ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 東京エリア第二区――今現在も新宿区という名を残すこの地は、内地の中でもかなり中心寄りに位置し、滅多にガストレアの侵入を許さない。

 しかし突如として()()から発生したガストレアの急襲により、未だかつてないほどの被害を受けている。

 三ヶ島(みかじま)影以(かげもち)が代表取締役を務める民間警備会社『三ヶ島ロイヤルガーダー』の活躍により、ガストレアの猛威そのものは沈静化していたが、破壊されたインフラ系統や人的被害は今も尾を引いている。

「どうだ咲良(さくら)。ウチの被害状況は?」三ヶ島は、自身の傍らでノートPCとスマートフォンを器用に操って、各所と連絡を取っている加倉井(かくらい)咲良に問いかけた。

 黒づくめの少女は横目で三ヶ島を見やり、「多少の怪我人は出ていますが、重症者及び死傷者はいません」と答えた。彼女は一息つくと、テーブルの上のグラスを手に取り、氷の溶けかけたアイスコーヒーを喉に流し込んで頭をクールダウンさせる。「……連携を取っていた他の民警や、傭兵、警察はその限りではないようですが」

「そうか。分かった」三ヶ島は溜まった疲労を吐き出すように溜息をついた。革張りのソファの背もたれに、体重を掛けて体を沈み込ませる。

 亡くなった者達には申し訳ないが、自社の社員の損失がなかっただけで万々歳だ。仲間を失わずに済んだ安堵感に勝るものはない。

「気を抜くのは早いですよ、社長」

「言われなくとも分かってるよ」三ヶ島はネクタイを緩めながら、このあとの事に考えを巡らせる。「聖居と警察に対して、報酬を要求しないといけないからね。この数時間だけで途方もない数のガストレアを処理したんだ。貰えるものは貰えるように立ち回るさ」

 おそらくは、あと数時間もしない内に警視庁と防衛省が記者会見を行うはずだ。当然、その間に、それらの組織とのコンタクトは取りにくくなる。聖天子が脱走している今、聖居側も誰を矢面に立たせるかで絶賛揉めている最中だろう。

 ――とはいえ、天秤宮(リブラ)がウィルス嚢を爆散させるような事があれば、全ては茶番となって終わる訳だが……。

 三ヶ島は自身の腕時計に目線を落とす。アンティークな時計の針はちょうど午後三時を指していた。

 残り一二時間。

 仙台エリアの稲生(いのう)首相が、東京エリアに課したタイムリミットまで残り半日を切っている。

 ――未だ聖天子は見つからず、仙台との交渉も難航している。

 ――ウィルス放出までに、稲生を黙らせられる可能性は限りなく低くなってきたな……。

「社長、何を考えているのですか」

 考え込む三ヶ島に対し、咲良が唇を尖らせる。頭の中だけで完結させずに、考えを共有しろという事らしい。

「おそらく、このままでは天秤宮(リブラ)のウィルス放出は止められない」

「皆で仲良く死に耐えようという話ですか?」

「それは遠慮したいね」三ヶ島は冗談めかしく口にしてから、「だが」と挟んで上体を僅かに起こす。「仮に最悪の事態が起こったとしても、私達には仙台と違って時間がある。天秤宮(リブラ)の散布したウィルスが東京エリア(こちら)に到達する前に、他エリアへ逃げれば良いだけさ」

「では、なぜすぐに動かないのです?」

「……痛いところを突くね」三ヶ島は苦笑する。

「だってそうでしょう? 第三次関東会戦(あの時)は何の迷いもなく社員を連れて逃げ出したじゃないですか。そして結果的にそれは間違ってなかったと私は言えます。社長の判断があったからこそ、私達は今現在まで生きているのですから。なぜ今回に限って、もたついているのです? わざわざ聖居からの依頼を受けてまで――」

「私自身が、あの時の選択を後悔しているから――と言っておこうか」

 三ヶ島の返答を受けて、さらに咲良の表情が剣呑なものに変わる。「……社長が悔いるような決断をしたとは思えません。あの勝率の低い戦いに臨んで、仲間を無駄死にさせるのが正解だったと?」

