リカルドの八九式小銃が唸りを上げる。コンテナ倉庫全体に重なった銃撃音が反響し、目を焼き焦がさんばかりの銃口炎がぶち撒けられる。弾幕に紛れるようにして曲刀を振り翳した里緒が、マーク・メイエルホリドへと迫る。
二方向からの挟撃。マークは銃撃をコンテナの陰に潜り込んでやり過ごし、すぐさまVSK小銃の銃口を突き出して応射。面食らった里緒が靴底を擦らせながら急停止し、殺到したバラニウム弾を曲刀で叩き落とす。怪音と火花が散り、物量から繰り出される運動エネルギーに押し負けてノックバックする。
その隙にマークが大きく動く。コンテナの突起や閂を足場にして、パルクールのごとき俊敏な動きで天板まで登り切ると、体を反転させながら高所から照準。「不味いッ――!」間髪容れず銃弾の雨が降り注ぐ。
全身の血液が瞬間冷却されるのを感じながら、とっさに床へ倒れ込んで転がる。回転する視界の一角で床材が弾け飛び、耳許で悍ましい音が重なる。
「……ッ! 里緒ちゃん!」と相棒の名を呼ぶ。「コンテナをバラすんだ!!」
「――! 了解!」
VSKのリロードの瞬間を見計らって里緒が仕掛ける。マークの陣取るコンテナへと突撃すると、目にも留まらぬ神速の斬撃を振るった。豆腐に包丁を入れるかのごとく、鉄製の直方体が両断される。バギィン!! という破断音が反響した。里緒は手を緩めず、さらに斬撃を重ねていく。一瞬にして無数の亀裂がコンテナ表面に走ったかと思えば、数十もの鉄板に分解されたコンテナが重力に従って崩壊――足場を奪われたマークも共に落下。
受け身は取ったようだが、体勢は崩れた。すぐさま八九式を構えてマークめがけて撃ちまくりながら接近していく。反動が地層のごとく重なって両腕を蹴り上げ、フルオートでバラニウム弾を射出、地面を跳ねる空薬莢が軽快な音を響かせる。
だが、無防備な相手を狙い撃ったはずのリカルドは驚愕に双眸を剥く事となる。「なッ……!?」
マークは躊躇なく手近な鉄板を手にするやいなや、それを盾代わりに銃弾を迎え撃ったのだ。着弾と同時に金属同士の甲高い悲鳴が轟き、飽和した稲光がマークの周囲一帯を覆い尽くす。
リカルドは歯噛みする。
――里見と戦ってる時も思ってたが、どんな反射神経してやがるんだッ!?
この距離で銃を相手に立ち回るなど、一介の人間にできる芸当じゃない。特別な力を持たない者が到達できる限界点――マーク・メイエルホリドの性質は、里見蓮太郎よりは天童木更のそれに近いように思えた。
「リカルドッ! 避けて!」
「――!」
理緒の一喝で我に返る。転瞬、閃光の壁を切り裂いて何かが飛来。自らの顔面めがけて押し寄せてくる物体が、解体されたコンテナの破片だと遅れて気づく。
反射的に八九式を眼前に翳して防御姿勢を取る。直後に鉄板がクリーンヒット。ガードを貫通して、重厚な衝撃が腕を伝わる。
ブレる視界がかろうじて捉えたのは、こちらへ詰め寄ってくるマークの姿。逆手で構えた二振りのナイフを目にし、背筋が凍る。
「っづああああああああああああああああああああ――――――――ッッッ!!」雄叫びを上げながら、もう使い物にならなくなっているであろう八九式のストックを握り込み、バットよろしくフルスイング。肉薄してきたマークの振るったナイフが、銃砲部分と打ち合わされ、硬質なバラニウムの刃があっさりと金属筒を破断した。
勢い衰えず、リカルドの喉元へと凶刃が迫る。顔面に脂汗が浮かび上がり、鼓動が加速する。
――こんなとこで殺られてたまるかよ!!
