ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 午後の四時を回ると、瞬く間に空の様子が移り変わっていく。

 日が傾くにつれて、肌を焼き焦がすような陽光はなりを潜め、代わりに暖色系の西陽(にしび)が周囲一帯を照らし出す。気温自体は大きく下がってはいないが、灼熱の紫外線が治まった事で、幾分か体感温度は下がっていた。

 リカルドと蓮太郎、そして里緒の眼前には、廃れた雑居ビルが一棟屹立している。

 三人がいるのは、蓮太郎の地元である勾田町だ。

 だが今見えている建物は、彼の所属する天童民間警備会社でもなければ、彼の住居でもない。もちろん、当初の行き先であった勾田大学病院でもない。

「……里見。別にお前は着いて来なくても良いんだぞ。これはあくまで俺個人の問題だ」リカルドが気まずげに頭を掻く。

 ビルの四階には『横島民間警備会社』の文字。すでに経営者である横島秀貴はいない。彼が死亡した今、法人の存続は不可能。行政が動くのも時間の問題だろう。近い内にここはもぬけの殻となる運命だ。

 蓮太郎は頭上を仰ぎ見ながら、「釣れない事言うなよ、藤沢さん」と言った。「アンタはまさにさっき、俺個人の問題に付き合ってくれたじゃないか。……あの場に藤沢さんがいたから、俺は踏みとどまれたんだ。アンタは間接的に延珠を救ってくれたようなもんだよ。だから今度は俺にアンタを助けさせてくれ」

「……すまんな、手間をかける」

 事の発端は三〇分ほど前だった。勾田町に到着したリカルド達は、蓮太郎の治療、及び義肢や義眼のメンテナンスのために、彼の機械化施術を行なった室戸菫がいる大学附属病院に向かうはずだった。

 しかし、リカルドに掛かってきた架電によって状況は一変した。

 発信先は第二区にある都立病院からだった。『病室から谷塚(たにつか)美梨(みり)の姿が消えた』――電話口の声は焦燥に当てられて上擦っていた。

 スタッフを問い詰めると、どうやら病室の窓を飛び降りて逃げ出したのではないかという言質を得られた。院内には、直接美梨を見た者はいなかったらしいが、建物周辺で病院着の少女の目撃情報はあったようだ。

 先のガストレア襲撃の影響で、警察も子供の捜索に回す人手はないとの事。したがって、彼女の関係者であるリカルドに行方の心当たりがないかを尋ねられる事となったのだ。

「良かったの? リカルド」と里緒がこちらを上目遣いで見やる。「病院側に嘘なんてついて……」

「構わない。向こうのスタッフや警察が来る方が、ややこしくなっちまう」先ほどの電話に対して、リカルドは、「知らない」と答えた。その上で迷いなく向かったのが、ここだった。

「でも、本当にここにいるの?」

「確かな根拠がある訳じゃない。ただの勘だよ。けど……横島を失った美梨ちゃんが向かおうとする場所を、俺は一つしか知らないってだけだ」

 リカルドが先導する形で建物へと足を踏み入れる。チラシの散乱する廊下を抜け、突き当たりの鉄扉を開ける。外壁に備えつけられた階段に、三人分の足音が響く。

「…………」夕方の生温い風が、頬を無造作に撫でる。

 ――美梨ちゃん……。

 横島から一度だけ、彼女の生い立ちを聞かされた事がある。

 美梨は七歳の時に、()()()()()()()()()()()()。彼女の両親自ら、美梨と決別する事を選んだのだ。

 ――『美梨の親は……父親も母親も「呪われた子供達」の差別思想は持っていなかったみたいだ。だから美梨を出産して、我が子の目が赤い事に気づいてもなお、その手で育てようとしたんだ』

 そう話す横島の表情が、言葉で言い表せないやるせなさで染まっていた事を今でも覚えている。

 ――『でも……世の中ってのは、そう単純じゃなかったみたいだ。まだ美梨が言葉も話せないくらいの歳の頃……つまりは赤い目(正体)の隠し方さえ分からなかった頃……彼女の両親は、周りの人間から度を越した排斥を受けたらしい』

 何度でも言うが、いくら聖天子が『子供達』の人権を尊重する立場を取っていたところで、ガストレア大戦を経験した『奪われた世代』の思想が簡単に変わるはずはない。積極的に表に出す者は少ないかもしれないが、『子供達』への憎しみや差別的思想を持つ者の方が、比率としては圧倒的に多いのだ。

