ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 その一報(いっぽう)に、聖天子(せいてんし)は肩の荷が降りていくのを実感した。

 過度な緊張に晒(さら)され続けていた手足から、急激(きゅうげき)に力が抜けていく。

 思わずその場に大の字で寝転がってしまいたい衝動に駆(か)られながらも、まだやるべき事があると自らを律(りっ)する。雑念(ざつねん)を振り払うように、頭を左右に勢い良く振って、緩(ゆる)みかけた口許(くちもと)の筋肉を引き締め直す。

「稲生(いのう)首相」と凜(りん)とした声色で、仙台の指導者に呼びかける。「今しがた聖居(せいきょ)から連絡がありました。――那須鉱山(なすこうざん)に突入した民警(みんけい)と傭兵(ようへい)、そして駆けつけた警察特殊部隊(とくしゅぶたい)がリトヴィンツェフ一派を鎮圧(ちんあつ)。『スコーピオンの首(くび)』と『ソロモンの指輪(ゆびわ)』を奪還(だっかん)しました」

 その言葉に、稲生は僅(わず)かに目を丸くした。やがて事態を理解したのか、「はははははははははははッ!!」と高らかに笑い始める。「なるほど! これは一本取られたよ! お前さんは最初から時間稼ぎが目的だったという訳か!」

「……はい」と聖天子は控(ひか)えめに首肯(しゅこう)した。「騙(だま)すような形になってしまい申し訳ございません」

「構わん」稲生は満足(まんぞく)げに否定する。それから自身の顎(あご)を撫(な)でつけながら、「作戦に参加した民警は奴か? 名前は確か……そう、里見(さとみ)蓮太郎(れんたろう)だ」と聖天子を見やった。

 聖天子は再び首肯で返す。

「ずいぶんと頼(たよ)り甲斐(がい)のある矛(ほこ)を手中に収めたものだ」と稲生(いのう)は一人で頷(うなず)きながら、「全く、いつかのあいつを思い出すよ」と笑った。

「あいつ……?」

 聖天子が訝(いぶか)しげに首を傾(かし)げると、稲生は、「ああ」と答える。「先代聖天子。あいつにもいたのさ。一心に信頼を寄せる民警がな。あいつのやってきた無茶は全て、その民警の後ろ盾あってこそだった」

「初耳です……私はそんな話、一度も……」

「そりゃそうだろう。一国の統治者として、言論(げんろん)で戦う事を是(ぜ)としてきた人間が、その実武力にも頼っていた――そんな事、無垢(むく)なお前さんに教えるはずがない」

「…………」

「懐かしいな」と遠い過去を眺望(ちょうぼう)するように、仙台の統治者は目を細める。「彼らは今どこにいるのだろうな。先代がいなくなってから、一度も姿どころか、噂(うわさ)さえ聞いた事もない。まるで最初から、そんな連中などいなかったかのように――」

「稲生首相……あなたはいったいどこまで先代聖天子の事を知って……」

「お前さんに付(つ)き従(したが)ってる老骨(ろうこつ)には及(およ)ばんさ」と自嘲気味(じちょうぎみ)な返事が返ってくる。「しかし……くははッ。やはりというべきか何というか――あの天童菊之丞(たぬきジジイ)は何も話したがらないか。全く、これだから年寄りは碌(ろく)でもない。まあ、それを言ったら俺も大して変わらんが」

 豪快(ごうかい)に笑い始める男を、聖天子は何かに縋(すが)るように見つめる。「あのッ」と呼びかけようとしたところで、不意に笑みが引っ込み、すでに男の瞳には狡猾(こうかつ)な政治家の色だけが灯(とも)っていた。

 息を飲む聖天子に対し、稲生紫麿(むらまろ)は端的に言う。「これより仙台エリアから自衛隊及びガストレア研究員を那須鉱山(なすこうざん)に派遣(はけん)する。構わんな?」

「えッ、その……」

「何を惚(ほう)けている。天秤宮(リブラ)のウィルス嚢(のう)が破裂するまで、もう一刻の猶予(ゆうよ)もない。すぐに『首』と『指輪』を解析し、ゾディアックを制御下に置かねばならん。お前さんも早く動け。この件は東京と仙台共同ですぐさま片をつける。でなければ、この状況を静観(せいかん)している他エリアや列強国が痺(しび)れを切らして、いらぬ事態を招(まね)くやもしれん」

 もう話す事はないとばかりに、一方的に会話が打ち切られる。眼前に投影(とうえい)されていた稲生(いのう)のホログラムが微動(びどう)だにしなくなり、あっという間に光の粒(つぶ)となって消えていく。

