ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
――「蓮太郎君の治療と義肢のメンテナンスを済ませる。残りはさっさと出て行け。これ以上人間の臭いに囲まれていたら、鼻と頭がおかしくなる」
汚物を見るような眼差しで、そう吐き捨てられ、蓮太郎以外のメンバーは全員地下室から追い出された。ちなみに蓮太郎はリカルドの治療についても、菫に働きかけてくれたが、彼女からの返答は、「唾でもつけときゃ治る」の一言で終わった。よほど元自衛隊員の事が気に入らないらしい。
集合時間は二時間後となった。突入メンバーで集まったのち、三ヶ島ロイヤルガーダー手配のヘリで未踏査領域へ乗り込み、那須岳へと向かう。
三ヶ島と咲良はいったん本社へと戻り、木更は延珠とティナ、そして聖天子を連れて天童民間警備会社の事務所へ向かった。
リカルドと里緒の二人は、勾田町の隣町――要するにリカルドの自宅前にいた。六階建ての古いマンションだった。周囲は閑静な住宅街で、人の姿はほとんどない。マンションに併設するように、簡易的な屋根の掛かる駐輪場が整備されており、自転車やバイクが雑多に並んでいる。リカルドの所有しているホンダ製のビッグスクーターも、その中にあった。
「気のせいか、ずいぶんと長く留守にしてたような気がするよ」とリカルドはひとりごちる。実際、この二日間で想像を絶するほどの事態が起きた。
メガフロート刑務所への訪問、リトヴィンツェフ一派の奇襲、里見蓮太郎との邂逅、そして彼らとの共闘――ただの落ちぶれた傭兵が経験するには余りにも濃密な出来事だったのは間違いない。
「ねえリカルド……」と控えめな声色で、里緒が呼びかけてきた。目線を下に向けると、どこか申し訳なさそうな顔をした少女と目が合う。「どうした?」と問うと、黒髪の少女は少しだけ目を逸らして、「……あたし、本当にお邪魔して良いのかな……?」と疑問を呈した。「その……あたしは外周区の人間だから……体も汚いし……」
「何言ってんだよ」と傭兵は軽い調子で笑った。無骨な手のひらを里緒の頭に乗せて、わしわしと撫でる。「里緒ちゃんは俺の相棒だろ? 正規の民警ペアじゃあないけどさ。一緒に死線を潜った中だ。何も遠慮する事なんかないんだよ」
「……ありがとう」微かに頬を上気させながら、里緒は呟くように言った。
「礼もいらないよ。自分の家だと思って、くつろいでいってくれ」
オートロックのエントランスを抜け、エレベーターで上階へ向かう。狭い廊下を進んだ突き当たりに、リカルドの部屋はあった。
鍵を開けて中に入る。目の前の照明スイッチを押して、室内を照らすと、三畳にも満たないキッチンスペースが露わになる。台所の対面には風呂、手前側には手洗い。スペースの先にはドアを挟んで、五畳の洋室。男の一人暮らしには十分過ぎる1Kの間取りだ。
里緒は興味深そうにキョロキョロと部屋を見回している。
リカルドは所在なさげに頭を掻きつつ、「狭くて悪いな」と苦笑する。
「あっ、いえ……! そういう訳ではなく……!」里緒は取り繕うように手と首を振る。それから顔を僅かに背け、「……その、ここがリカルドの家なんだな……って――」と半笑いと共に呟いた。
「?」
リカルドが頭の上に疑問符を浮かべて首を捻ると、里緒はさらに頬を染めて言う。「……こっちの話」
「ま、とにかくだ。全員で集まるまで、あと二時間ある。その間にシャワーでも浴びてきな。服も全部洗濯しといてやる。乾燥機もあるから安心してくれ。約束の時間までには乾く」
「…………」
「どうした?」
むっつりと、こちらを睨めつけてくる里緒。その視線に含まれる意味を推し量れず、リカルドは問い返す事しかできなかった。
「……リカルドって女の子にモテないでしょ?」
「何だよ藪から棒に。……まあ、大学卒業してから、ずっと自衛隊にいたからな。異性と関わる機会はほとんどなかったが」
「……そういう事じゃない」
「んん?」今度こそ本当に意図が掴めなかった。九〇度に達するのではないかと思うほどの角度で首を傾げる。
「………………たぎ」
「何だって?」
ぼそりと呟かれた一言を聞き取れず、リカルドは里緒と目線を合わせて訊き返す。
瞬間、「――下着っ!!」と彼女らしからぬ大声が目の前で響いた。もはや
言葉にして伝えられた事で、さすがの朴念仁も完璧に理解した。
黒衣の少年に並々ならぬ感情を向けていたウサ耳パーカーの少女や、金髪ドレスの少女の姿が思い起こされる。最近の子供はマセていると聞いた事はあるが、彼女も例外ではないらしい。
はっきり言って意識するしない以前の問題である。人並みに性欲がある自覚もあるが、もちろん一〇歳など守備範囲外である。里緒の懸念事項など、指摘されるまで考えすらしなかった。
だが、それを言葉通りに答える事をしないのが社会人である。
いくら女っ気のある人生を送っていなかろうが、その羞恥心を軽んじる発言をしてはならない事くらい、大人は理解しているのだ。
リカルドは悪意を微塵も見せない、人好きする笑みを浮かべて、「悪かったな」と謝罪を述べた。「里緒ちゃんだって女の子だもんな。こんなオッサンに服預けるなんて、そりゃあ嫌に決まってるよな。使い方は教えるから服は自分で洗濯機に――」
「…………やじゃない」
「え?」
「嫌っていう訳じゃ……ない……。意識してもらえる方が……個人的には……嬉しかったり、する……」
「…………」笑みを張りつけたまま、リカルドの表情が固着する。
これは困った。
――なあ里見、教えてくれ。
――こういう場合、何て返すのが正解なんだ?
本気の好意を向けてくる子供に対しての対処法は、さすがに知らなかった。