ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
三ヶ島の隣を歩くのは白衣の美女、菫だ。
勾田公立大学附属病院に一足先に戻っていた三ヶ島は、菫から約束の品を受け取り、彼女と共に地下霊安室へ戻る最中だった。三ヶ島の両手には白い医療用ケースが抱えられている。
「感謝します。室戸教授」
「本当にそう思っているなら行動で示せ」菫は言う。「必ずサンプルを採取してこい」
「ええ、必ず」
「ふん」と菫は不満げに顔を逸らし、「――ところでだ」と話題を切り替えた。「本当に良かったのか?」
「あの件ですか?」
「それ以外に何がある」菫の瞳に剣呑な色が灯る。彼女は長い前髪の隙間から、三ヶ島を射抜き、「そのやり方は、決戦前に蓮太郎君やあの傭兵を裏切る事になるだろう」と指摘した。「木更まで賛成したのには少々驚いたが……」
「あなたは反対ですか?」
三ヶ島の問いに菫は舌を打つ。
「心情的にはな。だが、合理性の観点から言えば止める理由がない」
「それならば何の問題もありません」と三ヶ島は躊躇なく言い、自身を嘲るように笑った。「目的のために手を汚し、嫌われるのは、我々大人の役目ですよ」
菫は半ば呆れたように肩をすくめた。「覚悟の上なら、もう何も言うまいよ」
「では、
霊安室に続く階段を
「全員戻ってきているな」と菫が室内を見渡す。
蓮太郎と延珠、リカルドと里緒、木更とティナ、そして聖天子と咲良が神妙な面持ちで佇んでいた。
「ヘリの手配は済んでいる」三ヶ島が報告する。「出発は二〇分後。各種武装、予備弾薬等はヘリと共に運搬する事になっている。事前に全員の装備と照らし合わせて、必要な口径のものを用意した。規格が合わなくて使えないという事はないだろう」
リカルドが頭を下げた。「助かります、三ヶ島さん」
傭兵の肩にはスリングで、自衛隊正式装備の89式5.56mm小銃が掛けられており、ミリタリージャケットの内側には防弾ベストが着込まれているのが分かる。アウターのところどころには、ベストによるもの以外の膨らみが見て取れる。予備弾倉や、他の装備品が大量に内ポケットに仕込まれているに違いない。
対して、蓮太郎を始めとする他の面子の格好は身軽そのものだ。延珠やティナ、木更はほとんど普段と変わりない。蓮太郎は腰にウエストポーチをつけているだけだ。銃火器に頼らずとも戦える者達にとって、過剰な装備はかえって邪魔なのかもしれない。
「突入の段取りについてだが」と三ヶ島は切り出しつつ、菫の方を見やる。彼に促された菫は、自身のPCから詳細な地形図を呼び出して、全員に注目するよう呼びかけた。三ヶ島は那須岳の位置を叩く。「リトヴィンツェフ一派の迎撃を鑑みて、ヘリで接近するのは那須岳から二キロメートル離れた地点にする。異論はないね?」
全員が頷く。
「もちろん、移動の最中に空生ガストレアの襲撃を受ける可能性も十分ある。残念だが、手配したヘリは自衛隊所有のものと違って、装備は貧弱だ。場合によっては襲われた時点で、パラシュート降下し、そこから那須岳に徒歩で向かう羽目になるかもしれない」
「質問、良いか」蓮太郎が挙手する。
三ヶ島は一つ頷いて先を促した。
「今は二〇時過ぎだろ? 二〇分後に出発して、ヘリ降下予定の地点まで大体一時間くらいかかるとして、二一時半だ。そこからガストレアに注意を払いつつ那須鉱山まで四〇分程度。突入する頃には二二時だ。滞りなくいったとしても、その時点でタイムリミットまで五時間。……正直、かなり危ない橋じゃないか」
「それについては私も把握しているし、当然、君以外にも懸念を抱いている者もいるはずだ」
「何か手があるのか」
「そうだね。あるにはある」三ヶ島の瞳から光が消えた事に、黒衣の少年は気づいただろうか。「――そろそろ良い頃合いだろう。どうぞ、
その名を口にした瞬間、蓮太郎と聖天子の表情から血の気が引いた。少年がとっさに聖天子の方へ駆け寄ったが、すでに手遅れだ。霊安室の扉を乱暴に開け放ち、ガタイの良い
「――ッ!? 何のつもりだッ! 三ヶ島社長!!」
蓮太郎が吠えるが、当の三ヶ島は冷ややかな顔を崩さない。「これが『保険』だよ」と駄々っ子を諭すように告げる。「それでは頼みましたよ、羽柴さん」