 そういった連中の内、一割でも声を上げれば、たちまち状況は泥沼一直線だ。美梨の両親がどんな悲惨な目に遭ったのかは想像に難くない。

 これまで当たり前に接してきていた知人や友人から拒絶され、(いわ)れのない誹謗中傷を浴びせかけられる。意識せずとも、当たり前にあったはずの居場所がなくなり、コミュニティから追放される。子育てという、それだけで心折れそうになるイベントに重なるように、大質量のストレスに押し潰されていく――。

 だがそれでも、言葉による侮辱や排除だけだったならば、まだ耐えられる余地もあったかもしれない。

 ――『母親が刺されたんだ。しかも一〇年来の親友にな。幸い命は助かったが、それが最後の引き金になっちまった。完全に精神を病んだ母親は鬱病になって、しばらくしない内に父親の方も統合失調症を発症したらしい。……美梨にも相当()()()()みたいだ』

 もう全てが自分達の手には負えないと悟った両親は、最後に残った判断力で、我が子を手放す事に決めた。一縷の望みを託して、美梨をIISOに預けるという形で。

 くしくも両親の望みは叶った。イニシエーターとして命を賭けてガストレアと戦い続けるという代償を払う代わりに、横島秀貴という保護者を得る事ができた。子供として当たり前の人生を享受する事はできなかったが、信頼できる大人と共に人生を歩んでいけるはずだった――。

 そう――そのはずだったのだ。

 ――美梨ちゃんは、また奪われたんだ。

 ――奪われ続けて失い続けて、その果てにようやく掴み取った一粒の幸せを……。

 ――あのくそッたれなテロリスト共は、自分達の身勝手な都合で根こそぎ奪い尽くしやがったんだ。

 胸の奥からドロリとした憎悪が沸々と湧き上がってくる。静かに沸騰する憤怒の感情を押し込めて、リカルドは右手を固く握り締めた。

 と、考えに(ふけ)っている内に、事務所のある四階に着いていたのに気づく。リカルドの様子を案じた二人が、「大丈夫か」と訊いてきたが、「問題ない」と誤魔化した。

 四階フロアに入る。昨日の朝方と同様、充満していた熱気が肌を蒸す。それを無視して進み、事務所のドアノブに手をかけた。

 ゆっくりとノブを回す。施錠はされておらず、何の抵抗もなく扉は開いた。照明の一つもついていない室内の温度は、廊下と全く変わりない。

「……美梨ちゃん、迎えにきた」薄暗闇の先へと呼びかける。徐々に目が慣れてきた事で、室内の様子が見て取れるようになる。昨日、出発した時と何ら変わり映えのない部屋。しかし、そこには確実に何かが失われた形跡があった。

 かつて横島が座っていたデスクに、膝を抱えて座り込む少女がいた。

 黒髪のボブカットに、セーラー服風のワンピース姿。近くの床には病院着が脱ぎ捨てられている。顔は膝の間に(うず)まっていて確認できないが、間違いなく、そこにいるのは谷塚美梨だった。

「病院の人達も心配してる。意識が戻ってから、まだ検査できてないんだろ? スタッフさんには俺が謝るから一緒に――」

「――この服、同じものが何着もあるんですよ」

 脈絡のない一言に、リカルドは思わず面食らう。

 美梨は顔を伏せたまま、言葉を重ねる。「一緒に買い物に行って、私が気に入った服があると、同じのをいくつも買っちゃうんですよ。笑っちゃいますよね? 良い大人なのに、女の子の気持ちがこれっぽっちも分かってないんです。おかげさまで、背が伸びて着れなくなるまで、ずっと同じ格好しなくちゃいけないんですよ」

「……知ってるよ。この前もあいつに注意したばっかだからな」

「藤沢さんは秀貴さんの趣味が料理だと思ってますよね?」再び話題がぶつ切りにされる。くぐもった声が、リカルドの首を鷲掴みするかのように伸びてくる。「始めたの、たった一年前なんですよ」と言って、美梨は緩慢な動きで、もたげていた首を上げた。宵闇のごとく暗く沈んだ瞳、泣き腫らした(まなじり)、無理矢理形浮かべたような作り笑い――リカルドの視界に飛び込んできた全ての情報が、すでに美梨の心に限界が差し迫っている事を突きつけてくる。

