ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 リカルドの眼前で、見えない壁に阻まれたかのように斥力フィールドの刃が止まっていた。青白い燐光の向こうに、鬱屈(うっくつ)とした表情を浮かべたゴスロリ少女が見える。

「……命拾いしましたね」丁寧な口調の方の少女は、刀に纏わせていた斥力フィールドを引っ込めると、本体を鞘に収めて、「私達の指揮官は、どうやら、あなた方を葬るのは後回しにしたようです」とぶっきらぼうに言った。「春樹、あなたも武器を下げなさい」

「ええー!? 何で何で!? ここまで追い詰めたんだよ? もったいないじゃん! 貞蔵(ていぞー)さんだって言ってたじゃん! ここで里見蓮太郎も聖天子様も殺すって!」

 駄々を捏ねるように反発する少女に対し、同じ顔をした少女は小さく溜息をつき、「貞蔵さんは、あなたが理解できる単純な命令を出したに過ぎません」と悪態と共に指摘した。「私達の最優先目標は、リトヴィンツェフ一派及び里見蓮太郎、両勢力の足止めです。それによって望む成果を得られた以上、ここに長居する理由はありません」

「ううー……お(ねー)ちゃんも貞蔵(ていぞー)さんも意地悪だあー……!」

「あとで貞蔵さんに何か奢ってもらうか、好きなものでも買ってもらってください。私は貞蔵さんの決める事に不満はありませんから」

 なおも、むくれっ面を浮かべる春樹をあしらいながら、彼女の姉らしい少女が近づいてくる。一瞬身構えるが、すぐに敵意がなくなっている事に気づく。少女はリカルドの横を通り過ぎ、次いで蓮太郎と阿久津を尻目に、こちらから離れていった。

 春樹が、「べーっ!」と下(まぶた)と舌を引き下げて、こちらを小馬鹿にしたような表情を作る。直接手を下せなくなった事による、行き場のない不満を少しでも向けようとしているらしかった。側にいた姉から、「やめなさい。みっともない」とチョップを喰らい、柔らかそうな頬がさらに膨れる。

「それでは私達はこれで」と姉の方が言った。「東京エリアの滅亡まで、二度と会わない事を願っていますよ」

 遠ざかっていく二人の背中を、リカルド達はただ見送る事しかできなかった。彼女達の姿が廃墟の向こうへと消え去ったのを確認してから、肺に溜まった重い空気をまとめて吐き出した。指先にまで張り巡らされていた緊張が一気に解け、全身の筋肉が弛緩するのを感じる。

 絶え間ない命のやり取りが終わった事に安堵しつつも、リカルドはすぐさまスマートフォンを取り出して、「待ってろ。すぐに警察と救急車を呼ぶ」と蓮太郎達を見やった。

 ――阿久津さんはともかく、里見の方が不味いな……。

 背中の傷を始めとして、かなり大掛かりな処置が必要な怪我が何箇所か見受けられる。むしろ、これだけボロボロになりながらも、まだ意識を繋ぎ止めているのが不思議なくらいだ。機械化兵士として、体の一部を人工物に置き換えた際、そういったデリケートな部分も置換されているのだろうか。機密情報に明るくないリカルドには、想像する事しかできない。

 スマートフォンの仮想キーパッドを操作しようと指を伸ばした時、「駄目だッ……!」と蓮太郎が弱々しく静止してきた。「病院まで連れて行かれたら……確実に全身麻酔で治療される……!」

「それの何が駄目なんだ!? 里見、お前自分の体がどうなってるか分かってんのか?」

「俺が離脱する訳にはいかない……! まだリトヴィンツェフの足取りが分かってない……!」

「死んじまうぞ!」

「応急処置だけで構わないッ、すぐにマーク・メイエルホリド達を追う……!」

「……ッ! どうなっても知らねえぞ……!」リカルドはミリタリージャケットの内ポケットから、止血パッドと包帯を取り出す。昨夜、洋上刑務所の医務室から拝借したものの残りだ。蓮太郎の後ろに回り込むと、強引に黒いブレザーとワイシャツを剥ぎ取る。「もう一回だけ訊いとくぞ。本当に良いんだな……!? 消毒液はおろか、水さえないんだぞ……!」

