光学迷彩能力により、鳶コートのシルエットを景色へ溶け込ませながら、大正浪漫風の男が後ろへ退がる。それと同時に、ゴシックロリータに身を包んだ少女達が前へと躍り出る。居合い抜きの構えを取ったまま一直線に突っ込んでくるイニシエーター二人の手首から、青白い燐光が迸った。
――来るッ!
斥力フィールド発動の予備動作。
磯貝は骨伝導式のインカムを通して、後方に控えたアサルト5とアサルト6に指示を送ると、さらに、『広野!』とコールサインを叫ぶ。
『了解!』という広野の返事を聞く前に、磯貝は踏み込んでいた。意図を汲んだ広野もすぐさま動く。
直後に、二つの幼い声が重なる。「――『弧状斬・乱流』」鞘から解き放たれた刃が、閃光を纏って振るわれる。一〇メートル近くリーチを伸ばされた斬撃が折り重なって襲来。足許の岩肌を破断しながら迫り来る。
ヘッドギアに搭載された戦闘補助AIが演算を開始。バイザー内側のモニターに回避ルートを表示すると共に、アサルトスーツの下に仕込まれた『強化筋繊維』がフル稼働する。全身の筋肉を締め上げられるような感覚が駆け抜け、身体能力を底上げしていく。
「――……ッ!!」紙一重で一撃必殺の斬撃の奔流を躱しながら、短機関銃を跳ね上げて引き金を絞る。磯貝と広野の銃から発火炎が瞬く。排出された空薬莢が宙を舞い、まとめて吐き出された漆黒の弾頭が少女達を襲う。
転瞬、割れ鐘を叩いたような甲高い音の重奏が響いた。因子の力を解放した少女達が超至近距離で銃弾の雨あられを撃墜していく。
これこそ『呪われた子供達』の本領。殺傷力の具現化とも呼べる、銃さえものともしない戦闘能力。それを目の当たりにしてもなお、磯貝の眼光から戦意の炎が消える事はなかった。
――今だッ!!
ぽんっ! という発射音が磯貝の背後から鳴った。後方に位置取った隊員達が、サブマシンガン下部に取りつけられたグレネードを発射したのだ。缶ジュースサイズの爆発物が放物線を描きながら、敵陣直中へ飛来。そのまま着弾、次いで起爆。紅蓮の炎と爆風が巻き上がった。
『アサルト3、アサルト4! 攻め込め!』磯貝の号令に呼応し、前線にいた隊員達が攻めに転じる。爆煙の目隠しを利用して、濁ったカーテンの向こう岸にいるイニシエーター達を狙い撃っていく。
――攻め役は押さえた!
――そう来ればッ……!
磯貝が腰の鞘からサバイバルナイフを抜き放ったのと、スモークを斬り裂いて日本刀の刀身が現れたのは、ほとんど同じタイミングだった。
打ち鳴らされる剣戟音。ナイフの峰で、薙ぎ払いを受け止める。「――ッづうっ!」
和装の輪郭からスパークを散らせながら姿を現した継麻貞蔵は、引き裂くような笑みを浮かべ、「良い勘をしている」と磯貝を称えた。「ただの人間にしてはな」
左脚を振り上げ、そのまま爪先を磯貝の腹部へ突き刺す。とっさに腹筋に力を入れたが、内臓を圧迫する衝撃が走り抜けた。たたらを踏みながら後退。距離を取るのは許さないとばかりに継麻が詰めてくる。息つく暇もない高速の剣技が磯貝を襲う。
「ぐッ……」苛烈な攻撃に晒され、補助装置を使ってもなお防戦一方に追い込まれる。
継麻の長い手足から繰り出される一撃一撃が、的確にガードの上から重たい衝撃を与えてくる。肘関節がビリビリと痺れ、筋肉に力が伝わらなくなる。
――守勢に回っていてはいつか削り殺されるッ……!