「物心ついた時から、周りの世界全てから拒絶され続けて……あげくの果てには、お母さんからもお父さんからも見捨てられて……。秀貴さんに引き取られたばかりの私は、他人を信じる事ができなくなっていました」

「…………」

「出された食べ物に口をつけようともしない私を見かねて、秀貴さんは料理を始めたんですよ。自炊どころか家事の一つもできない人だったのに……。こんな私のために毎日毎日、料理本と睨めっこして……。私が初めて料理を食べた時なんて、私の事そっちのけで泣いて喜んでたんですよ? そんなあの人を見て、今まで他人を拒絶していたのが嘘みたいに馬鹿らしくなって……いつの間にか私も笑っていましたっけ……」

 一つの一つの思い出を噛み締めるように、美梨の小さな唇から、ありし日の横島の姿が語られていく。

 ――駄目だ。美梨ちゃん、それは……。

 横島秀貴はもうこの世にいない。壊れかけた心を繋ぎ止めるために、いなくなった誰かに縋り続ければ、いつか必ず破滅を招く。だがリカルドには分かってしまう。美梨には横島しかいないのだ。彼女がこの世界で生き続けるための理由は、とっくに一つしかなくなっていて、それはもう永遠に失われてしまった。

 虚構を抱き締める事でしか自らを慰められなくなった彼女に、リカルドがかけられる言葉など一つもない。

「秀貴さんのいない世界なんて、もう必要ありません。そんなところで私は息をし続けられない」

「待ってくれっ……!」リカルドは懇願するように言葉を絞り出した。自身の言に何の効力もないと理解していても、動かずにはいられなかった。「たった二ヶ月程度だが、横島と美梨ちゃんと一緒にいたからこそ俺には分かる……! 横島はそんな事望んでない……! あいつは美梨ちゃんが幸せに生きる事をずっと願っていた……! だからッ――」

「――秀貴さんがいなくなった時点で! もう私に幸せになれる余地はないんですッ!!」美梨の喉から、引き裂かれんばかりの慟哭(どうこく)が迸る。堰き止めていた何かが決壊したかのように、少女の目許から大粒の涙が溢れ出す。感情の昂りに連動して、美梨の両の目が朱色に染まる。「世界に見限られた私には秀貴さんしかいなかったッ! あの人さえいれば、どんな理不尽だって我慢できた! 他には何もいらなかったッ! いらなかったッ……のに……!」

 リカルドは言わずもがな、蓮太郎と里緒もかけるべき言葉が見つからないようだった。特に直近で肉親を失っている里緒は、痛いほどに美梨の気持ちが理解できるのだろう。だからこそ、里緒は唇を噛み締めたまま何も発せられずにいる。

「もう良いんです」と生気の抜けた呟きが洩れ出た。美梨は涙目のまま、くしゃりと自重気味な笑みを作ると、「この世界にもう未練なんてありません」と言った。「このまま何もしないでいれば、天秤宮(リブラ)がウィルスを撒き散らして……東京と仙台の戦争が始まって、何もかもが壊れてなくなってくれるんですよね……?」

 彼女は言外に死を望んでいると言っていた。

 谷塚美梨の今後の人生――その傍らに横島秀貴がいないのであれば、歩み続ける価値はないのだと。

 死人はもう何も語る事は叶わない。『何があっても生きていてほしい』――たったそれだけの言葉が、未来永劫、美梨には届かない。

「出て行ってください。私は破滅が訪れるその時まで、ここにいます」美梨は全てを拒絶するように、冷たく言い放った。「せめて……秀貴さんとの思い出と一緒に逝かせてください」

「……あの夜、横島を助けられなかった俺に言う権利はないかもしれない」とリカルドは、眼前でうずくまる少女を見据える。「俺は弱い。里見達と違って何も守れない。きっと、これからもたくさんのものを取り零すんだと思う」素直な気持ちと抗えない事実を静かに吐露する。「けど……目の前で美梨ちゃんが命を投げ出そうとしてるのを、指を咥えて見てるのは違う。誰が何と言おうが、俺は横島の代わりに美梨ちゃんを守る義務がある。俺に美梨ちゃんの将来を守らせてくれ……!」

「藤沢さんが優しい人だって事は知っています。でも、もう意味がないんですよ。たとえ藤沢さんが死に物狂いで、この騒動を収めたとしても――その先に続く将来()には、何もないんです。ただただ耐え難い()があるだけなんです。私はそれが我慢できないと言ってるんですよ」

