ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 いつかの光景がフラッシュバックする。

 むせ返るような濃厚(のうこう)血臭(けっしゅう)獣臭(けものしゅう)が混ざり合い、一呼吸しただけで胃の内容物が()り上がってきそうな空間だった。人類の生存圏を守護するために最前線に(おもむ)いた隊員達が、次々とガストレアに蹂躙(じゅうりん)され、鉄と肉の混じった塊へと姿を変えていく。

 人の形を(たも)ったまま戦闘不能に(おちい)った者達は、強引にガストレアから体液を注入され、次々と不可逆(ふかぎゃく)変容(へんよう)()げた。

 寝食(しんしょく)を共にした仲間達が、有無を言わせず尊厳を踏み(にじ)られていく。

 バラニウムの弾丸を撃ち込んでいる対象が、元々ガストレアだったのか、感染変異(かんせんへんい)した元同僚達なのかさえ判然としない。

 時間の感覚さえ消え失せた惨劇(さんげき)のさなかで、藤沢(どうざわ)リカルドの無念に溢れた咆哮(ほうこう)だけが響き渡っていた。

 

 

横島(よこじま)あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――ッッ!!」

 目を見開いたまま固まった横島の頭部が床に落下し、果実(かじつ)が潰れたような水っぽい音を立てる。

 頸動脈(けいどうみゃく)(いびつ)に引き千切(ちぎ)られたせいか、残った胴体の首の断面からは、赤黒い血液が放射状(ほうしゃじょう)()き出した。

 脳を失った肉体は糸の切れた操り人形のごとく、ぐらりと(かし)ぎ、そのまま頭部の近くに倒れ込んだ。

 返り血をこれでもかと浴びた美梨(みり)が、へたり込んだまま声を震わせる。「秀貴(ひでき)……さん……?」数瞬(すうしゅん)遅れて状況を理解した彼女は、両手で頭を押さえて絶叫(ぜっきょう)する。「いやあああああああああああッ! 秀貴さん! 何でッ、何でッ!? あああああああ。あああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 取り乱す少女とは対照的に、惨状を演出した張本人であるユーリャ・コチェンコヴァは冷めた表情で、鮮血(せんけつ)でディップされた鉤爪(かぎづめ)を振り上げた。その先には泣き崩れる美梨の姿――。

 リカルドが動く。

 九ミリ拳銃を至近距離で発砲(はっぽう)。狭い空間内に鼓膜(こまく)穿(うが)つような破裂音と銃口炎(マズルフラッシュ)(またた)く。ユーリャは美梨に振り下ろすつもりだったであろう鉤爪を使って、撃ち出されたバラニウム弾を迎撃(げいげき)。彼女の(まゆ)が僅かにしかめられた。

 その一瞬の隙を()ってユーリャへと肉薄(にくはく)し、順手(じゅんて)に持ち替えたダガーナイフを突き込む。今度は避けられた。最小限の挙動で身をよじった少女は、冷徹(れいてつ)なアイスブルーの眼差(まなざ)しでリカルドを射抜(いぬ)く。

「――しいッ!」

 リカルドは、ナイフを(かわ)すのに半身になった事でできた死角――つまりはユーリャの背中側を狙って右回し蹴りを放つ。完全な意識外からの一撃だったはずだが、ユーリャは涼しい顔で後退、直撃を避けてブーツの爪先(つまさき)が腰を僅かに(かす)めた。

「――っ」ぴくりと少女の眉が動く。

 ――気づいたか……!

 ――できれば(かん)づかれる前に、デカい一発を叩き込みたかった……!

