ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣 作:鏡之翡翠
脅威的な跳躍力で縦横無尽にコンテナの
マーク・メイエルホリドは手にした拳銃を立て続けに発砲しつつ、的確に距離を近づけていく。
――問題ない。
――多少頭が回ろうが、根本的には経験の浅い『子供』だ。俺の敵じゃない。
周囲は未だ舞い上げられた
――あの傭兵は……。
戦闘の切れ間を
片割れの危機のために、明らかに安全性の確約されていない
あの鮫因子のイニシエーターは、必ず傭兵を助けようとする。
あの傭兵は、必ず鮫因子のイニシエーターを助けようとする。
敵対する関係でありながらも、マークには二人を結びつける絆の強さを明確に把握する事ができていた。あの傭兵は――
――奴は必ず仕掛けてくる。
――それまでに――イニシエーターを
スライドが
一メートル先まで肉薄していた里緒の瞳が、驚愕に見開かれる。少女は汗を振り乱しながら体を
「かッ、は……!?」
「――――――――」
マークの攻勢は緩まない。里緒の後頭部を鷲掴みにしてコンテナの壁に叩きつけ、逃れる
力が抜け落ち、だらりと投げ出される四肢。少女の右手にあった
「……お前達にどんな思惑があったとしても、これが現実だ」
血と涙と
「見てみろ。お前がこれだけ痛めつけられても、あの男はお前を助けにくる様子もない」そんな事ある訳がないと分かっていながら、心にもない言葉がつらつらと出てくる。「しょせんは負け犬の傭兵だったというだけの事だ。口では何と言おうが、結局は自分の命が可愛くて仕方がない。責務から逃げ出した軍人は――二度とかつての
「……また、リカルドを通して……自分を見てるの?」息も絶え絶えになりながら、それでもなおボロボロの少女は言葉を返す。骨格ごと歪んだ口許が、ゆっくりと言葉を紡ぐ。「確かに……リカルドは……逃げたかも、しれない。関東会戦を経て、自分の力不足を突きつけられて……国防の責任を……一度は投げ出したのかもしれない」
「……それは紛れもない事実だ。俺もあの男も、軍人の風上にも置けぬ敗残兵。そこに違いなどない」
「違うよ……全然、違う……」
「何だと?」
赤く
「失うだけが……人生じゃない」里緒は言う。「リカルドは……自衛隊員としての尊厳を失って……新しい仲間も失って……それでも前に進み続けて、新しい自分を手に入れた。あたしだってそう。里津姉を――自分の半身を失って……でも、この戦いを通じて、それと同じくらい大切なものを掴み取れた」
「
「そうやって自分に言い聞かせてるの?
「…………ッ!」
「たとえ復讐のために集まった仲間達だったとしても……本当に何の情も湧かなかったの?」里緒の崩れた顔が徐々に
「……もし、そうだとして」一瞬でも少女の言葉に意思を揺さぶられた自分から目を逸らす。「俺のやるべき事に変わりはない。俺はアンドレイの障害になる者を排除するだけだ。
「迎えに行く人って――ユーリャ・コチェンコヴァの事でしょ?」
「……!?」胸中を正確に見透かされたような指摘に、鼓動が跳ねる。
「この事実こそが……あなたが冷徹な『武器』じゃなく、心を捨て切れなかった『人間』である事の証明。そして人間は一度全てを失おうとも、立ち上がれる事の証左。リトヴィンツェフの『道具』として使い捨てられそうになっている子供を救い出そうとしている事が……あなたの両手にあるものが幻想なんかじゃない事をどうしようもなく示している」
「ッ……! これ以上は――時間の無駄だ!」
激昂と共に、
その時だった。「――ほら。やっぱりリカルドはあたしを見捨てない」
突如として鼓膜を千切りにするような爆音が鳴り渡る。低音混じりの体の
『――待たせたなああああああッッ! メイエルホリドさんよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――――――――――ッッッッッ!!』
地を揺るがす轟音。それはもはや単一の音源ではない。コンテナの壁が内側から膨張し、悲鳴を上げる金属音と、全てを圧し潰すようなエンジンの咆哮が混ざり合い、拡声器によって増幅されたリカルドの絶叫が空間そのものを震わせる。
それを知覚したのも束の間、マークの背後に
「何……がッ!?」降って湧いた命の危機に、反射的に背後を振り向く。視界に現れたものの正体を目の当たりにし、背筋が凍る。「
大型トラックほどの巨体を有するそれは、
車体前面には、地面に対して垂直になるよう取りつけられた金属製の
ここに搬入されたコンテナを荷役するための、積載可能重量三〇トンオーバーのモンスターマシン。
それが人間一人を
全身の血液が煮え立つような緊張のさなか、マークは思考回路だけを意識的に冷却して、無いに等しい時間を最大限に使って次の一手を考える。
――後輪が
――小回りが
――ならば……!
