ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 遠方で上がった轟音に、思わず視線が動いてしまう。

 ――爆発……!?

 ――誰かがガストレアと戦ってる……?

 蓮太郎の脳裏に、はぐれた面々の顔が思い浮かぶ。今から走れば向かえない距離ではない。しかし、ここで蓮太郎が救援に駆けつければ、間違いなく作戦に致命的な遅れが出るだろう。

「どうするのだ……? 蓮太郎」と延珠が訝しげにこちらを覗き込んでくる。

 蓮太郎は歯軋りと共に首を振る。「……いや、皆を信じよう」と目線を元の位置に戻す。「俺達だけでも先に突入する。きっと藤沢さん達は追いついてきてくれる」

「……分かった」

 蓮太郎と延珠の眼前数メートル先には、断崖絶壁の岩肌をトンネル状に繰り抜いた出入口が鎮座していた。施錠された鉄柵が招かれざる訪問者を阻んでいるが、延珠の膂力なら簡単に折り曲げられるはずだ。

 延珠が声を押し殺しながら、耳打ちしてくる。「……蓮太郎。このまま行くか?」

「いや、まずは俺一人で様子を見てくる」とXD拳銃を両手で構える。「今のところ気配は感じないが、リトヴィンツェフ一派の兵士が張ってる可能性もある。危険がないと判断したら合図を送る。それまで、ここで待ってるんだ」

 ツインテールの少女が頷いたのを見て、蓮太郎は慎重に動き出した。

 足音を立てぬよう細心の注意を払いながら歩を進め、義眼を稼働させて肉眼では見えぬ暗闇の先を捉える。身の丈ほどもある落石の裏側や乱立する木々の隙間など、およそ人が隠れられそうな場所は隈なく潰していく。

 やがて周囲に自分達以外の人間がいないのを確認すると、静かに息を吐き出した。

 ペンライトの明かりを()けて延珠の方へ振る。合図を確認した少女がこちらへ合流すると、「大丈夫だ。やってくれ」と鉄格子を見やった。

 延珠は両手を伸ばし、錆びた鉄格子を鷲掴みすると、特に(りき)む様子も見せずに鉄の棒を曲げ伸ばしていく。

 人一人通れる程度の隙間が空いたのを確認すると、再び蓮太郎が先行して内部へと踏み入る。掘削されたトンネルの内壁は、粗悪なコンクリートで補強されているだけ。ところどころに(ひび)割れや、剥がれが見受けられ、少しの衝撃で崩落してしまいそうなほど頼りない。

 内部に光源らしきものはなく、奥まで闇が続いている。足許を見やれば、大型の車両が通ったと(おぼ)しきタイヤ痕がいくつも走っている。採掘したバラニウム鉱石や、掘削した土をダンプカーで運び出した痕跡だろう。

 蓮太郎はXD拳銃の先を暗闇へと突きつけながら、周囲のクリアリングを済ませていく。先ほどと同じように安全を確保してから延珠を呼んだ。

 先へ進むと、籠もった湿気と熱気が肌を撫でつけてきた。埃っぽい空気と相まって、不快指数がみるみる内に上がってくる。首元がじっとりと汗ばみ、我慢できずにネクタイを緩めた。

 ――元々が違法な鉱山だ。たぶん、まともな企業は関わってないはず。

 ――空調設備なんて(ろく)に整備されてないだろうな。

 グレーを通り越した、隅々まで真っ黒の組織運営。おそらく採掘員達も正規の従業員ではなく、表の世界で生きられなくなったはみ出し者だろう。集められた者達の抱える事情は、大体予想がつく。おおかた借金の(カタ)に売られた者や、犯罪行為を匿うという名目で連行された者――要するに、いなくなっても困らない人間達の集まり。

