爆砕音が悍ましいほどの頻度で連続する。将監の持つ肉厚の鉄板が、不可視の速度で振るわれ、周囲の岩壁を砂糖菓子のごとく砕き割っていく。生身の人間でしかない三ヶ島には、その一発一発が致命傷となり得る。反射神経をフル回転させて、紙一重で凶刃から逃れていく。
「威勢が良いのは最初だけかあッ!? この程度で俺に勝とうとするなんざ――ずいぶんと舐めた事してくれるなあッ――!!」
「――ッ!」
脚がもつれそうになる三ヶ島の懐へ、一瞬の隙を縫って将監が潜り込んでくる。とっさにMP5の銃口を向けて迎撃しようとするが、将監の方が一手速かった。彼は斬撃ではなく、重戦車のごとき体躯を三ヶ島の胴体へ突っ込ませる。鍛え上げられた筋肉の塊が鳩尾に直撃。肋骨の向こうにある臓器を圧迫し、腹の奥から胃液が逆流する。
「ごッ、ぼあッ――!?」
「――ッ! 社長ッ!」数メートル先にいた咲良がUSP拳銃を跳ね上げ、将監へと発砲していく。
「豆鉄砲が!」と将監が毒づきながら鉄板を逆袈裟に薙ぎ払う。土煙が舞い上がり、空気が滅茶苦茶に攪拌。シェイクされた風圧が、飛来してきた銃弾を残らず叩き落とした。
「……っづッ! 不味いッ……!」と三ヶ島が声を絞り出す。「逃げろッ! 咲良!」
「遅えんだよッ――!!」
――ッドンッ!! と岩肌を蹴り砕きながら、将監が咲良の方へ一直線に突撃していく。音さえ置き去りにするような猛進に、咲良の両目が驚愕に見開かれる。
大質量のバラニウム塊が、咲良めがけて豪快に振り下ろされる。黒づくめの少女は直撃寸前で体を捻りながら、斬撃の軌道上にアタッシュケースを滑り込ませて威力を相殺。そのまま体勢を立て直して将監から距離を取ろうとした瞬間――将監の放った回し蹴りが、土手っ腹へ突き刺さった。勢いそのまま矮躯が弾き飛ばされ、岩壁に背中から激突。赤茶けたキャンバスに真紅の花が咲き、少女の小さな口から同色の液体が吐き出された。
――バラニウムで傷を負った訳じゃない!
――咲良が回復する時間を稼ぐッ!
痛みで痙攣する筋肉を無理矢理制御し、三ヶ島は短機関銃を照準。将監へ向けて銃撃を敢行。一点ではなく各所へ弾をばら撒くようにして弾幕を張りながら、将監を咲良から引き剥がしにかかる。目論見通り、将監は舌打ち混じりに横へ飛び、銃弾の雨あられから逃れた。
そこを好機とし、三ヶ島が踏み込んだ。スーツの内側からバラニウム製のスタンロッドを抜き放ち、将監との距離を詰めていく。
「いつまでガストレアの振りをしているつもりだッ」とスタンロッドを振り上げる。「良い加減目を覚ますんだ!」
振り下ろされたロッドを、将監は鉄板の側面で受け止めながら、「ごちゃごちゃうるせえな」と吐き捨てた。「殺し合いに余計な口挟むんじゃねえよ」
「将監……今の君を見たら……夏世は何て言うだろうね……!?」
その名を出した瞬間、明確に将監の目許がピクついた。「どいつもこいつも……そんなに俺を怒らせてえのか……!?」
三ヶ島はしてやったとばかりに口の端を吊り上げる。「私の知っている君は……その程度の事で我を失うほど愚か者ではなかったはずだ……!」と眼前の巨漢を睨みつける。「君は自分が思っている以上に現実主義者だった。だから夏世の手を取ったんだろう? あの子に、かつての自分の姿を投影しながらも……どうしようもない現実と向き合いながら生きる術を教えたッ……!」
「違う! 俺はあいつに戦いの中に身を置く楽しさを教えてやっただけだッ!!」
「私には、君と夏世が楽しそうに戦っているようには見えなかった」
「何だと……!?」
