ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
「ずいぶんと大所帯じゃあないか」本日二度目の指摘をかましてきたのは、勾田公立大学附属病院の法医学教室室長であり、ガストレア研究の第一人者――
「里見君はともかく、私は違いますッ! というか、私とティナちゃんがペアを組んでいるのは、元から知ってますよね!?」
「俺も違うわ! つうか何で俺が原因みたいに言われなきゃならねえんだよッ!?」
雑多な
蓮太郎と延珠、木更とティナ、リカルドと里緒、三ヶ島と咲良、そして聖天子。地下室の主を頭数に加えれば一〇人である。いつもは蓮太郎や延珠、ティナくらいしか訪れる事はないので、ある種異様な光景だ。
リカルドが怪訝な目つきで蓮太郎を見る。「里見。本当にこの人が、あの有名な?」
蓮太郎は心底嫌そうな顔をしながらも首肯する。「信じられないというか、信じたくないだろうが本当だ。こんな人だけど知見と腕は本物だから安心してくれ」
「さて。あらかた事情は把握しているが」と菫は変わらぬトーンで話題を転換した。
すでにここへ伺う前に、彼女には一通り説明済みだ。そして蓮太郎達をおちょくるのも程々に、真剣な面持ちになった辺り、彼女自身、今の状況に一刻の猶予もない事は痛感しているようだ。
「まずはどの話題について語ろうか」
「……ガストレア研究の第一人者であり、四賢人の一人――」おもむろに三ヶ島が口を開いた。彼は沈鬱な瞳で、白衣の女を射抜き、「室戸さん。あなたの知恵をお借りしたい……!」と懇願した。
「伊熊将監についてか? 他の者は? それで構わないか?」
菫の確認の問いに、各々が時間差で頷いた。
彼女は自身の椅子に深く腰掛けると、タイツで覆われた脚を組んで、「結論から言おう」と言った。「伊熊将監はガストレア化している――訳ではない。人間が変異したガストレアの定義とは、『ウィルスの侵食率が五〇パーセントを超えて形象崩壊を起こしたもの』だからだ。それに当てはめて考えるのならば、伊熊将監はまだガストレアになる一歩手前と言ったところか。実態としてはガストレアそのものよりは、『呪われた子供達』に近いね。単なる人間でしかない彼が、形象崩壊を起こしていない事については、私も分かりかねるがね」
リカルドが口を挟む。「そいつはある程度の理性は残してるみたいだった。里見から伝えてもらった通り、個人の判別はまともにできなくなってたようだが……」
「ガストレアに体液を送り込まれ、侵食率が五〇パーセントに達した者でも、個人差はあれ、しばらくは理性を残している。――
その名を耳にした瞬間、蓮太郎と延珠の表情が強張った。
「誰だ?」とリカルドが問うと、蓮太郎は苦虫を噛み潰したような顔で、「……何ヶ月か前、俺と延珠で処理したガストレア被害者だ」と言った。「感染源に襲われたあと体液を注入されて、変異した」
「いずれにせよ手遅れな事に違いはないよ」菫は淡々と告げる。「現代医学において、ガストレアウィルス保菌者となった者を治療する手立てはない。君達にできる事は一刻も早く伊熊将監を処分する事。それだけだ」
「……なあ先生」蓮太郎が手を挙げる。「一つ訊きたい。将監はいつ……あの状態になったんだ? そもそも将監はガストレアになるための条件を満たしていないはずなんだ」
