ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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「なぜですかッ!? すでに稲生首相が定めたタイムリミットまで一〇時間を切っているんです! もう足踏みしていられる状況ではないはずですッ!!」

 磯貝(いそがい)俊夫(としお)の切羽詰まった怒号が轟く。

 彼と対峙する背広姿の壮年男性は、眉一つ動かす事なく、「この件に五翔会が関わっている直接的な証拠はない」と切り捨てた。「奴らがアンドレイ・リトヴィンツェフを炙り出すために、『ブラックスワン・プロジェクト』の失敗作を東京エリアに解き放った――なるほど、劇的な物語の構成としては満点だ。今からでも小説家か脚本家に転職したらどうだ?」

「話を逸らさないでください!」と磯貝が激昂する。「内地に現れた抗バラニウムガストレアの一部からは、五翔会の紋章も見つかっています! それが五翔会が介入している何よりもの証拠となる!」

 目の前の男――現警視総監である志島(しじま)塚寺(つかじ)の表情が侮蔑に染まった。壮年の男は挑発的な笑みを口許に張りつけて、「それが証拠だと?」と言った。「冗談も程々にしてくれ。ガストレア解剖医の元に運び込まれた死体からは、そんなものが発見されたという報告は一例たりとも挙がっていない。お前の言う証拠とやらも、せいぜいがSNSにアップされたものや、お前が撮影したもの程度だろう。それがフェイクではないと誰が証明できる?」

「……どこに死体のサンプルが運び込まれたかの調べはついている」

「何だと?」

「その中にはあって然るべき者の名前がなかった。室戸菫――。東京エリア随一のガストレア研究者の名前がだ。なぜ彼女のいる勾田公立大学に、今回発生したガストレアが一体も運び込まれていない?」

「単なる偶然だろう。室戸菫以外にも対応できる解剖医など、ごまんといる」

「誰が見ても明らかな異常事態だ! 四賢人の頭脳を頼らない理由がないッ!」と磯貝は声を荒げた。もはや目上の人間に対する言葉遣いなど、意識の彼方に追いやられていた。「誰の差し金だ!? 警察は……未だに五翔会の手中にあるのかッ!?」

 水原(すいばら)鬼八(きはち)殺人事件に端を発する里見蓮太郎冤罪事件――そこから浮かび上がった櫃間(ひつま)親子の陰謀。警察内部に潜んでいた五翔会構成員は、片っ端から多田島(ただしま)茂徳(しげとく)の手によって炙り出されたと思っていた。

 ――違ったんだ……ッ!

 ――この組織には、まだまだ腐敗が根を張っている……!!

 磯貝の疑念に満ちた眼光が、志島警視総監を射抜く。櫃間の代わりに警視総監の立場に着任したこの男さえ、潔白とは程遠い人間だったという事実。それが鉛のように、胃にのしかかってくる。

「旧品川地区での小競り合い、さらには付近の高速道路での銃撃戦! そこに五翔会やリトヴィンツェフ一派が関わっている事は明らかだ! 確認された機銃積みの車両は、三一八号線を北上して未踏査領域に侵入している! まさに内地の対応で、自衛隊の警備が手薄になった隙を突くようにだッ!!」

 磯貝は半ば確信していた。これらの騒乱の主要人物には、間違いなくに里見蓮太郎の名が羅列されていると。あの黒衣の少年は、きっと今も東京エリアを守り抜くために奔走しているのだ。

「警察が手をこまねいている間にも、あの少年は事件の核心に迫っているはずなんだ! 警察(俺達)は彼を助けなければいけない! たった一人の子供に世界の命運を委ねるなど、本来あってはならない事なんだ!」

「……ずいぶんと、あの民警に肩入れしているようだな」志島は胡乱な目つきを、こちらに返してきた。「ああ、そうか。お前の班は確か、あの時――勾田プラザホテル襲撃の際に里見蓮太郎と対峙していたのだったな」

「それがどうした……ッ!?」

「罪滅ぼしか?」と志島は嘲笑混じりに鼻を鳴らす。「無実の人間に銃を向けた事に対する――」

「違う!」

「何、気にする必要はない。特殊部隊(SAT)の役目とは、上の指示に従って引き金を引く事だ。あの時のお前は、それを全うしただけ。彼に対する負い目など――」

「――違うと言っているッ!」

 ガンッ! という鈍い音が走った。

 志島の腰掛けるデスクの天板を、磯貝の拳が叩きつけたのだ。

「俺は! 特殊部隊(SAT)である前に一人の警察官だ!! 無辜(むこ)の民と、その生活を守る事こそ警察の使命だ!」

「あの民警がそうだとでも言うのか? あれはガストレア大戦の憎悪の渦が生み出した殺戮兵器でしかない。気は確かか? 磯貝」

 志島の表情は、本気で理解ができないと言外に語っていた。

 だが、志島に磯貝の心情が理解できなくとも、磯貝には志島の胸の内が分かる。

 ――里見蓮太郎は特別な存在……確かにそうかもしれない。

 ――個人で戦略兵器クラスの力を持ち、世界を動かす事が可能な存在だ。

 それは事実だ。事実ではあるが、それは数ある側面の一つにしか過ぎない。

 磯貝の脳裏に藍原(あいはら)延珠(えんじゅ)の絶望に満ちた相貌が、これでもかと鮮明に浮かび上がる。

 ガストレアの発電所襲撃に、相棒が巻き込まれた事を知らされた里見蓮太郎の、さながら世界に裏切られたかのような悲痛に満ちた声が思い起こされる。

 世界を救う特別な力を持った少年少女達は、人としての感情が欠落した別格の存在などでは決してない。磯貝は、黒衣の少年らと繋がりを持つ者を通して、その事を知った。

 だから、言える。

 無力な人間の立場から、それでもなお――。

「――そうだ。里見蓮太郎(あの子)は俺達大人が守るべき市民であり、将来を担うべき子供なんだ。決して見限って良い存在じゃない。罪滅ぼしなんかじゃない。俺は一警察官として、彼の隣で、『もう大丈夫だ』と言ってやりたいんだ」

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