ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 この身に巣喰(すく)う忌(い)まわしき因子は、自分達を不幸のどん底に追いやりながらも、決して楽に死する事を許してはくれなかった。

 夏樹(なつき)は感覚のなくなりかけた首の筋肉をぎこちなく動かし、すぐ隣に横たわる双子の妹を見やる。ボロ布を被っただけのような装(よそお)いに、煤(すす)だらけの薄汚れた肌。飴色(あめいろ)の髪は碌(ろく)な手入れもされずに伸び放題で、さながら野生の獣のようだった。そんな春樹(はるき)の姿を眺(なが)めながら、おそらく今の自分も同じ見た目をしているのだろうと省(かえり)みる。

「……お姉ちゃん」と春樹がこちらを見ずに呼びかけてきた。「……凄く、寒いよ。いつになったら温(あった)かく……なるの……?」か細く吐き出される息は苦痛に塗れており、いつ途切れてもおかしくなさそうだった。

「……もうすぐだよ。きっと……」そう答えながらも、夏樹自身、いつその時が訪れるのかは分かっていなかった。

 体(・)内(・)に(・)ガ(・)ス(・)ト(・)レ(・)ア(・)ウ(・)ィ(・)ル(・)ス(・)を(・)宿(・)す(・)自(・)分(・)達(・)が(・)、致(・)命(・)傷(・)を(・)受(・)け(・)て(・)か(・)ら(・)絶(・)命(・)す(・)る(・)ま(・)で(・)に(・)残(・)さ(・)れ(・)た(・)時(・)間(・)な(・)ん(・)て(・)、正(・)確(・)に(・)分(・)か(・)る(・)は(・)ず(・)が(・)な(・)い(・)の(・)だ(・)。

 ゴミの臭いに混じって、生臭い臓器の臭気(しゅうき)が鼻腔(びこう)を舐(な)める。吐き気が込み上げてきたような気がするが、もちろん吐き出せるものなんてない。もう夏樹の胃は原形を留めてはいないのだから――。

 引き千切られた腹部からは今もなお血液がとめどなく流れ出し、ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた臓器の欠片が周囲を乱雑に彩(いろど)っている。

 一言で言えば油断していた。

 一方的に虐殺(ぎゃくさつ)される事を受け入れなければ、『呪われた子供達』である自分達の命を脅かせる人間など、一般人にはいない。窃盗(せっとう)や強盗(ごうとう)をいくら働こうが、この赤く輝く瞳(ひとみ)を露(あら)わにして少しばかり脅せば、誰もが泡を食ったような顔をして逃げ出した。

 何が『奪われた世代』だ。本来向けるべき怒りの矛先(ほこさき)さえ間違え、立ち向かう勇気もないくせに夏樹達を忌避(きひ)する。そんな文字通りの愚者(ぐしゃ)共。少しくらい食い物にしたってバチは当たらないはずだ。

 そう――思っていたのに。

「……どこで……間違えたのかな……?」と夏樹(なつき)はひとりごちる。言葉にして疑問を呈(てい)しながらも、本当は分かっていた。答えは最(・)初(・)か(・)ら(・)だ(・)――。ガストレア因子(いんし)をこの身に宿(やど)して生を受け、産みの親から捨てられた時点で――何もかもが修正できないほどに狂ってしまっていた。

 自らの置かれた立場を甘んじて受け入れ、IISOに保護される道を選んでいれば、まだ何かしらの道はあったのかもしれない。だが夏樹はその選択を拒(こば)んだ。自分を――あるいは妹を捨てた『人間』達を信じて、その下につくなど到底(とうてい)容認(ようにん)できなかったのだ。

 大人の加護(かご)などいらない。自分が妹を守る。二人だけで、このクソったれな世界を生き抜いていく。そう心に強く誓(ちか)った。

 なのに――。

 その結果が、これだ。おそらく自分達は『人間』にとって超えてはならないラインを超えてしまったのだろう。どこから派遣されてきたかも分からない民警(みんけい)ペアに追い立てられ、最終的にはイニシエーターの凶刃(きょうじん)によって致命傷を刻(きざ)まれた。

