ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 起きた事象は単純だった。

 鎌状(かまじょう)前肢(ぜんし)を振り上げ、重力と筋力を乗せて振り下ろす――。

 だが、ステージⅤガストレアの常識外れの身体能力から繰り出される一撃は、全ての前提条件を根本(こんぽん)から(くつがえ)す。

 瞬きする間もない速度で、直上から湾曲(わんきょく)した(やいば)が襲来する。空気を文字通り斬り裂き、その軌跡(きせき)(じょう)(わず)かな(あいだ)真空を(きざ)み込む。周囲一帯にソニックブームの衝撃が走り抜け、鼓膜を破裂させるような強烈な音波(おんぱ)()き散らされた。「――……づッッ!!」一瞬にして将監(しょうげん)耳腔(じこう)眼窩(がんか)から、噴水のごとく血液が湧き出す。

 攻撃動作の余波(よは)だけで、筋繊維(きんせんい)をまとめて裁断(さいだん)されるような感覚が襲う。だが、ここで足を止める訳にはいかない。喉の奥から雄叫びと鉄分の塊を(ほとばし)らせ、両手で握った大剣を振るって、天秤宮(リブラ)の放つ斬撃を迎え撃つ。

「――――――――――――――――――――――――――」

 インパクトの瞬間、比喩(ひゆ)表現でもなんでもなく記憶が飛んだ。全身の骨が砕き折れる激痛に叩き起こされた時には、すでに将監の巨躯は宙高くを舞い踊っていた。

 脳味噌をコンクリートミキサーで掻き回されているような感覚だった。上下左右の判別が利かない。意味のない言葉の羅列(られつ)が脳神経に浮かんではすぐさま消えていく。

 将監は半ば本能的に自身のガストレア因子を解放。ばくんと心臓が大きく跳ね上がり、全身に無理矢理血液を送り込む。砕けた骨格が急速に接合されていき、失われていた感覚を取り戻す。

「…………ッ!」筋肉の力だけで空中で一回転。真紅(しんく)に染まった瞳で、眼下の天秤宮(リブラ)(にら)みつける。

 互いの視線が交差した瞬間、天秤宮(リブラ)が仕掛ける。巨体が亜音速で動き、周囲一帯に爆音を轟かせながら二振りの(かま)()ぎ払われた。

「二度も同じ手が通じるかよ――――ッッ!!」今度は読み切った。こちらへ迫り来る鎌状腕部の内、左側の触腕(しょくわん)に大剣の切先(きっさき)を突き刺す。毒々しい色の血液が傷口から噴出し、間欠泉(かんけつせん)のごとく(てん)へと舞い上がる。「おおあああああああああああああああああああ――――――――ッッッ!!」

 間髪容れず、両手で(たずさ)えた大剣を振り抜く。天秤宮(リブラ)自身の生み出す運動エネルギーに引っ張られるようにして、肉のレールの上を大剣が走る。強烈なGが全身を叩きつけ、四肢(しし)がバラバラになりそうな錯覚に(おちい)った。

 高速で流れていく視界の中、かろうじてステージⅤの全容(ぜんよう)(とら)えながら、将監は気力だけで(つか)を握り締め続ける。

 やがて(やいば)が触腕の可動部分に沈み込んだ。「づうああああああああああああッッ!!」と全身を振り子運動のように振り回し、関節を根本からぶった斬る。

 振り抜いた大剣と共に、ガストレアの体液が空中で()を描く。

 ――すぐに再生が始まる!

 ――このまま速攻で叩き潰す!

 再度(さいど)強引に方向転換。未だグロテスクな断面を見せる左触腕へ大剣を突き立てると、棒高跳びの要領で一気に跳躍(ちょうやく)した。

 天秤宮(リブラ)がすかさず迎撃に移行(いこう)する。残った右の触腕を(むち)のごとくしならせ、腕部先端についた鎌で、敵対者の肉体を引き裂きにかかる。強烈極まる速度で放たれた一撃が大気を焼き、オレンジ色の軌跡を光らせる。

 だが、()()()()()()()()()()()()()()。将監は自らを回転軸代わりに縦方向に輪転(りんてん)。回転ノコギリの様相(ようそう)(てい)する姿へと変貌(へんぼう)し、そのまま前方へと突撃する。こちらを殺害せしめんとする右触腕を、逆にズタズタに裂き潰しながら、猛スピードで駆け抜ける。