「無駄死ににはならなかったかもしれない」三ヶ島は遠くを見ながら言う。過去の光景に思いを馳せるように。「くしくも羽柴(はしば)さんが言った通りさ。私達が参戦していれば、関東会戦は違った結末を迎えていたかもしれない――。誰が何と言おうと、今後、私はこの()()()()を抱えて生きていかなければならない」

「…………」

「――私はもう後悔したくない。だから最後まで足掻(あが)きたいんだ。もう他に選択肢がない――そう思えるまでやり尽くしてから、社員を守る方向へ舵を切るつもりだ」

「……はあ」と咲良が呆れたように息を吐いた。「それならそうと先に言ってください」と僅かに責めるような視線を向けてくる。「心配せずとも、私達はちゃんと着いていきますよ。社長が東京エリアを救う側に立ちたいのであれば、それを全力でサポートするだけです」

「……優秀な部下を持てて、私は幸せ者だよ」

「冗談言ってないで、動きますよ。この会社の代表として、私達を導いてください」

 咲良に促されるままに、三ヶ島は立ち上がる。

 ――やはり揃えるべきパズルのピースは聖天子様だ。

 ――天童社長を焚きつけ、隠密能力に秀でた者達に尾行させてはいるが……。

 残念ながら、未だに彼らから連絡はない。つまり天童木更は聖天子と接触できていないという事だ。あえてなのか、コンタクトを取れる状況にないのかは判断がつかないが、もう木更の動向を静観し続けられる段階ではなくなっている。

 ――彼女を通して里見蓮太郎と話をつける方が早いか?

 自身のスマートフォンを取り出して、次の一手を探り始めようとした時だった。端末から着信音。「天童社長……?」と三ヶ島は、ディスプレイに表示された発信先を見て眉をひそめた。受話器アイコンをスワイプしてから、端末を耳に当てる。「どうかしましたか?」と内心の焦りなど微塵も表出させずに言葉を紡ぐ。「護衛としてつけた社員が何か無礼でも?」

『……あなたに伝えるかどうかは、正直かなり悩みました』あの少女にしては、歯切れの悪い口調だった。『ですが見てしまった以上は共有する義務があると判断しました』

「共有? 話が見えてきませんが、私にも関係がある事なのですか?」

『……そう、なりますね……』

「具体的にお願いします。天童社長、あなたはどうやら気が動転しているようだ」

『……申し訳ございません。私自身、見たものを信じられず……』スピーカーの向こうから、何度か深呼吸する音が聞こえてくる。息を整えた木更は凛とした声で告げた。『――()()()()()()()()()()()()()()()()()

「――何だって?」

 今、天童木更は何と言った? 誰の名を口にした? 伊熊将監と言ったのか?

「……冗談はよしてくれないか」三ヶ島は思わず頭を抱える。「将監は死んだ。蛭子影胤に敗れ、未踏査領域の中で倒れたまま、永遠に内地には戻って来れなくなった」

『私も夢だと思いました。しかし私のイニシエーターがBMI端末で捉えた映像には、確かにあの時死んだはずの伊熊将監の姿が写っていました。今からそちらのアドレスに証拠を送ります』

 通話が切れたかと思えば、すぐにメールの通知音が鳴る。画面に目を落とすと、件名も入力されていない一通のメールが届いていた。

 震える指先で画面をタップし、メールを開く。そこには映像を直接スクリーンショット機能で撮影したような、粗めの画像ファイルが添付されていた。

 周囲の景色には見覚えがある。新宿御苑前近くの交差点だ。道路には血痕が塗料のごとくぶち撒けられ、あちこちに人間とガストレアの死体が散乱している。これを撮影したのがティナ・スプラウトなのであれば、彼女達は三ヶ島と別れたあとも、避難する事なく新宿に留まり、ガストレアと戦っていた事になる。