 脳裏(のうり)に焼きついたイニシエーターの表情が忘れられない。黒いドレスのようなフリルつきワンピースに身を包んだ黒髪の同族。赤い瞳(ひとみ)を隠すつもりもなく爛々(らんらん)と輝かせ、残酷なまでに無邪気な笑みを張りつけて二刀(にとう)の小太刀(こだち)を振り回す姿――。プロモーターと思われる燕(・)尾(・)服(・)を(・)着(・)た(・)仮(・)面(・)の(・)怪(・)人(・)と共に、阿吽(あうん)の呼吸で夏樹達を追い詰めていく様は、いっそ美しくもあった。

 這々(ほうほう)の体(てい)で下水路に逃げ込み、追跡を振り切ったが、もはや命の灯火(ともしび)は掻(か)き消える寸前(すんぜん)だった。

 霞(かすみ)がかってきた視界の中央に、明滅(めいめつ)する裸(はだか)電球のシルエットが浮かび上がる。無機質な光源(こうげん)を呆然(ぼうぜん)と眺(なが)めていると、なけなしの意識が彼方(かなた)に飛んでいきそうだった。

「……ごめん」と謝罪の言葉が口を突(つ)いて出ていた。意思に反して、声は小刻(こきざ)みに震(ふる)える。「頼りないお姉ちゃんでごめんね……春樹……。私がもっと上手くやれていれば……」

「そんな事……ないよ」春樹の声音も同じく震えていた。「お姉ちゃんは……何度も私の事、守ってくれたよ……? だから……そんな事言わないで……」

「春樹……」

「私……生まれ変われるなら……またお姉ちゃんの妹に……なりたいな。今度は『呪われた子供達』なんかじゃなくて……普通の、女の子として……――」

 

「――ふむ。それは良い事を聞いた。その願い、来世(らいせ)ではなく今世(こんせい)で叶(かな)える気はないか?」

 

 沈(しず)んだ空気を吹き消すかのように、地下道に響(ひび)く男の声。革製(かわせい)のブーツの底を高らかに鳴らしながら、長身のシルエットが近づいてくる。

「……誰?」

「継麻(つぐま)貞蔵(ていぞう)」躊躇(ためら)いなく男は名乗った。和服の上から鳶(とんび)コートを羽織(はお)った時代錯誤(さくご)な男は、死にゆく寸前(すんぜん)の夏樹達を、憐(あわ)れむでもなく、邪険(じゃけん)にするでもなく、ただそこにいる者として見下(みお)ろしてくる。「先ほど君達が襲撃されているところを見ていた。よくぞこの怪我で逃げ切れたものだ。おかげで探し当てるのに少しばかり時間を食ってしまった」

 夏樹は露骨(ろこつ)に顔をしかめる。死にゆく自分に、まだ他人への悪感情(あくかんじょう)が抱(いだ)けるほどの情緒(じょうちょ)が残っていた事に少しばかり驚く。「……それで」とぶっきらぼうに言う。「もうすぐ死ぬ私達に、いったい何の用ですか……? 見せ物にしたいなら他を当たっていただけますか? 私は妹と二人で死にたいんです」

「ははっ。実に良い」辛辣(しんらつ)な言葉を投げかけられてもなお、継麻(つぐま)はどこか嬉しそうだった。「今際(いまわ)の際(きわ)に置かれても、その胆力(たんりょく)。実に見込みありだ」

「…………」このコスプレ野郎は頭がおかしいのだろうか。夏樹(なつき)は内心(ないしん)で嘆息(たんそく)してしまう。なぜ、よりにもよって人生の最期(さいご)に、こんな不可解(ふかかい)な男と対峙(たいじ)せねばならないのか。

 和装の変人は、ひとしきり笑ったあと、真剣(しんけん)な眼差(まなざ)しで夏樹を見やった。突然の態度の変化に、思わず息を飲む。

「さて。そろそろ時間もない。本題に入ろう。詳細(しょうさい)は省(はぶ)くが、今、僕はとある実験の被験者となる者を探している。人間でも『呪(のろ)われた子供達(こどもたち)』でも、どちらでも構わない。ただ一つの条件は、死(・)の(・)瀬(・)戸(・)際(・)に(・)追(・)い(・)詰(・)め(・)ら(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)事(・)」

