ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
ボロボロになった軽自動車が停車する。
リカルドがエンジンを切るのも待たず、蓮太郎がドアを開け放って飛び出した。先走る少年を、「気持ちは分かるが、落ち着け」と
次の目的地が定まったと思った直後、蓮太郎が受けた電話によって状況は一変した。知り合いの警察からだったらしく、通話が終わるや否や、血相を変えて発電所に向かうよう懇願された。
――
――まさか
自らの正体を隠して学校に通う『呪われた子供達』。そういう生き方を選んだ者達がいるという事は知っていた。我が子が赤い目をしていようが、一切の迷いなく愛せる親。あるいは里見蓮太郎のように相棒を溺愛するプロモーター。彼らのような『子供達』に偏見を持たない人間は、少女達の未来のために学ぶ機会を作ろうとする。
しかし。
――遅かれ早かれ、こうなっちまうんだよ……。
――そういえば……。
美梨は目が覚めたのだろうか。病院に置いてきた少女の事が気がかりだった。内地でガストレアの襲撃があったとはいえ、あの病院は警視庁の近くだ。警察機構がとりあえずは問題なく機能しているところを鑑みるに、最悪の事態にはなっていないだろう。
――里見を室戸菫のとこに送ったら、美梨ちゃんの様子を見に行かないとな。
車から降りてロックを掛けると、リカルドは蓮太郎に近づき、「良いか。お前が取り乱すのは良くない」と肩を叩く。暗い眼差しを向けてくる少年を真っ直ぐと見据える。「焦りは子供にも伝わる。お前は延珠ちゃんの保護者なんだろ。なら、あの子の前では大人として振る舞え」
「……ああ、分かった」と正気の抜けた声で蓮太郎は返す。「悪い、藤沢さん……」
「大丈夫だ。俺もいる」何の根拠もないフォローだが、ないよりはマシだろう。蓮太郎と並んで、発電所の入口を目指す。その後ろからフードを被った聖天子と、いくらか回復した里緒も着いてくる。
「この臭い……」と里緒が目許を歪ませる。
リカルドが頷く。「獣臭と血の臭い……ガストレアだな」
ここに来て、ガストレア襲撃という事実が圧倒的な現実味を帯びて、心にのしかかってくる。機械化兵士を量産し、ガストレアの生物兵器化さえも目前まで漕ぎつけた五翔会なる組織――。彼らが順調に力をつけていった先に起こる最悪の状況を想定して、背筋が凍った。
神妙な面持ちのまま傭兵は、「外でこれって事は、中はもっと酷いだろうな」と言う。「外で待ってるか?」と里緒を見やる。ふるふると首を振る里緒に対し、「無理だけはするなよ」と釘を刺して、再度前を向く。
守衛のいなくなった詰め所を通り抜け、建物の入口を潜ると、「よう民警、やっと来たか」というドスの効いた声が一向を出迎えた。黒いスラックスに、腕まくりをしたワイシャツ姿の男性だった。どことなく阿久津に雰囲気が似ているように感じられたが、その直感はすぐに正しかったと分かる。
「多田島警部ッ」と蓮太郎が男性へと駆け寄っていく。どうやら、この男が蓮太郎の知り合いの警察のようだ。
――ん? 多田島って……。
聞き覚えのある名前だったと気づく。どこで耳にしただろうと記憶を探ると、洋上刑務所に行く前の、横島民間警備会社での会話が浮かび上がった。
――そうか。この人が横島と一緒に『呪われた子供達』虐殺の事件を追っていた刑事か。
第三次関東会戦の真っ最中でも、警察としての職務を全うし続けた真性の善人――。横島の話と合わせても、信頼できる人間で間違いはなさそうだ。
「警部ッ、延珠は……! 延珠はどこにいるんだッ……!?」
急かす蓮太郎に対し、多田島は、「うるせえな」と一蹴する。「何のためにここで待ってたと思ってんだ。今から案内する。着いてこい」
一向に背を向け、早足で進み始める多田島のあとをリカルド達は追いかけていく。