 リカルドの()いている安全靴は、市販されている現場作業用のものとは異なる。爪先を保護するための先芯(さきしん)は、本来は樹脂(じゅし)や鉄でできているものだが、リカルドのそれにはバラニウム製のものが仕込まれている。

 遠心力(えんしんりょく)を加えた蹴りの先端が叩き込まれたが最後、ガストレア因子を持つ生物は確実に致命的なダメージを負う。それは超高位序列者のユーリャ・コチェンコヴァも例外ではないはずだ。

 しかし。

「くそッたれが……」リカルドは歯噛(はが)みした。

 これで唯一状況を打開するための一手は潰された。タネが割れてしまった足技は警戒され、軌跡(きせき)容易(ようい)に見れる銃や刃物は、もちろん通じないだろう。

 直前のユーリャの口上(こうじょう)を思い出す。モデル・チーター。スピード特化型の因子を持つイニシエーター。膂力(りょりょく)や反射神経などの基本スペックで差を空けられている上に、発現した因子による速度の上乗せ。鉤爪の一撃が致命傷となりかねない脆弱(ぜいじゃく)な人間にとって、イニシエーターの持つ速さという一芸は何よりも脅威となる。

 ――普段のガストレア討伐補佐の仕事と違って、銃とナイフ以外の得物は持ってきてない。

 ――何か目眩(めくらま)しに使えるものでもあれば逃走の算段も立てられるんだが……。

 依然(いぜん)、ユーリャ・コチェンコヴァの両目は深い(あお)(たた)えている。それはつまり、彼女がまだイニシエーターとしての力を解放し切っていない事を意味する。その上、不敵な笑みを浮かべ続ける白人男性は少女に加勢する様子もない。

 完全に遊ばれている。

 強者が片手間で弱者を蹂躙する(たわむ)れ。

 今起きているのは戦いではなく、ただの遊戯(ゆうぎ)なのだ。

 それを正確に理解した上で、「ほら、どうしたよお嬢ちゃん」とリカルドは挑発するように言った。「増援が来る前に俺達を殺すんだろ? モタモタしてたら、せっかく脱獄させた仲間が今度は鉛弾(なまりだま)餌食(えじき)になっちまうぞ」

「……あなたこそ随分(ずいぶん)と冷静ですね。先ほどの絶叫は演技でしょうか?」

「な訳あるか。今すぐお嬢ちゃんをぶっ殺してやりてえよ」

「そうですか」ユーリャ・コチェンコヴァはつまらなさそうに返す。「では、そちらの望み通りに動くとしましょう」

 再び戦況が動いた。未だ余力を残したままのユーリャがバックステップで距離を離すと、両腕を交差させて跳躍(ちょうやく)。そのまま空気を蹴り抜いたのかと思うほどの勢いで加速し、錐揉(きりも)み回転しながら弾丸のごとくこちらへ突っ込んでくる。

 床材(ゆかざい)壁材(へきざい)の下にある建材をまとめて破断(はだん)しつつ、殺人プロペラと化したユーリャが接近。リカルドは迎撃のため九ミリ拳銃を応射(おうしゃ)する。弾倉(マガジン)を全て空にするつもりで引き金を連続して引く。続け様の反動が腕の筋肉を跳ね上げ、ガストレア因子特効(とっこう)のバラニウム弾がばら()かれる。

 だが黒い弾頭は一欠片たりとも少女の柔肌(やわはだ)に食らいつく事はできなかった。プロペラへ殺到(さっとう)した弾丸が(まばゆ)い火花に変貌(へんぼう)したかと思えば、一瞬遅れて金属が断裂(だんれつ)する怪音(かいおん)(とどろ)く。

 ――あの動きの中で、(かた)(ぱし)から銃弾を(はじ)いてやがるのか!?

 高序列のイニシエーターが、銃撃の対処(たいしょ)くらいなら簡単にやってのけてしまうのは納得できる。しかし、視界を滅茶苦茶にシェイクするような大道芸を披露(ひろう)しながら、飛んでくる弾を正確に斬り払えるなど、リカルドの常識ではとてもじゃないが信じられない。

 ――なら……!