 蓮太郎は迷う素振りもなく、「早くしてくれ」と返答した。「何があっても藤沢さんに責任はない……!」

「そいつを感じずにいれたら、どれだけ楽かって話だよ……!」

 包装を破ったパッドを痛々しい傷に押し当てると、満身創痍の少年が苦痛に呻く。聞こえなかった振りをして、さらに包帯で上半身を簀巻きにするように覆っていく。

「……おい、お前ら」と仰向けに寝転ぶ阿久津が声を発した。「追うっつっても、奴らの居場所は分かるのか?」

「そこは心配ない」リカルドは手を休める事なく即答した。「さっき里緒ちゃんから連絡があった」と片手でカーゴパンツのポケットを叩いた。中に収めている携帯端末が硬質な音を返す。「逃げた狙撃手を追跡してる。まだ見失ってはいない」

「驚いたな、最近のガキは外周区住みでもスマホ持ってやがんのか」

「俺のサブの端末を貸してる。ともかく、これで奴らの居場所はリアルタイムで把握できる。里見の処置が終わり次第、動けるはずだ」

「それなら俺の車を使え」阿久津はスラックスのポケットから、遠隔操作式のスマートキーを取り出して投げ渡してきた。「元陸自なら、さすがに免許くらいは持ってんだろ?」

「……助かる」

「俺はここで警察の応援を待つ」と阿久津は自身のスマートフォンを操作し始める。「何人かは仕留めてるだろ? そいつらから可能な限り情報を搾り取らなきゃな」

 包帯を巻き終わったタイミングで、遠方から白一色に身を包んだ少女が駆け寄ってきた。逃げていた聖天子だ。彼女は蓮太郎の状態を見るやいなや、口許に手を当てて絶句する。

「手短に言います、聖天子様」リカルドが切り出す。「俺と里見は、このままリトヴィンツェフ一派を追跡する。聖天子様がどうするかについては、俺に口出しする権利はありません。ここで阿久津さんと警察の応援を待つでも、俺達と一緒に来るでも構いません。ですが時間がありません。すぐに決めてください」

「私も行きます……! いずれにせよ、警察の応援が来れば、私は聖居に連れ戻されてしまいます。里見さん達と行動を共にする選択肢しか、私には残されておりません……!」

 リカルドは頷く。「分かりました。急ぎましょう」

 

 

 外周区を飛び出し、付近の駐車場に停めてあった阿久津の軽自動車に乗り込む。運転席にリカルド、助手席に蓮太郎、そして後部座席に聖天子が腰を下ろす。

「まずは里緒ちゃんを拾う」エンジンをかけつつ、リカルドが方針を示す。「さすがに連中も阿久津さんと同じ事を考えてたみたいだ。外周区自体には車を置いてなかった。だから出発したのは、ついさっき。今から追いかければギリギリ間に合う」

 隣で蓮太郎が荒い息を吐きながら、「……奴らはどこに向かってるんだ?」と訊いてくる。

「まだ正確なところは分からない。だが、少なくとも内地に向かっている事だけは確かだ」

 リカルドの運転する軽自動車が動き出す。コインパーキングのゲートを潜り、付近に他の車両がいない事を確認してから、アクセルペダルを一気に踏み込む。昼前の道路は思ったよりも空いており、信号以外で詰まる事はなかった。

 良くない事は分かりつつも、右手でハンドルを操作しながら、左手で自身の端末の画面を覗き込む。「くそッたれ」と毒づく。「連中、高速道路に乗りやがった……! このままだと一気に引き離される……!」

「どうするんだ?」と蓮太郎が訊いてくる。リカルドは視線を上へ向けて、流れていく案内標識を見やり、「もうすぐでインターチェンジがある。俺達も高速に乗って追いかける」と言った。前方へ注意を払いながらも、左手で自身の端末を操作し、通話アプリを立ち上げる。連絡先にあったサブ端末のアカウントをタップし、本体を耳に当てる。数コールののちに里緒の声がスピーカーから聞こえてきた。「里緒ちゃん! 悪いが、そのまま食らいついてくれ!」と頼み込む。「安全なところで里緒ちゃんを拾うのはナシだ! 俺達も今から高速に乗って、リトヴィンツェフ一派を追跡する! GPSで位置は分かるから、何とかして里緒ちゃんまで近づく! 赤の軽だ! 何とかして飛び乗ってくれ!」