「しかし今日はずいぶんと大所帯だな」多田島が軽い調子で言った。一瞬、リカルドの肩が強張る。中年刑事の関心が、身元を隠した聖天子に向くのではないかと身構えたが、幸い、彼の興味の矛先は別方向に行った。「そっちのガタイの良い兄ちゃんも民警か?」とリカルドの方に振り向く。「イニシエーターもいるみてえだが」
「いえ、俺は傭兵です」リカルドが答える。「この子とは成り行きで一緒になった。IISOにも登録していません。里見とは……」僅かに口籠もり、「一時的な協力関係のようなものです」とはぐらかした。
「はッ、隠す事はねえよ。兄ちゃん」
「?」
「あらかた検討はついてる。
多田島の推測に最も動揺を見せたのは、蓮太郎だった。「……知ってたのか?」
「
「
「アンドレイ・リトヴィンツェフ。そいつがこの混乱の下手人なんだろ。こっちについては、ちょうど目星をつけて動いてる同僚がいてな。さっきまで一緒だったんだが、お前達が来る前に本庁に呼び戻されちまってな。あいつはお前と会いたがってたよ」
「俺に?」
蓮太郎が眉をひそめると、多田島は呆れたように息を吐いて、「お前の熱狂的なファンだよ」と言った。「少しばかり気持ち悪いくらいに、お前に心酔してる。まあ東京エリアの英雄ともなろうものなら、そういう厄介なのもついてくるって事だわな」
多田島はそれ以上話す気はないのか、この話題は終わりだとばかりに口を
「ところで多田島さん」ちょうど良いタイミングだったので、リカルドが話題を切り替える。「里見のイニシエーター……延珠ちゃんの様子はどうなんですか? さすがに話してないって事はないはずです」
「……ああ、話してる。俺から話せる事は大体な」
「それで延珠ちゃんは?」
再度、リカルドが訊くが、多田島は瞑目してかぶりを振る。
「俺から言えるのは一つだ」その声はリカルドではなく、蓮太郎に向けられていた。「子供ってのは正直だ。良くも悪くもな。親や周囲の大人が口酸っぱくして訴えた事よりも、自分で見て、自分で体験した事の方を信じる。だから民警、お前も自分の目で確かめろ。良いな?」
先導する寸胴体型の足が止まる。横開きの大きなドアの上には、『食堂』と記載されたプレートが張りつけられている。
「社会科見学に来てた学校関係者の臨時避難場所だ」多田島が説明を加える。「もちろん藍原もここにいる」
「延珠ッ……」蓮太郎が悲痛に目尻を歪ませ、光のなくなった瞳がドアを隔てた向こう側へと投げかけられる。
「心の準備は……」と言いかけてから、多田島は溜息をつく。「できる訳ないわな」
「……構わない」蓮太郎は感情を絞り出すように言った。「大丈夫だ……。この先に何があっても……俺が延珠を守る……」
「開けてくれ、多田島さん」とリカルドも促した。「里見を一人にはさせない。里見が受け止めなきゃいけない現実があるんなら、俺も受け持ってやる。そのつもりでここまで着いてきたんだ」
蓮太郎、リカルドの双方から、とき勧められた多田島は、「……分かった」と小声で答え、取手に手を掛ける。
横開きのドアが動き、その先の空間が視界に飛び込んでくる。
広々とした室内には、本来あるべき机や椅子がほとんど見られなかった。少しでも面積を確保するために、隅に寄せられているらしい。両サイドの壁際に、二段ずつ積み重ねた什器が所狭しと並べられている。突き当たりには厨房があるが、当然、スタッフの姿は一人も見当たらない。その代わりに堂内の中央には、二〇人以上の子供達が集まっていた。
聞こえてくるのは耳を疑うような罵詈雑言。その意味を理解する事を、無意識に脳が拒む。
率直に言って恐ろしかった。延珠の年齢を考えれば、ここにいる小学生達の歳も一〇歳前後である事は想像に難くない。しかし、年端も行かぬ子供から、ここまでの怨嗟に満ちた罵声が放たれている事実が、どうしようもなく受け入れられなかった。
――これが……横島の恐れていた景色……。
第三者のリカルドでさえ心臓が凍てつくような感覚。これを直接向けられている延珠の胸中など、想像するのも
――そうだ。彼女は……延珠ちゃんはどこに……!?