三ヶ島も頷く。「そうだ。将監は蛭子影胤の手で殺されたんだ。――ガストレアウィルスは創作に出てくるようなゾンビウィルスじゃない。死者の体を乗っ取るような性質は持ち合わせていないはずだ」
「それこそ単純な話じゃないか」菫は当たり前の事を訊くなと言わんばかりに、肩をすくめて、かぶりを振る。「――あの時、伊熊将監は死んでいなかった。それだけだろう」
「……ッ!」
「何を驚いた顔をしているんだ? 君は当時、伊熊将監が倒れて動かなくなったところを見ただけだろう? ちゃんと瞳孔と脈は確認したか? していないだろう。ああ勘違いしないでくれたまえよ。別に君を責めている訳じゃない。あの状況――蛭子影胤の撃滅と七星の遺産奪取が最優先事項だった以上、そんな些細な事に構っている暇はなかった。生きているのかも死んでいるのかも分からない人間相手に貴重な時間を使う道理はないんだからね」
この場には将監の関係者もいる。それにも関わらずの歯に衣着せぬ物言い。三ヶ島の表情を一瞥すらせずに、白衣の女性は続ける。
「おおかた気絶している間に、付近の野良ガストレアにでもやられたんだろう。これはあくまで推測でしかないが、伊熊将監がまだ人の姿を保てているのは、背中に突き刺さった鉄塊のおかげかもしれんね」
鉄塊。菫が言っているのは、将監の背中に聳え立つバラニウム製大剣の事だろう。
「今さら説明するまでもないが、バラニウムはガストレアウィルスが忌避する磁場を発生させる。そんな代物が体内に深々と根を張った状態で、ウィルスに感染したんだ。バラニウム磁場とウィルス。この二つが相互に作用し合った結果、奇跡的な確率で、伊熊将監は形象崩壊を起こさぬまま今の今まで生き延びているのかもしれない」
「そんな事が可能なのか」と三ヶ島。
「だから推測だと言っただろう」菫は忌々しげに言い捨てる。「そもそも前例がない。これは様々な要因が絡まった末に起きた偶発的な現象なんだよ。再現性があるのかさえ疑わしい。それどころか私の予想が根本から間違っている可能性も大いにある。つまりは鵜呑みにするなという事だ」
「…………」
「伊熊将監の状態については分かった」とリカルドが言う。「俺が知りたいのは、そいつの向かった先だ。そいつを処理するにせよ、しないにせよ、俺はそいつから美梨ちゃんを助け出さないといけない」
「私から説明しないと分からないか? リトヴィンツェフ一派の潜伏場所を突き止めたのは君なんだろ?」
「……那須鉱山」
「ウィルスに感染した彼は、何らかの方法でガストレアの『匂い』を嗅ぎ分けられるようになった。谷塚美梨を千寿夏世と勘違いしたのも、因子の『匂い』で判別したから。そして伊熊将監は強大なガストレアの『匂い』を感じ取って、谷塚美梨を連れて姿を消した訳だが――その強大なガストレアとやらは、現状、一体しかいない」
「ゾディアック・ガストレア……疫病王『
「今の伊熊将監に彼我の差を推し量れるだけの知性はない。このまま行けば、確実に君のお姫様は
序列元一五八四位のプロモーター。相棒のイニシエーターがいなくなったとはいえ、元々前線担当の実力者だ。それがガストレアウィルスによって強化されている――伊熊将監の今の力は、人間の頃とは比べものにならないだろう。
――俺と里緒ちゃんが倒したアレンスカヤは一六三一位……。
――俺達で伊熊将監と戦えるのか……?