「そこにしか価値が見出せないから、仕方なく武器を振るっているようにしか見えなかったと言ったんだ。陽の当たる場所で生きられないもどかしさを、血と臓物を塗りたくって隠している――私には君達がそんな風に見えていたよ」
将監が奥歯を噛み砕かんばかりに擦り合わせた。「テメエごときにッ……! 俺達の何が分かる……!?」
「全て分かるさ」当然とばかりに三ヶ島は言った。「私は友人という立場でありながら……君も夏世も救う事ができなかった咎人なのだからね――」
三ヶ島は自由になる左手でホルスターから拳銃を抜き、死角から将監の右脛を撃ち抜いた。破裂音に掻き消されるように将監のくぐもった悲鳴。彼の体勢が崩れたのを見計らって一歩後ろへ――十分な遠心力を加えながら、スタンロッドで左側頭部を叩き抜く。鈍い感触が手首を伝わり、大柄な体躯がよろめいた。
「がッ、ああああッ――!?」バラニウムの再生阻害効果と同時に、強力な電流が将監の脳に流し込まれる。
「咲良! 今だ――ッ!」
三ヶ島が声を張り上げたと同時に、将監の背後からアタッシュケースを振りかぶった咲良が現れる。瞳を赤熱させて、膂力を完全解放した彼女は、渾身の力で腕を一閃。ケースの側面が、将監の顔面を的確に捉えた。顔の骨格を変形させられるほどの運動エネルギーを叩きつけられ、熊のような巨躯が野球ボールよろしく吹き飛ぶ。
三ヶ島は目配せだけで咲良へと合図を送ると、宙を舞う将監めがけてMP5を突きつける。咲良も同様にUSP拳銃を照準する。
重なる銃声。鋭い反動が腕を跳ね上げようとするが、気合いだけで押さえつけて引き金を絞り続ける。網膜を焼き焦がさんばかりの発火炎が絶え間なく瞬き、空薬莢が地面を跳ねる。高密度のバラニウム弾が殺到し、無防備な将監の皮膚を食い破っていく。
短機関銃の残弾がゼロになると共に、三ヶ島と咲良が一斉に飛び退いて距離を離す。弾切れを起こしたMP5の代わりに、再びサブアームの拳銃を構えた。
――どうだ……!?
スーツの内ポケットに仕込ませた注射器の感触を確かめながら、三ヶ島は前方を睨めつける。
――普通のガストレアなら、これで行動不能に陥るはずだ……。
警戒しながらも一歩踏み込んだ瞬間だった。「社長ッ! 避けてッ――!」という咲良の怒号。反射的にその場に倒れ込んだのと、数瞬前まで三ヶ島の頭部があった場所を黒い塊が擦過したのは、ほとんど同時だった。
「なッ……!?」呆ける暇さえなかった。背後で爆音が轟き、岩壁が雪崩れのごとく崩落していく。すぐさま立ち上がって、その場から離れようとしたが、眼前に現れたソレを見て、三ヶ島の僧房が驚愕に見開かれた。
全身から赤黒い体液と、噴煙のような煙を立ち昇らせる将監の姿――。彼は今しがた投擲した鉄板を掴み上げ、両の瞳をさらに輝かせる。あるいは『呪われた子供達』よりも――、あるいはガストレアよりも――。どこまでも赤く赤く――。地獄の炎が煮え滾るがごとく、その三白眼をグロテスクに彩る。
「将、監……?」
「――おおおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ――――!!!!!!」
ドクロスカーフの内側から、肉食獣を思わせる咆哮が響き渡る。およそ音として発せられたとは信じられないほどの衝撃が、地面を、壁を、空気を伝って走り抜け、三ヶ島の鼓膜を荒々しく叩きつけた。
「……づッ――!?」無意識に耳を塞ぎたくなるが、理性がその衝動を押さえつけた。前歯を全力で噛み締めながら、荒ぶる猛獣と化した将監を視界に捉え続ける。
――あの目ッ……! 残っていた僅かな理性もなくなったのかッ……!?