「……まさに私達の事ですね」

「その通り!」継麻のテンションが上がる。「まさに理想通りの実験台。いつかの僕を思い出す」

 彼の言(げん)に引っ掛かりを感じて、夏樹は無意識に問い返していた。「いつかの……あなたと……?」

「ああ、そうだ。僕も君らと同じだった」と自身の腹部(ふくぶ)を軽く小突(こづ)く。「生まれ持った肉体の一部を失い、死への秒読みを数えるだけの身だった。だが僕はその運命を踏(ふ)み躙(にじ)り、乗り越えた。僕は生まれ変わったのさ。バラニウムの生体部品をその身に組み込んだ機械化兵士として――」

「機械化……兵士……?」知らない単語に、疑問符(ぎもんふ)が浮かぶ。

「そうだ。人間でも『子供達』でもない、新たな生命の在(あ)り方――少なくとも僕はそう捉(とら)えている。君達は生来持つガストレア因子(いんし)を呪っているだろう? 吐き気を催(もよお)すほどに忌(い)まわしく、そして憎(にく)らしいと――」

 誰にも晒(さら)け出した事のない心の最奥(さいおう)を、無遠慮(ぶえんりょ)に弄(まさぐ)られている感覚がした。なのに――不思議とそこに不快感はなかった。気づけば継麻の次の句(く)を待っている自分がいる。

 それを知ってか知らずか、和装(わそう)の男は口の端(はし)を吊(つ)り上げて、「僕の手を取れ」と不敵(ふてき)に笑った。「君の持つ固定観念(こていかんねん)の全てを壊してやろう。そして君の望むもの全てを与えてみせる。さあ言ってみるんだ。君は何が欲しい?」

「……本当に……何でもくれるんですか?」

「もちろんだ。君達を虐(しいた)げた人間や社会に復讐する力。自身の我(が)の赴(おもむ)くままに振る舞える立場。それ以外にも――」

「――帰る場所が欲しい」

「……!」

 夏樹(なつき)の発した願望(がんぼう)に、継麻(つぐま)の眉(まゆ)が驚いたように持ち上がる。

「……こんな自分でも……生きていて良いんだって思える場所が欲しい……」涙混(なみだま)じりの声が堰(せき)を切ったように溢れ出す。「もう……嫌なんです。誰かからの恨(うら)みと引き換えに生きるのは……! 毎晩、冷たくて汚い床で寝るのも……! 敵意を向けられながら街を歩くのもッ……! 自(・)分(・)達(・)が(・)生(・)き(・)て(・)ち(・)ゃ(・)い(・)け(・)な(・)い(・)存(・)在(・)だ(・)と(・)自(・)覚(・)し(・)な(・)が(・)ら(・)生(・)き(・)延(・)び(・)続(・)け(・)る(・)日(・)々(・)が(・)……苦しくて苦しくて仕方がないんですッ……!」

「……それが君の望みか」

 夏樹は首肯する。「……私はただ……平穏な世界で春樹と生きたいだけ。それ以外望むものなんてない。継麻さん……あなたは……私達の帰る場所を与えてくれるんですか……?」

「…………」継麻はしばし無言を貫(つらぬ)いたのち、懐(ふところ)から携帯端末を取り出して耳に当てた。「こちら継麻貞蔵(ていぞう)。捜索対象が見つかった。すぐに医療班を寄越(よこ)してくれ。……ああ。彼女達に機械化施術を受けさせる。すぐに手術の準備を。両名ともに内臓の致命的損傷が見られる。ちょうど『グリューネワルト・モデル』の実験台を探していたな。斥力(せきりょく)フィールド発生装置を組み込むのに最適な検体になるはずだ。――良いか。必ず成功させるんだ。四賢人(よんけんじん)を超えるのがお前の望みだろう。ヴェルナー・ギレスベルガーよ」

「……誰、ですか」

「他人の身体(からだ)を弄(いじくり)り回すのが生きがいの変態だな。だが腕は確かだ」

「その人に任せれば……私と春樹は、まだ生きていられるんですか……」

「――『われわれはいわば二度生まれる。一度目は生存するために。二度目は生きるために』」

「……?」

 継麻(つぐま)が不意に呟(つぶや)いた難解な文言(もんごん)の羅列(られつ)に、夏樹は目を細める。

「ルソーだ」と継麻は言う。「この言葉はまさに今後の君達にぴったりだろう。消えかかった命を繋(つな)ぎ止め、そして生きる意味を見出(みいだ)すために道を歩(あゆ)む。拾(ひろ)った命に価値を与える。つまり、これからの人生を胸を張って『生きた』と言えるかどうかは君ら次第(しだい)という事だ」