 ――いや、天童社長らの動向についてはあとだ。

 三ヶ島は脳裏を掠め掛けた余計な考えを振り払い、(くだん)の画像の最も重要な部分を凝視する。

「……何て、事だ」震える唇から、かろうじて言語の(てい)を為したものが洩れる。三ヶ島の尋常でない様子を感じ取った咲良と、バーカウンターにいた沓澤(くつざわ)の両名が、恐る恐るディスプレイを覗き込んでくる。

 そして、共に絶句し息を呑んだ。「これは一体……何が起きているんですか……!?」

 咲良の問いに、三ヶ島は、「私が訊きたいくらいだッ」とかぶりを振った。「なぜ……なぜッ……! 将監がここにッ……!?」

 写真に写し出された惨状の中央――そこに一人の男が佇んでいた。

 山のように隆起した筋肉が特徴的な体躯。それをボロ切れ同然と化したタンクスーツで覆い、口許にはドクロパターンのスカーフを巻いている。肉食獣のように逆立った金髪の下には、吊り上がった三白眼が覗く。

 間違いなく、そこにいたのは伊熊将監だった。かつて三ヶ島ロイヤルガーダーに所属していた高位序列者。バラニウム製の大剣を軽々と扱い、前線で戦う事を得意とするプロモーター。

 彼は四月に起きた蛭子影胤テロ事件の際、未踏査領域での作戦中に、イニシエーターである千寿(せんじゅ)夏世(かよ)共々戦死した。二人の最期は、同作戦に参加していた里見蓮太郎と藍原延珠によって見届けられている。

 張り詰めた空気を引き裂くように、再び三ヶ島の端末が着信音を響かせる。発信者を見ずとも誰からかは分かる。通話の設定をスピーカーモードに切り替え、木更の声を咲良と沓澤にも聞こえるようにする。画像はディスプレイに映したままにしておく。

『確認していただけましたでしょうか』木更の重い声が、喫茶店内に反響した。

「……これが悪い冗談なら、やめてくれないか……」

『お気持ちは察しますが、ここで冗談を口にする利点は、私達にはありません。そこに写っているのは間違いなく伊熊将監です』

「将監は死んだはずだ……彼は……」

『その通りです。そこにいるのは伊熊将監であって、すでに伊熊将監ではない』

「……ッ」

 木更の言動がただの言葉遊びなどではない事は、どれだけ気が動転していても分かってしまう。視覚という最も理解しやすい形で、眼前に提示されているのだから。

「社長……」傍らの咲良が、三ヶ島のスーツの裾を掴んできた。

「ああ、分かってる……分かってるッ……!」理性が理解を拒もうとしても、脳が本能的に答えに辿り着く。

 そこに佇んでいるのは伊熊将監の()()を被っただけの別物だ。もし仮に将監が存命していたのであれば、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 漆黒の刀身を持つバラニウムの金属塊は、将監の背部を真っ直ぐと貫き、趣味の悪いオブジェのように聳え立っている。もはや刺されている本人には、手を回して引き抜く事さえできないだろう。このような所業を施した蛭子影胤の悪辣さが、画面越しにも嫌というほど伝わってくる。

 体の一部と化した得物の代わりとでもいうかのように、将監の手には、バラニウム製の長大な鉄板が携えられている。持ち手らしい部位こそないが、彼の右手はしっかりと鉄板の端を握り締めていた。

 もはや疑う余地はない。

 人間であれば即死レベルの致命傷を抱え、構造的に持てるはずがないものを無理矢理持って動き回る身体能力。極めつきは彼の相貌を彩る瞳の色。

 燃え上がるように爛々と輝く赤色の眼球――。

 それを有する生命体は、二〇三一年の現代において、一種類しか存在しない。

 スピーカーから、どうしようもない現実を叩きつけるための、ザラついた声が発せられる。「まだ形象崩壊こそ起きていませんが、伊熊将監はガストレア化しています。彼が討伐されたという報告はどこからも上がってきていません。これが何を意味するかは、三ヶ島社長であればお分かりだと思います。まだエリア内のガストレアの脅威は去っていません。緊張の糸が緩んでいる今、彼が暴威を振るえば、今度こそ壊滅的な被害がもたらされるでしょう」

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