ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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「……これは何のつもりだ」磯貝が押し殺した敵意を志島の方へと向ける。

「見ての通りだ。邪魔者は排除しなければならない。……お前は知り過ぎたんだ。これ以上、この盤上にお前という駒は居座ってはいけない。だからご退場願おう」

 磯貝を取り囲むようにして、背広姿の男達が回転式拳銃の銃口を向けている。何人かは見知った顔だった。つまり磯貝と同じく警察官である。

「分かるだろう磯貝」志島の憐れむような瞳が、ねっとりと絡みつく。心のデリケートなところを無遠慮に(まさぐ)られるような不快感がした。「警察はこれ以上不祥事を起こす訳にはいかない。言い換えれば目立つような事をしてはいけない。別に警察が介入しなくとも構わないんだ。――里見蓮太郎がいるのだから」

「全てを彼に背負わせるつもりなのか……!?」

「奴にはその力がある。何度でも言ってやろう。里見蓮太郎は殺戮兵器だ。それ以上の価値などない。その類まれな戦力をもってして、目の前の障害を粉砕する――それ以上の役割などないのだよ。守るべき市民であり子供? 馬鹿を言うな。あれは壊れるまで徹底的に使う消耗品だ」

「……警察の風上にも置けない人間が、その椅子に座っている事実が腹立たしい」

「何とでも言うが良い」

 ――このままでは平行線だ。

 磯貝の背中がじっとりと汗ばむ。

 いったいどれだけの人間が志島の側についているのか。警視庁全体が志島の手駒に染められて掌握されている場合、確実に逃げ場はない。

 ――多田島……。

 あの不良刑事の顔が脳裏に浮かぶ。絶対に信頼のおける人間。里見蓮太郎の味方でありつづけようとする者。しかし、当の本人である多田島はここにいない。

 磯貝は内心で毒づく。このまま志島の保身のために退場してやる訳にはいかない。何としてでも、この場を切り抜ける。

 腰のホルスターに収まった拳銃に意識を向ける。特殊部隊(SAT)隊員である磯貝に支給されているのは、回転式拳銃(リボルバー)ではなく、司馬(しば)重工製の自動拳銃(オートマチック)だ。

 撃ち合いになれば磯貝の方が有利――だがしかし、この距離から袋叩きにされれば、拳銃を抜く暇もなくボロ雑巾にされるのは必至だ。

「余計な事を考えるな」志島が牽制するように言う。「銃を捨てて投降しろ。今なら、事が収まるまで独房に収監するだけで済ましてやろう。仮に抵抗するのであれば――」

 警視総監の言葉に連動するかのごとく、磯貝を取り囲む警官達の顔色が険しくなる。回転式拳銃の引き金に掛けられた指に力が加わり、金属の軋む不快な音を鳴らす。

「…………分かった」と磯貝は瞑目と共に呟いた。

「それで良い」と志島はほくそ笑む。「ホルスターごと銃をこちらへ渡せ」

 磯貝は命令された通りにベルトを外し、そこから拳銃の入ったホルスターに手を掛ける。

 瞬間――コンマ一秒の間に拳銃を抜き放ち、安全装置を外すと共に、天井へ向けて発砲した。

 密閉された空間に撃発音が拡散する。それを自ら発した磯貝のみが爆音に耐え、意識外から銃声を鼓膜に叩きつけられた警官達が思わず耳を塞いで硬直(スタン)

 磯貝はすぐさま身を翻して逃走を開始。出入口を塞ぐように立っていた警官二人を標的に据え、一気に突っ込む。屈強な男達が一瞬遅れて磯貝の意図を察するが、すでに手遅れだ。

 磯貝から見て右側にいた男の懐へと潜り込み、下から掬い上げるようなアッパーを放つ。握り込んだ拳が顎に直撃し、男の脳を乱暴に揺さぶって意識を刈り取る。よろけた体躯を、左側の男へ向けて突き飛ばし、動きを阻害。靴底を擦らせながら体を反転させ、渾身のショルダータックルをぶち込んだ。

 昏倒した一人目ごと標的を転倒させ、苦痛に顔をしかめる男の側頭部を蹴り飛ばす。首の骨を折らぬよう手加減はしたが、嫌な感触が爪先越しに神経へと届く。

「何をしているッ!」志島が唾を散らしながら吠えた。「特殊部隊(SAT)とはいえ相手は一人だッ!! 囲んで潰せえッ――!!」

 志島の指示よりも早く数人が動いていた。磯貝への敵意を隠す事なく瞳に宿した幾人かが、回転式拳銃の銃口から火を吹かせる。破裂音の重奏が響き渡り、磯貝の足許の床材が弾けた。