 一息にそこまで言うと、アプリを起動したまま、スマートフォンを助手席の蓮太郎へと投げ渡す。

「ここからは運転に集中したい。このあとの里緒ちゃんとのやり取りを頼めるか?」

「問題ない」と蓮太郎は答える。「それくらいはやる」

「悪いな」

 そうこうしている内に、高速道路への分岐が見えてくる。ハンドルを切り、緑色のペイントが施されたレーンへと移る。幸い、阿久津の車にはETCが搭載されていたので、立ち止まらずにゲートを潜り抜けられた。

 合流車線を走りながら、方向指示器を出し、タイミングを見計らって走行車線へと移った。下道よりも圧倒的に速い流れに翻弄されそうになりながらも、アクセルをベタ踏みして速度を上げていく。

「それにしても……やけに静かだな」不意に黒衣の少年が呟いた。

「何がだ?」

 リカルドが眉根を寄せて訊き返すと、蓮太郎は、「いや……」と僅かに逡巡してから、「さっき下道を走ってた時も思ってたんだが、どこにもガストレアがいないんだ」と口にした。「継麻達は東京エリア中にガストレアを放ったって言ってた。なのに俺達の目に見える範囲には、そんな様子はどこにもない」

 継麻と言われても、あの場に途中参加したリカルドには誰の事か分からなかった。記憶を掘り起こして、先ほどの状況を思い起こす。

 リトヴィンツェフ一派は全員が白人だ。少なくとも彼らではない。となると、もう一つの勢力の方だろう。あの和服の男と、ゴスロリの少女達が脳裏に浮かび上がってくる。

「あの機械化兵士の能力を使っていた連中か。あの時は里見を助けるのに精一杯だったから、気にする余裕もなかったが、奴らは一体何者なんだ? そんな大それた事をできるだけの勢力なのか?」

「……奴らが所属している組織は『五翔会』。かつて『ブラックスワン・プロジェクト』っつう計画を進めていた。バラニウム磁場に耐性を持つガストレアを人工的に培養し、生物兵器に仕立て上げる……反吐が出る研究だった」

 なぜ過去形なのかは、今さら問うまでもない。おそらく計画自体は、リカルドの預かり知らぬところで、すでに黒衣の少年が打ち破っているのだろう。

「その計画と、今の状況に何の関係が?」

 訊くと、蓮太郎は僅かに押し黙ったあと、意を決したように唇を動かした。「……『抗バラニウムガストレア』が研究、培養されていた施設は、俺が爆破した。だが、どうやら研究所はもう一つあったらしい。奴らは、そこで培養されていた、いわば不良在庫を使って東京エリアに生物テロを仕掛けたんだ」

「だが、少なくとも、この付近はガストレアの襲撃を受けた様子はないと」

「ああ」蓮太郎が首肯する。「ネットニュースの方を見ていても、一向にそれらしい記事も見当たらないんだ」

「里見が昔対峙した計画の存在は事実だとしても、その継麻とかいう奴が出まかせを言ってる可能性もあるんじゃないのか? お前を混乱させるための口八丁に踊らされてるって事も……」

「ガストレアが各地でばら撒かれたのは、確かな事実のようです」と後部座席から凛とした声が発せられた。自身の所有する特注の端末を持つ聖天子は、「私の持つ情報網には、ガストレアによる被害が多数確認されております」と言った。「おそらくは同時多発的なガストレア襲撃により、マスメディア等の報道機能も麻痺しているのでしょう」

「聖居側の情報か」それならば、蓮太郎の言葉に嘘はないだろう。「東京エリア各地の戦況はどうなってるんだ?」

 リカルドの問いに聖天子は、「すでに沈静化しつつあります」と答えた。「警察、民警、傭兵――そしてモノリス近郊を警護していた自衛隊の一部が参戦した事で、ほぼ全てのガストレアが制圧されたようです」

 それを聞いた蓮太郎が胸を撫で下ろすのが見えた。リカルドも同じ気持ちだった。

「私の推測となりますが」純白の少女は、そう前置きしてから、「五翔会が旧品川外周区近辺にガストレアを配置しなかったのは、()()()だと思います」と言った。

 蓮太郎が顎に手を当てて言う。「自分達の逃走経路を確保するためにって事か?」

「それもあるでしょうが、実際の狙いはリトヴィンツェフ一派を泳がせるためでしょう」聖天子は続ける。「五翔会がアンドレイ・リトヴィンツェフの足取りを掴みたいと考えていたのなら、事前にいくつもの策を弄していたはずです。その内の一つが、この状況でしょう」