 和装の男はその場でしゃがみ込むと、夏樹を真っ直ぐと見据(みす)える。

「君がそうしてくれたように、僕も誠意(せいい)を表して正直に言おう。今の僕の立場では、君達の望む平穏(へいおん)を授(さず)ける事はできない」

 ――嘘つき、という罵倒(ばとう)を寸前で飲み込んだ。改めて説明されるまでもなく、何となく分かっていたからだ。バラニウムを体に組み込んだ機械化兵士――誰がどう聞いても、戦うための存在以外の何物でもない。継麻は最初から包(つつ)み隠さず話していた。それを聞いた上で、叶わぬ無茶な願いを請(こ)うたのは他(ほか)ならぬ夏樹自身だ。

「だが約束しよう」と継麻は続ける。「いつか君達を陽(ひ)の当たる場所へ送り届けてみせる。それまでは僕が君達の帰る場所となろう。あらゆる脅威(きょうい)から君達を守り通し、煌(きら)めく未来へと導いてみせる。――絶対にだ」

 

 

 鋭利(えいり)な風切り音を全身で浴(あ)びながら、夏樹(なつき)は走馬灯(そうまとう)のように浮かんできた記憶に顔をしかめる。

 ――何で……。

 ――こんな時に昔の事を……。

 すでに継麻の――延(ひ)いては夏樹達の願いが成就(じょうじゅ)する事は永遠にない。物言わぬ死体と化した妹の存在が、その事実を否応(いやおう)なしに突きつけてくる。

 強者に抗(あらが)う事こそが、この行き詰まった世界と対峙(たいじ)するための一つの道標(みちしるべ)だった。その先に掴(つか)み取れる何かを見据(みす)えていたからこそ、あらゆる痛みに耐える事ができた。

 ――……でもッ……。

 薄(うす)れる。掠(かす)れる。そして――消(き)える。

 自分達を結びつけていた全てが。僅(わず)かな綻(ほころ)びが全体へと広がって、そのまま霧散(むさん)していくような感覚――。

 五翔会(ごしょうかい)最大の不穏(ふおん)分子(ぶんし)となりつつある里見(さとみ)蓮太郎(れんたろう)。あの少年さえ消し去れば、自分達の未来は確約されるはずだった。それ以外は障害にさえならない、単なる通過点のはずだった。

 そのはずなのに――。

 今、夏樹達を追い詰めているのは、路傍(ろぼう)の石ころと切って捨てた無能力者達。かつて里見蓮太郎(機械化兵士)に敗北した有象無象(うぞうむぞう)に過ぎない者達が、夏樹達の心臓に銃口を突きつけている。

「……ッ!」砕けんばかりに奥歯を噛み締める。神経を擦(す)り潰すような痛みが口の奥から駆け抜け、分泌(ぶんぴつ)された脳内麻薬(のうないまやく)が、茹(ゆだ)った頭を微(かす)かに落ち着かせる。

 ――まだ……!

 ――まだ貞蔵(ていぞう)さんは生きているッ……!

 一台残してきたBMI端末は、今もなお対峙する継麻とSAT隊員を映し出している。

 自分にできる事はただ一つ。

 ――すぐに狙撃手を落として貞蔵さんに加勢する!

 乱入してきた何者かの当(・)た(・)り(・)は、すでについている。弾丸と共に戦場へ飛び込んできたバラニウム製のBMI端末――。ビットを観測手(スポッター)として狙撃を行う機械化兵士など、夏樹の知る限り一人しかいない。

 ティナ・スプラウト。

 四賢人(よんけんじん)たるエイン・ランドが『NEXT』計画にて生み出した、イニシエーターと機械化兵士のハイブリッド。その実力は、ほぼ単独での戦果のみでIP序列元九八位という肩書きが証明している。

 廉価版(れんかばん)ではなく、フルスペックのイニシエーター産機械化兵士。彼女の扱うオリジナルの『シェンフィールド』は、夏樹達のコピー能力では観測(かんそく)し得(え)ないあらゆる情報を測算(そくさん)、分析する。

 この『神算鬼謀(しんざんきぼう)の狙撃兵』の射程距離内で、彼女に競(せ)り勝つのは実質的に不可能だ。

 ――だから……近づき切る!