渾身の力をもってして左足で地を踏み締めると共に、右の爪先を真上へと突き上げる。バラニウム製の先芯が仕込まれた安全靴が、ナイフを迎撃した。マークの手から無理矢理引き剥がされたナイフは、回転しながら宙へと舞い上がり、明後日の方向へ飛んでいく。
「……!」マークの目許がピクリと動く。安全靴の仕込みに気づかれたのだと悟る。もう不意打ちには使えないだろう。手札を晒してしまった事実に、僅かな後悔が去来する。
だが知られてしまったものはどうしようもない。リカルドはすぐさま体勢を立て直し、破損した小銃をスリングごと投げ捨てて九ミリ拳銃を抜く。それを確認するや、マークの方もノータイムで動く。彼が横合いに飛び退いたのと、拳銃から銃口炎が噴いたのはほとんど同時だった。
先刻までマークのいた場所をバラニウム弾が弾く。耳障りな怪音に鼓膜を突かれながら、眼球だけを動かしてマークを追う。
こちらとの距離を保ちながら、回り込むように走るマーク。すでにその手にはナイフではなく、照準されたVSK小銃があった。
悪寒。
一秒後に弾痕だらけになって血の海に沈む自分の姿が、脳裏に浮かび上がる。
度を逸した緊張によって過呼吸になりかけた時、矮躯がリカルドとマークの間に割り込んだ。里緒は決死の形相で汗の玉を振り乱しながら、曲刀を薙ぎ払う。大振りの一撃がVSK小銃本体を真っ二つに叩き割った。露出した薬室から装填済みの弾丸が溢れ落ち、割れた鉄屑やビスが散乱する。
マークの眉がしかめられ、微かに聞こえる舌打ち。リカルド同様、瞬時の判断で銃を放り捨てる。
これで互いに殺傷力特化の銃は失った。残ったのは拳銃とナイフのみ。拳銃の命中率を鑑みれば、このあとの展開は近距離での殴り合いになる事必至だ。
――ありがとよ里緒ちゃん……!
――これで形勢はこっちに傾いた!!
大きく息を吸って、不足した酸素を脳に行き渡らせる。左手でダガーナイフを抜き放ち、右手の九ミリ拳銃で牽制に出ようとした瞬間、腹部に凄まじい衝撃が突き刺さる。里緒が手加減の余地なく体当たりをかましてきたのだ。内臓がひしゃげるような感覚と共に胃液が逆流。味覚に嫌な酸味を感じながら、背中から叩き伏せられる。一瞬遅れて付近で爆音と爆煙が上がる。
――手榴弾かッ!?
「無事ッ!? 怪我はない!?」
「俺は大丈夫だ! けど里緒ちゃんはッ……」
今、里緒はリカルドの上に覆い被さるようにして倒れている。至近距離で手榴弾が起爆したにも関わらず、リカルドには傷ひとつない。ならば飛び散った金属片がどこへ行ったかなど自明の理だ。
ぬるりとした感触が、リカルドの腹部に伝う。「……ッ!」生温く鉄錆臭いそれの正体は、説明するまでもなく里緒の血液だ。
取り乱しかけたリカルドの頬が叩かれる。里緒は身を翻すと共に曲刀を構え、「大丈夫! 手榴弾の外殻はバラニウムじゃなかった! すぐに治るから!」と捲し立てる。「それよりも早く動かないと敵がッ――……!?」
そこで里緒の言葉が詰まる。
リカルドも弾かれたように彼女と同じ方向を見やり――そして気づく。
――マークがいない!?
先ほどまでそこにいたはずの兵士が忽然と姿を消していた。胸の内側で焦燥が爆発的に膨張する。慌てて立ち上がり、里緒と背中合わせになって死角を潰し、九ミリ拳銃の銃口を四方へ向ける。
「……マークが離れるところを見たか?」
「見れてない。……さっきの爆発は姿を晦ませるための陽動だったんだと思う」
「まんまとしてやられたって訳か……」
周囲は複雑に配置されたコンテナだらけ。身を隠す場所はいくらでもある。いつ、どの場所から奇襲が飛んできてもおかしくはない。
マークの実力は正面戦闘でも、リカルドと里緒の二人を遥かに凌駕する。それにも関わらず、搦め手も厭わず、油断なく徹底的に敗北の芽を潰しにかかってくる。
元スペツナズ所属の筋金入りのプロフェッショナル――対人戦における練度は、単なる自衛隊の一隊員などでは比較にもならないだろう。
リカルドは首を振って、湧いた邪念を振り払う。
――弱気になるんじゃねえ! 考えろ! あらゆる可能性を!