磯貝の眼前で鳶コートが大きくはためき、肉薄してきた継麻が横薙ぎを放つ。磯貝は前傾姿勢を取り、斬撃の下を潜り抜けるようにして突っ込んだ。そのまま継麻の腹部に頭突きをかます。体勢が崩れた瞬間、股座に腕を通し、もう片方の腕で和服の襟を掴み上げた。
「ちッ!」と継麻が舌を鳴らすが、もう遅い。磯貝の口から気合いの大喝が迸り、成人男性の体躯が宙を踊る。背負い投げが炸裂。継麻の背中が地面へと叩きつけられる。「かはッ……!」
間髪容れずに短機関銃を突きつける。さらに継麻の背後からサバイバルナイフを振りかぶった広野も急襲。中距離と近距離からの挟撃。いくら機械化兵士といえど、銃弾を迎撃する術のない人間に対処し切れる道理はない。
銃声が唸り、果たして驚愕に両目を剥いたのは、継麻ではなく磯貝の方だった。「なッ――!?」突如として割り込んできた夏樹が銃撃を残らず斬り伏せる。オレンジ色の火花と金属片が四方へ飛び散った。継麻へ斬りかかろうとしていた広野には、春樹の方が立ち塞がり、イニシエーターの膂力に任せた強烈な一撃を浴びせられて一気に後退させられる。
『広野! 無事かッ!?』
『何とか防御は間に合いました……! それよりもッ……』
イニシエーター二人の足止めはアサルト3と4に任せていたはず。にも関わらず夏樹達が継麻の援護に現れたという事は――。
「あはっ! 弱いくせに生意気だね!」と左結びサイドテールの春樹が、甲高い声で嘲笑してくる。「ただの人間が私達に勝てる訳ないじゃん!」彼女の日本刀の切先からは、ポタポタと赤い液体が滴っている。先ほどの彼女の攻撃を広野は喰らっていない。その血の出どころは火を見るより明らかだ。
『陣形を組み直せッ――! アサルト3と4がやられた!』
磯貝と広野が距離を取るために動く。後方から銃撃が殺到し、二人の撤退を援護しにかかるが、委細構わず、右結びサイドテールの夏樹が突っ込んでくる。「――させませんよ」
横一文字に振り抜かれた日本刀に燐光が瞬くのさえ確認せず、ほとんど脊髄反射で上体を伏せる。頭上を雷鳴のごとき一閃が通過。後ろ走りで銃撃を畳み掛けて反撃するが、中距離での弾幕などイニシエーターには何の脅威にもならない。闇夜に揺らめく赤い眼光と共に日本刀の軌跡が空を走り、その軌道上から幾重にも稲光を散らせる。
短機関銃の薬室から銃弾が消え去った瞬間、それを見計らっていたかのように夏樹が垂直に跳躍した。月明かりを背に刀を振りかぶる。「――『月光刃』」
――不味いッ……!!
背筋を突き抜ける悪寒。もつれそうになる足を強引に制御しながら横合いに飛び込む。直後、収束させた月光を照射させたような煌めきが縦に走る。美しさに目を惹かれそうになったのも束の間。ズガガガガガガガガッッ!! という破砕音を轟かせながら、地上を形作る土塊を両断していく。
回避行動と同時に弾倉交換を済ませていた磯貝は、歯を食い縛りつつ銃口を上空へ向けた。引き金に添えた人差し指に力が込められた瞬間――右肩に灼熱の感覚が弾けた。「ぐッ……!」すぐに継麻のC96から放たれた援護射撃だと悟る。
イニシエーターという強大な戦力を前に、注意力の割き方を誤った。痛恨のミスに後悔が押し寄せる。
空を飛び回る無数のBMI端末のカメラ・アイが、捕食者の鋭利な眼光のごとく磯貝を貫いてくる。
痛覚を根性だけで抑え込み、筋肉に指令を送る。バラニウムとカーボンナノチューブで組成された外づけの人工筋繊維が軋みを上げ、強引に四肢を稼働させる。細胞を捩じ切られるような痛みが上乗せされていくが、無視して短機関銃を構えた。
継麻めがけて応射。さらに角度をつけて広野も横撃を仕掛ける。後方の隊員二人も銃撃を加え、四人分の火力でプロモーターを集中砲火。
しかし継麻の顔色は全く崩れなかった。刹那の内に彼の両サイドへ回り込んだゴスロリ少女達が日本刀を振り回し、全ての弾頭を両断。なます斬りにされた金属片が地面を跳ねる。
瞬く雷光の向こうから、継麻が飛び出す。再びの光学迷彩能力発動――景色と同化していく躯体を見失うまいと目を皿のようにして注視する。
――継麻の狙いは司令塔……!