中に通っていた一本の芯が抜け落ちたかのように、将監の四肢の動きがおぼつかなくなる。大きく腰を落として、自らの首で支えるようにしてバラニウムの鉄板を背負う。
「どうやら……将監の中にあるガストレアウィルスが暴走し始めたようだ」
「……どうするのですか? 社長」と咲良の訝しむ視線が向けられた。少女はこめかみから一筋の汗を滴らせながら、「逃げるなら今の内ですよ」と耳打ちしてきた。
「逃げる? とんでもない」同じく顔面に冷や汗を浮かべながらも、三ヶ島の口許には笑みがあった。「ウィルスが将監の意識を抑え込み始めた――言い換えれば、追い詰めているのは私達だという事。それならば止まる理由なんてない。ここで攻め切るんだ」
「……良いんですね」
「ああ。出し惜しみはなしだ」と三ヶ島は自身の襟元に手をかけると、ワイシャツの襟を剥ぐように下ろした。薄っすらと血管の見える首筋が露わになる。「――やってくれ、咲良」
「……承知いたしました」黒づくめの少女は俯いた状態で三ヶ島の背後へ回ると、その細い指で彼の肩を力強く掴んだ。そして――小さな口を限界まで開け、剥き出しにした歯を三ヶ島の首筋へと突き立てる。
「………………――――ッッ!!」三ヶ島の目尻が苦痛に歪む。そんな彼の様子などお構いなしに、咲良はもう片方の手で彼の腕を押さえつけ、僅かな身じろぎさえも許さずに噛みつき続ける。
ジュルジュルと——咲良の口許から何かを啜るような音が響く。色素の薄い唇の端が赤く染まり、そこから糸のように血液が伝っていく。
やがて、こくりと喉を鳴らし、緩慢な動きで三ヶ島の首から口を離す。
「——ああ、本当……嫌になりますよ」ゆっくりと面を上げた咲良は、眉根を寄せた渋面を見せつけながら、手の甲で口許を拭った。擦れた血が引き延ばされ、頬を汚す。不機嫌さを露わにしながらも、少女の目尻はどこか恍惚さを醸し出すように緩んでいる。「本当にはしたない……。私は私の因子が嫌いで嫌いで仕方がないんです。伊熊さん、あなたも知っていますよね……?」
底知れぬ憤懣の炎をその瞳に満讃え、加倉井咲良は、理性を喪失した伊熊将監へと語りかける。
「私は蛭の因子を持つイニシエーター。私にとって吸血は食餌以上の意味を持ちます」
直後、三ヶ島の視界から咲良が消えたかと思えば、将監の眼前へと出現する。一秒未満で距離を詰め切った咲良が、さらに秒針の動きよりも素早くUSP拳銃を構えて発砲。密着する二人の間で光が瞬き、将監の背部から貫通した弾丸と血液が噴出した。
「ガッ、アアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」
「――――ッ!!」
喀血する将監を無視して、立て続けに仕掛けていく咲良。輝く瞳がテールランプよろしく赤い軌跡を描きながら高速移動を開始する。将監を撹乱するかのごとく、周囲を動き回りながら、バラニウム弾を絶え間なく撃ち込んでいく。
細胞の破壊速度に再生速度が追いつかなくなった瞬間、将監の体躯がよろめいた。
咲良が目敏く攻め立てる。一瞬で将監の背後に回り、彼の軸足を蹴りで薙ぎ払う。さらに体勢を崩した将監の後頭部めがけて、体ごと回転させた後ろ回し蹴り――渾身の力で踵を叩き込む。金属同士をぶつけ合わせたかのような甲高い悲鳴が鳴り響いた。
「これで……――ッ!?」確かな手応えを感じていたはずの咲良が、愕然に目を剥く。彼女の視線の先には、細い足首を鷲掴みする無骨な手。振り向き様の将監の眼光が、明確な殺意を伴って少女を突き刺す。「しまッ――」
逃れようともがくが、すでに後手に回ってしまった咲良に抗う術はなかった。濡れたタオルでも振り回すかのように、矮躯が大きく弧を描き、逃れられぬ遠心力で翻弄される。一度上に振り上げてから、超速度で地面へと叩きつけられる。咲良の体がくの字に折れ曲がり、爆砕音を撒き散らしながら地面が陥没。何の弾力性もないはずの肉体がバウンドする。「かッ……!」
将監の手は緩まない。大質量の鉄板がギロチンのごとく振り翳される。
少女の薄い肉体を鈍が両断しようしたその時、三ヶ島が動いた。「将監――――――――――ッッ!!」金切り声と銃声が一纏めになって押し寄せる。鉄板から火花が飛び散り、大音響を撒き散らす。将監の腕ごと鉄板の軌道が逸らされ、振り下ろされた鉄塊は、咲良の真横の地面を抉り潰した。
「おおあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――ッッ!!」
将監に負けじと雄叫びを轟かせ、MP5を放り捨てると、拳銃を撃ちまくりながら突き進む。
――咲良の与えたダメージを無駄にはしないッ。
――これで決める!!
短機関銃に比べて連射性で劣る拳銃では、将監を捉え切れない。放たれた弾丸は将監の表皮に到達する前に残らず破断され、叩き落とされていく。アーク溶断を思わせる燐光が四方八方へ飛び散り、否応なしに水晶体に焼きつく。
三ヶ島は眩さに目を細めながらも、決して将監から視線を外す事はしなかった。
――将監……! もう少しだ……!
