リカルドが横合いに跳び、その背後から磯貝が銃口を覗かせる。射線が通った僅かな隙を逃さず、短機関銃が唸りを上げた。
リトヴィンツェフの盾となり、立ちはだかるユーリャ・コチェンコヴァは、決死の形相で銃弾を撃墜していく。
――片腕が使いもんにならなくなったのが響いてるな……!
洋上刑務所で銀髪の少女と激突した時の光景を思い出し、リカルドは現状を的確に分析する。
――両腕がないと、この弾幕の圧は対応できないだろ!?
リカルドから見て右側――つまりはユーリャの左に回り込む。負傷によってガードの空いた左側から攻め立てる。ダガーナイフからフル装填した九ミリ拳銃にシフトチェンジし、連続で引き金を引く。
合計一〇発のバラニウム弾がまとめて殺到し、回避の遅れたユーリャの体を削り削いでいく。
銃弾を吐き出し切った九ミリ拳銃の遊底が後退固定。その瞬間、リカルドと磯貝はアイコンタクトを交わす。弾倉交換のために退がったリカルドの代わりに、磯貝が前へと躍り出た。
完全武装の特殊部隊員は、右手だけで短機関銃を構えると、自由な左手で拳銃を抜き放つ。常識外れの二挺持ちで照準すると、ふらつく少女めがけてフルアタックを仕掛けた。耳をつんざくような銃声の怒号が重なる。ユーリャ、さらに被弾。拳銃から撃ち込まれたタングステン合金弾が凄まじい運動エネルギーをもってして、少女の柔肌を食い散らかす。
「伊熊さんッ――!」
「分かってらあッ!!」
弾倉交換を終えたリカルドが、ユーリャに牽制射撃を撃ち込んで動きを止める。無防備を晒すリトヴィンツェフへと伊熊将監の猛攻が仕掛けられる。
重量の具現化のごとき鉄塊を片手で振り回し、重戦車よろしく周囲の景色を粉砕しながら標的を潰しにかかる。リトヴィンツェフが飛び退る度に、直前まで彼のいた場所が粉微塵に砕け散った。
一撃でも掠れば筋繊維をスクラップにされる事必至の暴威の嵐と対峙しながらも、リトヴィンツェフの顔に焦燥は見られない。それどころか白人の男は、口許を愉悦に吊り上げながら前へと踏み込んだ。
「――!?」これにはさすがの将監とて眉をひそめた。先刻までの引き気味の立ち回りから一点、攻勢を掛けてきたリトヴィンツェフの挙動を理解し切れていない様子だ。
「お前はどちらかと言えば獣に近い」と悠然としたリトヴィンツェフの言説が響く。「だが原理は変わらない。人であろうが獣であろうがガストレアであろうが――およそ生命と定義されるものの動きには一定の法則性が存在する」
リトヴィンツェフに懐へ潜り込まれた将監はとっさの判断で大剣を逆手に持ち替える――だが、すでにスレッジハンマーの柄を下部先端で掴んでいたリトヴィンツェフは、ガラ空きの下顎めがけて得物を振るっていた。
遠心力の限界を極めたような一発が、人体の急所を的確に叩き抜いた。爆砕音が鳴り渡り、天を仰ぎながら将監の体躯が跳ねる。「ごはッ――……!?」
「まず一人」勢いに振り回される体を器用に制御し、再度構えを直したリトヴィンツェフは、立て続けにスレッジハンマーをフルスイング。将監の土手っ腹に打突部が突き刺さり、骨を砕く怪音を響かす。
リカルドの脳裏に焦りが募る。
――伊熊さんがやられれば、こっちは確実に火力負けする!
視界の端で、磯貝の部下である広野が動き出したのを見て、リカルドはターゲットを変える。見据えるはリトヴィンツェフ。ユーリャの足止めはSATに任せるしかない。
九ミリ拳銃の照準先を移し、リトヴィンツェフへと発砲しつつ距離を詰めていく。
腕に走る激甚な反動を感じながら、左手を自由にし、腰の鞘からダガーナイフを抜いた。このまま互いの間合いが迫り切れば、すぐさま近接戦を仕掛ける。
リトヴィンツェフの一挙手一投足も見逃すまいと、目を皿のようにして眼前の男を凝視する。
「――藤沢さん! すぐに退がれ!」意識の外側から脳を揺さぶる声。蓮太郎からの一喝が、視覚のフォーカスをリトヴィンツェフから外した。
半ば反射的に後退すると、直後に眼前を黒い塊が掠める。直下で重厚な打突音が響き、リトヴィンツェフの鋭利な眼光が目の前で瞬いた。
「『焔火扇』ッ!」後ろから火薬の炸裂音と共に、加速された拳が打ち込まれる。天童式戦闘術の拳打がリトヴィンツェフめがけて突っ込んでいく。
だが白人の男は全ての展開を読んでいたかのように、ひらりと身を翻す。蓮太郎が奇襲気味に放った拳は虚空を叩くのみに留まった。「大丈夫か!? 藤沢さん!」と黒衣の少年がこちらを見やる。
「悪い! 助かった!」リカルドのこめかみから冷たい汗が伝う。
――里見からの警告がなかったら、今頃脳味噌ぶち撒けてたはずだ……。
――俺はリトヴィンツェフから目を離してなかった……。
――なのに奴は、いつの間にか俺を殺傷範囲に収めていやがった。
――いったい何が起きた……?