――それならば好都合!
民警同士の戦いでは、高い戦闘能力を有するイニシエーターよりも、指揮官たるプロモーターを崩すのが定石だという。例に洩れず、継麻は磯貝こそチームの要だと判断したのだろう。
――このまま迎え撃つ!!
『俺がプロモーターを対処する! 広野以下は全員イニシエーターの足止めに集中しろッ!』
弾切れした短機関銃から手を離してスリングだけで肩に下げ、腰のホルスターから拳銃を抜く。右手のみで発砲しながら、もう片方の手でサバイバルナイフを抜き放った。
継麻のいるであろう座標の景色が歪む。おそらくは磯貝が拳銃を照準した瞬間に、銃口から逃れるように動いたのだろう。発射された弾丸は宙を突き進んで彼方へ消えた。
距離を詰め切った継麻が現出、紫電と共に踏み込み斬りを繰り出す。大振りの袈裟斬りを、磯貝は上半身を捩って躱す。耳許で擦過音が過ぎ去り、恐怖が心臓を締め上げた。
高速で流れていく視界の中で、自分を包囲するBMI端末の数を数える。
――五台……!
――三台は継麻、残り二台はイニシエーターのものが一台ずつか……!?
逆手でサバイバルナイフを構えて応戦する。鋭利な刃物で皮膚を裂かれる恐怖。それを強靭な理性だけで抑圧し、継麻に対してゼロ距離のインファイトを仕掛ける。
継麻の懐へ潜り込み、最低限の挙動だけで急所を狙っていく。胸部、喉、顎――一撃が致命傷となり得る箇所めがけて、薙ぎと突きを組み合わせた連撃を繰り出していく。受け太刀のさなか、継麻の眼許がピクリと動いたのを、磯貝は見逃さなかった。
――長い手足と刀を使った剣技は、最適な距離を保ててこそ意味がある!
――自分の間合いよりも内側に踏み込まれれば、リーチの長さは足枷にしかならないッ――!!
継麻を防御に集中させればさせるほど、BMI端末の注意は磯貝の挙動に向く。致命傷を避けるために外づけの目に頼らざるを得なくなる。戦況を広く見渡すためのユニットは、単なる保身のための感覚器官に成り下がる。
焦燥を滲ませた継麻が左腕でC96を持ち上げた瞬間に、ノータイムでナイフの柄底を手首へと打ち込んだ。手根骨へ直撃した持ち手が余す事なく鈍い衝撃を浸透させ、反射的にC96を取り落とさせる。
「しまッ――」継麻の瞳孔に明確な焦慮が灯る。針の穴を通すような僅かな隙。そこを突く。
右腕を鞭のようにしならせ、拳銃を鈍器代わりにして継麻の顎を強打する。意識外から脳を揺さぶられた継麻の軸足が、くの字に折れた。
すぐさまナイフの切先を下に向け、継麻が落とした拳銃へと振り下ろす。底上げされた筋力によって鉄製の銃身がバキリと割れ、銃弾の発射機構を破損させる。
継麻が未だ硬直状態にあるのを確認すると、自動拳銃を照準。直後に、「――貞蔵さんに触るなああああああああああああああッ!!」と甲高い悲鳴。広野達の包囲網を強引に突破してきた、左結びサイドテールの志籐春樹が燐光を湛えた日本刀を手に襲いかかってくる。
『……ッ』と広野の呻き。『隊長ッ!』
『構わない! ここでやる!』
突撃してくる春樹を睨みつけ、磯貝は左手に持ったサバイバルナイフを投げ放つ。
走り込みながら春樹が一閃し、ナイフを明後日の方向へ弾き飛ばした。
ゴシックロリータの少女が一瞬にして肉薄してくる。「グチャグチャの挽肉にしてあげるッ!」と少女の手許から眩い光が爆散。斥力フィールドが殺意の刃を形作った直後――