装填されたバラニウム弾全てが吐き出された時には、三ヶ島と将監の距離は一メートルを切っていた。
あと一歩踏み込めば届く。
もう救えないと思っていた命。
両手から溢れ落ちてしまった未来。
二度と追いつけないと諦めていた友人の背中に――今なら届く。
左手をジャケットの内ポケットに突っ込み、忍ばせていた注射器を抜き放つ。シリンダーの中に充填された薬液の名称は――AGV試験薬。
四賢人の一人にして、ガストレア研究の第一人者、室戸菫が開発した薬。人間の再生能力を飛躍的に上昇させる効果を持ち、摂取した人間を二〇パーセントの超高確率でガストレア化させる文字通りの劇薬。
しかし、これは本来想定されていた効能ではない。
AGV試験薬――その正式名称はアンチ・ガストレアウィルス試験薬。
元々はガストレアウィルスの増殖を制御するために開発されたが、目的の効果を得られる事なく、失敗した研究物だ。
では――これは何を以って失敗とされたのか。
人類の悲願は言うまでもなくガストレアウィルスの克服である。薬に期待される効果は明白だ。ウィルスに侵され、侵食率上昇が止まらなくなった患者の救済。しかし――
――AGV試験薬はウィルス感染した人間には一切の効果がなかった。
――ガストレアウィルスが人間のDNA情報を書き換える速度に、薬効が間に合わなかったからだ。
三ヶ島は思う。
――だが……!
――将監のようにウィルスの感染進行速度が極めて緩やかになった者へ投与した場合はどうなる!?
靴底が埃混じりの地面をにじった。
将監を射程圏内に捉えた三ヶ島は、逆手で持った注射器の針部分を、巨漢の首筋めがけて突き進ませる。
煌めく針の先端が、浮き出た血管に突き刺さる――その寸前でビタリと三ヶ島の動きが止まった。
「――は」予想外の展開に思考が停止しかけ、一瞬遅れて何が起きたかを理解する。視界の端に映った景色に、背筋が粟立つ。
三ヶ島の左腕が万力のごとく締め上げられている。熊の四肢を思わせる無骨な手が、肘関節すぐ側の前腕を鷲掴んでいた。
液体窒素を直接被せられたような冷たさが全神経を駆け抜ける。反射的に拳銃を跳ね上げたが、すでに遅かった。
――ばつん、と。
将監の恐るべき握力が、三ヶ島の前腕部の筋繊維を引き千切り、その下にある骨格ごと握り潰した。
「があああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ――――――――!?」
三ヶ島の口腔から絶叫が迸る。脳味噌に直接高電圧を流し込まれたのかと錯覚するほどに、頭蓋骨の裏側がスパークする。強引に解体された体組織が悲鳴を上げ、痛覚が限界まで増幅される。脂肪と血液が混ざって乳化したような毒々しい液体が、断面からボタボタと滴り落ちていく。
断裂した前腕が注射器を掴んだまま落下し、粘質な音を立てた。指関節は固定されたまま、薬液の充填された医療器具と共にある。
汚い地面に這いつくばる三ヶ島の頭上から、将監の唸り声が聞こえる。――逃げなければ。本能が喧しく警告を垂れ流してくるが、痛みに隅々まで支配された体は一向に言う事を聞いてくれなかった。
苦痛に耐えるために、力の限り歯を食い縛る。鼓膜の内側でパキリと何かが砕ける音が響いた。砂粒のような感覚が粘液の表面を撫で上げ、それが砕け欠けた奥歯の一部だと悟る。
――不味い……血を……失い過ぎた……。
視界に靄がかかったように霞む。たった数センチ先さえ見通せなくなるほどに、視力が失われていく。
さっきまで右手に握っていた銃把の感触がない。いつ、どこで落としたのかも分からなくなっていた。
――将監……夏世……。
――私は……君達、をッ……。
今でも覚えている。
蛭子影胤テロ事件の終盤――未踏査領域に潜伏した影胤ペア追撃作戦の際の記憶が、鮮明に鮮明に思い起こされる。
あの時、三ヶ島は東京エリア第一区の作戦本部、日本国家安全保障会議にて、聖天子や天童菊之丞といった政府要人、あるいは天童木更といった各民警会社の代表達と共に、作戦状況をモニターし続けていた。
里見蓮太郎ペアが影胤達と対峙する直前、伊熊将監を含む二九人もの民警が、あの仮面の怪人に傷一つ負わせる事すらできずに敗れ去った。三ヶ島ロイヤルガーダーきっての武闘派である将監が、赤子の手を捻るかのごとく、片手間で始末されるのを目の当たりにさせられた。