「将監とは私が戦う」不意に宣言したのは、三ヶ島だった。スーツ姿の経営者は泰然とした面持ちで、「将監はうちの元社員だ。つまり彼がこうなった責任は全て私にある」と断言した。「私にはケジメをつける義務がある」
「はッ、ただの木端が言うじゃないか」菫は嘲笑するように鼻を鳴らした。「お飾りのペアごときに何ができる? 今の伊熊将監は、高序列のペアが束になってかかっても勝てる保証はない」
「それでもだ」三ヶ島は引き下がらない。「これ以上、将監が他人を不幸にしていくところを見ていられないんだ。――藤沢君と言ったね」とリカルドへ視線を向ける。「約束しよう。君の仲間は私が救出する」
菫は舌打ちして顔を逸らした。「……好きにしたまえ」
「先生、最後にもう一つ」蓮太郎が神妙な表情で話題を変える。「『
「ないな」即答だった。「エイン、アーサー、グリューネワルト……四賢人のいずれからも、そのような計画については聞いた事がない。おおかた『NEXT』や『新世界創造計画』と同じだろう。私の預かり知らぬところで進められていた次世代型機械化兵士の製造計画の産物だろうな」
「外周区でリトヴィンツェフ一派と俺達の戦いに割り込んできた連中は、自分達の所属を『五翔会』だと言ってた。……
「嘘ではない――と仮定した上で話を進めようか。五翔会からの刺客――継麻貞蔵。そしてイニシエーターの志藤夏樹と春樹。その全員が複数の機械化兵士能力を使いこなすハイブリッドだったと――」
「話を聞いた今でも、とてもじゃありませんが信じられません……」か細い声が上がる。木更の横にくっついていたティナからだった。「ドクター室戸も、お兄さんも当然知っていると思いますが、機械化兵士施術は非常に成功率が低いです。たった一つの『能力』を持たせるだけでも……。なのに複数の力を使える機械化兵士が、三人もだなんて……」
「私もティナちゃんと同じ意見よ」と木更。彼女は豊満な胸の前で腕を組みつつ、「何か種がある可能性は?」と問うてくる。
「裏に何があるかは分からんが、少なくとも、ここに証人は俺含めて四人いる」リカルドが木更を見やりながら言った。「『
「君の主観ではな」と吐き捨てるような口調が、リカルドの耳を突いた。
「何が言いたいんだ?」とリカルドは菫を睨めつける。
「これまで機械化兵士と相対した事さえない、元自衛隊員ごときが分かったような口を聞くなと言っている」
「先生ッ、そんな言い方ねえだろッ」
蓮太郎が菫を窘めようとするが、当の本人は意に介さず、「いいや、これが相応しい接し方だ」と断じた。「君達こそ、なぜ当たり前のようにこの男を受け入れている? そこにいるのは
「藤沢さんは『レイピア・スラスト』作戦にも参加してる! 自衛隊が壊滅してもなお、民警と一緒に最後まで戦ったんだッ! 組織として先生がどう思おうが、少なくとも藤沢さん個人は違う!」
「――自衛隊が勝っていれば、
「……――ッ!」
言葉に詰まる蓮太郎を尻目に、菫は嘲るような声色でリカルドに語りかける。「君の見たものは機械化兵士の本質でも何でもない。ただの表層を薄く掬い取ったものに過ぎない。まさしく廉価版。あれらは単なるまがいものだ」
「……おたくは
「当然だ。私を誰だと思っている。――例えは家電でも何でも良い。君達が普段使っているスマートフォンを例に挙げてみようか」と菫は自身の端末を宙に掲げてみせる。「さて。これらの端末は同じメーカーのものでも、価格は大きく変わる。それはなぜか」
「原価が違うから」すぐに答えたのは里緒だった。「使われる素材、パーツ、チップやメモリ、カメラの性能、あとは投入される人的資本で、製品を組み立てる時の原価は上下する。それが価格に反映されるから」
「その通りさ。これは経済学の基本だ。そして、この考え方は昨今において人間にも適用できるようになった訳だ。それが継麻貞蔵達の正体だよ」
ティナが唸る。「……五翔会の刺客達は、性能を抑えた機械化兵士能力を扱うダウングレード品だという事ですか?」