「――ここだッ!」自動拳銃の引き金を絞る。薬室に装填された弾丸の発射装薬が撃発、破裂音を響かせる。銃砲の螺旋機構から回転しながら弾頭が射出され、亜音速を伴って、延長線上にいる春樹へと迫る。
バイザー越しに映る、可憐な少女の侮蔑に満ちた笑み。この後に及んで拳銃ごときで迎撃しようとした磯貝への嘲りが見て取れた。
フリルのついた袖の輪郭がブレる。イマジナリー・ギミックによって拡張させた斬撃で、銃弾もろとも磯貝を両断する腹積りなのだろう。振り抜かれた刃が飛来する弾の先端に触れ――そのまま武器を弾き飛ばし、春樹の胸を貫いた。
「「――――ッ!?」」その光景を目の当たりにした継麻と夏樹が揃って息を飲む。
「……え……?」何が起きたか分からないといった顔で、春樹が口腔と胸から血を溢れさせる。
三者の反応を無視して、磯貝は即座に銃撃を重ねた。弾丸が少女の柔肌を躊躇なく食い破る。バラニウムの再生阻害効果によって、塞がらなくなった傷口から、とめどなく命の源が流れ出していく。
「てい……ぞう、さん……、おね、えちゃん……」
途切れ途切れの呼びかけを掻き消すように、少女の額めがけて、最後の一発を叩き込む。割れた頭蓋骨の隙間から、砕けた脳漿が飛び散り、矮躯が仰向けに倒れ込んだ。
操縦者の脳波停止を感知したのか、磯貝を注視していたBMI端末一台と、広野達を包囲していた端末二台が一斉に機能を失い、垂直に落下した。ビットも春樹自身も――もう二度と動く事はなかった。どこからともなく絶命した彼女の名を呼ぶ声がした。
継麻達には知る由もないが、SAT隊員達の拳銃には特注の弾丸が装填されている。
バラニウムの含有量を四〇パーセント減らし、その代わりに重金属の一種であるタングステンを練り込んだ合金によって形成された弾丸。鉛と比較して一. 七倍の質量を有するそれによって作られた弾頭は、標準的な銃弾とは比べものにならない運動エネルギーを発揮する。
再生阻害効果こそ通常のバラニウム弾より劣るものの、その質量に物を言わせた破壊力は計り知れない。硬い外殻を持つステージⅣクラスのガストレアさえ問答無用で食い破るほどに――。
出発直前、司馬未織から聞かされた言葉を思い起こす。『――この弾のコンセプトは、「銃撃を撃墜し得る身体スペックを持った相手に対し、強引に銃撃を通す」事。ウチらが想定した仮想敵は高位のイニシエーターや機械化兵士。――つまりは蛭子影胤と里見蓮太郎や』
どれだけ劣勢に追い込まれようと、この銃弾を使わなかったのは、まさにこの瞬間のため。彼らが磯貝達に対して万策尽きたと確信した時、この切り札はこれ以上なく突き刺さる。
「……ッ! よくも春樹をッ――――!!」片割れを失った夏樹が激昂と共に動く。光学迷彩能力を起動して姿を晦ませながら、磯貝めがけて突進――しようとした直後に広野を含む隊員三人が拳銃を抜いて発砲した。鼓膜を穿つ銃声を轟かせ、重金属の弾頭が少女へ押し寄せる。直撃寸前に刀でパリングするが、推進力を殺し切れずに、小さな体が横合いに回転しながら吹っ飛んだ。
磯貝は、すかさず短機関銃に持ち替えて追撃しようとするが、そこで継麻の硬直が解けた。鬼の形相で刀を振り翳した継麻が、コートの裾をはためかせながら踏み込んでくる。「貴様あああああああああああああああッッッ――――――――!!」
「――――ッ!」とっさに短機関銃の側面で刃を受け止めた。鍔迫り合いの形にもつれ込むが、強化筋繊維の稼働能力を凌駕する力で、継麻が押し込んでくる。
――このままでは……!