「ここで働いてた人達はどうなったのだ?」延珠が最もな疑問を投げかけてくる。

「俺が知ってる限りでは救出された事実はない。今もなお鉱山に取り残されているか、危険を承知で外に逃げたか。もしくはリトヴィンツェフ一派に殺されたか……」

 すでに那須鉱山はリトヴィンツェフ達の隠れ(みの)としての役割は果たし終えている。であれば、わざわざ残っている作業員達を生かす理由もない。

 処分する方法には困らないはずだ。弾薬を無駄にせずとも、ガストレアの餌にするだけで良い。血に飢えた化け物達は、外に行けばうんざりするほどいるのだから。

「…………っ」自分で考えながら思わず身震いした。おそらく予想は大きく外れていないだろう。リトヴィンツェフ達の悪辣極まるやり方に、怒りよりも先に怖気を覚える。

「蓮太郎――あそこ、明かりが見えるぞ」

 延珠の指摘で我に返ると、蓮太郎は少女の指差す先を凝視する。彼女の言う通り、真っ暗なトンネルの先には、指先ほどの光が薄っすらと洩れていた。

 人工的な照明の色は、暗澹(あんたん)とした未踏査領域で冷え切った心に、僅かながらの安心感を与えてくれる。すぐにでも電灯の恩恵に授かりたいところだが、ここはぐっと我慢する。

 ここはすでに敵地のど真ん中。安全な場所など、もはやどこにもない。こうやって心に隙ができた瞬間、待ち伏せていた敵に襲撃される可能性など論じるまでもないだろう。

 蓮太郎はごくりと生唾を飲み込み、「慎重に行こう」と言った。

 延珠が頷き返すと、二人は再び陰翳(いんえい)に塗り潰された通路を突き進む。

 しばらくすると、先ほどまで遠くに見えていた光が、すぐ近くを照らし始める。

 ここまで来れば、自分達が辿り着いた場所がどこなのかは簡単に分かった。「……採掘現場か」

 かろうじてコンクリートの内壁で囲われていたトンネル内とは異なり、目の前に広がった景色は、赤茶けた土色に覆われていた。概算で六〇(つぼ)は超えていそうな広大な空間。至るところに這わされた電線から、果実のように裸電球がぶら下がり、洞内(どうない)を頼りなく照らす。

 地面には、バラニウム製の(のみ)を装着した削岩機(さくがんき)が、数え切れぬほど散乱している。停止したコンベアの上には、採掘したあとの岩石がまばらに並んでいた。

 他の区画に続くと思われる通路が、見える範囲だけでも三箇所はあった。どこを選ぶのが正解かも分からない。

 無意識に舌打ちしていた。「くそッ。ただでさえ時間がないってのに……」

「どうする蓮太郎?」と延珠。「一つずつ見ていくのか?」

 蓮太郎は首を横に振る。「少し辺りを調べてみよう。手当たり次第に行くのはかなり不味い」

 示し合わせた二人が動き出そうとした時だった。

「――なあ、おいッ……! アンタ達……! ここを占拠した奴らの仲間じゃないよな……!? やっと救助が来てくれたのか……!?」

「「――――ッ!?」」突如として横合いから投げかけられた声に、蓮太郎と延珠の体が強張った。ほとんど反射的に拳銃を声の主へ照準してしまう。「ひいッ!?」という酷く怯えたリアクションが返ってきて、自分の軽率な行動を後悔した。

 蓮太郎は驚きに目を見開いて、「もしかして、ここの作業員か?」と問いかける。

 蓮太郎達の前に姿を現したのは、三十代後半ほどと見られる男性だった。汚れた作業着を身に纏い、伸び放題の髪の毛はべったりと額に張りついている。男性との距離は三メートルほど離れていたが、()えた体臭がここまで漂ってきていた。

「おっ……俺は神栖(かみす)人志(ひとし)……! この鉱山には借金の(カタ)に連れてこられただけなんだ……! 上にはゾディアックがいるし、良く分からない外国人達が乗り込んできて、作業員も警備の民警達も殺していくしで、もう何が何だか分からないんだよッ……! なあ! アンタ達は普通の民警だよな!? 俺達を助けに来てくれたんだろ!? そうだと言ってくれよおッ……!」

