藤沢リカルドの眼差しには一寸の曇りもなかった。
傭兵の鋭い眼光に気圧されそうになりながらも、「藤沢さんまでッ――何言ってんだよ!?」と詰め寄る。「ここが保たないって言ったのは藤沢さん自身だろッ!」
「だからこそだよ」とリカルドは言った。「伊熊さんが失敗すれば天秤宮はどうなる?」
「…………っ」思わず言葉を飲み込む。
言われずとも分かっている。将監はああ言ってはいたが、ステージⅤと正面切って戦うなど愚の骨頂にもほどがある。勝率など、どれだけ甘く見積もっても一パーセントにも満たないだろう。
「保険が必要なんだ」傭兵は続ける。「俺はここに残って、『ソロモンの指輪』と『スコーピオンの首』で天秤宮との交信を試す。リトヴィンツェフは無理だって言ったが、武力を使わないやり方なら、間違いなくこれが現実的な方法だ」
「けどッ……」
「それはリカルドがやらないといけない事なの!?」突如として後ろから割り込む声があった。振り返ると、頬を上気させてこちらを睨みつける占部里緒が立っていた。「分かってるの!? 伊熊さんの勝ち負けに関わらず、この場所は崩壊するんだよ! たとえ天秤宮を止められたとしても――」
里緒の決死の叫びは、有無を言わさず中断させられた。
発砲音が響き渡り、直後に黒髪の少女の絶叫が木霊する。
「なッ……!?」蓮太郎は自身の目で見た光景が信じられなかった。
硝煙を棚引かせる九ミリ拳銃を構えた傭兵は、淡白な声色で告げる。「これは俺のケジメだ。第三次関東会戦で東京を守れなかった俺の――いや、俺達自衛隊の落とし前をつけなきゃならねえ」
里緒の右脛からは絶え間なく血が流れ出している。つい先ほどまで命の奪い合いに身を投じていたリカルドの九ミリ拳銃に装填されていたのは、ガストレア因子特効のバラニウム弾だ。適切な処置をしなければ、里緒の失血は免れない。
銃声を聞きつけたSATの二人が慌てた様子で駆け寄ってくる。その内の一人が、すぐに救急キットを取り出して里緒の側で屈み込んだ。
「里緒ちゃんは生きてくれ――」守るべき少女を躊躇なく狙い撃った男は、懇願するように言った。
彼の目には塵芥ほどの殺意さえない。
その瞳孔の奥に宿っていたのは、並々ならぬ覚悟そのものであった。
「俺は里津ちゃんに頼まれた。『妹を守って欲しい』ってな。だから――どれだけ君に恨まれたとしても、俺には里緒ちゃんを陽の当たる世界に帰す義務がある」
「待って……よッ、そんなの……あんまりだよ……!」苦痛に目許を歪ませながらも、少女の眼差しは自身が最も信頼を寄せる男へと注がれていた。
愛する者をこの手で傷つけようとも、その命を繫ぎ留めていて欲しい――。かつて同じような方法で延珠を戦場から遠ざけようとした蓮太郎には、リカルドの抱える葛藤が痛いほどに理解できてしまっていた。
「――里見。お前にこいつを預ける」
そう言って、傭兵は構えていた九ミリ拳銃を蓮太郎へ向かって投げ渡した。とっさに受け取った右腕の擬似神経が、未だ熱を持つ銃身の感触を確かに捉える。
「そいつは俺が自衛隊員として生きて戦った証だ」
「……やめろよ」蓮太郎は無意識に九ミリ拳銃を握り締めていた。「ふざけんじゃねえよッ。何でどいつもこいつもッ……そうやって勝手にいなくなろうとするんだよッ!? せっかく一緒に戦う仲間になれたのにッ!」
千寿夏世。布施翠。薙沢彰麿。紅露火垂。かつて背中を預け、共に戦い、命を散らして蓮太郎の前から去って行った仲間達――。
何度も思った。もう二度と失いたくないと。その度に両手は虚無を掴み、言い表せぬ無力感に苛まれた。
目頭が熱を持つ。昂る感情が形を伴うようにして、一筋の涙が溢れた。
そんな蓮太郎を見て、「ははっ、感無量だな」と藤沢リカルドは穏やかに笑った。「どうやら俺の存在は、英雄にとって想像以上にデカかったらしい」
かつて自衛隊員として東京エリアの守護を担っていた男は、背筋を伸ばして姿勢を正すと、真っ直ぐと蓮太郎を見据える。指先を伸ばした右手を頭の前で翳し、敬礼の動作を作る。
「里見蓮太郎――最後にあんたと共に戦えて光栄だった。皆を……東京エリアを頼んだぜ」
「そんな……駄目だ! 藤沢さん!」蓮太郎は首が千切れんばかりに、かぶりを振って傭兵の言葉を否定しようとする。だが、直後に重厚な地響きが反響し、どうしようもない現実を叩きつけられる。
スラックスのポケットに仕舞い込んでいた携帯電話が着信音を鳴らす。画面に視線を落とすと、発信者はティナだった。
スピーカー部分を耳に当てると、ティナの上擦った声が流れてくる。『お兄さん! 一刻も早くここから脱出を! 伊熊将監さんと天秤宮が交戦に入りましたッ!!』