ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
「私から話せる事はあらかた話したつもりだ。他に聞きたい事はあるか?」
菫の問いに、真っ先に手を挙げたのは三ヶ島だ。彼は菫を真っ直ぐと見据え、「何度でも言うが」と前置きしてから告げる。「私は将監を助けるつもりだ。僅かな可能性があるならば、それに賭けたい」
「先ほど手遅れと言ったばかりだろう。勝手に死にに行く分には止めはしないがね」
「『あれ』がある」と三ヶ島は言う。「室戸菫――あなたが過去に開発した、あれが」
「……あれは正しく失敗作だ」
「だが、あれなら将監を正気に戻せるかもしれない」
「…………」
「頼む。金なら言い値で払おう。――どんな手段を使ってでも、私は友人を連れ戻したいんだ」
三ヶ島の
「何だ?」
白衣の女性はおもむろに椅子から立ち上がると、雑多なデスクの中から何かを引っ張り出して、三ヶ島へと投げ渡した。「これは……」と三ヶ島は手の中の物体に視線を落とす。空の注射器だった。
「伊熊将監は貴重なサンプルだ」菫が淡々と言う。「ガストレアウィルスに感染しながらも、長期間形象崩壊を起こさずにいるレアケース。その原理を解明できれば、今後の医学は劇的に進歩する。つまりはウィルス感染した人間や、
「先生ッ、それ本当なのか!?」鬼気迫る表情で、蓮太郎が食いつくように身を乗り出した。
菫は虫でも払い除けるかのように、煩わしげに手首を振りながら、「あくまで可能性の話だ」と言った。「再現性のない奴特有の現象だった場合は空振りに終わる。そもそも本来ならば、サンプル一つでどうこうできる話でもない。それでもなお縋るには十二分な理由があるというだけさ」
話を戻そう、と菫は三ヶ島に渡した注射器を指差した。
「それで伊熊将監の血液を採取しろ。そして私の元まで持ってこい」
「それが、『あれ』を譲り受ける条件という事か」
「本音を言えば、奴を生きて捕獲するか、最低でも死体を確保できれば良いんだがね」菫は肩をすくめて、かぶりを振る。「どういう形にせよ、今の伊熊将監を捕縛するのは望み薄だろう。だから体液だけでも手に入れろ。それが約束できないのであれば、『あれ』を渡す訳にはいかないね」
「分かった。約束しよう」三ヶ島が即答する。
「勝算があって言ってるのか」
「なければ言っていない」
「…………」
「…………」
僅かな間、菫と三ヶ島が睨み合う。やがて白衣の美女は、根負けしたように溜息をついた。「……あとで案内する。イニシエーターは連れずに一人で来るように。分かったか?」
「ああ。感謝する」
「できなかった暁には三ヶ島ロイヤルガーダーの社員全員が路頭に迷うと思え」
ゾッとしない事を吐き捨てると、菫は部屋全体を見渡す。他に何かあるなら早く言えという事らしい。
「じゃあ私から」と木更が切り出した。「リトヴィンツェフ一派の居場所についてよ」
「それならば先に聞いているだろう」菫の声色は若干呆れているようだ。「そこにいる
「藤沢さんの推測はもちろん知っています。筋も通っていると思います。私が訊きたいのは、彼の推測が菫先生の目にはどう写っているか――という点です」
「ふむ」と菫は顎に手を当てて思案する素振りを見せる。格好だけで特に何かを考えている訳ではないのは一目瞭然だった。おそらく木更から問われるまでもなく、自分なりの答えをすでに見つけているのだろう。「ほぼ確実に那須鉱山で間違いない。というよりも仕掛けたGPSによって、ほとんど解答は示されている」
リカルドの案によって、蓮太郎が仕込んだスマートフォンの位置情報機能は、やはりマーク・メイエルホリド達を乗せたトラックが北上し続けている事を明示している。その先にあるのは、どう考えても那須鉱山しかない。
「元々、那須鉱山にはリトヴィンツェフの息がかかった者がいたのだろう。マーク・メイエルホリドによって強奪された『ソロモンの指輪』と『スコーピオンの首』が鉱山に持ち込まれ、連中はそれらを用いて
「では、なぜ一派は揃って那須鉱山に集まろうとしているのでしょう?」
木更の問いに、蓮太郎が首を傾げた。「そりゃあ……リトヴィンツェフがアジトに選んだ場所だからだろ?」と当たり前の事実を確認するかのように言う。
「そこにはゾディアックが陣取っているのよ? 言い換えれば、今日本の中で一番危険な場所な訳。自分達の意のままに動かせる手駒がいるのに、わざわざ自分達自身が出向く理由があるの?」
蓮太郎がハッとしたような表情を見せる。
確かに木更の言う通りだ。
「一理あるが、木更――君も一つ失念しているだろう」菫は抑揚のない声で指摘する。「連中の目的は東京エリアと仙台エリアを『大絶滅』に陥らせる事だ。滅ぼす予定の場所に、身を置いておく理由もないとは思わんかね? 対して那須鉱山は別に
「……何が言いたいのです?」
「そこから逃走する算段を立てているか、もしくは――」
「――そこで自分達諸共滅ぶつもりか、だろ? 室戸さん」
菫の言いかけた言葉を、リカルドが引き継ぐように告げた。
「……その通りだ」やはり忌々しげに、菫は肯定する。理解し切れていない様子の面々を諭すように、「何もありえない話じゃない」と言った。「リトヴィンツェフの故郷であるベラルーシはすでに滅亡しているだろう? その直接の下手人は?」
「……
「故郷を失ったテロリスト集団。何を成そうがすでに帰る場所はない。古今東西、そういった連中が自爆テロを起こす事例は枚挙に暇がない。自分達が用意した最高の舞台で有終の美を飾る――そういう考え方もあるだろう」
まあ、それもあくまで可能性の域を出ない話だがね、と菫はつけ加える。
「どの道、那須鉱山に『指輪』と『首』があるのは間違いないんだろう」三ヶ島が声を強くする。「
「ああ。そうだな……」と蓮太郎が小さく頷いた。
最終決戦の場は元栃木県、那須岳。違法バラニウム鉱山。
現在時刻は午後五時過ぎ。稲生首相が定めたタイムリミットまで、残り一〇時間――。
それまでに那須鉱山に忍び込み、二つの研究物を奪取し、ゾディアック・ガストレアのコントロールを手中に収める。
次の一手は決まった。