「さっきの将監と藤沢さんとの戦いを見て、ようやく分かった」と蓮太郎は言う。「リトヴィンツェフは……対峙する人間の意識の隙間に入り込むんだ」
「何だと……?」
「ははっ。さすがに俯瞰さえすれば、その義眼なら看破できるか」リトヴィンツェフが肩を揺すって笑った。「もう隠す事もないだろう」と自身の目許をとんとんと叩く。「盲目でない限り、生物は外界から獲得する情報の大部分を視覚に頼っている。目は非常に優秀な感覚器官だ。だが、それゆえに一つ決定的な欠点がある。――本当の意味で、一つの対象を注視するのは不可能という点だ」
「……ああ、分かったぜ。そういう事かよ」
抽象的な言い回しではあったが、リトヴィンツェフの言わんとしている事は理解できた。
隣に立つ蓮太郎は神妙な面持ちで、「……目線だ」と呟いた。「人は無意識に周囲一帯の情報を得ようとする。そうすれば自然と目線は四方八方へ動く。リトヴィンツェフ……お前は、相手の眼球の動きを読んでいるんだ。視線が自分から外れた瞬間に距離を詰め、文字通り意識の外から奇襲する……。それがお前の動きの『カラクリ』だ」
「ご名答。いくら里見蓮太郎が人間の限界を超えた能力を持っていようと、ベースとなっているのはやはり『人間』の動きだ。どれだけ知覚時間を圧縮しようと、その義眼の動く方向こそ、私が次の一手を導き出す一助となる」
「くそッたれが……」そう毒づいたのは果たしてリカルドか蓮太郎か。いずれにせよ種が明かされたところで、それが突破口になる事などないのだ。
リカルドは奥歯を噛み締めて軋ませる。
――リトヴィンツェフが突いてんのは、言ってしまえば人間の本能だ。
――よっぽどの訓練を積まない限り、そこに能動的な意識が介在する事はできない……。
こと近接戦において、アンドレイ・リトヴィンツェフを崩し切る事など、里見蓮太郎でも至難の業だ。
「手をこまねいていて良いのか?」とリトヴィンツェフは軽々とハンマーを肩で担ぎ直す。「ユーリャがもうすぐお仲間を落としてしまうぞ?」
「……――ッ!」と蓮太郎の表情が強張る。
「乗るなよ、里見」と少年を制す。「振り返ればリトヴィンツェフの思う壺だ」
「分かってる……! でも……!」
「安心しろよ。SATの連中はそんなにヤワじゃない。それに――」
リカルドが言いかけたその時、背後から甲高い剣戟音が響き渡る。
驚愕する蓮太郎とリトヴィンツェフを横目に、リカルドは底意地の悪い笑みを浮かべてみせた。「――援軍は野郎共だけじゃない。こっちにも、まだ占部里緒はいるんだぜ?」
リトヴィンツェフが不快げに歯噛みした。「――死に損ない供め」
「おたくとユーリャが規格外なのは元から計算済みだ。状況に応じて戦力を逐次投入するのは当たり前だろうが」
持ち上げた九ミリ拳銃の筒先が、真っ直ぐとリトヴィンツェフを射抜いた。
「そろそろ年貢の納め時だぜテロリスト。おたくらの悲願が叶う日は永遠に来ねえよ」
対峙する三人がそれぞれの得物を握り直す。再度の激突が目前まで迫った瞬間、後方からポンッ! という一見間抜けな音が鳴った。放物線を描きながら、こちらへ飛来してくる缶ジュースサイズの物体。それが磯貝の放ったグレネードだとリカルドだけが気づいていた。
「退がれ! 里見!」今度はリカルドから命じた。
すぐに意図を汲んだ蓮太郎が動く。双方が素早く後退すると同時に、三人の立つ中間地点に爆発物が着弾する。一際大きな爆音が上がり、弾けた火薬が一帯を塗り潰す爆炎を作り出す。
熱風に頬を叩かれながらリカルドは、「後ろだ!」と叫ぶ。「先にユーリャを袋叩きにするんだ!」
爆発による煙幕を利用し、踵を返したリカルドと蓮太郎がもう一つの戦いへと加勢する。
磯貝と広野の十字砲火を凌ぎながら、ユーリャが里緒と大立ち回りを演出している最中だった。
「突っ込め里見! 援護は任せろ!」
「分かった!」
駆け出す蓮太郎を視界の中央に捉えながら、リカルドは九ミリ拳銃を連射する。三方向から絶え間なく浴びせられる銃弾の圧力に耐えかねたユーリャが、ついに根負けした。目許を苛つきで歪ませ、後ろへ飛び退る。