すかさず重機側面の
巨大車両は今もなお駆動を続けており、地面からダイレクトに伝わる振動が足許をおぼつかなかくさせてくる。
――あのイニシエーターが今の一撃で地面の染みになったとは考えにくい。
――おそらくは……。
マークの想定はすぐさま現実となって返ってくる。爆音に紛れて、頭上から軽やかな反響音。
同じく乗り込んできていた里緒が直上から急襲。鉄製の外壁を
「――ッ」弾かれたように拳銃を持ち上げて発砲。射出されたバラニウムの弾頭が、甲高い悲鳴を鳴らしながら破断されていく。
――動きながらでも銃撃を撃墜してくるか……。
――凄まじい成長速度だ。
マークが後退したのと同時に、降り立った里緒が
ここぞとばかりに黒髪の少女が距離を詰めてくる。マークの引き撃ちなどものともせずに銃弾を斬り伏せ、懐へと潜り込んでくる。
繰り出される神速の斬撃。揺れる足許によろめきそうになりながら、紙一重で鋭利な殺意を躱す。
マークは攻撃後の里緒を見据える。
狙うはガラ空きの腹部。踏み込みざまに
少女の赤い瞳がぐるりと裏返る。意識を刈り取るまであと一撃――。
右拳を握り込んだ瞬間、背中に突き刺さる悪寒。
本能に警告を叩きつけられるがままに、里緒への追撃を諦めてその場から距離を取る。階段上部からけたたましく鳴り響いた銃声が、自身の判断の正確さを示してきた。切れ目なく飛来してきた弾丸が、付近の壁や床に当たって弾ける。
誰が仕掛けてきたかなど今さら問うまでもない。階段上部――操縦席から飛び出してきていた傭兵めがけて応射する。
操縦席の陰に身を隠すリカルドの手に握られていたものを視認、すぐさま正体を見破る。
――九ミリ
自衛隊正式採用の
――消耗を度外視した攻め……ここで出し切るつもりか。
背後から掴みかかってきた里緒の顔面を
肉薄。ミリタリージャケットの
咳き込むリカルドの口の中に銃砲を
そこでマークは気づく。
――操縦席が空席になっているのも関わらず、車両は前に進んでいる……!
今しがたの衝撃はフォークリフト前面のマストが、積み上がったコンテナに激突した事で引き起こされたものだった。
――クリープ現象のまま進んでいる? いや違う。
――アクセルペダルを
マークかリカルド、どちらかがどちらかを殺し、重機の操縦権を奪わなければ、車輪が駆動するのは止められない。
そしてマークは知っている。フォークリフトが突き進む先――そこに何があるのかを。
――
――この勢いで空コンテナを巻き込みながら突入すれば最後、昇降機を破壊して吹き抜けの下に真っ逆さまだ!
