないさ。まずは彼の周りから探っていく。ちょうど彼の雇い主とは名刺交換していたからね。最初に当たるのはそこだ」
ノートPCのディスプレイにデータ化された名刺の情報が表示される。
そこにはこう表記されていた。
『