その瞬間を待っていたとばかりに仕掛けたのは磯貝だった。短機関銃からサバイバルナイフに持ち替え、一直線にユーリャへと突撃していく。
張りつくように肉薄したまま、磯貝のナイフが的確に少女の急所を狙っていく。銀髪と汗を振り乱しながら躱すユーリャ。そんな彼女を横合いに回り込んだ里緒が急襲する。
バラニウム製曲刀の一閃が、虎の爪のガードを上から叩き潰す。あらぬ方向に腕が弾かれ、ユーリャの後頭部から右側頭部にかけて刃が走り抜ける。
短い悲鳴と共に、一文字に刻まれた傷から鮮血が噴き出した。
磯貝、里緒がそのまま離脱。入れ替わるように蓮太郎が迫る。黒衣の少年の右義足から発砲音を思わせる叫びが上がり、排出口から煌めく空薬莢が打ち上がる。スラスター加速により推進力が爆発的に上がり、その勢いのまま少年の蹴り技が放たれた。「――『隠禅・黒天風』ッ!!」
人間の速さを超えた爆速の回し蹴りが、銀髪の少女へと迫り――その後ろから現れたスレッジハンマーの一撃と交差した。
「――――ッ!?」
鳴り響く金属音。息を飲んだのは連太郎だけではない。ユーリャを包囲していた全員が、リトヴィンツェフの出現に言葉を失っていた。
蓮太郎の放った技が相殺され、たたらを踏みながら後退。少年は信じられないものを見るような目で、銀髪の少女の傍らを見据えていた。
「ユーリャッ! 私達はまだ負けていない! 持ち堪えろッ!!」と顔中に軽度の火傷を負った男は、喉を引き裂かんばりに叫ぶ。
――まさかこいつ、あの爆炎の中を突き進んで援護に駆けつけたのか!?
慄然とするリカルド。
「リトヴィンツェフッ!!」激昂と共に、蓮太郎は牽制のためにXD拳銃を撃ちまくる。
リトヴィンツェフを庇うように立ち塞がったユーリャが、鉤爪で弾丸を撃ち堕とし、直後に瞳孔をかっ開かせて吐血した。「おえッ……!」と可憐な唇から、吐瀉物混じりの血が溢れる。
傷は浅いが、ユーリャの側頭部からは今もなお、とめどなく流血が進んでいる。激痛と併せて、頭に酸素が行き渡らなくなった事で強烈な吐き気に襲われているのだろう。
そして。
満身創痍な少女の後ろで、彼もまた呼応するように咳き込みながら体を折り、大量の血の塊を地面に吐きつけた。
「……っ、大尉ッ!」と自らの容態も意に介さず、銀髪の少女がリトヴィンツェフの体を抱き止める。
肺炎の末期患者のごとく何度も何度も絶え間なく咳を繰り返しながら、リトヴィンツェフはぎこちない動きで、もたげていた首を上げる。彼の相貌が再び衆目に晒された瞬間――リカルド、蓮太郎、延珠、里緒、磯貝、広野の全員が驚愕と共に絶句した。
「……はは」と力なく笑って、当の本人は嗄れた喉で言葉を紡ぐ。「どうした……? 化け物でも見るような顔をして……」
「リトヴィンツェフ……! お前ッ……!」蓮太郎が声を震わせて後退る。
真っ赤に充血した白目。目尻から滴る同色の涙。顔中に不自然に浮かび上がった血管――。ガストレアウィルスの摂取に伴う形象崩壊前とも異なる、不可解な症状。
「まさか……!」とリカルドは目を見開く。自衛隊時代に、良く似た症状を資料で見た事があった。ぼやけた記憶を掘り起こし、浮かび上がった名称を脳が理解すると同時に、背筋に冷たい緊張が走る。「――天秤宮の致死性ウィルスか……ッ!?」
「そう、だ……この体はすでに天秤宮から下された死の宣告に……指の先まで満たされている……! ガストレア大戦の際……ベラルーシを襲撃した天秤宮がばら撒いた……超遅効性の病原体がな……!」
蓮太郎はかぶりを振りながら叫ぶ。「馬鹿な! その噂はただのデマだったはず!」
「サンプルが極少数であれば……それは存在しない事と同義だ。……何せゾディアックが行方不明になった事で、症状の再現性すらなくなったのだから……!」
リトヴィンツェフはコートの内側に手を突っ込むと、そこから取り出した大量の錠剤を一気に頬張った。明らかに適正量を超えた薬剤をバリバリと噛み砕き、血液と混じり合ったそれを一息に飲み下す。
「――……一つ認めよう。お前に捕まり、洋上刑務所に収監されていた半年間は生きた心地がしなかった」