 話は終わりだとばかりに、美梨は顔を伏せた。伸ばされた慈悲の手を視界に入れないで済むように、邪魔になった視覚を捨て去ってしまう。

「……俺は横島の仇を討つ」リカルドは言う。「この騒動を起こしたテロリストの親玉を必ず叩きのめす。東京エリアは滅亡なんてしない。絶対に明日を迎えさせる。……その時には、もう一度美梨ちゃんを迎えに行くからな」

 空虚な殻に閉じ篭もった少女から、返事は返ってこない。リカルドは人知れず拳を握り締めると、踵を返した。

「行こう、里見、里緒ちゃん」

「……良いのか」蓮太郎がこちらを見ずに問う。

 リカルドは小さく頷く。「……良いんだ」

 未だ逡巡を見せている二人も、リカルドが動き出すと渋々追従し出す。三人が事務所から退出し、ドアを閉めるために里緒がノブに手を掛け――

 

「――何だ。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは獣の唸り声のように、腹の底を無遠慮に掻き回した。

 猛獣と相対した時のような怖気と、意味を成した言葉という相反する二つの事象が、同時に心を締め上げる。胃の奥から、ぞっとするほどの吐き気が催される。

 それを感じていられたのも束の間――次の瞬間には、ガラスが粉砕される鋭い音が、鼓膜を滅茶苦茶に揺すった。事務所の窓が外側から派手に割れ、室内に無数の破片が飛び散り舞う。ひしゃげたブラインドも、ついでとばかりに床へ投げ出され、締め切られていた空間に夕陽が射し込んできた。暗闇に慣れていた虹彩に光が滲み、反射的に目を細める。

 ――何だ!? 何が起き……!?

「きゃあああっ!?」背後から美梨の悲鳴。

 リカルドが真っ先に振り向く。夕陽で染め上げられた室内には、先ほどまで影も形もなかったはずの人物が一人増えていた。

 ボロボロのタンクスーツを着用した、筋肉質な男性だった。背中にバラニウム製の大剣が突き刺さり、右手には同材質の鉄板を握り締めている。くすんだ金髪の下に覗く相貌は――不自然なほど赤く輝いている。その理由が、朱に染まった眼球だと気づくのに一瞬の時間を要した。

 男は左手で美梨を抱き止めていた。少女の矮躯は、男の片手にすっぽりと収まっており、すでに両手の自由は効かなくなっている。

何者(なにもん)だテメエッ!!」間髪容れずホルスターから九ミリ拳銃を抜き放ち、銃口を男へと照準する。「美梨ちゃんを離しやがれ!!」

「……嘘、だろ……? 何でアンタがここにいるんだッ……!?」隣で信じられないといった様子で呟いたのは蓮太郎だった。彼は驚愕に瞳孔を開き、頬に冷や汗を浮かべながら、突如として現れた男へ視線を注いでいる。「アンタはあの時死んだ……死んだはずだろッ。なあ! ()()!!」

 将監と呼ばれた正体不明の男は、ゾンビのようにぎこちない動きで首を傾け、こちらに意識を移した。その瞳が――ガストレアと同じ色をした両目が、言いようのない威圧感を叩きつけてくる。

 将監なる人物は数秒間だけリカルド達を()めつけたのち、すぐに興味が失せたかのように視線を外した。恐怖で全身を振るわせる美梨に顔を近づけ、「全く、どこほっつき歩いてやがったんだ」とぶっきらぼうに言った。「どれだけ探したと思ってやがる。お前は俺の道具だろうが。忘れたとは言わせねえぞ――夏世」

「かよ……? 誰の事……? 私は、そんな名前じゃ……――」状況を飲み込み切れていない美梨が、ぎこちなく首を振って否定したが、将監にはまるで聞こえていないようだった。

 赤目の男は肉食獣のごとき獰猛な笑みを浮かべて、「夏世、お前も感じてるだろ?」と窓の外に向かって顎をしゃくった。「匂いがする。ガストレア共の匂いだ。しかも、とんでもねえ上物もいやがる。たまんねえなあ? そいつ相手なら心ゆくまで暴れられる」