背中に自らの得物である大剣を突き刺され、ふらふらとした足取りで戦線から逃げ出していく将監を見て、三ヶ島は自身の積み上げてきた価値観が崩れていくのを自覚した。
里見蓮太郎と藍原延珠が影胤ペアを撃破し、『天の梯子』に搭載された線形超電磁投射装置を用いて、東京エリアに侵攻中だったゾディアック・スコーピオンを討ち取ったあと、ほどなくして将監と夏世の戦死の報を聞かされた。
指先に至るまで、体のあらゆる箇所から力が抜けていくかのようだった。
自分自身の選択を何度も後悔した。
いったいどこで間違えてしまったのか。
機械化兵士という存在を実在するものとして知らなかった事か。
行き場を失っていた将監をこの道に引き込んだ事か。
それとも――将監と夏世を引き合わせてしまった事か。
問えども問えども答えは見つからなかった。内から湧き水のように溢れてくる無力感とやるせなさに日々押し潰されながら、意味のなくなった自問自答を繰り返し続けていた。
「……私、はッ……!」残された右腕を縋るように前へ伸ばし、硬い土塊を掴み上げる。這ってでも進もうとする三ヶ島を、佇立する将監は、理性の失われた瞳で見下ろす。
黒々とした鉄板が振り翳され、鈍の刃の照準が三ヶ島へと合わせられる。
絶命へのカウントダウンが始まる。数秒後に三ヶ島の体は上半身と下半身に切り分けられ、そのすぐあとに咲良も同じ末路を辿るだろう。リカルドの友人の忘れ形見である少女を奪い返され、そのまま将監は那須鉱山頂上で鎮座する天秤宮に喧嘩を売るはずだ。
いずれにせよ、三ヶ島の守りたかったものは全て無に帰す。
どうしようもない虚脱感に苛まれながら、意識が彼方へ遠のいていくのを感じる。
諦観が去来し、脳から意識が寸断される直前――暗闇から光が差し込むかのように、ソプラノの声音が響いた。「――駄目――――――――――――ッッ!!」
その静止の声を皮切りに、混濁していた精神が、錘を外されたように水面へ浮上した。
とっさに声の出どころを見やると、そこには一人の少女の姿があった。リトヴィンツェフ一派に相棒のプロモーターを殺され、一人残されてしまったイニシエーター。
リカルドが助けたいと願い、三ヶ島は、その望みを自分が果たすと誓った。
泣き腫らした目許から、さらに大粒の涙を流し、昂ぶった感情で頬を紅潮させた谷塚美梨が、呼吸を荒くしながら、真っ直ぐと将監を見据えていた。
「……夏世……?」言葉を失っていたはずの口から、意味を成す単語を呟かれた。将監の動きが一瞬だけ止まる。
「――――――――――――――――――」
さながら、その瞬間を待ち侘びていたようだった。予備動作なしで跳ね起きた咲良が、口角から血の泡を吹きながらも、巨大なアタッシュケースを振りかぶる。呆気に捉われていた将監の水月に、ケースの角がめり込む。筋肉の内側にある肋骨を粉砕させながら、将監の体が強制的にノックバック。
そこでアタッシュケースの耐久が限界を迎えた。ひしゃげた留め具が割れて口が大きく開く。遠心力に当てられて中に収まっていたものが宙へ投げ出された。
柄の先端から剣先まで、全てが漆黒に輝く金属で成形された大剣。それは将監の背部に突き刺さったものと全く同じデザインをしていた。
「あった……俺の、剣……」うわ言のように溢しながら、三白眼の男は宙空を踊る金属塊へ手を伸ばそうとする。
三ヶ島はその一瞬の隙を見逃さなかった。
欠損した左腕の断面を地面へ突き立て、そこを支えに力を振り絞って起き上がる。潰れた傷口に小石が突き刺さり、抉るような痛みが全身を駆け巡る。転がっていた左腕から注射器を毟り取り、そのまま足許を蹴り抜いた。「――私は夏世に誓ったッ!! 必ず君を取り戻してみせるとッ!!」
痛みも、諦めも、後悔も、怒りも――全てを投げ捨てて、三ヶ島は突き進んでいく。かつて取り零した、たった一つものを取り戻すために。
明滅する視界の中央に伊熊将監を捉えたまま、握った注射器を一直線に振るう。管状の針が将監の首筋に突き刺さり、シリンダー内の薬液をまとめて血管へと流し込む。
直後に、地獄の沼の間欠泉を思わせる絶叫が、一面に木霊した――。