 蓮太郎はXDを取り下げると、神栖と名乗った男性に近づく。「生き残りはアンタだけか? 他の作業員や、ここを取り仕切っていた連中はどうなった?」

「今言っただろ!? 全員殺されたよ! それからアンタ達を見つけるまで、誰にも会ってない!」

 やはり最悪の想定は当たっていたようだ。もしかしたら神栖のように運良く生き残った者もいるかもしれないが、これだけ広い鉱山だ。邂逅する可能性は限りなく低いだろう。

「頼む……! 早くここから連れ出してくれッ……!」神栖は膝を突いて、懇願するように頭を垂れる。「もう嫌なんだ……! 毎日毎日体をボロボロにしながら働くのも……! ガストレアの恐怖に怯えながら眠るのもッ……! モノリスの内側に戻りたいッ……! 俺の願いはそれだけなんだ……!」

「…………悪い」蓮太郎は歯噛みして、短く謝罪を述べる。「俺達は確かに民警だが、アンタ達を助けに来た訳じゃない。助けたくても、人手も装備も足りてないんだ」

 神栖の相貌がみるみる内に絶望に染まっていく。「じゃ、じゃあ……! アンタらは何しにここまで来たんだよッ……!?」

「元凶を叩くためだ」

「元凶……?」

「ゾディアックを召喚した連中だ。この鉱山の作業員や元締め達を殺した奴らがそうだ。連中はステージⅤを――ゾディアック天秤宮(リブラ)を使って、東京エリアと仙台エリアを滅ぼそうとしている」

「冗談、だよな……!?」

 蓮太郎はかぶりを振る。「残念だが事実だ。たとえアンタを無事に東京エリアまで逃がせたとしても、このままじゃ待っているのは戦争と大絶滅だけなんだ。だから根本を狙う。……アンタ、ここの作業員だったんだろ? 奴らの向かった場所に心当たりはないか?」

「…………第0採掘場」

「何だって?」

 神栖が不意に口にした単語に、蓮太郎の眉尻が上がる。

「心当たりってほどじゃないが……もし可能性があるとしたら、そこしかない……!」と薄汚れた作業員は、洞穴の一角を指差した。「あっちに鉱山内の見取り図がある。着いてきてくれ……」

 蓮太郎と延珠は互いに顔を見合わせ、どちらともなく頷いた。「……分かった。案内してくれ」と僅かな警戒心を見せながらも、素直に神栖の背中を追った。

「アンタ……神栖さんって言ったな? いつからここにいるんだ?」

「……分からない。ここにいたら時間の感覚がなくなっていくんだ。今は西暦何年なんだ?」

「二〇三一年、九月下旬だ」

「そうか……」と神栖は昔を懐かしむように、天を仰いだ。「だったら、ちょうど一年半になるな」

「一年半も……!?」

 それだけの間、この違法鉱山が法の目を掻い潜っていたのも驚きだが、何よりも――

「……ここの環境は余りにも劣悪だ。空調設備もまともに整備されていなかった。こんな場所で外に出る事もなく働いていたんだったら……」

「はは。アンタの予想通りさ」こちらを振り返る事もせず、神栖は力なく笑った。「粉塵を吸い込み過ぎて、俺の肺はもうボロボロだよ。もちろん他の内臓も。これまでも病気になって倒れていく奴を何人も見てきた。そいつらは一人の例外もなく、ガストレアの餌にされたよ。……たとえ、ここを出れたとしても……もう長生きはできないだろうな」

「…………」

「ほら着いたぞ、ここだ」

 神栖が顎をしゃくった先には、塗装が剥がれかかった看板が掛かっていた。

 延珠が自分の目線より高い位置に描かれた見取り図を見上げて、「妾達がいるのは、ここか?」と一点を差し示した。地図の下側――おそらくは南側だろう座標には、赤字で『現在地』の表記がある。大きな空間が描かれている見取り図の真ん中くらいには、『第1採掘場』と書かれており、そこからさらに下には細い通路が続いている。