菫は首肯してみせる。「そう考えれば、原理はある程度予想がつく。本来、機械化施術の際に使用される生体部品、並びにバラニウムを極限まで減らし、身体に掛かる負担を軽減する。そうして施術の成功率を上げ、複数回の手術を行ってハイブリッドを作る――連中がやったのは、そんなところだろう」
彼女の推論を聞いた一同が、静まり返る。各々が菫の言葉を頭の中で吟味している。
――室戸さんの予想は確かに的を射てる……。
――だが……。
継麻や夏樹が見せた規格外の戦闘力が、まざまざと脳裏に再生される。あれがオリジナルを劣化させたデッドコピーだと言うのか。菫の言う通り、
「では蓮太郎君。改めて君に訊いてみよう」菫が蓮太郎を指差した。「何か気にかかるところは本当になかったのか? 連中と交戦した際の僅かな違和感……それが何よりもの証拠となる」
「違和感……」黒衣の少年は顎に手をやりながら思案する。やがて何かを思い出したかのように、「そういえば……!」と手筒を打った。「継麻貞蔵の見せたマリオネット・インジェクション……あれには確かにソードテールのものとは違うところがあったッ……!」
「聞かせてくれたまえ」
「光学迷彩化能力を使用したまま動くと、輪郭が少しだけブレていたんだ。俺はそのブレを頼りに、不可視の継麻との距離を測って戦った。ソードテールの方は完全に風景に溶け込んでいたから、攻撃を受けるその時まで、姿を捉える事はできなかった」
菫は頷く。「まさにそれだ。それだけで判断はつくだろう? 継麻の
「……言われてみれば、イマジナリー・ギミックの使い方もワンパターンだった」さらに蓮太郎は気づきを連ねていく。「影胤は普段、斥力フィールドをバリアとして使ってて、それを攻撃にも転用する形で運用していた。あのイニシエーター達は、斥力フィールドをもっぱら
「おそらくは、蛭子影胤のものほどの出力も持続時間もないからだろう。だから使い方が限定される。ではシェンフィールドもどきの方はどうだった?」
「BMI端末の方は……」蓮太郎が首を捻って考え込む。そちらについては当てが思いつかないようだった。
リカルドが助け舟を出す。「実際に本物を使える子に訊いてみようぜ」とティナを見やる。「ティナちゃんだったよな? シェンフィールド……君のBMI端末でできる事を教えてくれないか?」
「ええっと……」ティナは僅かに言い淀みながらも、「私がシェンフィールドで使用する機能は、主に狙撃に必要な情報の処理です」と答えた。「対象地点から標的の位置座標、周囲の温度や湿度、それから角度や風速などですね。もちろん単純なカメラ機能は標準搭載です」
「たぶん、それだな」リカルドが言う。
「?」ティナが小首を傾げる。
「ビットの基本的な機能がカメラによる撮影と、それをリアルタイムで操縦者にフィードバックする事なんだろ。継麻達のBMI端末には、その機能しかないんじゃないか?」
「あっ……」
リカルドは続ける。「あいつらができるのは、あくまで外づけの『目』を使った視界の拡張だけ。高度な機能を削ぎ落とした端末なら、脳にかかる負担はいくらか減らせるはずだ。それならビットの操縦者が、脳に埋め込まれたニューロチップの焼き切れで死ぬ心配はなくなる。里見から聞いてる話と照らし合わせたら、こんなところじゃないか」
蓮太郎やティナ、その他の者達も得心いった様子だった。
「でも、タネが分かったところで根本的な解決にはならないですよね」咲良が疑念を呈す。黒づくめのイニシエーターは、細い指で蓮太郎を指し示す。「実際には、劣化なしのオリジナルの機械化兵士がズタボロにされてます。廉価版でも機械化兵士は機械化兵士。それを扱う本人の力量が高ければ、実力の差が開く事はないんじゃないですか」
「確かに継麻貞蔵達は、オリジナルにも肉薄するほどの実力者だろう」菫は同意した上で、「だが偽物は偽物だ」と断定するように言う。「いくら小細工を弄しようが、根っこの部分でオリジナルには敵わないよ。数の優位を取らせず、一対一に持ち込めば蓮太郎君やティナちゃんが遅れを取る事はないだろうさ」