ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
東京エリアと仙台エリアが銃口を突きつけ合うこの状況を打破する。
必要なのは引き
「……失礼ですが、ずいぶんと身勝手な言い分ですね」我慢ならず、聖天子は本心を洩らしていた。「仙台エリアの――
「お前さんの言ってる事は最もでもあるが、そいつは結果論って奴だ」特に気に留めた様子もなく、稲生は軽い調子で返す。「さっきも言ったが、あの時に優先するべきだったのは民衆の統制だ。初手でピンポイントにそこを押さえていなければ、今の仙台の状況は目も当てられない事になっていただろうよ」
「…………」
「そんな不機嫌そうな顔をするな。べっぴんが台無しだぞ」
「
ガストレアによって、人類の生存圏を端から端まで蹂躙され尽くしてから一〇年。当時を生きていた人々にとっては、その象徴とも言えるゾディアック。未だ彼らの心と脳裏には、癒える事のない傷が残ったままだ。
そのデリケートな部分を剥き出しの爪で引き裂かれる感覚は、やはり子供でしかない聖天子には、本当の意味で理解はできないのだろう。
「お前さん、今回の首謀者であるアンドレイ・リトヴィンツェフについてはどこまで把握している?」
さながら日常会話の延長線上のごとく、さらりと話題が転換されていく。
「どこまで……というのは?」
「深読みしなくて良い。そのままの意味だ」と稲生は肩を
「それを口にして、私達に何の得があるのでしょうか?」
「おいおい、東京と仙台が現在進行形で
「それは私とて存じていますッ」無意識に語尾が上擦った。駄目だと自身に言い聞かせる。稲生に会話のペースを握られては。「……『首』と『指輪』の二つの研究物を強奪し、
「もちろん必要だ」稲生の余裕は崩れない。「スケールの大きさに惑わされるんじゃない。身近な例で考えてみろ。警察は事件が起きたら、解決のためにどう動く? 事件が起きた現場周辺の情報を集めるだろう? 関係者に話を聞くだろう? プロファイリングを用いて、犯人像を浮き彫りにさせていくだろう? これも同じさ。アンドレイ・リトヴィンツェフという人物を深掘りしていく事で、このどん詰まりの状況を打破する一手が見つかるかもしれない。仙台が掴んだもの、東京が掴んだもの――それぞれを擦り合わせていく事で、解決の糸口が見えてくる可能性は大いにある。どうだ? 俺は間違った事を言っているか?」
「……いえ」
「まあ良い。私を信用できないのであれば、こちらから先に話してやるとするか。――アンドレイ・リトヴィンツェフ。元ベラルーシ共和国陸軍所属。一八歳で入隊し、最終階級は大尉。一〇年前のガストレア大戦の際に、ベラルーシ国境防衛隊の隊長として前線指揮を
つらつらと口にする稲生を、聖天子は値踏みするように見つめる。
ここまでは当然東京エリアも把握している。リトヴィンツェフと、マーク・メイエルホリドを含むかつての部下達は、この戦いののちにロシアへと亡命。その後、魔女部隊のイニシエーターの一部と共にロシア軍から離反した。
再び姿を現したリトヴィンツェフは、国際指名手配犯となるほどの悪事の限りを尽くすテロリストと化していた。
「リトヴィンツェフはなぜロシア軍を離れたのだろうな?」と稲生は薄く笑って投げかけた。聖天子に対する質問という形を取りながらも、彼の表情は言外に、「そこまでは知らないだろう」と語りかけていた。
睨み返す事しかできない聖天子に、稲生はやはり気を悪くした様子さえなく、「こちらも調べるのに骨が折れたよ」と言った。「重要なのはこの空白だ。ベラルーシ防衛戦から、ロシア軍を抜けるまでの数年間のな――」