僅かな逡巡が仇となった。意識の隙間に刺し込むように放たれた膝蹴りが、磯貝の鳩尾へ直撃。筋肉が一瞬硬直し、そこから痙攣。歪な生体電気を読み取った強化筋繊維が誤作動を起こし、意思に反して体を締めつけてくる。
「死ね! この有象無象があああああああああああッッ!!」継麻が咆哮を飛ばしながら再度仕掛けてくる。上段からの斬り下ろし。あの膂力で肉体を撫でられれば、磯貝の胴体は真っ二つにされる事必至だ。
すかさず機器をシャットダウンすると、自由になった右拳を握り込み、今まさに振り下ろされんとしている継麻の左肘めがけて正拳突きを放つ。骨同士がぶつかり合わされ、薄い皮膚が衝撃を殺し切れずに衝撃をダイレクトに神経へ伝える。
与えた微かな痺れが斬撃の起動を逸らした。刀身は磯貝のヘッドギアの表面を削り落とすに留まり、そのまま虚しく宙を薙ぐ。
――攻めるッ!
即座に短機関銃を照準し、引き金を力の限り引いた。しかし不発。先ほど継麻の攻撃を受け止めたせいで内部機構が損壊し、弾詰まりを引き起こしたのだ。内心で毒づきながら鉄屑と化した銃本体を投げ捨てる。
次の一手を考えようとした時、特大のノイズが磯貝の思考を掠めた。
視界の端――一刀の内にアサルト5とアサルト6を斬り伏せた志籐夏樹が、こちらに向かってくる。広野はまだ健在だが、イニシエーターの速度を捉え切れずに距離を大きく空けられている。
夏樹の手許が青く光り、未だ肉薄状態にある継麻も攻撃の予備動作を取る。
強化筋繊維をオフにした事で、ヘッドギアの戦闘補助AIがエラーを吐き出した。回避ルート検出不可――。ディスプレイに表示された文言は、そのまま磯貝に手立てがなくなった事を示している。
『隊長ッ――!!』広野の呼びかけが虚しく鼓膜を震わせる。
死を目前にして、時間の流れが緩慢となった世界のさなか、磯貝は思考を高速で回す。
――まだだ……! まだ……倒れる訳にはいかないッ。
――里見蓮太郎を助けると誓ったんだろう!?