自分達は蓮太郎と延珠にとっての最後の防衛ラインだ。ここを突破されれば最後、高序列のイニシエーターさえも単独で撃破する化け物がリトヴィンツェフに加勢する事になる。何としてでも、マーク・メイエルホリドを自由にさせる訳にはいかないのだ。
しんと静まり返ったコンテナ置き場に、自分と里緒の息遣いだけが交互に響く。首筋に嫌な汗が滴り、激しく脈動する心臓に反比例して、体温が冷え込んでいく感覚がした。
マークの気配は全く感じられない。彼の呼吸する音どころか、足音の一つさえも聞こえてこない。人間離れした隠密能力を突きつけられ、なけなしの平静さえ掻き乱されそうだった。
――どこから……。
――どこから来る……!?
「――傭兵。お前に訊いてみたい事があった」
「――!」不意に投げかけられたマークの声に、リカルドの瞳孔が開く。周囲を見回して姿を探るが、当然のごとく人間のシルエットなど見当たらない。マークの声音は辺り一面に反響し、その出どころを押さえる事もままならない。
その事を良く理解しているからだろう。マークは構わず語りかけてくる。「なぜ、お前は戦う? なぜ里見蓮太郎に協力する?」
「……さっき言っただろうが。おたくらが俺の大切なもんを奪ったからだ」
「何も変えられない事を分かっているのにか?」
「……何が言いたい?」
リカルドの訝しむ問い返しに対し、マーク・メイエルホリドは淡々と答えた。「――第三次関東会戦」
「……っ」肩が強張る。マークから、その言葉が出てくるとは思わなかった。
「本来であれば、東京エリアは『アルデバラン』率いるガストレアの軍勢に敗北し、大絶滅を迎えていた。今の東京エリアがあるのは民警の活躍と犠牲の賜物だ。はっきり言ってやろう。先の戦いにおいて、自衛隊が果たした役目など一つもない。俺は間違った事を言っているか?」
「……何だよメイエルホリドさん。律儀に俺の事も調べてくれたのか? 俺が元自衛隊だって事は、おたくらには言ってなかったはずだが」
挑発するように探りを入れるが、マークは一切取り合う様子がない。「お前達は――自衛隊は課せられた責任を果たせなかった負け犬だ」と断定するように告げる。「それを分かっていながら、なぜまだ銃を手に取る? 溢れ落ちる事を理解していながら、なぜまだ他人の命を掬い上げようとする? まだ里見蓮太郎と同じ目線で世界を見れると思っているのか?」
「…………」
マークの吐き出す言葉は、さながら針の筵のごとく、一言一句が的確に胸を抉り貫いてくる。
彼の言っている事に、確かに間違いはない。リカルドの表層の心理はその事実を抵抗なく受け入れていた。
これまで、何度も失ってきた。
友人を。両親を。自衛隊の同僚達を。横島秀貴を。占部里津を。そして自らの責務、自らの自尊心を――。
何度だって後悔してきた。失くしたものを指折り数え、その度にどうしようもない無力感に苛まれ続けてきた。
あの黒衣の少年のような力があれば――。
旧品川地区でエヴドキヤ・アレンスカヤと対峙した際、確かにリカルドは世界との向き合い方を変えた。手許に残った微かな希望だけでも守り通すと。占部里津から託された少女を、災厄から庇い切ると誓った。横島の忘れ形見である少女を、必ず取り戻してみせると誓った。
それでも――蟠った感情の闇の全てを振り払えたかと問われれば、首を縦に振れる自信はない。
永遠に凡人のままでしかいられない自分に対して、拭い切れぬ劣等感は依然として泥のように滞留している。
だが。
「――良いんだよ。それで」
「何……?」
リカルドの穏やかな声色に、マークは怪訝な反応を返す。