片方が死ななければ、
「――――」動く。先手必勝。このまま傭兵を殺し切り、重機を停車させて離脱する。
拳銃を跳ね上げた瞬間、目の前で空気を切り裂く異音。それがリカルドの放った蹴り上げだと気づいた時には、彼の安全靴の先端が銃を弾き飛ばしたあとだった。
「ははッ! これで丸腰だなあ!?」と傭兵は
しかしマークは半身になりながら、リカルドの側面へと回り込んでいた。全ての銃撃をいなし、距離を再度ゼロにしたマークは、未だ熱を持つ銃身に手刀を打ち込み、そのまま取り落とさせる。
リカルドの硬直している隙を狙って短機関銃を拾い上げようと手を伸ばしたところで、視界外から飛び込んできた蹴りが銃本体を蹴り飛ばした。欄干の下を通って宙へ放り出された銃は、すぐに砂埃の中へ消えていく。
「おたくに渡すくらいなら、なくしちまった方がマシなんだよ――ッ!」リカルドが組みついてくる。僅かに反応が遅れたところで、白兵戦の主導権を握られた。傭兵の放ったボディーブローを受け止めた直後、もう片方の拳から繰り出されるアッパーカットが下顎に突き刺さる。
「――……づうッ!?」混ぜ返された視覚に、ちらつく星が混じる錯覚。脳が頭蓋骨の中を踊る。理性を抑え込んで胃液が迫り上がってくる。
本能が距離を取ろうとして、たたらを踏みつつ後退しようとするが、そうは問屋が卸さなかった。
筋肉質なリカルドのガタイが重戦車のごとく突っ込んでくる。大柄な体格を生かした渾身のショルダータックル。膨張した三角筋が
勢いは衰えない。リカルドのタックルは、マークを階段踊り場の端まで一直線に押し込んでいく。マークは足裏に力を込めて踏ん張るが、重戦車と化した屈強な肉体は止まらない。背中が頼りない鉄パイプの欄干に激突し、鈍い音と共に金属筒が大きく歪む。
受け止めきれない。マークの体が後方へと
「――ッああああッ!!」というマークの雄叫び。落下する直前に、右足の甲を欄干へと引っ掛け、強引に重力に反発する。一瞬の浮遊感を感じながら腹筋の力だけで上体を戻すと、
そのまま右手を支柱にして、逆立ち状に飛び上がる。
なのに――。「――ッ!」
「――捕まえたぜ」
頭部を多量の血で濡らしながらも、はっきりとした意味のある言葉を紡ぐリカルド。彼は勝ち誇った表情で、マークの右脚を掴み上げていた。
「うおああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――ッッッッ!!」気合いの
先ほどとは比べものにならない継続した浮遊感が全身を包んだ。周囲に手の届くものは何もない。思考回路に『落下死』の三文字が無限に増殖する。
「……ッ、まだ、だッ……!」反射的に声が
眼下に広がるのは地面だけではない。マークが投げ出されたのは、フォークリフトの側面ではなく前面。
混ぜっ返された空気の
体操の鉄棒競技を思わせる動きで全身を
フォークを伝って操縦席付近の階段踊り場へ戻ろうとした直後、思わぬ光景に目を剥いた。
こちらと同じく爪に飛び移ったリカルドが、まっしぐらに突っ込んでくる。彼の右手には逆手で構えたダガーナイフ。血走った眼光が
同時に理解する。
この宙空に
「来い! 傭兵――!」構えを取る。固く決意する。ここであの男を迎撃し、
距離を詰め切ったリカルドが繰り出してくる
――構わない。
――退がる道理など、もはや微塵もないのだから!
マークは踏み込む。
リカルドがマークの拘束から、もがき抜けようと腕を引いたところで、強引にこちら側へと引っ張り込む。傭兵の四肢は自身の意思とは無関係に動かされ、神経伝達の遅れた体が体勢を崩す。
右から繰り出す肘打ちで、リカルドの顎を打ち抜く。意識を揺さぶられた大柄な体がふらつき、たたらを踏む。
休む事なく怒涛の追撃を叩きつけていく。
「まだまだあああああああああああああああ――――――ッッ!!」
両手で握ったナイフによる振り下ろし。黒光りする
――すでに動きが単調になっているぞ!
このまま
「――動きが単純になってんのは、おたくもだぜ。メイエルホリドさんよ」
鉄骨の床を踏み締める軸脚――その上に覆い被さるように押しつけられているのは、安全靴のウレタン底。
――さっきの振り下ろしは俺の意識を誘導するためのフェイク!
――本命はこの踏みつけ――……!
