ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 おそらくは事務所として使われていた場所なのだろう。

 六畳ほどのスペースに作業机とデスクトップPCが所狭しと並べられ、排熱ファンの音だけが静かに響き続けている。空調は稼働しておらず、他の部屋よりも僅かに熱気が(こも)っていた。

「ここが最後だな」と蓮太郎はズカズカと室内に押し入ると、PCの配線が千切れ飛ぶのも構わずに机を動かしていく。あとから入ってきた延珠も、それに(なら)う。

 一通り調度品を散らかした時、ふと床面の違和感に気づく。表面に大理石風の模様が施されたビニールタイル。そこの一部分が不自然に盛り上がっている。ナイフを抜き、その部分のタイルを切り裂いて剥がすと、錆びついた蝶番(ちょうつがい)が視界に飛び込んできた。

 延珠を呼び戻してから、残りのタイルを剥離(はくり)させると、隠されていた全貌が露わになる。

「蓮太郎、これって……」

「ああ、間違いない。ここが神栖の言ってた第0採掘場への入口だ」

 タイルの下にあったのは、腐りかけた木材で建てつけられた開き戸だった。最初に見つけた蝶番(ちょうつがい)の反対側には、材木の表面を繰り抜いて作られた簡易的な取手がある。一メートル四方ほどの開き戸は、どこか周囲の光景から浮いているように感じられた。

 蓮太郎はごくりと喉を鳴らしながら取手に手をかける。鍵の類はついていなかったので、そのまま力任せに戸を引き上げる。ぎぎぎっ……という木の軋む不快な音が鳴り、埃を巻き上げつつ扉が開いた。

 下を覗き込むと、どこまでも続くような暗闇が続いている。見える範囲で確認する限りでは、どうやら隠し扉の先は煙突状になっているらしく、壁面には塗装の剥がれかけた梯子(はしご)が取りつけられていた。

「けほっ、けほっ……この先に戦う奴らがいるのか?」と延珠が咳き込みながら訊いてくる。「それにしては長い間使われていないようだが……」

「入口が一つだけとは限らない。物資の搬入の事まで考えたら、広い間口も必ずあるはずだ」

 とは言え、現状、蓮太郎達にとってはここが唯一の出入口である事に違いはない。

 ペンライトで暗闇を照らしながら、階下の様子を探る。目測で一〇メートルほどの位置に、罅割れたコンクリートの地面を見つけた。罠の類もなさそうだ。

 梯子の建てつけをチェックし、強度に問題がないのを確信してから身を乗り出す。ライトで下部を(くま)なく照らしつつ慎重に降下していく。

 降り切ると、外以上にひんやりとした空気が首筋を撫でつけてきた。思わず身震いする。明らかに夏季の気温ではない。人工的に空気を循環させているとしか思えない。

 ライトを照射して周囲の景色を探ると、予想通り、天井に設置するタイプのパッケージエアコンが散見できた。そこで初めて、自分の立つ場所の輪郭を鮮明に把握する。

 天井以外のあらゆる方向が、打ちっ放しのコンクリートで塗りたくられた回廊。壁面には丸棒状の蛍光灯が一定間隔で配置されているが、どれ一つとして点灯してはいない。

 遅れて降りてきた延珠が寒暖差に当てられて両腕を掻き抱く。「何でこんなに寒いのだ!?」と声を荒げるが、蓮太郎が指差した空調設備を見て納得したらしい。「いくら夏とは効き過ぎなのだ。妾達は真夏でもエアコンなどまともにつけれないのに……」

 いらぬところで家計の火の車っぷりを自覚させられて胸が痛くなるが、そんな事で意気消沈している余裕もない。

 蓮太郎と延珠は、指の先を震わせながら、薄ら寒い回廊を進んでいく。

 ――どこまで続くんだ……?