 ――俺達が通ってきたのは、この通路だな。

「お嬢さんの言う通り、俺達は今『第1採掘場』にいる。かなり初期に作られた場所だから、もうバラニウム鉱石はほとんど採れない」

「それにしては、最近まで稼働してた形跡があるぞ」

「使い物にならなくなってきた作業員が回されていたんだよ。言っただろ? 病気になって倒れていく奴もいるって。ここは出口にも近い。そういう奴らがここに配置されて、最後の希望を振り絞って逃げ出そうとする。あとは簡単さ。警備の民警共が拘束。そして逃亡者の処罰っていう大義名分を得てから、ガストレアの前に放り出すんだ」

「……狂っていやがる」

「スタンフォード監獄実験は知ってるか? 何の悪意も持っていない普通の人間ですら、与えられた肩書きや地位で、倫理観を逸脱した行動を取ってしまえるんだ。特に、ここにいた民警達は、ならず者の寄せ集めに近かったからな。免罪符一つあれば簡単に一線を越える」

 この常軌を逸した閉鎖環境に放り込まれた人間達が、作業員や警備員関係なく、次々に壊れていく様を想像して胸焼けがした。

「話を戻そう」と神栖は再度目線を看板へとやる。「第1から北へ向かって、三本通路が伸びてるだろ? 真ん中の通路はそのまま『第8採掘場』まで続いてる。さらに――」

 拳の裏で、鉄製の看板の一角が叩かれる。第8より、さらに先。

 蓮太郎と延珠がそこに注目すると、『屋外第11採掘場』と記載があった。

「第8から第11を抜けると、北西の方に詰所がある」

「詰所?」

「ここを取り仕切っていた連中の居住スペースだ。二四時間体制で民警が警備していたから、当然俺達は近づけなかったが……こんな噂を聞いた事がある。あの詰所の地下には、俺達作業員すら入った事のない坑道が広がっているってな――」

「それが第0採掘場なのか?」

「誰かが便宜上そう呼んだだけだよ。そこでバラニウム鉱石が採掘できるのかどうかは誰も知らない。ただ……この鉱山の構造上、あの詰所の先に空間があるのなら――そこはちょうど天秤宮(リブラ)が陣取っている場所の真下になる」

「……!」

「蓮太郎?」延珠が訝しげにこちらを見てくる。

 蓮太郎は思わず、「……繋がった」と(こぼ)していた。

「何が?」という顔を向けてくる延珠と神栖に、咳払いと共に先を紡ぐ。

「藤沢さん……ええと、俺の仲間がこう言ってたんだ。天秤宮(リブラ)を操ってる連中は、那須鉱山に装置を持ち込んで、そこから信号を飛ばしているって。電波を増幅する設備がないのなら、可能な限り天秤宮(リブラ)に近いところで装置を使うのが道理だろ?」

 ゾディアック・ガストレアを支配下に置いた装置――『ソロモンの指輪』と『スコーピオンの首』。

 これらの研究物はまず間違いなく、神栖の言う第0採掘場に持ち込まれている。そして、おそらくはリトヴィンツェフ達も――。

 蓮太郎は神妙な面持ちで神栖を見やり、「良いか? アンタはまだここにいるんだ」と言った。「この鉱山はまだ比較的安全だ。少なくともガストレア共が歩き回る森の中よりはな。黒幕を叩き潰して、天秤宮(リブラ)を沈静化させたら、アンタを助けるために必ず戻ってくる。だから絶対に自暴自棄にはなるんじゃねえ」

「……信じて良いのか?」

「もう一度内地の空気を吸わせてやる。必ずだ」

 そう断じると、神栖人志はゆっくりと頷いた。

 蓮太郎は延珠を連れ、第8採掘場へと続く連絡通路を潜った。

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