 夏樹の目線が、高所(こうしょ)から自身を捉(とら)える銃口を見据える。ティナがいるのは採掘場(さいくつじょう)をぐるりと取り囲む断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)の上。ここからの距離は、目測(もくそく)でおよそ四〇〇メートルほど。自分の脚力(きゃくりょく)であればすぐに詰め切れる。そう確信した夏樹は、さらに力を解放。一直線に狙撃手めがけて突っ込んでいく。

 瞬間、遠方で雷鳴(らいめい)のごとき銃撃音が轟(とどろ)いた。対物ライフルから放たれた大口径弾が亜(あ)音速で飛来。だが夏樹の赤い目は、その軌道を見逃さなかった。「――……ッッ!!」速度を落とさず上半身の僅(わず)かな捻(ひね)りだけで銃弾を躱(かわ)す。背後で土煙と爆音が同時に湧き上がるが、その全てを意識の彼方(かなた)へ追いやり、突撃を敢行(かんこう)する。

 ――あと一〇〇メートル……!

 二発目は撃たせない。佇立(ちょりつ)する岩肌が眼前に差し迫った瞬間に跳躍(ちょうやく)。垂直に聳(そび)え立つ崖(がけ)の凹凸(おうとつ)を足場にして登っていく。

 幾度(いくど)めかのジャンプで頂上へと到達(とうたつ)――一気に視界が開け、眼下(がんか)に未踏査(みとうさ)領域(りょういき)の樹海(じゅかい)が広がる。

 ――いた……!

 そして見つける。巨大なバレットM82ライフルを構えるドレス姿の少女を。赤熱(せきねつ)させた二対(につい)の眼光が交差する。

 金髪の少女が懐(ふところ)から拳銃を抜くのを視界の端(はし)に収めながら、夏樹(なつき)も得物(えもの)に手を掛(か)ける。ルーティンワークと化した挙動(きょどう)を合図に、イマジナリー・ギミックを発動。手許(てもと)で爆光(ばくこう)が膨(ふく)れ上がる。

 短期(たんき)決戦(けっせん)だ。ここで殺す。

「弧状斬(ヴォーゲン・シュナイデン)――ッッ!!」溜(た)めた光を解放するように、鞘(さや)から刀身を抜き放つ。刃(やいば)を象(かたど)った斥力(せきりょく)フィールドが、ティナめがけて一気呵成(いっきかせい)に押し寄せる。

 同時に光学迷彩(マリオット・インジェクション)を起動。ティナの『シェンフィールド』で補足されているため、効果は僅かだろうが、多少の目晦(めくら)ましにはなるはずだ。

 ティナがドレスの裾(すそ)を翻(ひるがえ)しながら斬撃から逃れ、体勢が崩れた隙を突くように夏樹は距離を詰めた。そのままティナの顎(あご)めがけて、日本刀の柄底(つかぞこ)を――

「――掛(・)か(・)り(・)ま(・)し(・)た(・)ね(・)」「……ッ!?」

 叩き込もうとした寸前で、振り抜いた腕の動きがビタリと止まる。一瞬遅れて皮膚に鋭い痛み。破れ落ちた袖(そで)の生地を見て、夏樹は何が起きたかを看破した。「……ピ(・)ア(・)ノ(・)線(・)ッ――!?」

 金髪の少女が右手に嵌(は)めた黒手袋――それに付属(ふぞく)した金属製の輪っかから、月光を反射する細い糸が伸びていた。

「くッ……!」狼狽(ろうばい)を露(あら)わにした夏樹が手を引っ込めた瞬間、ティナの追撃が炸裂(さくれつ)する。突きつけられた銃口から絶え間なくマズルフラッシュと発砲音が重なった。とっさに刀を振り回すが、至近距離で展開された弾幕(だんまく)の圧(あつ)に押し負ける。四肢にバラニウムの弾頭が食らいつき、細胞を引き千切(ちぎ)られる感覚が夏樹を襲う。

 コンディションを乱された影響をモロに受け、光学迷彩が解除される。展開したビットの一つがティナの弾倉交換(リロード)の挙動を確認、背中に悪寒。このままでは押し切られる。半ば確信にも近い敗北のビジョンを想起(そうき)し、無我夢中(むがむちゅう)で地面に手を翳(かざ)す。