眼球が正常な色を取り戻し、隆起していた血管が皮膚の下へ沈み込んでいく。
「薬の提供を滞らせないために、刑務官を始め、何人もの人間を買収した。虜囚として孤立無援の状況で、幾度も無謀な賭けに命を投じた」
硬直するリカルドと蓮太郎に代わって、SATの磯貝が口を開いた。「……天秤宮がベラルーシを襲ったのは、一〇年前のガストレア大戦末期のはずだ。まさか、お前はその時からずっと致死性ウィルスを体に宿していたというのか……!?」
「私だけではない」とリトヴィンツェフは磯貝の方を見向きもせずに否定した。「あの時……国境防衛戦に参加した仲間達は皆致死性ウィルスに冒された。ここに辿り着くまでに命を散らした者も大勢いる。里見蓮太郎――お前に捕えられたせいで、最期に立ち会う事さえ叶わなかった同志達も……!」
「……なぜだッ!? 理解できない!」と黒衣の少年は、苦痛に満ちた顔で問いかける。「それだけの過去を抱えて……仲間の死に痛める心を持って……! どうしてまだこんな事ができるッ!?」
「里見……」
「もう一度訊かせろリトヴィンツェフッ! お前はッ……、お前は自分の国が辿った末路を東京エリアに――いや、世界に味わわせるために天秤宮を操ったのか!? 故郷と仲間の仇を利用してまで成し遂げる価値が! 正義が! 意義が! 本当にそこにあると思っているのかッ!?」
蓮太郎の精一杯の投げかけに、白人の男は失笑で返していた。
「何がおかしい……!?」
「先ほどの会話を忘れたのか? 私は私の成そうとしている事を、他人に理解してもらいたいなどとは微塵も思っていない。もちろん、だからこそ、この行いに正当性はない。あるのはただの煮え滾った復讐心だけだ」
リトヴィンツェフの発する単語の一つ一つに、負の力が練り込められていくようだった。
「私にできる事は燃やし続ける事だけだ! この命を燃料に復讐の炎を燃やし続け、そうして真実を白日の元に照らし出す! 同胞達はガストレアという自然災害の前に倒れたのではない! 人の持つ底なしの悪意に焼き焦がされたのだとな――ッ!!」
昂る感情に比例するかのごとく、再びウィルスの症状が現れる。赤く染まった眼球も、滴る涙も――そのままリトヴィンツェフの内面を具現化させているかのようだ。
浮き上がった血管の表面が弾けたのだろう。内出血により顔の皮膚までもが血の色に染め上げられる。
顔中から粘度のある汗を大量に噴き出させ、息が荒くなる。
誰がどう見ても限界なのは明らかだった。
一〇年という月日を致死性の病原体に蝕まれながら過ごし、迫りくる死の恐怖に押し潰されながら生きてきた人間の心身が無事でいられるはずがない。その状態で、これだけの策謀を巡らし、高序列の民警ペアと激闘を繰り広げる――。アンドレイ・リトヴィンツェフという男の押し通してきた無理を目の当たりにし、リカルドは自身の覚悟が揺らぎそうな錯覚に陥った。
「……もうやめろリトヴィンツェフ!」蓮太郎が呼びかける。「もう限界なんだろ!? お前のやっている事に意味なんてない! 自分を犠牲にし続ける復讐なんて虚しいだけだッ!」
「それでも! 私は歩みを止める訳にはいかない!」リトヴィンツェフは口角から血の泡を飛ばし、「もはやこの命は私一人のものではない!」と捲し立てる。「この背中には幾人もの仲間の意志が! 何千万人もの同胞の無念が乗っている! 私は! あの地獄が残した亡霊だッッ!!」
「…………ッ!」
言葉に詰まる蓮太郎を前に、鷲掴みした錠剤をさらに煽るリトヴィンツェフ。「……里見蓮太郎。お前は何度も超えてきたはずだ。蛭子影胤と対峙した時も。スコーピオンを撃ち抜いた時も。ティナ・スプラウトと死闘を演じた時も。アルデバランとの一騎討ちに挑んだ時も――。幾度となく己の限界を超え続け、世界の運命を捻じ曲げてきた」
「何が……言いたい……!?」
「限界なんてものは超えるためにある……!」リトヴィンツェフの両の瞳に激情の炎が灯る。「世界の命運をお前の思う方向に導きたいなら、私を殺して見せろ! 里見蓮太郎! これはそういう戦いだッ!!」