ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 エントランスは静寂(せいじゃく)に包まれていた。

 すでに訪問してくる来客もいない時間帯な事もあり、受付にもスタッフの姿はない。時折、刑務官やその他のスタッフが通りがかる程度だ。

 広間の隅にあるソファに座り込む横島に、「おい」と呼びかける。彼が緩慢(かんまん)な動作で顔を上げたのを確認すると、近くの自販機で買ってきた缶コーヒーを無造作に放った。横島はそれを片手で受け取ると、生気のない瞳でリカルドを見つめた。

美梨(みり)ちゃんは医務室で寝てるよ」リカルドは自分用に購入したコーヒーのプルタブを開けながら報告する。

「そうか……悪いな」

「今さらだが、何であの子を連れてきた? あの子は確かに年齢の割に達観してる方だが、この場に居合わせるにはまだ心が弱過ぎる」

 短い付き合いではあるがリカルドは知っている。横島が美梨を溺愛(できあい)している事を。

 こんな場所に追従させるのが良くない事くらい彼なら理解しているはずだし、自ら突き放しそうなものなのにだ。

「……着いて行きたいと言ってきたのは美梨の方だ」沈痛(ちんつう)な面持ちで横島は答える。「もちろん止めたが、あの子にしては珍しく全然引き下がらなくてな。どうしても犯人の動機を直接聞きたいって……」

「……やっぱり美梨ちゃんの方も何かがあったんだな?」

 横島は頷く。「あいつの煽動のせいで殺された『子供達』の中に美梨の友人もいた。特段付き合いが長かった訳じゃない。治安維持活動の時に偶々助けた事がきっかけで仲良くなった。……俺も嬉しかったよ。学校に行けてない美梨が同年代の子と仲良くなる機会なんてまずないからな」

「…………」リカルドは黙ったまま先を促す。

「何であの時迎えに行ってやれなかったんだろう……」横島は握った両手を額に当てて俯いた。「晩飯を一緒に食べようって話になって、俺の事務所に招待したんだ。俺達の仕事が終わったら来てくれって言って……美梨はそのまま泊まってもらったら良いってはしゃいでたな……」

「もう良い。無理するな。お前にとっても辛い話だったみたいだ」

藤沢(どうざわ)……俺はあいつを許せない……! 鉄格子の向こうにいるクソ野郎を、自分が捕まってでも撃ち殺してやりたかったッ……!」

「んな事したって美梨ちゃんが喜ばねえのはお前が一番良く知ってるはずだろ。それに刑務官も言ってただろ。拳銃なんか抜こうもんなら、その時点でここから叩き出してたって」

「俺はどうしたら良い……!? あの戦いが終わって東京エリアが救われても……このままじゃ美梨はいつまで経っても救われないんだよッ……」

「落ち着け」リカルドは言う。「事を急ぐのは大人の悪い癖だ。美梨ちゃんは俺達とは違う。あの子には時間がある」

「…………」

「お前が美梨ちゃんを大切に思ってるのは良く知ってる。あの子の親代わりになろうとしてる事も。だからこそ選択を間違えるな。辛い記憶を忘れる事はできなくても、時間を重ねて割り切る事はできるんだ」

「時間……」

「そうだ。俺達大人はそうやってガストレア大戦の傷を覆い隠して今を生きてるはずだろ」

 リカルドは横島の過去を全て知っている訳ではない。だがガストレア大戦を経験した世代だからこそ確信をもって言える。『奪われた世代』は程度の差こそあれ、戦いの過程で何かを失っている。そして、その何かは往々にして『人』なのだ。

 思い出したくない凄惨な光景。音、臭い、空気――それらが絵画のごとく混合(ミクスチャー)されて形作られた色褪せない恐怖は、現役世代のトラウマとして刻みつけられている。それでも一〇年という月日は、人々が前を向いて歩みを再開するには十分な時間だった。

「消え去る事はない記憶が表出する時に、やっぱり悲劇は起こるかもしれない。けど、その度に俺達大人が出張ってたら、あの子はいつまでも子供のまま前に進めないんだよ」

「……っ」横島は自身の下唇を噛みちぎるほどの強さで引き結ぶ。彼の中の葛藤が嫌というほどに伝わってくる。

 しかしリカルドはこの言葉が全く響かないほど、横島の精神が幼いとは思っていない。同じような経験をしながらも、こうして同じ時代を生きている同士だからこそ、きっと伝わるはずだと信じている。

 やがて横島は大きく息を吐いて、だらりと手足を投げ出した。「……そう、だな。悪かったよ」とリカルドの方を見る。「藤沢の言う通りだ。俺にやるべきなのは美梨が立ち直るための手伝い……だよな」

 リカルドは控えめに笑って頷くと、缶の中身を飲み干した。「それじゃあ美梨ちゃん起こして退散しようぜ。消灯時間もとっくに過ぎてる。これ以上居座ったら夜勤の人らに怒られちまう」

 二人が椅子から立ち上がったのと、エントランス中にけたたましいベルが鳴り響いたのは同時だった。

「……何だ?」横島が怪訝(けげん)な顔をして周囲を見回す。

 鼓膜を乱暴に叩く音が途切れる様子はなく、今までどこにいたのか大勢の刑務官達が慌ただしく独房のあるエリアへ向かっていくのが見えた。

 そこに尋常でない事態を感じ取ったリカルドは、警備員の一人の肩を捕まえて、「おい、何が起きてるんだ!?」と問う。

 顔を青褪(あおざ)めさせた若いスタッフは、「()()()()……!」と答えた。「何者かによってモニター管制室が制圧され、さらに収監されていた囚人の一人が脱獄しました……!」

「なッ……!?」

「我々は事態の鎮圧(ちんあつ)に向かいます……! あなた方はすぐにここから立ち去ってください!」

「待ってくれ!」と泡を食ったように割り込んだのは横島だった。「俺のイニシエーターがまだ医務室にいるんだ! このまま逃げ出す訳にはいかない!」

「危険です! このメガフロートは今から戦場になります! 民警含め関係者以外の滞在はもう認められません!」

「じゃあ、あんた達は美梨を保護してくれんのか!?」

「……っ」警備員は言い(よど)む。

 横島はその反応だけで取り合う意味がないと判断したらしい。(きびす)を返してエントランスの出口とは反対の方向へ向かう。警備員の静止の声など聞こえていないようだった。

「時間を取らせてすまない。おたくは持ち場に戻ってくれ。俺達もツレを回収したら、すぐに退散する」

 リカルドも横島のあとを追う。

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