「――――ッ!」磯貝は悪寒と共に再び走り出す。ここで被弾する訳にはいかない。

 視線だけを頭上に向け、すぐさま拳銃を跳ね上げる。数回引き金を引く。乾いた銃声に被さるように破砕音。射出された銃弾が、天井に設置されていた照明のいくつかを撃ち抜いたのだ。一瞬前まで煌々と照らされていた室内に、深い影が落とされる。一部の電気系統がイカれた事で安全装置が作動したのか、無事だった電灯まで連鎖的に消灯した。

 視界を塞がれた警官達が取り乱さないまでも、一瞬沈黙したのを好機と見て、磯貝は出入口の扉を突き破るようにして外に転がり出る。廊下の光源は消えておらず、眩い光が網膜を焼く。

 霞みそうになる視界の中、外に控えていた志島の手駒一名と目が合った。彼は磯貝の姿を捉えるや否や、拳銃を抜いて迎撃体制を取る。

 磯貝は背筋に冷たい感覚を感じ取りながらも、今しがた開け放った扉の裏側に体を滑り込ませる。直後に散発的な銃声が轟く。盾にした扉から甲高い音が鳴り、鼓膜を乱暴にノックする。

 ――このまま身を隠す訳にもいかない!

 ――モタモタしていれば、部屋から連中が出てくる……ッ!

 依然、数の不利は崩れていない。一瞬でも気を抜けば殺られる。

 磯貝は聴覚を限界ギリギリまで研ぎ澄まし、撃ち込まれる銃声の回数を狂いなく数える。リボルバーに装填された鉛弾が空になったのを確信した直後、扉の陰から飛び出し、威嚇射撃を敢行。身を守る障害物もない状況で銃撃された警官が、とっさに体を伏せる。

 躊躇はしない。そのまま警官へと詰め寄り、疾駆の勢いを乗せた膝蹴りを叩き込む。メキリという鈍い感触と共に、警官の顔面が歪み、鼻骨がありえない方向へ曲がった。手を緩める事なく追撃――右回し蹴りで警官の意識を完全に沈黙させ、床へと叩きつける。

「はあッ、はあッ……!」荒い息を小刻みに繰り返しながら、目線をボロボロのドアの先へと向ける。

 このまま階下へ向かうための階段に駆け込みたかったが、背中を見せて走る訳にもいかない。先ほどの銃撃から鑑みるに、志島の息のかかった者達は発砲する事に躊躇がない。少しでも『的』と見做(みな)されるような挙動は避けねばならない。

 司馬重工製の拳銃を油断なく構え、ジリジリと後退していく。背筋を針で引っ掻かれるような不快感が止まない。こめかみから滴った汗が、顎を伝って床へ落ちた。

 ――……何をしている……?

 磯貝の脳裏に疑問が過ぎる。

 ――なぜ追撃してこない……?

 狭い通路内だ。数にものを言わせた制圧射撃を喰らえば、ただの人間でしかない磯貝に捌く術はない。それは志島達も分かっているはず。

 ――何か意図が……!?

 極限状況における疑心暗鬼は指数関数的に不安を増大させていく。完全なる孤立無援。後のない孤軍奮闘状態。全ての状況が、磯貝にとって向かい風となって働く。

「……くそッ!」

 ネガティブに陥る脳に無理矢理喝を入れる。

 ここは通過点だ。磯貝が倒れるのはここではない。あの黒衣の少年の後ろ姿を思い浮かべ、自らを奮い立たせる。

 階段まではもうすぐだ。そこまで辿り着き次第、全速力で逃走する。

 一歩ずつ、着実に進む。残り数歩の距離まで来た時、「――残念だったな」という志島の嘲るような声が背後から響いた。

「――――なッ」振り返る暇も与えられず、背中に鉄の感触が突き刺さる。銃口を突きつけられたという事実を理解するのに、僅かな間を要した。

 志島が現れたのに呼応するように、開け放たれたドアの内側から、ぞろぞろと背広姿の警官達が退出してくる。彼らは皆一様に勝ち誇った笑みと、侮蔑の眼差しを湛えていた。

「……隠し通路でもあったのか?」

 磯貝の問いに志島は答えず、悪辣な声色を弾ませる。「おとなしく負けを認めておくべきだったな。そうすれば、こんなところで無駄に命を落とす必要はなかった」

「いったい何を守ろうとしているか知らないが、お前達に警察を名乗る資格はない」

「あの世で好きなだけほざくと良い」

 キリキリと引き金が引き絞られる音がする。心臓の拍動が自覚できるほどに、強く速く脈打つのを感じる。

 内心の緊張を押し殺すようにして、磯貝は低い声で告げる。「最後に勝つのは、正義と――自らの信念を貫いた者だ」

 直後。

 火薬の弾ける音が一つ、鳴り渡る――。

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