 これだけの冷房設備、そして電灯の数――明らかにこの空間だけ金の注ぎ込み方が違う。今は暗闇で覆われてこそいるが、設置されている全ての蛍光灯が点灯すれば、電力の使用量は爆発的に増えるだろう。

 この内地から遠く離れた僻地で、簡単に賄い切れる電力量ではない。未踏査領域での設備稼働に際して使われるエネルギーは、もっぱら化石燃料と太陽光発電が主流だが、それらの調達にも莫大な予算がかかる。

 改めてリトヴィンツェフの持つ資金源――あるいは彼の背後に控えている何者かの存在を想起し、首筋が縮み上がる。

 圧迫感だけが支配する細い廊下を歩き続けると、やがて開けた場所に出た。

「……海上コンテナ?」周囲を照らし出しながら、蓮太郎は訝しむように呟いた。

 広がった景色は採掘場というよりは、倉庫に近い。回廊と同じ殺風景なコンクリート造りの広大な空間には、様々な色の海上コンテナが摩天楼のごとく積み上がっている。40フィート(12メートル)のものと20フィート(6メートル)のものが混在して配置され、迷路を思わせる歪な構造が出来上がっていた。

 天井を見上げてみるが、ガントリークレーンの類は見当たらない。とすれば、どこかにコンテナを荷役できるレベルのフォークリフトが配備されているのだろう。

「これだけのコンテナ……いったいどこから……?」

「ん? これ自体は東京エリアにもたくさん走り回っておるだろう? ほら、おっきなトラックに積まれて」

 延珠が小首を傾げて指摘してくるが、蓮太郎は神妙な面持ちで首を振った。

「現状、東京エリアには港を使った国際貿易の手段はないんだ。大戦の時に東京の大井(おおい)コンテナ埠頭(ふとう)横浜港(よこはまこう)みたいな主要な国際貿易の窓口は軒並み壊滅させられてる。もちろん、その付近にあったコンテナターミナルも。今東京エリアに入ってくるのは、大阪エリアの南港で揚げられて輸入許可の下りたコンテナだけだ。それがもう一度船に積み直されて、東京エリアに入ってくる。だから大戦前と比べて、日本国内で流通する海上コンテナは極端に減ったんだ」

「つまり蓮太郎は何が言いたいのだ?」

「要するにこのコンテナが東京エリアから運び込まれたとは考えづらいって事だ」自分で口にしておきながら、信じられないという感情が湧き上がった。「この数を大阪エリアから陸上輸送で……? リトヴィンツェフのバックにいるのはまさか……!?」

「――余計な事に頭を回す必要はないだろう。どの道、お前達はここで死ぬ事になるのだから」

「……――ッ!?」突如として前方から響いてきた声に、とっさに身構える。逆手で持っていたペンライトを声の出所に照射すると、そこに佇んでいた人物の輪郭が浮き彫りになる。「……マークッ……!」

 一派のトレードマークであるカーキの軍服に身を包み、VSK小銃で武装したマーク・メイエルホリドがそこにはいた。彼の相貌はメカニカルな雰囲気を持った暗視ゴーグルで覆われており、その表情を窺い知る事はできない。

「やっぱり最後の足止めはアンタかよッ……!」

「足止めなんて生易しいもので済むと思うな。俺はお前達を殺すためにここへ来た」

「そうかよ……ッ!」蓮太郎は鋭い視線でマークを射抜きながら、腰を落として構えを取る。「ならッ……! 貴様を倒して押し通るまでだッ!!」

 生身の人間でありながら、機械化兵士やイニシエーターに匹敵するほどの実力を有する傑物。

 旧品川地区での乱戦では、ほとんど敗北に等しい状況まで追い込まれ、続く高速道路での追撃戦ではリカルドの援護ありでギリギリのところで勝利を拾った。

 脈拍が上がる。延珠(イニシエーター)がいるとはいえ、一切の油断ができる相手ではない。義肢用の予備カートリッジも、もうほとんどない。

 ――物資は温存しておきたい……。

 ――だが、出し惜しみして勝てるような生温い相手でもないッ……!