「やだッ、離してッ……!」

 美梨の涙声でスイッチが入ったかのようにリカルドが激昂した。「警告はしたぞ!」と駆け出す。「里見の知り合いだろうと関係ねえ! 今すぐその汚い手をどけやがれッ!!」

 左手でダガーナイフを抜き、右手で構えた九ミリ拳銃を発砲しながら接近する。狭い事務所内に破裂音が木霊し、脳内を滅茶苦茶に掻き回す。将監の足許に着弾したバラニウムの弾頭が、床材を弾けさせる。男の赤い視線が下へ向いた。

 その一瞬の隙を縫って肉薄したリカルドは、左手のナイフを素早く突き込む。切先は男の肩へと照準されている。負わせる傷は僅かで良い。将監が怯んだ瞬間に美梨を奪還する。

 しかし――。

「――失せろ。雑魚が」

 侮蔑するように放たれた一声が鼓膜に届くよりも前に、リカルドの視界が強烈な衝撃と共に幾重にもブレた。次の瞬間には景色が九〇度回転、側頭部に激烈な痛みが走る。「がはっ――!?」と込み上げてきた吐き気に抗えず喀血。揺さぶられた脳味噌で無理矢理思考し、自分が床へ殴り伏せられた事を悟る。

「リカルドッ!」「いやあ! 藤沢さん!」里緒、美梨両名からの悲痛な叫びが響く。

「さて行くか夏世」将監は美梨を抱き抱えたまま踵を返して、夕陽の先を見据える。「戦いが俺達を待ってる。俺達の存在意義を証明するぞ」

「待てッ……! やめろ! 美梨ちゃんを連れていくんじゃねえッ!」

 リカルドの必死の懇願も虚しく、巨剣を突き刺した男は、一人の少女を連れたまま窓から飛び降りた。直後にアスファルトが陥没する音が轟く。

「駄目、だッ……!」行き場を失った手が、どうしようもなく床を掻き毟る。「美梨ちゃんまでいなくなっちまったら……横島の奴に合わせる顔がないんだよッ……!」

 こちらに駆け寄ってきた里緒が屈み込み、「脳が揺さぶられてるッ。動かないで!」と忠告してきた。「頭から血も出てる……すぐ病院に……!」

「――くそッ、一足遅かったか!」

「――ティナちゃん! 今すぐシェンフィールドで伊熊将監を追える!? ――って、里見君!? 何でこんなところにいるのッ?」

 将監と入れ替わるように四人の男女が部屋に乗り込んできた。美和女学院のセーラー服を着た少女と、高級なスーツに身を包んだ男性。そしてイニシエーターと思しき幼い少女が二人。セーラー服の少女とドレス姿のイニシエーターには見覚えがあった。蓮太郎の雇い主である天童木更と、彼女とペアを組むティナ・スプラウトだ。

「木更さん? それにティナも……! 隣にいるのは……もしかして将監の雇い主の……」

 朦朧とし始める意識のさなかで、蓮太郎と木更達のやり取りを眺める。

 スーツの男は、自身より一回り以上歳下であろう蓮太郎に対し、丁寧に頭を下げ、「久しぶりだね。里見蓮太郎君」と挨拶する。「三ヶ島ロイヤルガーダーの三ヶ島だ。さっそくで悪いが、君はここで将監と対峙したのか?」

「あれは一体何なんだッ!?」と蓮太郎が三ヶ島へと詰め寄る。「何で死んだはずの将監が今更になって現れた!? しかもあの目はッ――あの赤い目は……どう見てもッ――」

「落ち着いて里見君」木更は窘めるように言う。「私達も状況を把握し切れてはいないわ。ここに来たのは伊熊将監を追ってきたから以外の理由はないの」

「それより、そこの彼は大丈夫なのか?」と三ヶ島は、倒れ伏したままのリカルドを見やった。「何があったのかは知らないが、里見君も、そこの彼も酷い怪我だ。まずは治療が先だろう」

 三ヶ島の一言によって、蓮太郎が僅かに冷静さを取り戻す。少年は、「悪い、藤沢さん……」と言ってリカルドに肩を貸して立ち上がらせる。

「この人は?」木更が問うと、蓮太郎は、「元自衛隊の藤沢リカルドさん。一緒にアンドレイ・リトヴィンツェフを追ってる」と答えた。「……たった今、藤沢さんの知り合いが将監に拐われた」

「里見……お前も聞いてたよな?」リカルドは掠れる声で疑問を投げかける。「伊熊将監だったか……? あいつはずっと美梨ちゃんを別の誰かと勘違いしてた。『夏世』ってのは誰だ? 里見は……おたくらは、こいつが誰だか知ってるのか……?」