「協力、感謝する」羽柴は瞑目と共に、小さく頭を下げる。
そこからは早かった。白スーツの男はづかづかと聖天子に近づくと、警戒する少女を静かに見下ろす。
蓮太郎が敵意と共にXD拳銃を抜き、銃口を羽柴へと突きつけた。「聖天子様に指一本でも触れてみろッ。このまま頭を吹っ飛ばしてやるッ!」
「試してみるか」と羽柴が凄むが、蓮太郎の目は揺らがない。
聖天子を取り囲んだ聖居の白スーツ達をさらに囲むようにして、リカルドが九ミリ拳銃を、里緒が
一触即発の空気の中、全く声色を変える事なく菫が割り込んでくる。「私の城でドンパチしてもらっては困るんだがね。死体が増えるのはありがたいが、余りにも血と肉が飛び散ると、あとの掃除が面倒だ」
「承知している」羽柴は短く答え、「――聖天子様」と怯える少女に呼びかけた。「菊之丞様がお待ちです。我々と共に聖居へお戻りになっていただけますか」
「……っ、私は……」純白の少女は前歯を噛み締めつつ、目を逸らす。
「元はと言えば、アンタらが意見の食い違った聖天子様を軟禁したのが始まりだろうが!」蓮太郎が激昂する。「聖天子様を連れ戻して、そのあとはどうするつもりだ!? また彼女を閉じ込めるのか!?」
「それを決めるのは菊之丞様だ」
「クソ野郎が……!」
黒衣の少年から発せられる
「落ち着きたまえ蓮太郎君」菫が飄々とした調子で少年を宥める。
「けどよ、先生ッ……」
「言っておくが、私は三ヶ島社長側だぞ」
「なッ……」
「その通りだ」と同意したのは羽柴だ。「元々、三ヶ島ロイヤルガーダーには聖天子様捜索と確保を依頼していた。聖天子様発見の報告は、三ヶ島社長から受けたが、この場に我々を招いたのは室戸教授だ」
蓮太郎の相貌が驚愕に染め上げられる。信じていた者に裏切られた――少年の表情は、それを分かりやすく物語っていた。
そんな事は露知らずといった調子で、この状況を演出した張本人は悠々と語る。「思い出してみたまえ。そこにいる箱入り娘は、いったい何の役に立った? 聞けば昨日から蓮太郎君の家に転がり込んでいたようだね。単なる個人の
「そんな事ッ――」
「――構いません、里見さん」そう遮ったのは聖天子本人だ。純白の少女は目許を引き攣らせ、頬を紅潮させて、必死に菫の容赦ない評価に耐えているようだった。「室戸さんの言う通りです。……私は、この二日間、何の役にも立てておりません……」
「詳しい事情を知っている訳じゃないが」と九ミリ拳銃を携える傭兵は、値踏みするように言葉を差し込む。「こんな状況になってもなお聖人足り得ようとする聖天子様が、何もかも間違っているとは思わない。彼女の理想とする世界――それを実現するために尽力するのが、おたくらの本来の仕事じゃないのか?」
「我々も聖天子様のお考えを否定するつもりはない」と羽柴。
「なら――」
「綺麗事だけで世界は回っていない。掲げた理想が絵に描いた餅のまま、それが潰えてしまってはならんのだ」
「この強硬な態度も、全部聖天子様のためだって言うつもりか?」
「そうだ。聖天子様が理想を現実に変える力を手にするその時まで、手を汚し続ける。それが我々の役割なのだ」
そこまで語ると、羽柴はこれ以上は無駄だとばかりに口を
「――待ちなさい」
諦観に満ちた室内に、凛と澄み渡る声が駆け抜ける。
刀を抜いた木更が常軌を逸した速度で羽柴へと詰め寄り、部下の白スーツ達の間を縫って、その
「……何のつもりだ、ミス天童」
「私も連れていきなさい」
「木更さんッ!?」
木更の宣言に、蓮太郎が面食らうが、セーラー服の少女はみじろぎ一つせず必殺の刃を突きつけ続ける。
「良いのよ里見君。長時間戦えない私じゃ、那須鉱山に着いて行ったところで足手まといでしょ」
「我々諸共、菊之丞様を斬り伏せるつもりか」
「そんな乱暴な事しないわよ」否定はするが、木更が漂わせる雰囲気は、それを実行に移してしまいそうなほどの迫力を伴っている。「あなた達が聖天子様に不埒な事をしないか、側で監視させてと言ってるの」
「何を世迷言を――」
「あら、ごめんなさい。私もじゃなかった。
「は――」
「――待ってましたぜッ、