 ティナが撃鉄(げきてつ)を起こすタイミングで、夏樹(なつき)も斥力(せきりょく)フィールドを爆散させた。瞬間的に膨張(ぼうちょう)したエネルギーが土塊(つちくれ)を粉砕し、粉塵(ふんじん)と瓦礫(がれき)を巻き上げた。天然の防壁(ぼうへき)が殺到した銃弾をまとめて叩き落とす。

「たまたま成功作になれただけの奴がッ! 私達の邪魔をするなあああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――ッッッ!!」

 ノータイムで刀に手を掛け、纏(まと)わせた斥力フィールドと共に薙(な)ぎ払う。二人を隔(へだ)てる煙幕(えんまく)のカーテンが一刀の内に斬り裂かれ、必殺の斬撃がティナへ迫る。

「――……え?」

 だが。

 そこで夏樹は目の当たりにした。

 開けた視界の中央――猛禽類(もうきんるい)を思わせる鋭利(えいり)な眼光でこちらを射抜(いぬ)きつつ、対物狙撃銃(アンチマテリアルライフル)でこちらを照準するティナ・スプラウトの姿を。

「――――――――――っ!?」脳細胞(のうさいぼう)を震わせる生存本能のアラート。しかし警笛(けいてき)を鳴らすには余りにも遅過ぎた。鼓膜を破裂させるような爆音がゼロ距離で爆(は)ぜる。

 放たれた大口径のバラニウム弾が斬撃と衝突。殺意を孕(はら)んだ燐光(りんこう)を、無害な光の粒へと変え、その先に佇(たたず)む夏樹めがけて突っ込んでくる。

 死。

 自らの運命を決定づける絶対的な一文字に、抗(あらが)う暇(いとま)もなく思考が上塗りされていく。

 自身の迎える末路(まつろ)を自覚させられ、圧縮された時間の中、静かに目を閉じる。そして瞼(まぶた)の内側に映し出されたのは、今まさにあのSAT隊員と対峙(たいじ)する継麻の姿だった。戦場に残してきた一台のBMI端末が、二人の男の激突を鮮明に映写(えいしゃ)する。

 互(たが)いの右拳(みぎこぶし)が交わる寸前(すんぜん)、あらゆる角度から飛来(ひらい)した弾丸が、継麻の操る端末を一台残らず撃ち落とす。

 硬直(こうちょく)する継麻。最初で最後の好機(こうき)を掴(つか)み取るために踏み込む隊員。

 鬼気(きき)迫(せま)る相貌(そうぼう)で、握り込んだ拳を振りかぶる隊員を、継麻は哀惜(あいせき)を含(ふく)んだ目で見やり――次いで、その双眸(そうぼう)は夏樹の繰るビットのカメラ・アイへと向けられた。

 継麻の唇(くちびる)が動く。音声の送受信機能を持たないはずのBMI端末は、しかし明瞭(めいりょう)に彼の最期の言葉を捉えていた。

 

 ―― い き て く れ 。

 

 直後に顔面へと突き込まれる拳。叩き伏せられる継麻を視界に収め、夏樹は慟哭(どうこく)と共に開眼(かいがん)する。

 直撃寸前で体を捩(ね)じ切れんばかりに捻(ひね)り上げ、大口径弾の軌跡から逃れる。夏樹の薄い胸を貫(つらぬ)くはずだった弾は、彼女の右肩の付け根に食らいつき、関節を粉砕。千切れた右腕が、握り込んだ日本刀と共に彼方へと飛んでいく。肉片と血煙(けつえん)が放射状(ほうしゃじょう)に撒(ま)き散らされ、落雷(らくらい)を直接体内に流し込まれたような激痛が走り抜けた。

 失った四肢の感覚に想いを馳(は)せる事すらせず、夏樹は踵(きびす)を返して一気に駆け出した。陽動(ようどう)代わりに残った二台のビットをティナへと差し向け、手のひらから放出した斥力フィールドで追撃を牽制(けんせい)。断崖(だんがい)絶壁(ぜっぺき)の縁(ふち)へと辿り着くやいなや、迷わず飛び降りた。

 重力に従(したが)って加速し、落下していく矮躯(わいく)。猛スピードで視界に迫ってくるのは、未踏査領域の暗く深い樹海の景色だ。あらゆる生命を飲み込み尽くすような暗色の絨毯(じゅうたん)を目の当たりにし、これが地獄の景観(けいかん)なのかもしれないと内心で溢(こぼ)していた。

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