 バラニウムの(やいば)がもう片方の関節部を叩き壊した。左右の鎌状前肢がだらりと投げ出される。これで天秤宮(リブラ)の直接攻撃手段はない。

 このまま天秤宮(リブラ)本体へと迫り、討伐する――。

 〇コンマ一秒以下でそう決断した将監は、崩れゆく天秤宮(リブラ)の触腕表皮を踏みつけると、そこを足場にして一気に駆け上がっていく。

 視界いっぱいにゾディアックの(おぞ)ましい相貌(そうぼう)が広がっていく。

 ――行けるッ!

 確信と共に全力で両脚を駆動(くどう)させる。

 だが直後に首筋を絶対零度(ぜったいれいど)の悪寒が突き抜け、全身から冷や汗が噴き出す。将監の無意識が瞬時に発した警笛(けいてき)。その意味を導き出すよりも先に、()()は起きた。

 天秤宮(リブラ)の両目が不自然に見開かれたかと思えば、巨体本体のありとあらゆる箇所(かしょ)拳大(こぶしだい)の穴が開いた。動物の毛穴全てを無理矢理拡張(かくちょう)させたかのような光景は、集合体恐怖症の者が見れば思わず目を(そむ)けたくなる有様(ありさま)だ。

 そこまで来て、ようやく将監は自身の(あやまち)に気づいた。

 (のど)干上(ひあ)がる。とっさに腕で口を(おお)うが、それが焼け石に水以下の愚行(ぐこう)でしかない事は自分自身が(もっと)も理解していた。

 無数の穿孔(せんこう)が一斉に収縮し、次の瞬間、その内側にあるものをまとめて噴出させた。

 (せん)を抜いたように、ガス(じょう)の気体が全方向へ放たれる。視界全てを覆い尽くすほどのガスが、一秒にも満たない間に撒き散らされ、ほんの数瞬前まで圧倒的迫力と共に君臨(くんりん)していた天秤宮(リブラ)の姿が跡形(あとかた)もなく隠れてしまう。

 だが、それ自体は些細(ささい)な問題に過ぎない。

 真っ白い煙霧(えんむ)が肌に触れたのとほぼ同時に、爆発的な痛みが弾けた。一瞬にして皮膚が赤く()れ上がり、内側から体中の水分が沸騰(ふっとう)するような感覚。ボコボコと肉体表面が隆起(りゅうき)し、大量の水疱(すいほう)が形成される。

 腕から脚、胴体に至るまで、あらゆる箇所(かしょ)が焼け(ただ)れ、さらには眼球や口腔(こうくう)鼻腔(びこう)といった粘膜(ねんまく)までもが焼鏝(やきごて)を押しつけられたように熱を持つ。

 ガスで満たされた肺が有無(うむ)を言わせず溶解し、血液中の酸素が奪い尽くされる。

 悲鳴の一つさえ上げるのを許されないまま、意識が彼方(かなた)へと飛びそうになる。

 ――これが……天秤宮(リブラ)致死性(ちしせい)ウィルスッ……!

 もはや病原菌という形容さえ烏滸(おこ)がましい。その(さま)は、さながら超即効性の化学兵器。()()()剤のサルファマスタードを何千倍にも凶悪化したような症状が、(わず)かな潜伏期間もなく全身を(むしば)んでゆく。

 自らの想定の甘さを思い知らされる。ガストレアと混ざった体でさえも耐えられぬレベルの猛毒(もうどく)。このステージⅤを野放しにすれば、間違いなく国が(ほろ)ぶ。

「……させねえ」絞り出すように口にする。

 ――夏世(かよ)が守った東京エリアを……三ヶ島(みかじま)さんが帰るこの国を……!

 ――何があっても繋いでみせる……!!