「おたくの言う通りだよ。俺は自衛隊として国の盾になれなかった。東京エリア滅亡の瀬戸際で、民警の活躍を見て思い知ったよ。世界に必要なのは俺じゃなかったって」
「ならばお前には何がある? 何が残っている? いったい何が無力な自分を許し、肯定している?」
「さあな」と切って捨てる。「けどそれは――おたくの求めている答えとは違うと思うぜ」
「……何を言っている」
「しらばっくれんなよメイエルホリドさん」
マークと言葉を交わして、分かった事が一つある。なぜ彼は殺し合いのさなかに関係のない話を差し込んできたのか。
理由は明快だ。「おたくは今――俺を通して過去の自分を見てんだろ」
「…………」
「自分の無力さを俺達に転嫁してんじゃねえよ。おたくらが許せないのは役立たずの自衛隊でも、ましてや滅ぼそうとしてる東京や仙台でもねえ。あの時……天秤宮から祖国を守れなかった軍人だろうが」
大絶滅の脅威を前に、何もできなかった自分達。リカルドにもマークにも、その点において本質的な違いはない。
しかし、二人の間には決定的な違いが――埋めようのない深い溝がある。
それはきっと、後を託せる者がいたかどうかだ。
里見蓮太郎が、藍原延珠が、天童木更が、ティナ・スプラウトが、薙沢彰麿が、壬生朝霞が、片桐兄妹が、蛭子親子が――。我堂長政のように志半ばで散った者も含めて、東京エリアを守るために集結した民警達が――。
「俺みたいなのが無事生き残れて、ここに至るまで不貞腐れたまんまでいられたのも、全部あいつらが決死の想いで戦ってくれたからだ。おかげで立ち直るための時間ができた。心の底から守りたいと思えるもんを見つける事ができた」
「……そこのイニシエーターがか?」
「里緒ちゃんだけじゃねえよ。俺が守ってやりたいと――助けてやりたいと思ったのは、里見だよ」
「世迷言もここまで極まると笑えんな」マークの言葉尻に苛立ちが滲む。「お前が里見蓮太郎を守るだと? あの機械化兵士とお前の間に、どれだけの隔たりがあるのか推し量る事もできないのか」
「おたくにゃ分かんねえだろうよ。そういう視点で里見を見てる限りはな」
「もう良い。どうやら時間の無駄だったようだ」
再び空気が限界まで張り詰める。マークの声が鳴りを潜め、僅かな気配さえ空気に溶け込んで消えていく。
「……リカルド」と背後から囁くようにこちらを呼ぶ声がする。「どうするの?」
こちらも声のボリュームを落として返す。「……認めたくはないが、俺の反応速度じゃマークの奇襲に対応するのは無理だろうな。だから狙うのは里緒ちゃんを起点にしたカウンターだ。一手で良い。マークの攻撃を止めてくれ。その隙を突く」
「……分かった」
衣擦れの音さえも聞き逃すまいと、聴覚を研ぎ澄ます。耳が痛くなるほどの静寂の海の中から、漣のような違和感を掴み取ろうと集中する。
――さあ……! 来るなら来やがれ……!!
身構えた瞬間だった。
ばしん――という先ほど聞いたのと酷似した音が響いた。それの正体を看破した時には、すでに視界には漆黒の暗幕が降ろされ、聳え立つコンテナの輪郭さえ知覚できなくなっていた。
照明が再び落とされた――脳がその文節を浮かび上がらせたのと同時に、突如として胸の中央で衝撃が弾けた。
「……――は」無意識に導かれるようにして、目線を下へ落とす。暗視ゴーグル越しに鋭く輝くマークの眼光が突き刺さる。
「――沈め。敗残兵が」
見えなくとも、じわりと広がっていく感触で理解した。
闇に紛れて放たれたマークの刺突が、リカルドの心臓を貫いた事を――。