 その光景を見届けながら、聖天子は短く息を吸って自身の頬(ほお)を叩(はた)いた。

 直後に背後の扉(とびら)が勢い良く開け放たれ、天童(てんどう)菊之丞(きくのじょう)や木更(きさら)、片桐(かたぎり)兄妹(きょうだい)が雪崩(なだ)れ込んでくる。

 開口一番(かいこういちばん)、血走った表情の菊之丞が叫ぶ。「聖天子様ッ! すぐに東京エリアを脱出する準備をしてくださいッ!!」

 

 

 通信を切った事で、聖天子(せいてんし)のホログラムが消える。

 薄暗(うすぐら)く、だだっ広い会議室の中央で佇(たたず)む稲生(いのう)紫麿(むらまろ)は、不敵な笑みと共に身を翻(ひるがえ)した。「すまんすまん。ずいぶん長く待たせてしまった」と闇の向こう岸へと言葉を投げかける。「さて――私(・)に何用かな? お嬢さん。まあ、改めて言われずとも予想はつくがね」

「……この状況が理解できていないのですか」暗闇のさなかで、華奢(きゃしゃ)な輪郭(りんかく)がゆらりと動く。澄(す)み渡るソプラノの声音(こわね)は、声の主がまだ年端(としは)もいかぬ子供である事を突きつけてくる。「この辺り一帯の警備は全員無力化しました。稲生首相――もうあなたに逃げ場はありません」

「無力化だと? ははッ! 嘘は良くない!」笑い声を洩(も)らしながらも、稲生の表情筋は全く動いていない。「――皆(・)殺(・)し(・)の(・)間(・)違(・)い(・)だ(・)ろ(・)」

「……どちらにしても同じ事です」

「誰の差し金だ? ……ああいや、別に答えなくて良い。さっき言った通りだ、おおかた予想はつく。――斉武(さいたけ)だろう? かつてティナ・スプラウトを使って聖天子を暗殺しようとしたように、今度は私を混乱のどさくさに紛(まぎ)れて殺(や)ろうという訳だ。私の推測(すいそく)は間違っているかね? 『NEXT』の最高傑作にして序列二一位――リタ・ソールズベリーよ」

「…………」

「沈黙(ちんもく)は肯定(こうてい)と受け取るが?」

 稲生が研(と)ぎ澄(す)まされた眼光を刺し込むが、暗幕(あんまく)の向こうから返ってきたのは、呆(あき)れたような溜息(ためいき)だった。

「……その情報網(じょうほうもう)には感服いたしますが」と少女は――リタ・ソールズベリーは感情の読めない声で切り出す。「もう一度言いましょうか? この状況が理解できていないようですね。あなたを守る盾はもうありません。逃れられぬ死の運命を前にして、なぜまだ冷静でいられるのですか――?」

「エインのラブドールごときには分からんだろうよ」稲生は侮蔑(ぶべつ)を込めて吐き捨てた。

 対峙(たいじ)する少女から、怜悧(れいり)な殺意が放射される。

 機械化兵士施術を施された呪われた子供達(イニシエーター)を前に、やはり稲生の表情が崩れる事はない。

「リタ・ソールズベリー――お前さん、さっき警備は全員黙らせたと言ったな? ま(・)ず(・)そ(・)れ(・)が(・)間(・)違(・)い(・)だ(・)。そして、それが分かっていない時点で、その鈍(なまくら)の刃(やいば)が私の心臓に届く事はないのだよ」

「……!」

 足音はなかった。

 稲生の背後から幾人(いくにん)もの武装した兵士達が現れる。今までどこに身を潜めていたのか、どうやって息を殺していたのか――その全てが何も知らない第三者には想像もできぬほどに、余(あま)りにも突然に、そしてそこにいるのが必然(ひつぜん)かのように、彼らは泰然(たいぜん)とした出で立ちで小銃を構える。

 混じり気のない純白(じゅんぱく)の軍服に、同色の目出し帽(ぼう)とヘッドギアを被り、目許はゴーグルで囲われているため一切確認できない。 

 それぞれが携える小銃(アサルトライフル)は、既存のデザインとは大きく異なり、一人一人独自のカスタマイズが施(ほどこ)されている。それだけが、統一された服装の彼らを見分ける唯一の記号となっていた。

「仙台エリア自衛隊、首相直属最精鋭部隊『白兎部隊(ホワイトラビット)』」と稲生は告げる。「実力は折り紙つきだ。ステージⅣクラスのガストレアだろうと、高序列のイニシエーターが相手だろうと、簡単にやられる連中じゃないぞ」

「…………」

「せっかく世界が面白い方向に進もうとしているんだ。こんなところで倒れる訳にはいかんのだよ。さあどうする? 五翔会(ごしょうかい)。どちらの『作品』が優れているか、今ここで試してみるか?」

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