「邪魔すんじゃねえ! ここが俺の命の使いどころなんだよ――ッ!!」

 体中の水ぶくれが弾け、透明な体液と血液の混合物が撒き散らされる。脊髄(せきずい)の内側から八つ裂きにされるような激痛が()(めぐ)り、眼球の毛細血管(もうさいけっかん)軒並(のきな)み破裂した。体躯(たいく)のありとあらゆる箇所(かしょ)から生命の(みなもと)を失いながらも、将監の両脚は動くのをやめなかった。

 走り込みながら、逆手に持った大剣を槍投げの要領で投擲(とうてき)する。肉厚(にくあつ)段平(だんびら)がガスの煙幕を斬り裂いて進み抜け、天秤宮(リブラ)眉間(みけん)に突き立てられた。

 超大口径バラニウム徹甲弾(てっこうだん)でさえも弾き飛ばす外殻(がいかく)は、先ほどのガス噴射(ふんしゃ)のために大きく開き、あからさまに防御力が下がっていた。穿(うが)たれた穴を引き裂くように、剣先(けんさき)が深く(しず)み込んでいく。

 天秤宮(リブラ)の顔面が、まるで人間のそれのように苦痛に歪む。アシンメトリーの眼光が細められ、声帯から(おびただ)しい悲鳴が炸裂(さくれつ)した。

「うおおああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ――――――――――――――ッッッ!!」満身創痍の将監の口腔(こうくう)から絶叫にも近い大喝(だいかつ)(ほとばし)る。一歩踏み締める度に細胞が引き千切れ、水を含んだスポンジを握り潰したように血が滲み出た。

 それでも進む。天秤宮(リブラ)はもう目の前だ。手を伸ばせば届く距離にいる。

 ――『あのこは まだ いる』

 ――『いえなかったことが あるから』

 ――『また あいたい の』

 ――『こう すれば』

 ――『あのこ に あわせてくれるって』

 ――『いってくれた から』

 ――『だれか が』

 ――『きっと』

 天秤宮(リブラ)がうわ言のように幾度(いくど)となく羅列(られつ)していた言葉。正気を取り戻した今、その声はもう聞こえないが、脳裏(のうり)にこびりついた(おさな)声音(こわね)()せる事なく反響し続けている。

 ――疫病王(えきびょうおう)……今さらテメエの正体に興味なんざねえ。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ――だから――。

 前へと突き出した右手が、天秤宮(リブラ)の眉間に刺さった大剣の(つか)を掴み取った。

「――おとなしく眠れ。お前らにはもう、何も残っちゃいねえよ」

 最後の瞬間、天秤宮(リブラ)鮮紅色(せんこうしょく)眼睛(がんせい)が真っ直ぐとこちらを見据(みす)えた。将監の言葉を理解していたのかは定かでないが、その目尻(めじり)から一筋の液体が(つた)っていた。

 砕き潰す勢いで(つか)を握り締め、細胞中に根を張ったガストレア因子(いんし)を呼び起こす。上腕二頭筋(じょうわんにとうきん)爆裂(ばくれつ)寸前まで膨張(ぼうちょう)し、血管が地殻変動(ちかくへんどう)のごとく隆起(りゅうき)する。

 真上から真下へ――。大剣(バスターソード)を限界突破した膂力(りょりょく)のままに振り下ろす。バラニウムの再生阻害効果がガストレアの強靭(きょうじん)な筋繊維を強硬的に裁断。天秤宮(リブラ)の相貌を起点に、環形(かんけい)動物の細長い体が縦一文字に裂けていく。

 分厚(ぶあつ)い皮と脂肪の内側に隠された赤い肉が(あら)わになる。傷口から強烈な腐臭(ふしゅう)が湧き上がり、鼻腔(びこう)を無遠慮に凌辱(りょうじょく)する。最期の足掻きとばかりに体表の噴出口から、病原菌を内包したガスが噴霧(ふんむ)された。

 それを余す事なく取り込まされ、すでに崩壊寸前の将監の肉体が、内側と外側から同時に締め上げられる。この世にある苦痛の万象(ばんしょう)一塊(ひとかたまり)になって襲ってきたような感覚だった。末梢神経(まっしょうしんけい)にまで火焰(かえん)を流し込まれ、熱気の(うず)が体内を暴れ回る――。

 ガストレア因子由来の肉体再生が追いつかない。細胞を最小単位になるまで切り刻まれた結果、体を(おお)う皮膚が劣化したゴムのように崩れ落ちていく。

 大剣を携える右手があるべき形を失った時、将監の意識もまた現実との繋がりを断ち切られた。

 宵闇(よいやみ)よりも冷たく暗い晦冥(かいめい)が、伊熊将監を包み込む――。

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