ホルスターに差した拳銃に手を伸ばす。同時にかつての光景がフラッシュバックした。
勾田プラザホテルでの里見蓮太郎追撃戦。年端も行かぬ少年が見せたのは、これまでの磯貝達の鍛錬全てを無意味だったと一蹴するような鬼神のごとき挙動の数々。ブラッククロームのバラニウム製義肢から破裂音を響かせ、不可視の速度で仲間を叩き伏せていく姿。瞬殺されていく仲間を見て、磯貝は刹那の判断で拳銃を抜こうとした。
しかし、拳を交わす超至近距離での戦闘において、磯貝の戦術判断は誤り以外の何物でもなかった。
一瞬で距離を詰め切られ、ホルスターを押さえられると共に、防弾プレートの上から天童式戦闘術より繰り出される発勁を喰らい、意識を刈り取られた。
運び込まれた病院で目覚めてからも――。
櫃間親子が失脚し、全ての事件が収束してからも――。
ただ、ひたすらに考え続けた。
あの時、どうするのが正解だったのかを。
あの黒衣の少年に勝利する未来があれば、自分には何ができただろう。少しでも彼と話す機会を得られれば、彼に協力する選択肢もあったかもしれない。全てがたらればの話となってしまった今でも、何度も何度も考えてしまう。
その仮定の未来を――今ここで掴み取る。
目の前には、真人間を遥かに凌駕する力を有した機械化兵士。交戦距離は一メートルにも満たない。拳銃を抜いて狙いをつけて引き金を絞るよりも、手にした刀を振り抜く方が圧倒的に速いほどに――。
それを実体験により、誰よりも理解した上で。
磯貝は拳銃の銃把を握り込んだ。
直後に時間の流れが元に戻る。時計の針が正常に時を刻み始めた空間の中、それぞれが敵対者を撃滅するために最後の一手を打つ。
そして――。
「――――――――――――――――――――――――ッ!!」
継麻と夏樹が刀を薙ぎ払うよりも速く、磯貝の抜き撃ちが火を噴いた。
ゼロコンマ秒にも届かない一瞬の内に引き金を引き切った拳銃から、火薬の炸裂音が鳴り渡り、強烈な反動が腕を跳ね上げる。通常の交戦距離ならば大きく狙いが外れるところだが、ゼロ距離から射出された弾は寸分の狂いもなく目標へと突き進み、そのまま継麻の腹部を貫いた。爆発的な運動エネルギーを湛える重金属製の弾丸は、皮膚を突き破ってもなお推進力を落とす事なく、内臓と脊椎を粉砕し、背中の表皮さえも食い破って貫通する。
驚愕に両目を見開いた継麻の口から、濁流のごとく血液が溢れ出した。彼の握った刀は、磯貝の命へ届く寸前で取り落とされる。
くず折れる継麻を尻目に、磯貝は夏樹の方へ向き直る。すでに爆散するような燐光が少女を起点に瞬いており、彼女の動揺など関係なく斬撃は飛んでくるだろう。
磯貝は覚悟を決める。
ここで夏樹と刺し違える。何人たりともここは通さない。里見蓮太郎の戦いの邪魔は誰にもさせない。
一歩前へ。僅かな迷いすらも見せずに踏み込む。
涙を滲ませた少女と視線が交差した。一直線に向けられるのは、どうしようもない磯貝への殺意。それを全面に受けながらも、引き金に掛かった指から力が抜ける事はない。
神経を研ぎ澄まし、視界の中央に夏樹を捉える。斥力フィールドの核融合を思わせる閃光が爆発的に膨れ上がり、彼女の感情を象るかのごとく、歪な刃を形成した。
一秒後に自らの上半身と下半身が両断されるイメージに苛まれながら、磯貝は真っ直ぐと銃口を突きつけ、トリガーに掛けた人差し指に力を込める。
その、刹那――。
どこからともなく爆音が轟き、磯貝と夏樹の間に割り込むようにして飛来したライフル弾が大気を切り裂いた。
「「……――ッ!?」」意識の埒外から降って湧いたイレギュラーに、双方の体が硬直する。スイングと斥力フィールド維持のタイミングをズラされた事で、夏樹の攻勢が不発に終わる。空振った腕から燐光が萎んでいく。
――狙撃だと!?
――援軍……!? それとも別の勢力……!?
