ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

19 / 96
6

 バスの扉を潜ると、朝方よりも一層強い陽光が出迎えた。軽く飛び降りる要領でジャンプし、編み上げ靴の底が地面とぶつかる。大きな髪留めで結わえられたツインテールが尻尾のように揺れる。

 家を出る前は空気も冷え込んでいたが、今やその残滓は一切なく、熱された空気と降り注ぐ紫外線が肌に不快感を刻む。羽織った黄色いアウターのチェック柄の裏地に汗が滲んだ。

 藍原延珠は大きく伸びをして、座りっぱなしで凝り固まった体をほぐす。腕を下ろすと、背負っていたリュックの肩紐がずり落ちてきたので背負い直す。リュックの中には蓮太郎が作ってくれた弁当が入っている。落とす訳にはいかない。

「蓮太郎……大丈夫かな……」来た道を振り返りつつ、延珠は小さく溢した。

 弁当を作るだけ作って延珠に押しつけると、慌てて家を出て行った少年に想いを馳せる。

 彼女も民警の端くれだ。蒼白に染まった顔を見ただけで、何か良からぬ事が起きているのだけは理解できた。彼を引き留める事など到底できるはずもなく、延珠は一人で家を出て学校まで向かう羽目になった。一応、家には匿っている聖天子がいたので、延珠は自身の合鍵を彼女に預けて自宅をあとにした。

 学校に行くまでの電車の中でネットニュースに目を通していると、昨晩、メガフロート刑務所で囚人達の大規模な暴動があったという記事を見つけた。暴動そのものは駆けつけた警察の特殊部隊によって鎮圧されたらしいが、囚人の内一人が脱獄に成功したという記述があった。

 その名に目を通して延珠は絶句した。

 アンドレイ・リトヴィンツェフ。

 まさに昨日、蓮太郎が面会に行っていた囚人だったのだ。彼が延珠に構うのもほどほどに家を飛び出した理由を察してしまった。

 昨日の今日でこれだ。胸騒ぎがする。楽しんでこいとは言われているが、自分だけ呑気に学校行事(社会科見学)に参加していて良いのだろうかという疑念が湧く。

「どうしたの? 延珠ちゃん」黙り込んで立ちすくんでいる延珠を見かねてか、横から自分を案じる声がかけられた。クラスメイトの比恵田(ひえだ)百花(ももか)が、訝しげにこちらを覗き込んでいた。「もしかしてバスで酔っちゃった?」

「ううん。何でもないぞ」と延珠は愛想笑いを返す。「家に置いてきた居候を心配しておっただけだ」聖天子の存在をぼかしながら、話を逸らすのに利用する。

「居候……? ご両親じゃなくて?」

 小首を傾げる百花に対し、「ええと、その……そう! お父さんの友達なのだ!」と言った。意図していなかった大声が出て、思わず体が強張る。

「皆さん。お喋りはやめてこちらに注目してください」パンパンと手のひらを打ちつける音が聞こえてきて、反射的にそちらへ視線が向く。中年の女性教諭が延珠達を見下ろしていた。担任の八柄(やがら)だった。「皆さんの目の前に見えている建物が、本日見学させていただく『第二七区発電所』です」

 子供達の目線が一斉に、八柄が指し示した方向へ動いた。

 遥か後方のモノリスを背に、泰然と佇む建造物が視界いっぱいに広がる。コンクリートの色が剥き出しの建物がいくつも建ち並び、天を貫くように聳える巨大な煙突から、絶えず白煙が立ち昇る。施設の面積は想像するのも億劫になるほど広大だ。

 八柄は後ろの方にも届くように声を張る。「ここは東京エリアでも有数のバイオマス発電所となります。今回、ここの所長のご厚意によって社会科見学の機会をいただく事ができました。施設に入りましたら、スタッフの皆さんに感謝の言葉を述べるように」

「ばいおます……って何なのだ?」

 頭の上にクエスチョンマークを浮かべる延珠に、傍らの百花は柔らかく微笑んで、「動植物由来の、再利用可能な有機性資源の事だよ」と説明した。なおも目を点にする延珠に、ふんわりカールの少女は続ける。「生ゴミとか動物の死骸、他にも木材とかプランクトンを使って発電するの。石油とかの化石燃料と違って、有限なものじゃないから、持続的に使用できるんじゃないかって注目されてるの」

 さすがは進学校の生徒。良く勉強している。延珠は無意識に嘆息した。

「特にここ『第二七区発電所』は最近、実験的にこれまで使われてこなかった死骸を燃料にして発電をしているの」

「これまで使われてこなかった死骸……?」

 延珠の疑問はすぐに解消された。

「ガストレア」間髪入れずに百花は告げる。「未踏査領域や東京エリア内で、自衛隊や民警が処分したガストレアの死体をここに集めて、バイオマス燃料として再利用するの。上手くいけば化石燃料の輸入に頼らずに、自国内の資源だけで電力生産が可能になるって事で注目されてるんだ」

「だがガストレアの死体など、そうそう出てくるものでもないだろう?」

 思わず疑問が洩れる。モノリスの磁場がある限り、東京エリアにガストレアが雪崩れ込んでくる事などまずない。黒壁と黒壁の間――要するに最も磁場が減衰する隙間を縫って、ガストレアは侵入してくる訳だが、そのほとんどは自衛隊が排除している。彼らが撃ち洩らした個体が僅かにエリア内に入ってくる程度だ。

 普段、並み居る民警がガストレア討伐の争奪戦を行っている事からも分かる通り、意外と牌は少ないのだ。

「それについては……――あっ、もう行くみたいだよ」説明しかけたところで、百花が視線を延珠から外した。

 八柄教諭がクラスを引き連れて、施設の入り口に向かい始めている。百花と話し込んで出遅れたせいか、他のクラスメイト達と若干距離が開いていた。

 延珠と百花は駆け足で着いていく。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。