「夏世? 将監はそう言っていたのか?」食いついたのは三ヶ島だった。

「ああ、間違いない。あの男はずっと美梨ちゃんの事を夏世って呼んでたんだ……! 見間違えてたなんてもんじゃないッ……! 美梨ちゃんの言葉なんて全く届いていなかったみたいに……!」

「……藤沢君と言ったね。拐われた知り合いというのは、君のイニシエーターなのか?」

「俺のじゃない。仕事仲間だったプロモーターの……忘れ形見だ」

「そうか……」三ヶ島は僅かに逡巡を見せ、やがて、「……千寿夏世というんだ」と言った。「君の知り合いを拐った男――元三ヶ島ロイヤルガーダー所属のプロモーター、伊熊将監の相棒だった子だ」

「……ッ!」

「元自衛隊だというなら、君も記憶に新しいはずだ。四月に起きた蛭子影胤テロ事件。奴の討伐作戦の最中に、将監も夏世も戦死した」

 リカルドは歯軋りする。「じゃあ何か!? その伊熊将監って奴は、死んだあとにガストレアとして蘇ってここまで来たってのか!? いなくなった自分の相棒を探して!?」

「リカルド! 興奮しちゃ駄目! 傷が開いちゃう!」

 里緒が制止を促すが、リカルドは構わずに蓮太郎の腕を振り解いて前へ躍り出た。

 今にも血液の塊を吐き出しそうなほどに、喉を歪に震わせて問いかける。「この際、おたくの元部下が何になったかはどうでも良い! 何でッ……何で! 美梨ちゃんが連れて行かれなくちゃならなかったんだッ!? 美梨ちゃんは、おたくらとは何の関係もないはずだろう!?」

「……それは」やはり三ヶ島も、この一点で口籠もる。

「……その事なんだけどよ」恐る恐るといった様子で割り込んだのは蓮太郎だった。全員の視線が黒衣の少年へと集まる。「藤沢さん。一つ聞かせてくれ。と言っても、分からない可能性もあるだろうが」

「何だ……?」

 リカルドが先を促すように蓮太郎を射抜くと、彼はゆっくりと深呼吸してから言葉を紡ぐ。

「その美梨って子は――何の因子を持つイニシエーターだったんだ?」

 因子。

 今さら説明するまでもない。『子供達』に発現する様々な生物の因子。それは多種多様な能力として、彼女らの身体能力や五感、あるいは脳の機能に作用する。

 谷塚美梨の持つ因子――かつてリカルドも気になって訊いてみた事があった。

 横島の代わりに様々な事務仕事を請け持ち、取引先や各役所との対応も難なくこなす彼女。いくら美梨が年齢の割に達観していたとはいえ、学校にも通えていない彼女が、独学でそこまで出来てしまえる事に疑問を持つなという方がおかしな話だった。

 だから尋ねた。ほんの少しの好奇心で。そして返ってきた答えは十分に納得に足るものだった。

 横島から教えられた『答え』を、リカルドはそのまま告げる。「――イルカだよ。モデル・ドルフィン。直接戦闘に向くような因子じゃなかったみたいだが、代わりに美梨ちゃんは大人顔負けの頭脳を持ってた。けど……それがどうしたってんだ?」

 そこまで問いかけた時、蓮太郎と三ヶ島の相貌が真っ青に変色している事に気づく。何か不味い事でも言っただろうか。

「……繋がった」「ああ、納得したよ」二人の口から、交互に気の抜けた声が洩れ出る。

「どういう事だ……?」

「同じなんだ」と蓮太郎が言う。「夏世と美梨って子の持つ因子は……どちらもモデル・ドルフィンだ」

「……!」

 全く関係がないと思われた二人の共通点。それはイニシエーターとして持って生まれた能力。だから――『繋がった』のだ。

「まさか……!?」リカルドの頬から冷や汗が滴る。

 蓮太郎は小さく首を縦に振った。「ガストレア化して正気を失いかけてる将監は――谷塚美梨の持つ因子で、彼女を夏世だと判断したんだ。たぶん、あいつはもう目に映るものの姿形で誰かを判別できる状態じゃない。……将監があの子を夏世と勘違いしたままなら――確実にガストレアとの戦いに駆り出される」

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