浮かんだ疑問の答えはすぐさま示された。『――聞こえますか? SATの隊長さん』という幼くも落ち着いた声が、ヘッドギアの内側を震わせる。知らない人物だった。いったいどうやって磯貝達の無線の周波数帯に割り込んだのかは見当もつかないが、透き通るような声色は、こちらの疑念などお構いなしに話しかけてくる。『私はお兄さんの――いえ、里見蓮太郎さんの仲間です』
『あの少年の……!?』そこで磯貝は気づく。いつの間にか――自分達を包囲するBMI端末が増えている事に。
継麻達のものとは正反対の黒いビット。おそらくは材質はバラニウムだろう。先ほどまで対峙していたものとは明らかに異なる複雑な軌道を描いて浮遊するそれは、一瞬にして戦況の雰囲気を塗り替えていた。
『本当は蓮太郎さんに加勢しに行くつもりでしたが、ここであなた方に協力した方が、より優位な状況を作れると判断しました。援護は私にお任せください。その代わり――必ず彼らを仕留めてください』
『……ああ。言われなくとも!』
乱入者の正体を探る余裕など、今のこちらにはない。あの少年の味方だというなら信用するまでだ。
志籐春樹の死体から日本刀を奪い取り、刀と拳銃――付け焼き刃の二刀流で構えを取る。
後退した夏樹が継麻へと呼びかける。「貞蔵さんッ……!」
「――狙撃手を押さえろ! 夏樹!」と和装の男は、口角から血の塊を吐き出しながらも命令を飛ばす。彼の関節から、およそ人間から発せられたとは思えないような機械音が鳴る。銃撃で穿たれた傷口の出血が止まり、背骨が砕けたにも関わらず、手足が駆動を再開する。「その間に僕がこいつらを殺る――!」と転がっていた自身の得物を拾い上げる。
「……っ! 了解、しましたッ……!」
継麻の身を案じながらも、夏樹は指示に従う。踵を返して地面を蹴り抜く。射線から狙撃手の位置を割り出し、一気に射手を潰しに突撃する。彼女のものと思しきBMI端末が二台追従した。さらに狙撃手のものと思われる黒いビットも猛追。
間髪を容れず継麻も動いた。重症具合からは考えられないような神速の薙ぎ払い。磯貝もとっさに刀を当てがって受け太刀する。衝撃に押し飛ばされそうになりながらも気合いで踏ん張り、腰だめに構えた拳銃を、後退しながら連続で発砲。続けざまの激甚な反動と共に、銃口から殺意の塊が吐き出されていく。
継麻が躱す事を前提に次の手を組み立てていた磯貝は、そこで二度驚愕を味わう羽目になった。
ギャリギャリギャリイィッッ!! という金属同士の衝突音を響かせながら、振り回された刀がタングステン合金の弾頭を斬り潰していく。際限なく増大していく爆光が、ヘッドギアのシールド越しに網膜を焼く。「なッ――!?」
イニシエーターの筋力すら突破する破壊力の暴風に晒されてもなお、継麻の脚は止まらない。押し寄せる殺意の礫を次々と撃墜しながら、磯貝めがけて進軍していく。
――人工筋肉を始めとする生体部品をオーバークロックしたのかッ!?
浮かんだ推測を自分で否定したくなった。人間の限界を超えた性能の引き出し。それはつまり機械の稼働許容範囲を超える運用をするという事だ。機械化兵士達は、自らの臓器など生命維持に必要不可欠な部位を人工物に置き換えている者も多い。そんな無茶を通せばどうなるか――それは本人が一番良く理解しているはず。
「僕達は――ッ!」と金属音にも劣らぬ声量で継麻が捲し立てる。「僕達こそが次世代の最高傑作なんだ! ハミングバードでもソードテールでもダークストーカーでも――ましてやネストでもないッ!! 夏樹も春樹も、お前達のような無能力者に負ける失敗作なんかじゃないッ! 里見蓮太郎を討ち取ってそれを証明するまで、僕は倒れる訳にはいかないんだよッ!!」
再び距離が詰まり切る。
限界値を超えた筋力で振り抜かれた刃が、磯貝の持つ日本刀の峰にぶち当てられる。クレーンで振り回された鉄骨を叩きつけられたような重みが、腕全体の骨格を軋ませる。
押し込まれながらも、磯貝も負けじと声を荒げた。「そんな理由で東京エリアの平穏を脅かしたのか!? ガストレアを壁内に解き放って、罪のない市民に危害を加えたのか!? その利己的な目的のために里見蓮太郎と藍原延珠を悲しませたのか――ッ!?」
「お前ごときに僕達の何が分かるッ――!!」
怒気に任せた一閃。もはや軌跡しか視認できぬ一撃は、反射的に掲げた刀のガードを上から粉砕し、その先にいた磯貝の左肩を深く斬り裂く。砕けた刀の欠片と裂傷から噴き出した鮮血が、闇夜を赤く照らし出した。
磯貝は、激痛を溢れ出るアドレナリンで無理矢理誤魔化し、すかさず照準した拳銃を撃つ。ゼロ距離で放たれた銃撃が、継麻の得物の側面にクリーンヒット。先刻の銃弾迎撃によって耐久性が低下していたためか、バラニウム製の日本刀はあっけなく砕け折れた。
――これで継麻の武器はもうない!
