ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
携帯電話を閉じて、疲れたように息を吐く。「あの野郎……」と
蓮太郎に話した通り、今現在、多田島は第二七区外周区にある発電所にやってきていた。
メガフロート刑務所付近でのガストレア撃滅戦に参加したのち、本庁の指示で、各地に散らばっていた警察達は各現場の後始末に駆り出される事となった。
多田島の割り当てられた現場がここだったのは全くの偶然だった。発電所の惨状を見た瞬間に、胸中に湧き上がってきたのは、どうしようもないほどの怒りとやるせなさだった。そこに居合わせた人物を見て、多田島は確信した。ここが襲撃されたのは、偶然ではなく、悪意ある者が意図的に仕組んだ結果であると――。
「――多田島」と喫煙所のドアを開けて、磯貝が入室してくる。「連絡は終わったのか」
「ああ。今から向かうだとよ」
「そうか」
「藍原の様子はどうだ?」と多田島が訊く。
「俺達がここに来た時と変わりない。……すまないが、俺とは会話にもならない」
「そう気に病むな」肩をすくめて諭すように言う。「あんな事があった直後だ。見ず知らずの人間相手に口聞けるほど、簡単に立ち直れる訳はねえよ」
「……多田島、あの子が本当に里見蓮太郎のイニシエーターなのか?」
「何だ、疑うのか? 俺はいつも、あいつらと一緒に仕事してるんだぞ」
「ああいや、そういう意味で言った訳じゃない」磯貝はそう断ってから、「上手く言えないが、あの英雄の相棒に抱いていたイメージとだいぶ違ってな」と視線を下へ向けた。「高位序列者の『子供達』はもっとこう……戦闘への抵抗が一切ないものとばかり……」
「そういう奴もいるにはいるんだろう」多田島の平坦な声が喫煙所に響く。「だが少なくとも藍原はそうじゃねえ。じゃなきゃ、わざわざ『子供達』である事を隠してまで、学校に通おうなんてしないはずだ」
「…………」
「磯貝。お前はこいつらを別格の存在として見過ぎなんだよ」
「だが事実だ」と磯貝は食い下がる。「彼らは特別な存在だ。だから何度も世界を救えた。それは俺のような一警察官には絶対にできない事だ」
「……磯貝」と中年刑事は
「っ、今さら問うまでもないだろう。このモノリスで囲われた壁の中だ。東京エリアという国こそが、今の俺達人類に残された世界だ。違うのか」
「だろうな。俺も同じ意見だ」多田島は磯貝から視線を外し、「だが覚えておけ」と代わりに言葉を刺す。「そう思えるのは――きっと俺達が歳食った大人だからだ」
「……藍原延珠はそうではないと?」
「当たり前だろ。あいつはまだ一〇歳だぞ。子供にとっての世界の定義は、俺らみたいなオッサンよりも圧倒的に狭い。それを踏まえた上で訊いてやる。――藍原は本当に『世界』って奴を守れたのか?」
「それは……」
「藍原にとっての世界は東京エリアじゃねえ。自分の周囲の日常だ。それ以上でもそれ以下でもない」と言い放つ。「今の藍原は世界を守るどころか、自分の手で壊しちまったと思ってる。どんなに力を持っていようが、彼女達は根本的なところで、まだ子供なんだ。それを理解して、あいつらの事を見ろって言ってんだ」
多田島が値踏みするような視線で、再び磯貝を捉えると、彼は罰が悪そうに押し黙って目を逸らした。
当の多田島も溜息混じりに肩を落とし、「ま、俺が言いたかったのはそれだけだ」と磯貝の横を通り過ぎ、部屋から出て行こうとする。
磯貝の気の抜けた声が背中越しに届く。「……どこに行くんだ?」
「藍原のとこだ。俺が話す」多田島は磯貝に背を向けたまま、手をひらひらと振り、「ちょっとばかし現場は任せたぜ」と言い残して、その場をあとにした。
発電所内は、
壁には人間のものともガストレアのものとも知れぬ赤黒い血液が、べったりと付着し、悪趣味なグラフィティーのごとく室内を彩っている。瓦礫や死体の撤去だけでも、数ヶ月はかかりそうだ。施設内の清掃など、さらにあとの話になるだろう。
多田島は、すれ違う職員や警備の民警達に軽く会釈しながら廊下を進み、とある一角で立ち止まった。いくつか点在する休憩所の内の一つだった。
二度ほどノックしてから扉を開けて中に入る。簡素な机とパイプ椅子、ラインナップの少ない自販機が立ち並ぶ殺風景な部屋が多田島を出迎える。部屋の隅に目をやると、瞳から光の消え失せた少女が項垂れるように腰を下ろしていた。死人のように青白く変色した顔は、どう見ても年端もいかぬ少女が見せて良いものではなかった。
――重症だな。
多田島はずんずんと歩を進めて、少女の向かいまで来ると、パイプ椅子を引いて無遠慮にどかっと座った。「こうしてプロモーター抜きで話すのは初めてだったな、藍原。俺の事、分かるか?」
「…………」押し黙ったままではあるが、こくりと延珠は頷いた。
「お前のプロモーター……いや、里見は今からこっちに向かうとよ。さっきまで旧品川外周区にいたみたいだ。電話したら今にも死にそうな声してやがったよ。あいつはあいつで、また俺達の知らないところで危ない話に首突っ込んでるらしいな」
「…………」やはり延珠は何も言葉を返さない。視線を多田島の方へ向けようともしない。