群衆の中から、記憶の中の姿と合致する少女を探す。白のワンピースに、兎の耳のような装飾のついたパーカーを着た少女。大きな髪留めで結えられたツインテールがトレードマークの――。
と――そこで違和感に気づく。眼前のインパクトに気を取られて、何か決定的なものを見落としているような――。
人混みの中に藍原延珠の姿を見つけた瞬間、それは確信に変わった。
「――延珠ちゃんは化け物なんかじゃないッ! 私達をガストレアから助けてくれたヒーローなのッ!」
人集りの中から一際大きな声が響く。
それは自身の心に粘っこく纏わりつく恐怖を無理矢理押し除けて出したような、酷く震えた声だった。
目許に大粒の涙を浮かべて叫ぶボブカットの少女は、両の拳をぎゅっと握り締め、小刻みに痙攣させていた。今すぐここから逃げ出したい。現実から目を背けて塞ぎ込んでしまいたい――そんな感情が痛々しいほどに、離れた場所にいるリカルドにも伝わってきた。
だが、ボブカットの少女は立ち向かっていた。
藍原延珠を守るように立ち塞がり、彼女へ向けられる罵詈雑言を共に受け続けていた。
リカルドの覚えた違和感。それは延珠を取り囲む子供達の向いている方向だったのだ。ちょうど半々に近い形でグループが分かれ、片方は延珠の方を向き、もう片方は彼女を庇うように、がなり立てる一団と対峙している。
そう、延珠を守っているのはボブカットの少女だけではない。一〇人以上の男女が、攻め立ててくる矛を盾のように受け止めている。
「何がヒーローだ!?」「その子はガストレアウィルスに乗っ取られた化け物でしょ!?」「パパとママが言ってた! 赤目はいつかガストレアになって僕達を殺しにくるんだって!」「ガストレアってウィルスに釣られてやって来るって聞いた! きっと、そいつがここに来たからガストレアが襲ってきたんだ!」
延珠に
――っ……里見……!
思わず盗み見るように、蓮太郎の方を見やった。黒衣の少年は、自身の肉を噛み切るのではないかと疑うほどに、ギリギリと下唇を噛み締めていた。血走った目は、リカルド以上に、今すぐその場に飛び込んでしまいたいという感情の発露と見て取れた。
「そんなの嘘!」根拠のない
五翔会が意図的にガストレアを解き放った事を知っているリカルドには、この場所の襲撃が全くの偶然でない事は分かってしまっている。だが、それを口に出す必要性などない。いずれにせよ、この件に関して、延珠に責任の所在は一切ないからだ。
少女の一声を皮切りに、庇う側が一斉に反撃に移る。「俺は藍原さんに助けられた! 彼女は自分の何倍もデカいガストレアにも全く怖がらずに挑んでいった!」「私も!」「僕もだよ! 藍原さんがガストレアを蹴り飛ばしてくれなきゃ、今ごろ生きていなかった!」「自分の危険も顧みずに駆けつけてくれた藍原さんを、どうして化け物だなんて言えるのッ!?」
「言ったろ。自分の目で確かめろってな」腕を組んだ多田島が満足気にほくそ笑む。「確かに世界はまだ歪んでる。だが、全部が全部取り返しがつかないほどに変質しちまってる訳じゃない。大人がどれだけ
蓮太郎が声を掠れさせながら、ゆっくりと問う。「……多田島警部は分かっていたのか?」
「事前に藍原とは話したって言っただろうが。俺はきっかけの一つを与えたに過ぎん。そこから勇気を振り絞ったのはあいつだ」
多田島は組んでいた腕を解くと、そのまま遠慮なしに蓮太郎の肩を小突いた。
「大丈夫だ。藍原は