――残弾は薬室にあと一発……これで仕留めるッ!!
立て続けの反動のせいで痙攣し始めた右手に、なけなしの気力を絞り込んで稼働させる。銃口が継麻の心臓部を捉えたのと、彼が宙を舞う日本刀の先端部を掴んで筒口に突き立てたのは全く同じタイミングだった。
「――……ッ!」絶好の機会を潰された磯貝のこめかみから、脂汗が噴出する。
互いに丸腰。しかし継麻にはまだシェンフィールドのコピー能力由来のBMI端末がある。
対して磯貝には文字通り何もない。
短機関銃を失い、ナイフを失い、強化スーツは使いものにならなくなり――今しがた拳銃をも失った。
未だ覆らぬ圧倒的不利。
その非情極まる現実を全身に叩きつけられながら、磯貝は銃を捨て、雄叫びを上げながら右拳を握り込んだ。
そうだ。まだ自分には、この鍛え上げた肉体がある。最後の最後に自分を信じられずにどうする。自分は警察組織の抱える最精鋭部隊の一員ではなかったのか。
裂けた筋繊維の隙間から血が噴くのも構わず、ブーツの底で土をにじる。
踏み込んでくる磯貝を見て、継麻の方も殴り合いの腹を決めたようだ。ズタズタになった手のひらを握る。雷光を蓄電したような鋭い眼光が、こちらを真っ直ぐと射抜いてきた。
踏み込みと同時に腰を捻り上げ、拳を振りかぶる。
浮遊する三つのビットに嵌め込まれたカメラ・アイが、磯貝の一挙手一投足さえ見逃すまいと睨めつけてくる。継麻の方が詰め寄ってくる気配はない。明らかなカウンター狙い。磯貝の拳が空振ったところを確実に刺すつもりなのだろう。
「――……これで、俺達の勝ちだ」磯貝の冷静な宣言が洩れ出る。その言葉を果たして継麻貞蔵はどう受け取っただろうか。
直後に四方八方から飛来したバラニウム弾が、継麻の操るBMI端末全てを撃ち抜いた。拡張した視界が狭まり、反撃の要を突如として失った継麻の動きが鈍る。「――な、に……!?」
『――隊長、あとは任せましたよ』『俺らにできるのはここまでです』『この一勝だけは譲る訳にはいかねえんですわ』『これで少しは借りを返せましたかね』『十分過ぎる戦果ですよ』
インカムから広野を始めとする隊員達の声がした。負傷しながらも、最後の力を振り絞って磯貝を援護した彼らの声色はどこか誇らしげだった。
言いようのない悲哀と失意を滲ませた継麻の相貌を凝視しながら、磯貝は全ての力を乗せた拳を振り抜いた。互いの肉と骨が鈍い音を響かせ、顔面を強打された継麻の躯体が背中から地面に叩き伏せられる。
「……ちくしょう」ごぼりと粘質な体液を吐き出し、継麻の全身から力が抜け落ちた。止血されていた傷口から堰を切ったように血が流れ出す。
ただ一つ――戦場に残った志藤夏樹のビットだけが、その様子を静かに見下ろしていた。