まるでタイミングを見計らったかのように、テンション高めな声が響く。羽柴達の行く手を遮る形で、長身の男性が地上階から地下室へ続く階段を下りてくる。
「待ってよ兄貴。張り切り過ぎだって……」辟易とした様子で、男に呼びかけたのは幼い少女の声。
男の方は、黒のカーゴパンツにフィールジャケットを羽織り、くすんだ金髪の下には飴色のサングラスが覗く。筋肉質な体型は、対峙する者に否応なしに威圧感を与えてくる。
少女の方も男に負けず劣らず、パンクな出で立ちだ。黒エナメルの服にスレイブチョーカー、そしてブーツ。明らかに地毛ではない色合いの金髪は左右に分けて結わえてある。
三ヶ島が知る由もない二人の名を、驚愕に目を見開いた蓮太郎が口にした。「
――なるほど、彼らがそうか。直接見るのは初めてだ。
片桐
第三次関東会戦の際、里見蓮太郎のアジュバントに合流し、多大な戦果を挙げた民警ペア。その時の功績で序列はちょうど一〇〇〇番まで昇格していたはず。何にせよ、強力な戦力である事は確かだ。
玉樹は好戦的な笑みを浮かべて、「何だ不幸面ボーイ。しばらく会わない内に耳でも悪くなったか?」と黒衣の少年を挑発するように顎をしゃくった。「姐さん直々の依頼だ。しかも内容は聖天子様の護衛ときた。これほど名誉な仕事もそうそうねえよな? なら、受けない訳にはいかねえのよ」
「……もう一度訊こうか」と羽柴の瞳暗い影が落とされる。「何のつもりだ、ミス天童」
「聖天子様に足りないものを補うんですよ」木更は簡単に答えた。にこやかな笑みは、しかし見た者を戦慄させる雰囲気をも合わせ持っていた。「聖天子様が成すべき事を成すために必要なもの――それは我を通すための力です。あなた達大人の都合に押し潰されないための力。私達は今日、聖天子様のための矛となる」
「成すべき事……?」聖天子と羽柴の声が重なる。
「聖天子様、あなたにしかできない役割があるはずです」と三ヶ島が言う。「
「……!」
「先ほど里見君が言った通りだ。我々にはもう時間がない。作戦が長引けば仙台は強硬策に出る。それを止める
「戦う場所を間違えるな」菫が、三ヶ島の言葉を引き継ぐように言った。「あなたの戦場はここではない。武器を持って殺し合う事しかできない兵士と違って、あなたには争いを根本から解決する力がある」
さらに木更も言葉を重ねる。「聖天子様お一人では、稲生首相まで辿り着けないというのなら、私達がそこまでお連れします。障害は全て――私達が斬り払います」
「ま、そういう訳だ」と玉樹が締め括る。「諦めてくれやダンディー。ここじゃ少数派はアンタ方だ」
「……図ったな」羽柴が歯噛みして、三ヶ島を睨む。
「言いがかりはやめていただきたい」三ヶ島はわざとらしく肩をすくめてみせる。口角を上げて勝ち誇った笑みを浮かべ、「良く思い出してください」と言った。「弊社が受諾したのは、『聖天子様の捜索と確保』です。依頼は滞りなく完了しております。そのあとの事は、私共には関係ありません。違いますか?」
「減らず口をッ……!」
「腐っても聖居――一国を治める組織の構成員をやっているんだ。次からはもっと狡猾に動く事をお勧めしますよ。でないと、我々のような
「――……ッ!!」
「では、天童社長、片桐さん。聖天子様をお願いします」
形勢は完全に逆転していた。聖天子の確保という最優先目標を達成できたはずの白スーツ達が、屈辱感に顔を歪ませて退出していく。
「里見君」と木更が蓮太郎の方を振り返る。「私は皆に着いていけないから、ティナちゃんの事よろしくね」
蓮太郎は頷く。「……ああ。木更さんも気をつけて」
「へいボーイ」玉樹が背中を向けたまま呼びかける。「姐さんと聖天子様の事は気にすんな。オレっち達がどんな手を使ってでも守る。……これで、ちょっとばかしはあの時の借りも返せんだろ」
「片桐兄……」
「行ってこい。もう一度東京エリアを救ってきな」
聖居の者達と木更、片桐兄妹が出て行ったのを見届けてから、三ヶ島は残った全員を見回す。「さて。まずは謝罪しよう。聖居と繋がっていた事を黙っていて済まなかった。これについて言い訳するつもりは毛頭ない。だから私の事はいくら恨んでくれても構わない。だが私は確信している。この保険は、確実に我々の一助になるとね」