「……リトヴィンツェフは亡命後に、同じくベラルーシからの難民の子供であるユーリャ・コチェンコヴァと出会っています。魔女部隊発足に動いたのは、当時のリトヴィンツェフとメイエルホリドでした。彼らはその時から、自らが起こすテロを見据えていたのではないですか」
「それは疑うまい事実だろう。重要なのは動機だ。当時は大戦から間もない頃だ。当然、人々のガストレアに対する憎しみはピークに達していた。リトヴィンツェフも例外ではないはずだ。何せ、祖国を
「……っ」
「それだけの憎悪を胸に抱えながら、それでも沸騰する感情を押さえ込み、イニシエーターを戦闘員として登用する道を選んだ。ああ、これは知っているか? 魔女部隊に編成された『子供達』のほとんどは、リトヴィンツェフを始めとするベラルーシ軍の残党達が
稲生はそこで一旦言葉を区切り、聖天子の返事を待つように、じっとりとこちらを見据えてくる。
緊張で渇く喉を無理矢理潤すために生唾を飲み込み、かろうじて言葉を捻り出した。「……難民、つまりは元ベラルーシ人だけで部隊の人員を揃えた意味があると……」
「そうだ。ここまで言えば分かるだろう。リトヴィンツェフの目的は無差別テロなどではない。明確に標的を見据えた――
「復讐……」
「
「リトヴィンツェフは大戦後にそれを知り、ベラルーシを滅亡させた黒幕の存在をも知ったと?」
「そういう事になる」
「根拠が足りませんッ。確かにゾディアックを召喚する
「証拠など、いくらでも隠滅できる。それを簡単に成し遂げてしまう一族が、東京エリアにはいるはずだが?」
「……何が言いたいのですか?」
「
稲生が迷いなく放った一言に、聖天子の背筋が一瞬にして凍りつく。
自らをここまで連れてきてくれた少女の顔が、老体に鞭を打ちながら自分のために尽くし続けてくれる男の顔が――それぞれ脳裏に浮かび上がった。
「嘘だと思いたいか? だが事実だ。それを証明するに足るだけの情報を、こちらはすでに掴んでいる。もちろん全てを開示してやるつもりはないがね」
残念ながら聖天子は知っている。天童一族が、政界において今現在の地位に登り詰めるために、非人道的な外法に手を染めた事を。直近で判明しているだけでも、『第三次関東会戦』の原因となったモノリス白化現象と倒壊。この件に関わっていたのは、
すでに和光は、同じ一族の天童木更によって『粛清』されており、幸か不幸か彼の所業は世間には広まっていない。
一国を治める立場でありながら、聖天子はこの事実を公表できないままでいる。全体像の見えない
そして。
稲生の述べた推論に間違いがないのならば――今回の一件、非は全て東京エリアにある。仙台エリアは完全なる被害者であり、徹底抗戦を旗印に民衆を煽動し、戦争を煽る稲生の行動に妥当性さえ生まれてしまう。
聖天子は自身の手のひらが、じっとりと汗ばんでいくのを自覚した。心拍数が際限なく上がり、思考に分厚いフィルターでもかけられたかのように、考えがぶつ切りにされる。
――私達は……言い訳のしようもないほどの加害者であると……?
――であれば……この戦争を止めるなど……余りにも
「――聖天子!」負の
「…………!」
「互いを責め立てるためじゃない。責任をなすりつけ合うためにでもない。――俺とお前さんは、この戦争を止めるためにここに立っているはずだ」
「しかし……たとえ天童一族であったとしても、民の犯した過ちの責任は私にあります……! 東京エリアにもはや正義など……」
「お前さんの治める国は、たかだか政治屋一匹の悪意によって歪まされてしまうほど脆弱なのか?」突き刺すような指摘だった。「その全てを跳ね除け、皆を正しき方向へと導く――それこそが為政者の役割に他ならない。責任があると思うのならば、死力を尽くして舵を切り直せ。お前さんの一挙手一投足を俺が見届けてやる。だから恐れるな。お前さんこそが、東京エリアを導く器足り得る存在であると、身をもって示してみろ」