当の中年刑事は、普段の表情とは打って変わって、困ったような笑みを浮かべ、「本当にあいつは変わらないよな」と言った。「目の前の危険から、大切な奴を遠ざけるために一人で突っ走って、本当に守らなきゃいけねえもんを取り零す。――そうして結果的に自分や仲間が傷ついちまうんだ」
それは今の藍原延珠であり、かつての冤罪事件によって貶められた天童民間警備会社の面々であり、そして――。
「なあ藍原」と多田島は努めて優しい声色で、延珠の名を呼んだ。「俺はよ、あの時からずっと後悔してるんだ。櫃間の奴が仕組んだ陰謀に里見が巻き込まれて、
多田島はゆっくりと息を吸い込み、天井を仰ぎ見る。味気のない蛍光灯が無機質に頭上を照らしていた。
「俺は里見の味方をしてやるべきだったんだ。あいつが罪のない人間を殺すなんて事、ありえないと分かっていたんだからな。たとえ事件を追っている最中に殺されたとしても……あの時、俺は
「……けど」そこで初めて延珠が口を開いた。今にも消え入りそうなか細い声で、「やってしまった事は……もう消せない……」と、まるで自分に言い聞かせるように言う。「自分が……妾がやってしまった事はもう……絶対に取り返しがつかなくてッ」
「そうだな」多田島は否定しない。「俺も同じだ。あいつに銃を向けた事実はもう取り消せない。俺の刑事人生の一生の汚点として残り続ける。これから先、ふとした時にそれを思い出しては自己嫌悪に陥るんだろうな」
「多田島のおっちゃんは……それに耐えられるのか……?」
迷わずに多田島は答えた。「耐えられん時もあるだろう。というよりも、そんな事ばっかりだ。毎日毎日、過去の後悔に押し潰されそうになりながら、かろうじて生きてる。そんな感覚だ」
「毎、日……?」
「この歳まで生きてるとな、やらかしの数なんて一つ二つじゃ効かないんだよ」と中年刑事はヘラりと笑った。「本当なら背負わなくて良かったもんを無駄に抱えて生き続けてる。他人に心配かけて、迷惑かけて、怒らせて――そんで、それを挽回するために尽力する。面倒臭いだろ? でもな、そうすると不思議な事に、見ていてくれてる奴が現れたりするんだ。そいつは迷惑かけた当事者だったり、あるいは全く関係のない第三者だったりする。そんで、そうやって繋がった人の輪が、解決できないと思っていた問題を解決に導いてくれたりする」そこで多田島は、「あー……」と唸り、「まあその、何が言いたいかって言うとだな」と頭を掻く。「俺は藍原が死に物狂いで同級生を守った事を知ってる」
「……!」
歯を見せて笑う多田島は、延珠を怯えさせぬようにゆっくりと手を伸ばし、無骨な手のひらを、ふわふわとした髪の上へと乗せる。「だから俺が言えるのは、これくらいだ。――良く頑張ったな、藍原」と雑に頭を撫でる。
「……あ」延珠の目許から、ぽろりと涙の粒が溢れる。彼女自身、何が起きたか分かっていないようだった。恐る恐る目尻を指で拭い、それが自身の
「里見が来るまでに泣き切っておきな」そう言って延珠の頭から手を離し立ち上がると、多田島は踵を返して、背後にあった自販機でコーラを購入し、彼女の前へと置いた。「落ち着いたら飲め。代金は里見にも請求しないでおいてやる」
延珠の
「……え?」
「『呪われた子供達』であるとバレちまった事ばかりに気を取られて、本質から目を逸らしてねえかって訊いてんだ。あの場には本当に『子供達』っつう表面だけを見て、お前を糾弾する連中しかいなかったのか? お前自身が罪の意識に苛まれ過ぎて、視野が狭まってたんじゃないのか?」
背後でガタリという椅子が倒れる音が聞こえた。
すぐ側で延珠の息遣いがしたと思えば、多田島の脇を通り抜けた矮躯が勢い良くドアを開け放ち、足早に立ち去っていった。遠くなっていく小さな背中を眺めながら、多田島茂徳は鼻で笑った。「クソガキめ。人の好意を無駄にしやがって」と行く当てのなくなったジュースの缶を見つめる。
多田島は思う。おそらく、これは里見蓮太郎にはできない役回りだと。
あの少年は藍原延珠と共に苦しむ事はできるかもしれない。この理不尽と不条理に雁字搦めにされた世界で、謂れのない誹謗を全身で受け止めながら、共に抱き合い耐え忍ぶ。そうやって互いの命を繋ぎ止めていく事はできるのかもしれない。
しかし、それでは本当の意味で彼女の見る世界を変える事はできないだろう。
――考えてみりゃあ当然だよな。
――あいつ自身が、どうしようもないほどに子供なんだからよ。
そういうのは、きっと自分達のような大人の役目なのだ。大きな事を成し遂げられなくなった、すでに可能性の擦り減った自分達のような人間にしかできない事だ。
もう何も持っていないからこそ、まだ持っている者達を救う事ができる。
――『モヤシが一袋六円なんだよ!』
多田島の脳裏に、余りにも真剣なトーンで放たれた馬鹿げた台詞が浮かぶ。あれは彼らと最初に会った時の事だったか。内地に発生したガストレアを処理して、再び日常へと戻っていく少年と少女の後ろ姿が、未だに鮮明に思い出せる。
あの光景を守り続けていく事こそが、自分の使命なのではないかと、多田島は一人静かに考えた。