 もはや猶予(ゆうよ)はない。あと数秒でリカルドの体躯(たいく)はボロ雑巾(ぞうきん)のように引き裂かれるだろう。

 脳裏(のうり)を支配してきた恐怖を理性で押さえ込み、後ずさるのではなく前へと踏み込む。下手をすれば自らの寿命(じゅみょう)を縮めるだけの行為(こうい)。しかしリカルドの挙動に迷いはない。

 バラニウム製ナイフの先端を一点へ照準し、力の限り突き込む。高速で動くユーリャの相貌(そうぼう)を僅かに視認。その表情を読み取れた時、リカルドは自身が読み勝った事を確信する。

 少女の脳天(のうてん)めがけて放たれた一撃。それを払い落とすため、片腕が防御の姿勢を取る。転瞬(てんしゅん)、リカルドはナイフを引っ込めると、出来上がった僅かな安全地帯に身を滑り込ませる。二人のシルエットが交差したのも(つか)()。すれ違うようにして、ユーリャ・コチェンコヴァの凶刃(きょうじん)から間一髪(かんいっぱつ)で逃れる。

 ――背後(はいご)を取った! 形勢(けいせい)逆転って奴だ!

 あの勢いで突撃してきた以上、イニシエーターとしての身体能力をもってしても、すぐさま体勢を反転させる事などできないはずだ。リカルドは振り向き様に九ミリ拳銃をリロードすると、細かい狙いをつける事もせず連発した。

 銀髪の少女はリカルドの見立て通り、錐揉(きりも)み回転状態のままモロに銃弾を浴びせかけられた。しかし、さすがは高位序列者。強引に首を(ひね)って僅かな視界を確保し、肩の挙動域(きょどういき)を超えるのではないかと思うほどの無理矢理な挙動でパリングを敢行(かんこう)。真後ろからの銃撃さえも正確に弾き飛ばしていく。

 そこからは早かった。

 ユーリャ・コチェンコヴァは、銃撃によって加えられた運動エネルギーをものともしない軽やかな動きで着地すると、コンバットブーツの底で床をにじり、一瞬で反転。床材を粉砕しながら駆け出す。

 リカルドの脊髄(せきずい)が思考より先に動いた。弾倉に残っていたバラニウム弾をまとめて撃ち込む。銃声と破断音がほとんど同時に響き渡る。月明かりに照らされた銀髪が大きく(なび)き、遠距離攻撃手段を失ったリカルドの視界を覆い隠す。ユーリャ、肉薄。

 死の瀬戸際(せとぎわ)に立たされた事で、リカルドの脳がオーバーヒートしそうなほどに高速回転した。こんなところで()られる訳にはいかない。自分が殺されれば、次は美梨(みり)が狙われる。それだけは絶対に避けなければならない。

「るああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!」

 リカルドの口腔(こうくう)から悲鳴にも近い雄叫(おたけ)びが(ほとばし)る。

 ユーリャの髪の動きから彼女の挙動と仕掛けた方向を逆算し、ダガーナイフを左脇腹を守るように振るう。聴覚を引き裂くような鋭い金属音が耳に響く。バラニウムの刃が衝突し、闇夜(やみよ)線香花火(せんこうはなび)を思わせる光が瞬いた。

「――!」ユーリャ・コチェンコヴァの動きに一瞬迷いが(しょう)じた。ゼロ距離で放った致死率九九パーセントの攻撃を防がれたのだ。彼女の幼い精神に僅かな揺らぎを与えるには十分(じゅうぶん)な衝撃だろう。

 しかし真人間でしかないリカルドと、ガストレア因子を持つイニシエーターとでは、生まれ持った膂力(りょりょく)に埋め切れないほどの差がある。人間由来の矮小(わいしょう)な筋力ではすぐさま押し込まれる。

 ガードの上から叩き潰すかのごとく鉤爪が振り抜かれる。リカルドはかろうじて得た鮮少(せんしょう)なタイムラグを最大限利用して、力の流れに任せて自らの体躯を一回転させた。

「……ちいッ!」リカルドの目尻(めじり)が僅かに(ゆが)んだ。自身の体ごと力を受け流した事で、致命傷は避けたが、四本の凶刃(きょうじん)の内、一本が脇腹を()いだ。神経に電撃を流されたような感覚が走り抜け、裁断された皮膚と筋肉の内側から鮮血が噴き出す。

 痛みに負けて着地に失敗、右膝と右肘を強打する。「がはッ……!?」

「――終わりです」頭上からユーリャの無機質な声が降り注いだ。

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