ブラック・ブレット8 Träume 破滅の病巣   作:鏡之翡翠

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 そうして長かった夜が明ける。

 (ひがし)から朝日が(のぼ)り始めると、上空を覆い尽くしていた闇夜(やみよ)が瞬く間に晴れ渡っていく。陽光が燦々(さんさん)と降り注ぎ、地表の輪郭(りんかく)をくっきりと浮かび上がらせる。眠りに落ちていた世界が(まぶた)を開くように、草木は風に揺らめき、失っていた温度を取り戻す。

「……将監(しょうげん)蓮太郎(れんたろう)はぽつりと(つぶや)く。

 相乗りさせてもらった警視庁(けいしちょう)所有(しょゆう)のヘリコプターから、眼下(がんか)に広がる光景を見下ろす。地鳴りのような轟音(ごうおん)と共に、今まさに超弩級(ちょうどきゅう)ガストレアが崩れ落ちていくところだった。

 頭部から真っ二つに両断された天秤宮(リブラ)が、最期の断末魔(だんまつま)()き散らしながら、那須鉱山(なすこうざん)山頂から滑落(かつらく)していく。巨体(きょたい)が木々をへし()り、(えぐ)られた山肌(やまはだ)から(おびただ)しい量の土煙(つちけむり)が舞い上がる。

 沈黙(ちんもく)したステージⅤの腹部に(みの)るウィルス(のう)は、本体のバイタルサインに呼応するかのように色味をなくして(しぼ)んでいく。

 その事実が示すのはただ一つ――今、この時をもってして東京エリアと仙台エリアは未曾有(みぞう)生物災害(バイオハザード)凄惨(せいさん)な戦争を避けられたという事。そこに住む人々の明日は守られたのだ。

 ゾディアック・ガストレア疫病王(えきびょうおう)天秤宮(リブラ)――陥落(かんらく)。それを成し遂げたのは、序列元一五八四位のプロモーター。蓮太郎達の天蠍宮(スコーピオン)撃滅(げきめつ)比肩(ひけん)する快挙(かいきょ)だった。

 機内にいる者達の反応は様々だ。

 藍原(あいはら)延珠(えんじゅ)と隊長以外のSATの面々や、救出された神栖(かみす)人志(ひとし)驚愕(きょうがく)歓喜(かんき)に色めき立っている。

 ティナとSATの隊長は開口部付近で腹這(はらば)いになったまま、今もなお対物狙撃銃のスコープを覗き込んでいる。

 片腕を失った三ヶ島(みかじま)影似(かげもち)と、彼のイニシエーターである加倉井(かくらい)咲良(さくら)は、外の景色には一瞥(いちべつ)もくれずに(うつむ)いたままでいる。

 谷塚(たにつか)美梨(みり)は、(かたわ)らにいる同年代の少女――死人のように生気の抜け落ちた占部(うらべ)里緒(りお)()()い続けている。

「…………」蓮太郎は無言のまま、崩落しかかった山頂付近を見つめる。あの場所にたった一人残った傭兵に想いを()せる。

 天秤宮(リブラ)が討伐されたとはいえ、これだけの大規模な戦闘が繰り広げられたのだ。ガストレアの直下(ちょっか)に位置していた第0採掘場は、すでに瓦礫(がれき)と土砂の海と化しているはずだ。

 アンドレイ・リトヴィンツェフ、ユーリャ・コチェンコヴァ、マーク・メイエルホリド、そして藤沢(どうざわ)リカルド。自らの信念のために戦った者達全てを飲み込んで、決戦の地は未来永劫(みらいえいごう)誰の立ち入りも許さぬ禁足地となったのだろう。

 気づけば地平線の向こうから、完全武装のヘリコプターや戦闘機が押し寄せてきていた。濃緑色(のうりょくしょく)塗装(とそう)から(かんが)みるに、それらの所属は明らかだ。聖居(せいきょ)の命令で、事態の収拾(しゅうしゅう)に駆り出された航空自衛隊だろう。

 自衛隊からの無線が入ったのか、操縦士(そうじゅうし)に呼び出されたSAT隊長が持ち場を離れた。彼の(となり)にいたティナもそこで初めて緊張が解けたのか、大きく息を吐き出した。

 タイミングを見計(みはか)らったかのように蓮太郎の携帯電話が鳴り、発信者の名前を見やれば多田島(ただしま)茂徳(しげとく)だった。スピーカーを耳に当てるなり、『状況は分かってるから前置きは(はぶ)くぞ』というぶっきらぼうな口調が出迎えた。『聖天子(せいてんし)様が稲生(いのう)の説得に成功した。これで(まか)り間違っても、仙台から東京に銃口が向く事はない。――お手柄だ、民警』

「……ああ」

『どうした?』

「素直には……喜べない。天秤宮(リブラ)は止められたけど、犠牲は避けられなかった。将監と藤沢さんが……」

『片方は知らねえが、もう一人は……あの傭兵の兄ちゃんか』受話器(じゅわき)の向こうから薄く息を吐く音が聞こえる。短くない付き合いもあってか、多田島は、これまで蓮太郎が失ってきたものについて良く知っている。(つらぬ)かれる無言(むごん)は、不良刑事がこちらの事を(おもんぱか)っている何よりもの証左(しょうさ)だった。

 相手に見えていないのを頭では分かっていながら、蓮太郎は(にが)い表情を作る。「……悪い」と(あやま)る。「……仙台が引き退()がったのは分かった。この状況を静観(せいかん)してた他の国はどうなったんだ?」

「……大丈夫だ」と多田島(ただしま)は努めて落ち着いた声色で答える。「すでに撤退(てったい)を始めてる。天秤宮(リブラ)死骸(しがい)那須鉱山(なすこうざん)近辺の管理は、東京と仙台の共同でやる事が決まった。稲生首相がアメリカと中国相手に直接交渉して、要求を一〇〇パーセント飲ませた。あの二国が退(しりぞ)いた以上は、他の連中も深入りは不味(まず)いと判断したんだろうな。我先(われさき)にと手を引いていったよ」

 蓮太郎は内心で嘆息(たんそく)した。さすがは一国を治める元首(げんしゅ)手腕(しゅわん)といったところか。

 それを一人で押さえ込み、突入部隊が事態を収束させるまで時間を稼ぎ切った聖天子の力も見事なものだ。

 改めて蓮太郎一人では解決できない大事件であった事を自覚させられる。

『民警、色々思うところはあるだろうが、あとの事は大人(おとな)達に任せろ。今はゆっくり休め』

「ああ……ありがとう」通話を切り上げると、機内がざわついているのに気づく。何か不測(ふそく)の事態が起きたのかと焦りが(にじ)むが、それにしては彼らの表情に悲壮感(ひそうかん)はない。里緒(りお)が泣き笑いを浮かべ、美梨(みり)の方も同様の顔になりかけていた。

 SATの隊長がこちらに近づいてきて、疑問はすぐに解消される。彼の口許にも隠し切れぬ笑みがあった。「自衛隊から生存者を発見したとの連絡が入った。すでに地上に降りた部隊が保護のために動いている。喜ぶと良い。――藤沢(どうざわ)君は無事だ」

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