「おるああああああああああああああああああああああッッッ!!」
マークの動きを阻害する方とは別の脚から繰り出される前蹴り。リカルドのブーツ状安全靴の底が
意識の
このまま後ろへと投げ出されれば、両足が
今度はリカルドが
「終わりだ――ッ!」
くず折れかかった傭兵の
吹き荒れる土埃を全身に浴びながら、マークは傭兵を見下ろす。ビクビクと手指を小刻みに痙攣させながらも、やはりダガーナイフの
「……お前は良くやった」可能な限り平坦な態度を装ったが、自らの本心はこの傭兵をこれ以上なく賞賛していた。里見蓮太郎のような特別な力もなく、人並みはずれた技量がある訳でもない、単なる一般兵。それがマークをここまで追い詰めた事は、十分過ぎるほどに誇れる戦果だろう。「ここで眠れ。敗残兵に
このまま敗者を狭い足場から蹴り落とそうとした時だった。
突如として
靴底と足場の設置面にあったはずの
自分が今どの方向を向いているのかさえ分からない。ルーレットよろしく回転する視界の端に、僅かな間、重機の操縦席が見えた。
そこにいた人影――
ハンドルを限界まで切って車体を
先述の通り、フォークリフトの
運転席のあるタイプの車体は通常『カウンターフォークリフト』と
リカルドが突っ込ませてきた重機の積載可能重量は三〇トンオーバー。金属や木材を詰め込んだ
それをアクセルベタ踏み状態のまま強引に急旋回させたのだ。
次に起こる事態も、想像するまでもない。
重機の抱える危険性が形を伴って
車体後部の重量物にマシン本体が振り回され、後輪が地面から浮き上がった。
一瞬の内に車体が横倒し状態になり、アーク溶断を思わせる激しい
同じく空中を突き進まされるマークは、視線の先に昇降機を確認する。このフォークリフトがすっぽりと収まる面積の極厚の鉄板が
昇降機が破壊されたのちに眼下に残るのは、文字通りの底の見えない
思考を切り替える。藤沢リカルドの撃滅から、死地からの離脱へと。
加速力を得た体躯が慣性に逆らって進み、地面と平行になっている車体側面に激突。凹凸や突起に皮膚をしこたまぶつけ、鈍い痛みが襲うが、再度足場を得るのには成功した。
ここから安全に脱出するため、次の一手に思考リソースを割こうとし――目の前に現れた傭兵の姿に
「おおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――ッッッ!!」
周囲の爆音さえ掻き消すような大喝。マークの脳内が一瞬にして疑問符で埋め尽くされる。この自身が生きるか死ぬかの状況で、なぜ――どうしてまだ戦える? 自分の命が惜しくないとでもいうのか? かつて我が身可愛さに、戦場から尻尾を巻いて逃げた一般兵ごときが――。
傭兵の持つバラニウム製ダガーナイフの切先から放たれる黒い輝きが、湧き上がった全ての疑問を覆い隠す。そして暗幕を突き破って現れるのは、戦場にピリオドを打つための最後の一手――。
ナイフによる刺突がマークの右脇腹を貫通した。神経を激痛が駆け抜ける。「……かはッ、傭……兵……ッ!」
リカルドと視線が交差した。こちらを真っ直ぐ射抜く瞳に宿っているのは、絶体絶命の危機に晒された事による恐怖ではなく――打ち倒すべき敵に喰らいつく底なしの執念だった。
ナイフが引き抜かれ、引き裂かれた肉の切れ間から血が
「……なあマーク。今度は俺から
男は、血と汗に濡れた顔で、くず折れるマークを見据えた。
「――……答えてくれよ。大人である俺が、そんな
「――――――――――――――――――――――」
傭兵の問いに答える
滑走し切った車体が昇降台に乗り上げ、柵に激突する。あらゆる衝撃が
一際大きな反響音が発せられ、それに呼応したかのごとく車体が虚空へと投げ出された。
眼下に広がるのは、コンクリートで塗りたくられた内壁と、どこまでも続くような真っ暗な闇だけ。吸い込まれるような純粋な黒色は、宇宙空間に漂うブラックホールを想起させた。
「……俺は……」もはや抗う意味などない。重力に導かれるがままに四肢を投げ出す。
共に落下した傭兵が、