そうして長かった夜が明ける。
東から朝日が昇り始めると、上空を覆い尽くしていた闇夜が瞬く間に晴れ渡っていく。陽光が燦々と降り注ぎ、地表の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる。眠りに落ちていた世界が瞼を開くように、草木は風に揺らめき、失っていた温度を取り戻す。
「……将監」蓮太郎はぽつりと呟く。
相乗りさせてもらった警視庁所有のヘリコプターから、眼下に広がる光景を見下ろす。地鳴りのような轟音と共に、今まさに超弩級ガストレアが崩れ落ちていくところだった。
頭部から真っ二つに両断された天秤宮が、最期の断末魔を撒き散らしながら、那須鉱山山頂から滑落していく。巨体が木々をへし折り、抉られた山肌から夥しい量の土煙が舞い上がる。
沈黙したステージⅤの腹部に実るウィルス嚢は、本体のバイタルサインに呼応するかのように色味をなくして萎んでいく。
その事実が示すのはただ一つ――今、この時をもってして東京エリアと仙台エリアは未曾有の生物災害と凄惨な戦争を避けられたという事。そこに住む人々の明日は守られたのだ。
ゾディアック・ガストレア疫病王天秤宮――陥落。それを成し遂げたのは、序列元一五八四位のプロモーター。蓮太郎達の天蠍宮撃滅に比肩する快挙だった。
機内にいる者達の反応は様々だ。
藍原延珠と隊長以外のSATの面々や、救出された神栖人志は驚愕と歓喜に色めき立っている。
ティナとSATの隊長は開口部付近で腹這いになったまま、今もなお対物狙撃銃のスコープを覗き込んでいる。
片腕を失った三ヶ島影似と、彼のイニシエーターである加倉井咲良は、外の景色には一瞥もくれずに俯いたままでいる。
谷塚美梨は、傍らにいる同年代の少女――死人のように生気の抜け落ちた占部里緒に寄り添い続けている。
「…………」蓮太郎は無言のまま、崩落しかかった山頂付近を見つめる。あの場所にたった一人残った傭兵に想いを馳せる。
天秤宮が討伐されたとはいえ、これだけの大規模な戦闘が繰り広げられたのだ。ガストレアの直下に位置していた第0採掘場は、すでに瓦礫と土砂の海と化しているはずだ。
アンドレイ・リトヴィンツェフ、ユーリャ・コチェンコヴァ、マーク・メイエルホリド、そして藤沢リカルド。自らの信念のために戦った者達全てを飲み込んで、決戦の地は未来永劫誰の立ち入りも許さぬ禁足地となったのだろう。
気づけば地平線の向こうから、完全武装のヘリコプターや戦闘機が押し寄せてきていた。濃緑色の塗装から鑑みるに、それらの所属は明らかだ。聖居の命令で、事態の収拾に駆り出された航空自衛隊だろう。
自衛隊からの無線が入ったのか、操縦士に呼び出されたSAT隊長が持ち場を離れた。彼の隣にいたティナもそこで初めて緊張が解けたのか、大きく息を吐き出した。
タイミングを見計らったかのように蓮太郎の携帯電話が鳴り、発信者の名前を見やれば多田島茂徳だった。スピーカーを耳に当てるなり、『状況は分かってるから前置きは省くぞ』というぶっきらぼうな口調が出迎えた。『聖天子様が稲生の説得に成功した。これで罷り間違っても、仙台から東京に銃口が向く事はない。――お手柄だ、民警』
「……ああ」
『どうした?』
「素直には……喜べない。天秤宮は止められたけど、犠牲は避けられなかった。将監と藤沢さんが……」
『片方は知らねえが、もう一人は……あの傭兵の兄ちゃんか』受話器の向こうから薄く息を吐く音が聞こえる。短くない付き合いもあってか、多田島は、これまで蓮太郎が失ってきたものについて良く知っている。貫かれる無言は、不良刑事がこちらの事を慮っている何よりもの証左だった。
相手に見えていないのを頭では分かっていながら、蓮太郎は苦い表情を作る。「……悪い」と謝る。「……仙台が引き退がったのは分かった。この状況を静観してた他の国はどうなったんだ?」
「……大丈夫だ」と多田島は努めて落ち着いた声色で答える。「すでに撤退を始めてる。天秤宮の死骸と那須鉱山近辺の管理は、東京と仙台の共同でやる事が決まった。稲生首相がアメリカと中国相手に直接交渉して、要求を一〇〇パーセント飲ませた。あの二国が退いた以上は、他の連中も深入りは不味いと判断したんだろうな。我先にと手を引いていったよ」
蓮太郎は内心で嘆息した。さすがは一国を治める元首の手腕といったところか。
それを一人で押さえ込み、突入部隊が事態を収束させるまで時間を稼ぎ切った聖天子の力も見事なものだ。
改めて蓮太郎一人では解決できない大事件であった事を自覚させられる。
『民警、色々思うところはあるだろうが、あとの事は大人達に任せろ。今はゆっくり休め』
「ああ……ありがとう」通話を切り上げると、機内がざわついているのに気づく。何か不測の事態が起きたのかと焦りが滲むが、それにしては彼らの表情に悲壮感はない。里緒が泣き笑いを浮かべ、美梨の方も同様の顔になりかけていた。
SATの隊長がこちらに近づいてきて、疑問はすぐに解消される。彼の口許にも隠し切れぬ笑みがあった。「自衛隊から生存者を発見したとの連絡が入った。すでに地上に降りた部隊が保護のために動いている。喜ぶと良い。――藤沢君は無事だ」