「死ぬ覚悟はできたか?」とマークが平坦な声音で訊いてくる。「さっさと終わらせるぞ。俺は一刻も早くお前達を葬り、()()()()()()()()()()()()()()()()()

「彼女……?」

 マークの言葉に引っ掛かりを感じて、一つの単語を繰り返した時だった。

 

「――よう里見。お困りかい?」

 

 一瞬だった。

 瞬く間に頭上からバシバシバシン! という通電する音が走り抜け、先刻まで暗闇が(わだかま)っていた空間が一気に明るく照らし出される。

 続けて蓮太郎の目先――ちょうどマークの背後に当たる曲がり角から、ミリタリージャケット姿の大柄な男性が姿を現す。

 短い黒髪に精悍な顔立ち。自衛隊正式装備の八九式五.五六ミリ小銃と九ミリ拳銃を携えた男は、蓮太郎の方を見やりながら口許を僅かに吊り上げた。「助けにきたぜ、里見」

藤沢(どうざわ)さん!」

「傭兵……まだいたのか」とマークが汚穢(おわい)を前にしたように、忌々しげに呟く。苛立ちを拭い去るかのごとく、乱雑に暗視ゴーグルを剥ぎ取った。

「まだも何も、俺をこの戦いに巻き込んだのはおたくらだろうが」負けじとリカルドも挑発で返した。「おたくらが横島(よこじま)を殺した。そんで里津(りつ)ちゃんも殺した。それだけに飽き足らず、里緒(りお)ちゃんの事も殺ろうとした。大切だったもん根こそぎ奪われて、託されたものさえ踏み(にじ)られそうになった。……役満なんだよ。俺が里見と違って、元々蚊帳(かや)の外にいた無関係な奴だったとしても――おたくらに怖気づいて逃げ出す理由にはならねえんだ」

「いずれにせよ、アンドレイは全てを壊すつもりだ。関係があろうとなかろうと、その全てを問わず。良いか傭兵。お前のやろうとしている事に何も意味などない。滅びの運命が確定しているにも関わらず、それまでの僅かな時間を無駄にしているに過ぎない。お前のような何の力もない有象無象にできるのは、ただ死の恐怖に怯えて震えている事だけだった」

「そうかい。なら決まりだ。――おたくらが見下し切ったボンクラにぶっ飛ばされるっつう最低最悪の屈辱をくれてやるよ」

 獰猛な笑みを浮かべたリカルドが、八九式小銃を跳ね上げ、マークめがけて突きつけた。

「まずはおたくから叩き潰す。行け里見。こいつとは俺がやる」

「本気で言っているのか」マークはリカルドの方を見ようとさえしない。「何の力もない自衛隊崩れごときが、本気で俺を殺せると?」

「力の有無は大して重要じゃない。大切なのは決めた事を貫き通す信念って奴だ。それに、こいつはおたくにとっても良い提案のはずだぜ」

「何だと?」とマークが眉根を寄せる。

「ははっ、察しが悪いなメイエルホリドさんよ。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 最大限の煽りと共にリカルドが動いた。八九式が火を吹き、連続した銃撃音が山彦(やまびこ)よろしく木霊した。

 だが、その時にはすでにマークも回避行動に移っている。横合いに飛んで銃撃を(かわ)し、銃弾と一緒に突撃してきていたリカルドが放ったダガーナイフによる一撃をも体を(ひね)って躱した。

「――シッ!」マークは体勢が崩れたままであるにも関わらず、恐るべき体幹によって、出鱈目(でたらめ)な構えから前蹴りを放つ。軍用ブーツの底が傭兵の腹部めがけて突き込まれ、リカルドが間一髪で腕を差し込みガード。鈍い音が炸裂し、致命傷は避けたものの大柄な体躯が一気にノックバック。強制的に距離を取った瞬間に、マークが拳銃をクイックドロウ。乾いた破裂音――同時にリカルドが倒れ込むようにして、銃弾をやり過ごす。

 マークが一気呵成(いっきかせい)に攻め立てる。今度は彼から距離を詰め、逆手に携えたナイフの切先をリカルドの脳天めがけて振り下ろす。

「――……ッづっ!!」リカルドは砕けんばかりに歯を食い縛り、間一髪で体勢を立て直して、マークの手首を掴み取る。「るあああああッ!」と雄叫びを(ほとばし)らせながら、返す刀でダガーナイフを振るい、マークの首筋を狙う。