 リカルドが唸る。「つまり……外周区から撤退する一派を餌にして、リトヴィンツェフの位置を特定しようとしていた……?」

「だが、継麻達がマーク・メイエルホリド達を追跡している様子はない」蓮太郎が指摘する。

「彼らを泳がせるまでもなく、アンドレイ・リトヴィンツェフを発見したという事でしょう。認めたくはありませんが……私達より五翔会の方が先を行っているという事です」

「くそッ……」

「悲観するには早いんじゃないか」とリカルドが割り込む。「こう考える事もできるだろ。五翔会が慎重策を取ってくれたおかげで、俺達にもチャンスが残されていたってな」傭兵の視線は真っ直ぐと前方を見据えていた。「いたぞ。里緒ちゃんだ」

 さらに速度を加えていく。低排気量のエンジンに許容限界ギリギリの負荷がかかり、車内にいるリカルド達にも分かるほどに、異音を伴って唸る。馬の(いなな)きを想起させる音と共に、対気流を押し潰しながら、軽自動車が突き進んでいく。

 占部里緒は路肩を超人的なスピードで駆けていた。とはいえ高速道路においては、やはり自動車には及ばない。必死で走る彼女の脇を、猛スピードで他の車両が追い抜いていく。

「里見!」

 リカルドが一喝すると、蓮太郎がすかさず手に持っていた端末を顔の前に持っていく。「聞こえるかッ!? 藤沢さんの仲間の里見蓮太郎だッ! 今、そっちの姿を補足した! あと一〇秒もかからずに最接近する! チャンスは一回だッ、こっちに飛び乗るんだ!」

 最高速を維持したまま左車線へ移り、路肩限界まで車体を寄せていく。ひび割れたアスファルトや隅に溜まったゴミなどがタイヤと接触し、車両が大きくガタつく。ハンドルを細かく制御しながら、バランスを維持し続ける。

「もうすぐだッ」蓮太郎が声を張る。リカルドの視界も里緒の背中を鮮明に捉えた。

 瞬間、里緒が地面を蹴り抜き、大きく上空へ飛び出した。フロントガラス越しに人型の影が落ちたのも束の間、天井がグシャリと陥没し、次いで板金を貫いてバラニウム製曲刀(カトラス)が突き立てられた。

「聖天子様! 窓を!」

 リカルドが促すと、後部座席の聖天子が窓を開放する。「こちらへ!」と呼びかけると同時に、黒髪の少女が車内へ転がり込んだ。ブラウスからアウターまで、衣服の全てが汗でびっしょりと濡れ、今にも気絶しそうなほどに息を切らせている。イニシエーターとはいえ、この炎天下の中、生物の限界値寸前を攻め立てるような全力疾走の持久走をさせられたのだ。顔面を真っ赤に染めた少女は、すでに動ける状態ではなかった。

「悪い、里緒ちゃん……!」とリカルドは歯を食い縛る。

「気に、しないで……リカルド……」息も絶え絶えになりながらも、里緒は答えた。「必ず……里津姉の、仇を……取るんだから……」

「ああ……! 絶対に奴らを捕まえる!」

「とはいえ、マーク達とどれだけ距離が離されたか分からない……!」蓮太郎が下唇を噛む。「軽じゃ速度もそこまで出ないだろ? 本当に連中の車両に追いつけるのかッ!?」

「それは……大丈夫、だと思います……。彼らが乗っているのは……乗用車ではなく、四トントラックでした……しかも、明らかに重い何かを……積んでいます……。おそらく……最高速度は一〇〇キロに、届き、ません……」

「追い風が吹いてきたみたいだな……!」リカルドは言う。「それなら追いつける!」

「……! 藤沢さん、あれ……!」蓮太郎が遠方を指差す。三車線ある内の真ん中に、箱型の荷台を引っ提げたウィングタイプのトラックを確認。間違いない。あれがマーク・メイエルホリド達が逃走に用いている車両だ。

「ここで捉えるぞ!」エンジンがさらなる唸り声を上げた。「里緒ちゃんが繋いでくれた好機だ! 絶対に無駄にはしねえ!!」

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