 しかしマークは顔色一つ変える事なく、肘打ちでリカルドの顎を叩き抜き、力が緩んだところを見計らって拘束から逃れる。続けざまに渾身の膝蹴りを顔面へぶち込む。リカルドの鼻から放射状に血が噴き出した。

「――ッ! 藤沢さんッ!!」

「さっきまでの威勢はどうした、傭兵。里見蓮太郎を通すために俺を足止めするんじゃないのか」

「……おたくこそ忘れてんじゃないのか? ……分電盤(ぶんでんばん)(いじ)って、ここの電気着けたのは誰だと思う?」

「――ッ!?」マークが飛び退いたのと、頭上から銀の軌跡が駆け抜けたのはほとんど同時だった。向かい合う二人を分断するようにして、コンクリートの床が横一文字に破断され、粉塵が舞い上がる。

 斬撃と共に落下してきた小柄な体躯は、右手だけで器用にバラニウム製曲刀(カトラス)(もてあそ)びながら、「……また無茶してる」と不満げに呟いた。「あたしが合流するまで待つ手筈(てはず)だったよね?」

「絶賛ピンチの里見ほっとく訳にもいかないだろ?」と傭兵は口許を綻ばせる。「それに、ちゃんと間に合っただろ。里緒ちゃん」

「……アレンスカヤが殺し損ねたイニシエーターか」

 外ハネが特徴的な黒髪のショートカットと鋭い目つき、白いブラウスに黒いネクタイやカーディガン、ショートパンツを合わせた格好。一派に殺害された洋上刑務所(メガフロート)の警備兵である占部(うらべ)里津(りつ)と瓜二つの少女――占部里緒(りお)

 民警ですらない即席のペアは、しかしそこに一切の違和感を覚えさせない堂々とした出で立ちで並び立つ。

「ここからが本番だぜ」とリカルドはジャケットの袖で鼻を拭う。「最初に俺達を()()()()()()()()()、心の底から後悔させてやるよ」

「……部下の不始末はここでつける。二人まとめてかかってこい。しょせんは地面から僅かに這い出しただけの()だ。摘み取るなぞ造作もない」

 向かい合ったリカルドとマークが殺意を込めた視線を交差させる。

 蓮太郎は張り詰めていく空気を肌で感じながら、一歩後ずさった。「……死ぬなよ、藤沢さん」

「任せときな大将」と余裕さえ感じさせる声色で、傭兵は返答した。「こいつをぶっ飛ばしたら、すぐに加勢しに行く。ここで全部終わらせようぜ、里見」

「……ああ」

 蓮太郎と延珠は踵を返すと、コンテナで形成された入り組んだ通路の先へと飛び込んだ。ほぼ時を同じくして、銃声と剣戟音が反響する。

 ――(みんな)……。

 聖天子(せいてんし)

 天童(てんどう)木更(きさら)

 阿久津(あくつ)義建(よしたつ)多田島(ただしま)茂徳(しげとく)

 片桐(かたぎり)玉樹(たまき)弓月(ゆづき)

 三ヶ島(みかじま)影似(かげもち)加倉井(かくらい)咲良(さくら)

 特殊部隊(SAT)の面々。

 そして藤沢(どうざわ)リカルドと占部(うらべ)里緒(りお)――。

 彼らがいたからこそ、ここまで辿り着く事ができた。どのピースが欠けていたとしても、蓮太郎はここに立つ事は叶わなかったはずだ。だからこそ、彼らの身を(てい)した覚悟を無為にする訳にはいかない。

 リカルドの言った通り、ここで終わらせる。

 この混沌を生み出した黒幕に引導を渡す。

 東京エリアと、そこに住む人々は、誰一人として欠ける事なく朝を迎える。

 それを実現させる事こそ、里見(さとみ)蓮太郎(れんたろう)の揺るがぬ責務(せきむ)であり使命に他ならないのだ。

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